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読者からの質問ものみの塔 1971 | 1月15日
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ん。では,イエスの犠牲はどのようにしてもたらされましたか。それはすでに述べられている聖霊の働きによりました。
ヘブル書の初めのほうで,パウロは,イエスが「肉の誡命の法に由(る)」祭司にならなかったと説明しています。アロンの家系またはレビ族出身であれば,そうした祭司になったかもしれませんが,イエスは,祭司職にないユダ族から出たのです。したがって,イエスが,「永遠にメルキゼデクの位に等しき祭司」に選ばれたのは,神からの直接の任命によります。(ヘブル 7:16,17)アロンの場合は油によって任命されましたが,イエスは聖霊によって任命されました。―出エジプト 29:7。ルカ 3:21,22。
宣教中イエスは,ご自分が神の聖霊を与えられていること,そしてそれによって力を得かつ導かれていることを,ことばと行ないによって公に表わされました。(マタイ 12:18,28。ルカ 4:14,18)時が来て,あらかじめ預言され,聖霊によって聖書にしるされていたとおり,イエスはご自分の命を犠牲として捨てられました。すなわち,罪人のひとりとして,杭の上で死なれ,またその骨は一本も折られませんでした。(申命 21:22,23。ガラテヤ 3:13。イザヤ 53:12。詩 34:20)このように,イエスの犠牲は,肉の要求に従ったものではなく,霊の働きにより,霊に一致したものでした。また,聖書は,キリストのからだは「一たび」ささげられたと述べています。―ヘブル 10:10,12。
モーセの律法に定められた肉に属する規則はすべて,一時的な取り決めの一部で,過ぎ去るものでした。つまり,律法による統制は一時的なものにすぎなかったのです。それとは逆に,イエスを油そそぎ,導き,犠牲としてささげる際に用いられたものは,永久的であり,それはすなわち神の永遠の霊です。この霊は,新しい契約に入れられる者たちを永遠にわたって導くために用いられるでしょう。また,ささげられた犠牲は,単に一時的なもの,やがてその価値を失うものではなく,永遠のものでした。パウロが,幕屋・犠牲・祭司職という,肉に属する律法の備えと,キリストが自らをささげる際に働いた永遠の霊とを対照させ得たことには十分の理由がありました。
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霊的な食物を見いだせる場所ものみの塔 1971 | 1月15日
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霊的な食物を見いだせる場所
アメリカ,オレゴン州ポートランドのあるエホバの証人は,「とこしえの命に導く真理」と題する書籍を求めた婦人に関して,次のような経験をしました。聖書を研究することに同意した婦人は,しばらくしてから,週2回研究したいと願うようになりました。そうして研究しているうちに,婦人は,その証人にこう言いました。「わたしはこれこそ真理であると確信できるようになりました。わたしが今までに接した教えの中で,いわば背中を軽くたたいて,『あなたは最善をつくしているのですよ』などと言うようなことをしない教えはこれが初めてのものだからです。聖書をよく読んでみましたが,真のキリスト教はさまざまな試験や試みを伴う,きびしい生き方であることがわかりました」。しばらくして,王国会館の集会に出席するようになったその婦人は,こう述べました。「今日の教会は虚飾や儀式だらけで,初期クリスチャンの教会とはまるで違うと,わたしは常々考えていました」。そうです,エホバの証人の集会の簡素さに婦人は感銘を受けたのです。
ところが,その婦人の夫は,妻が集会でエホバの証人と交わることに反対しはじめ,証人たちとの交わりをやめるなら,家族そろって教会に行くことにすると約束しました。婦人は夫の求めに同意しましたが,それからわずか2週間して,証人に電話をかけ,涙ながらにこう言いました。「わたしは糧を求めて教会に行ったのに,パンくずしかもらえませんでした。あなたがたの宗教は,『これこそ真理だ,真理だ』と叫んでいるのが,わたしにはよくわかります。なぜなら,あなたがたといっしょに聖書を研究するようになって,わたしは生まれてはじめて宗教のことで迫害されるようになったのですもの。それに,今ほど飢えた気持をいだいて帰宅したことは一度もありませんでしたわ」― テモテ後 3:12; 4:1-4。
その婦人は,再びエホバの証人の集会に出席するようになり,今では自分の学んでいる事柄を他の人々とわかちあっています。そして,霊的な食物を見いだせる場所にいることをたいへん喜んでいます。
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