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  • 心霊術の危険に警戒しなさい
    目ざめよ! 1970 | 9月8日
    • 大聖堂の副司祭長である大聖堂参事会員ジョン・D・ピアース・ヒギンスもいました。つぎにかかげるのは,その時,パイクがむすこのジムとかわしたという会話の一部です。

      「『ありがとう,ジム。………お前のお母さんに電話をかけて,ここで今何が行なわれているか伝えるよ』と,わたしは答えた。

      「『いいですね。ぼくは ― ぼくがほんとうにお母さんを愛していること ― ぼくが生きていることを,お母さんに知ってもらいたい』という返事がかえってきた。

      「『ジム,それはお母さんも信じているよ』と,わたしは安心させるように答えた。『お母さんはいままでずっとそれを信じてきた。ところでお前の新しい境遇のことだが,お前は………ひとりぼっちかい,それとも ―』

      「『わたしの周囲には大ぜいの人がいます。たくさんの手がわたしを持ち上げているようなものです』ということばが返ってきた。―そして,ちょっと間を置いて,『お父さんとお話ができるまでは,たいへん悲しい思いをしました』と言った」。

      パイクは,心霊術者を尋ねた結果こういう交信ができたので,ひどく感激しました。「すべてを総合して考えると,死んだ人々も,なお生き続きているということが,これで十分確証できると思う」と,彼は言いました。ほかにも多くの人が心霊術の経験をして,同様の結論を出しています。

      心霊術はなぜ危険か

      しかし,ある人たちは,「心霊術者に尋ねることがなぜいけないのか。なぜ神のことばはすべての心霊術を非とするのか。死んだ愛する者たちとの交信を試みることがなぜ悪いのか」と言うかもしれません。

      心霊術は,人を悪魔の影響にさらすので悪いことであり,危険なことです。事実,心霊術は,悪霊と交渉することなのです。それら悪霊が人々を誤導するために用いる常套手段のひとつは,霊媒をとおして,あるいは,見えない領域からの「声」によって,人々に話しかけることです。その「声」は,死んだ肉身か,または,良い霊であるかのように見せかけます。しかし,「死人に詢ことをする者」は,悪鬼と交信することになるのです。―申命 18:11。黙示 21:8。

      それでも人は,パイク主教と同じように,自分と話をしたのは,死んだ愛する者だと信じて疑わないかもしれません。しかし,そのような事があるわけがありません。というのは,死者には意識がないからです。聖書は,「生者はその死なんことを知る 然れど死ぬる者は何事も知らず………汝の往かんところの陰府[墓]には工作も計謀も知識も知慧もあることなければなり」と力説しています。人が死ぬとき,その魂が生き残ることはありません。聖書は,魂が死ぬことを示しています。「罪を犯せる霊魂は死ぬべし」。―伝道 9:5,10。エゼキエル 18:4。

      死者が無意識である以上,生きている者との交信は不可能ですから,心霊術に手を出す人は,悪霊の影響に身をさらすのです。ですから,神が,あらゆる形式の心霊術を避けるよう,ご自分の民に警告されたことには,十分の理由がありました。心霊術と関係のある人,または物はすべて避けなさい,という聖書の命令を軽くあしらってはなりません。(エペソ 6:11-18)悪鬼の影響下にはいるのは,たいへんなことで,不治の廃疾また死を招く場合があるのです。

      危険信号に注意しなさい

      悪鬼の影響を避けるためには,危険信号を認めることがたいせつです。それには,まず,あなたの宗教の教理を調べてみるのが賢明でしょう。その宗教は,死者にも意識があること,したがって,死者との交信が可能である,と教えていますか。もし,そういうことを教えているならば,その宗教からのがれるべきです。先ほどの聖句が示しているとおり,その宗教は,偽りを教えています。もし,あなたが,そうした偽りを信じこむならば,あなたは,困った時や悲しい時に心霊術に心を向け,まだ生きている,とあなたが信ずる人たちと話をする気になるでしょう。

