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わたしたちのものである平和を保つものみの塔 1966 | 11月15日
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に努めなければなりません。また兄弟との平和を保ち,まただれであろうと隣人との間に,できる限り平和を保つようにします。
27 それには平和を心がけ,平和を追い求め,また祈り求めることです。そして平和を乱す,いろいろなもの,特に平和の大破壊者サタン悪魔に警戒しなければなりません。平和を促進するみたまの実をつちかうことが必要です。平和を保つことはわたしたちの願いです。平和はからだと心をすこやかにし,効果的な活動を可能にし,幸福を生みます。
28 平和と幸福はどのように結びついていますか。
28 エホバ神はさいわいな神であり,イエス・キリストはさいわいな君主ではありませんか。たしかにそうです。ゆえに幸福になるには,エホバ神とイエス・キリストからの平和を得なければなりません。「和平をはかる者には歓喜あり」。また「平和をつくり出す人たちは,さいわいである,彼らは神の子と呼ばれるであろう」,とイエスは言われませんでしたか。わたしたちはこのことばの意味するところを理解していますか。言いかえれば,平和をつくり出すことは,愛また彼らの伝えることばと同じく,神の子を見分けるしるしです。ですから,わたしたちのものである神からの平和を守りましょう。―箴言 12:20,文語。マタイ 5:9。
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像の崇拝は不治の病をもたらすものみの塔 1966 | 11月15日
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像の崇拝は不治の病をもたらす
1 像を拝み,またそれに祈る人はどんな結果を身に招きますか。例をあげなさい。
からだの健康と霊的な健康と,どちらが大切ですが。ルルドの聖堂には病気をいやすために多くの人がおとずれ,ほかにも何千という場所で,病気のいやしを願う祈りがマリアの像にささげられています。異教徒も病気のいやしを偶像に祈ります。このような行為は霊的にはどんな結果をもたらしますか。クリスチャンは,「子たちよ。気をつけて偶像を避けなさい」,と神から命ぜられています。(ヨハネ第一 5:21)天と地にある,どんなものの像をも作ってはならないと命じた神の律法を破り,神の戒めをなおざりにしたイスラエル国民は,ひどい霊的な病になりました。彼らは崇拝に偶像を用いました。(イザヤ 1:4-6。エゼキエル 8:3,10。列王上 12:28-30)このことは,神があらかじめ警告したとおり,国民をひどい肉体的な病気にしました。―申命 28:15,27,58-61。エゼキエル 6:5。
2 (イ)神はどのように人を見ますか。(ロ)神からどのように見られるかは,その人にとって何を意味しますか。
2 ゆえに今日においても偶像崇拝は霊的な病をもたらし,それが遂には文字どおりの死をもたらすと言えます。霊的な健康がどうあろうとたいした問題ではない,と考えてはなりません。今日の人類の苦悩も,その真の原因は霊的な病にあるのです。神は,人が霊的にどんな者であるかを見ます。からだは健康でも,霊的には生けるしかばね同然の人がいるかもしれません。反対に,からだが弱くて病気でも,霊的には健全な人もいます。神の目から見て霊的に健康な者であれば,永遠に生きることのできる道を歩んでいるのです。もし霊的に病み,その状態にとどまっているならば,永遠の死に陥る危険があります。
しらべる時
3 (イ)今日すべての人にどんな危険がありますか。(ロ)わたしたちはどんな時代に住んでいますか。神はご自分が聖所にいられることを,人間にどのように明らかにされていますか。
3 これらの事をここに述べるのは,すべての人が危険にひんしているからです。それは偶像崇拝にひき込まれて不治の病にかかることから生ずる危険です。人はそれと気づかずに偶像崇拝をしていることさえあります。前号までの本誌上において指摘されたように,この世は神の怒りを受けており,神の怒りは黙示録 16章に描かれた災いによって表明されています。これらの災いは象徴的なものであり,神のさばきの見地から見た世のさまざまの状態を示すとともに,世の人々に対する神のさばきの結果,世に臨む事柄を示しています。詩篇 11篇4節から7節に述べられている状態が今日,存在しています。「エホバはその聖宮にいます,エホバのみくらは天にあり,その目はひとのこをみ,その眼瞼はかれらをこころみ給ふエホバは義者をこころむ,其みこゝろは悪しきものと強暴をこのむ者とをにくみ,わなをあしきもののうへに降らし給はん,火と硫砿ともゆる風とはかれらの酒杯にうくべきものなり,エホバはただしき者にして義しきことを愛したまへばなり,直きものはその聖顔をあふぎみん」。(文語)黙示録の七つの災いをも含めてこのような事柄を遂行することにより,エホバはご自分が聖なる宮にいますことを人間の目の前に明らかにされます。
4 災いがいつそそがれるかは,どうしてわかりますか。
4 宮を背景とする光景を見つめていたヨハネは大きな声を耳にしました。それで次のように述べています。「それから,大きな声が聖所から出て,七人の御使」にむかい,『さあ行って,神の激しい怒りの七つの鉢を,地に傾けよ』と言うのを聞いた」。(黙示 16:1)黙示録 15章の最後の節は,エホバ神が天の聖所におられ,しばらくはだれも聖所の中にはいれないことを示しています。エホバが宮におられることは,これらの災いのそそがれる時がきたということです。それは神がご自分の民をさばき,こころみ,また神に仕えるという,偽りで偽善的な主張をしている者に対しては,マラキ書 3章1節から5節にあるとおり,さばきを執行する時です。それは大いなるバビロンが倒れてから行なわれます。神が「宮の報復」をし,大いなるバビロンを倒したのは,1919年のことでした。(エレミヤ 50:28; 51:11)偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンはその偽りを暴露され,心ならずもとらわれていた人々を束縛する力を失います。それで災いを避けることを望む人はのがれるでしょう。バビロン自体は破壊的な災いをこうむって完全に滅びます。
第一の鉢は「地」にそそがれる
5 第一の鉢はどこに傾けられますか。
5 第一の天使は,神から与えられたその務めを宣言します。「そして,第一の者が出て行って,その鉢を地に傾けた。すると,獣の刻印を持つ人々と,その像を拝む人々とのからだに,ひどい悪性のでき物ができた」。(黙示 16:2)それで鉢は,偶像崇拝者の住む地の上に傾けられます。
6 (イ)第一の鉢がその上に傾けられる「地」とはなんですか。(ロ)この鉢から影響を受けるのはだれですか。
6 「地」は地球ではなく,地に住む人々を
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