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霊的なパラダイスへの「神聖さの道」世の苦難からの人間の救いは近い!
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の事柄のために悲しみませんでしたし,また大いなるバビロンへの捕らわれに服して同バビロンによる一層の圧制を被って嘆くことも決してありませんでした。
30,31 (イ)西暦1935年を始めとして,神聖さの街道を進む残りの者にだれが加わりましたか。(ロ)啓示 7章16,17節で予告されていたように,彼らは喜ぶべき理由となるどんな事を経験してきましたか。
30 それとは逆に,エホバ神の羊のような崇拝者たちの増大する「大群衆」が彼らの側に群れをなしてやって来たので,彼らの喜びは強められました。古代イスラエルのネテニ人のような,「ほかの羊」のこの「大群衆」は,西暦1935年以来,油そそがれた残りの者に従ってその神聖さの街道を歩みだしました。(啓示 7:9-17。ヨハネ 10:16。マタイ 25:31-46)大いなるバビロンから逃れて来たそれら羊のような人たちは,エホバ神とそのみ子イエス・キリストによる天の王国に忠節を尽くして,霊的なイスラエル人の残りの者,つまり王イエス・キリストの霊的な『兄弟たち』に積極的な援助や慰めを差し伸べました。彼らも自分たちの得た宗教的自由のゆえに喜びにあふれ,一変した霊的な状態のうちにある油そそがれた残りの者の喜びに十分あずかっています。啓示 7章16,17節で「大群衆」について記されている通りです。
31 「彼らはもはや[霊的に]飢えることも[霊的に]渇くこともなく,太陽が[神からの不興を示して]彼らの上に照りつけることも,どんな炎熱に冒されることもない。み座の中央におられる子羊が,彼らを牧し,命の水の泉に彼らを導かれるからである。そして神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去られるであろう」。
32 「大群衆」と霊的なイスラエルの残りの者の前途には,「定めなき時にまで及ぶ喜び」をさらに抱くべきどんな理由がありますか。
32 子羊イエス・キリストの羊のような追随者のこの「大群衆」に対しては,世俗的なこの事物の体制が永遠の終わりを被る来たるべき「大患難」を生き残る希望が差し伸べられています。(啓示 7:14)彼らは霊的なイスラエルの油そそがれた忠実な残りの者と共に生き残って,神のメシアの王国のもとで治められる約束の新しい事物の体制に入ることを期待しています。このような経験をするのは彼らにとって喜びではありませんか。確かに,油そそがれた残りの者と「大群衆」の双方に関して,「定めなき時にまで及び喜びが彼らの頭上に臨む」と言えるでしょう。(イザヤ 35:10,新)地球は今日の利己的な人間のもたらす破壊的なものによってますます汚染されていますが,神により祝福された残りの者とその愛すべき仲間の「大群衆」の享受する霊的なパラダイスは,人を元気づける健全さを保って繁栄しています。
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霊的なパラダイスの,神を恐れる王世の苦難からの人間の救いは近い!
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10章
霊的なパラダイスの,神を恐れる王
1 今日,霊的なパラダイスに住むにふさわしい者とみなされる人たちに関して,アダムとエバがエデンから追放されたことから何を学べますか。
わたしたちの最初の二親,エバそしてアダムが不従順にも禁じられた実を食べた時,神は両人に死の宣告を下し,ふたりをエデンの園から追い出しました。楽しみのパラダイスは,その園を設けた所有者に反逆する者のための場所ではありませんでした。(創世 2:8から3:24)これはエホバ神が今日の霊的なパラダイスに住むにふさわしい者とみなす人たちに関する型となりました。
2 (イ)人は目に美しい状態の中で楽しく生活していてさえ,他の人びとの態度や行ないからどのように影響されますか。(ロ)それで,エホバはどんな分子を霊的なパラダイスから締め出しておられますか。
2 自然環境がたとえどれほどパラダイスに似ていようと,周囲の隣人が自己本位で,不法で,凶悪で,不敬虔な人びとであれば,それは住み心地の良い所でないでしょう。そのような人びとの生活は惨めで,不安で,霊性や敬虔さには不利な生活となりかねません。犯罪の増加する今日の地上の生活は,居住者が周囲を目に美しい場所にしようと努めている郊外地でさえそうなってきました。エホバ神は人類の最初のパラダイスをそうした望ましくない人間の分子に汚されないよう清く保たれました。今日,神は霊的なイスラエルの
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