      また,無害のように思えても,人を悪鬼の影響にさらすおそれのある習慣に注意してください。たとえばプエルトリコでは,生まれたばかりの赤ちゃんの腕とか手くびに,小さなお守りをつける人がたくさんいます。これは,「ピエドラ・デ・アサバチェ」として知られていて,たいていは小さな手の形をしたものです。それをつけるのは,「悪魔の目」をそらすため,とされています。プエルトリコで多くの人が行なっているもうひとつの習慣は,隠れ場と食物と水で霊をもてなすために,庭に小さな家を建てることです。こうすれば,家が,そうした目に見えないものに災いされることはない,というわけです。しかし,そのような習慣は心霊術とつながりがありますから,関係をもつべきではありません。そうした習慣に従う人は,みずからを悪鬼の影響に直接さらすことになります。

      また,心霊術と確かに関係のある物品が家の中にあるかどうかによく注意し,それらを処分することも賢明です。最近のこと,悪鬼に悩まされていた,ある若い夫婦が,エホバの証人と聖書の勉強をはじめました。その奥さんは,日ごろ,家の中で無気味な物音を聞いたり,人の姿のようなものを見たりしていました。聖書の勉強をはじめると,小さな鈴の鳴る音が聞こえはじめます。その音はしだいに大きくなって,ついには勉強ができなくなります。長年,心霊術と関係のあった家族でしたから,悪鬼が家の中にはいり込む媒介物となる物品が何かあるのではないか,さがしてみては,ということになりました。しかし,それをしても,なお悩まされ続けました。

      そうしたある日,ご主人は,妻が首にかけていたくさりに気づきました。そのくさりには,心霊術者であった,彼女のおばあさんの結婚指輪がついていました。そこでふたりは車に乗って海辺に行き,直ちに指輪を海に投げました。その時,ふたりはたいへん驚きました。指輪が手から離れて投げ出されたとたん,「アー……アー……アアアー」という叫び声が聞こえたのです。やがて,指輪が水面に落ちると,その声は,ぴたりとやみました。

      今この夫妻の家は平和です。ふたりは,聖書の勉強もでき,クリスチャンの集会にも出席できて,すべてが平穏です。これは,そのような問題があるときには,心霊術とかかわりのある物品をすべて処分することがどんなにたいせつかを示す良い例です。

      離れたなら,ふたたび捕われないこと

      では,どうすれば,悪鬼の影響から離れることができますか。悪鬼に攻撃されたなら,どうすべきですか。

      まず,イエスが弟子たちに教えた,「我らを………悪より救ひ出したまへ」という祈りを思い起こしてください。(マタイ 6:13)そうです,エホバ神に心を向け,エホバ神とそのみことばに導きを求めましょう。神のことばである聖書を勉強して,聖書の原則を生活にあてはめることです。積極的な態度を保ち,注意を怠らず,弟子ヤコブが,『悪魔に立ち向かえ』と書いているように,行動を起こしてください。―ヤコブ 4:7。

      使徒パウロも,この『立ち向かう』ことに賛成して,わたしたちにこう告げています。「悪魔の術に向ひて立ち得んために,神の武具をもて鎧ふべし。我らは………天の処にある悪の霊と戦ふなり」。(エペソ 6:11,12)武具をつける人は,戦いを予期します。戦いの最中に居眠りは禁物です。目を見開いて,注意していなければなりません。さもなければ,戦いに負けてしまうでしょう。

      時には,クリスチャンと自称する人でさえ,自分はしっかり保護されているから,悪鬼の攻撃を受けることはない,と考える場合があります。しかし,それは危険な考え方です。サタンと悪鬼は,神のしもべたちに戦いをいどむことに特別の関心をいだいています。(黙示 12:17)ですから,決して防壁を取り除いてはなりません。常に,『立ち向かう』ことがたいせつです。

      プエルトリコのある小さな町に住む一家族の場合はよいみせしめです。その家族は,しばらくの間,悪鬼に悩まされて,たいへん困っていました。窓がひとりでに開閉し,家のまわりで物音が聞こえ,幼い子どもは,獣に腕をくわえられでもしたように,腕に歯型をつけて起きてきます。しかし,エホバの証人がこの家族と聖書の勉強をはじめ,その家族が,「神の武具」をつけるようになってからは,悪鬼の影響は減りました。

      それから約1年たち,家の中は平和になりました。ある晩,家族がグループの聖書研究からもどったとき,父親が,聖書と本を机の上に置いて言いました。「わたしたちは今,真理を知っていて自由だ。そこで,今でも悪鬼がわれわれに何かを行なえるか,ためしてみようじゃないか」と言いました。

      すると,とたんに,本が八方に飛びはじめました。そして,それらの本はまたテーブルの上にもどり,聖書はドアのそばに置かれました。ところが,本はふたたびテーブルを離れて飛びはじめました。聖書がへやの中に見えないので,ドアをあけて外を見ると,案の定,聖書は階段の上にありました。そうしているうちに,娘の寝室から叫び声が聞こえてきました。行って見ると,娘は夜着を首に巻きつけられて,今にも窒息しそうな状態でした。その家族は,しばらくエホバの証人の奉仕者の家に避難しなければなりませんでした。

      この父親は,なんというまちがいをしでかしたのでしょう。悪鬼に立ち向かうことをせずに,悪鬼をあざけったのです。それで,悪鬼は,その挑戦に応じたのです。過信は禁物です。『悪い者から救い出して』くださるよう,絶えずエホバに祈って,エホバを避けどころとしていなければなりません。―箴言 18:10。

      以前,心霊術に関係していた別の人は,からだが局部的にまひする病気にかかりました。これはどの医者もなおすことができませんでした。ところが,その人は,聖書の話をするとき,自分の論点を例証するために,悪霊崇拝で用いられている物品を使っていました。そういう物品を持っていたために病気になったのでしょうか。そうです。それが証拠に,それらの物品を処分すると同時に,そのクリスチャン奉仕者の病気は快方に向かいました。

      これらの実例は,心霊術の危険に対する警戒の必要を強調してはいないでしょうか。自分をあざむいてはなりません。心霊術に手を出す人は,悪霊の群れと接触することになるのです。全能の神がご自分の民に心霊術をいっさい避けるよう警告しておられるのはそのためです。

      あなたは悪鬼の影響を受けたいと思いますか。受けたくなければ,心霊術の危険に警戒してください。心霊術と関係のある人,または物品といっさいかかわりをもってはなりません。クリスチャンの完全な武具を身につけていなさい。聖書を勉強してください。神に絶えず祈ってください。神の真の証人である,神の民と,定期的に交わりましょう。常に悪魔に立ち向かいましょう。そうすれば,あなたは,悪霊の群れから保護されていることに気づくでしょう。

  • 個人研究の価値
    目ざめよ! 1970 | 9月8日
    • 個人研究の価値

      ◆ 霊的な面での成長に近道はありません。人はその努力に応じて進歩します。ローデシアで奉仕する婦人の宣教者は,若いポルトガル人の婦人を励まし,聖書研究で用いている「とこしえの命に導く真理」の本以外に,ものみの塔協会の出版物を自分で研究するように勧めたところ,婦人は急速に進歩しました。その経験についてこう述べています。「ほぼ1週間で,『宗教は人類に何を為したか』の本を読み終えた彼女は,クリスマスや復活祭,また誕生日の祝いなどが異教に由来することを知りました。そして,学んだことを直ちに実行し,自分は今ではもはやそうした祝いを守っていないと話しました。わたしがその態度をほめたところ,その婦人はこう語りました。『ええ,今妥協してしまえば,あとになっては,もっとむずかしくなりますものね』」。

      ― エホバの証人の1970年度年鑑より

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