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  • 活動と生命 対 無活動と死
    ものみの塔 1956 | 7月15日
    • 敵によつて待伏の攻撃をうけました。警戒を怠らぬ目覚い兄弟たちは,ナチがドイツを支配し,暴徒がアメリカを管理していた時,すなわち殆んどどの場所でも迫害が盛に行われた時よりも,現在の方がずつと危険であることに気づいています。独裁者の国だけでなく,民主主義の国でも,悪魔や悪鬼共はかつて無い程にヱホバの業に反対しています。パウロと同じように,ペテロも次のように戒めています,『身を慎み,目をさましていなさい。あなた方の敵である悪魔が,ほえたけるししのように,食いつくすべきものを求めて歩き回つている。』(ペテロ前 5:8,新口)吠え猛ける獅子は,地面に頭をつけて吠えるため,狙われている餌物は虚をつかれてしまいます。餌物は,吠えている獅子の居場所が分らないからです! 欺かれてはなりません。目に見えない獣のような敵が,あなたの足下に忍び寄つているのを,はつきり見ることができますか。もし,その敵を見るなら,あなたは全力を出して最後の戦のために走るでしよう。まつたく,身近かに秘密警察を見る時よりも,また戸口に押し寄せた群衆を見る時以上に,あなたは力を出すことでしよう!―黙示 12:12。

  • 現在の活潑な訓練により生命の賞を得る
    ものみの塔 1956 | 7月15日
    • 現在の活潑な訓練により生命の賞を得る

      1 ヱホバとイエス・キリストは,熱心でない者をどのように見なしますか。そして,なぜですか。

      熱心でない者は,ヱホバとキリスト・イエスに憎まれます。(詩 119:113。ホセア 7:8)もちろん,彼らは生命の賞を欲しています。そして,ヱホバの証者と共にいたい,と欲していますが,しかし生温い態度を取つているのです。彼らは興奮を感じたいと欲し,祝い事を好みます。しかし,彼ら自身は祝い事をするための働きをしないのです。キリスト・イエスは,熱くもなければ寒くもない彼らを御口から吐き出すでしよう。(黙示 3:14-16)彼らは競走に負けます。

      2-4 私たちは何を為すべきですか。また何を持つべきですか。勝つためには何が必要ですか。

      2 むかしのコリントの競技で競走した人々は,試合に全力をかけました。昔の一ギリシア人の走者は,24スティヂアムの距離を走り,最後まで耐え忍んで一着となりました。栄冠が頭上につけられた時,その走者は仆れて死にました。彼は自分の目的を達して,勝利を得たのです。しかし,私たちはどうですか。競走を第一に重んじて終まで耐え忍びますか。先ず御国とヱホバの義を求めよ。とイエスは私たちに諭しました。(マタイ 6:33)これをすることによつてのみ,私たちは勝つことができます。家族であろうと,仕事であろうと,楽しみ,欲望,いかなるものによつても,この戦に干渉させてはなりません。もし,そうするなら,あなたの勝利は覚束なくなります。

      3 最終の勝利を得るまで,この戦を為し続けようと固く決意しなさい。意志の弱い走者が,頑健な体を持つても無益です。その人は,賢明な走り方をしません。あるいは,訓練中の下手な拳闘家のようです。彼は,なぐり袋を打たずに空気を打ちます。(コリント前 9:26)その人は,忍耐がないため,必らず敗けるでしよう。忍耐しようという決意が必要です。あなたの心は,競走に専念しており,ヱホバに依り頼んで強いものであり,かたく定まつてなければなりません。(詩 112:7)競技を最後まで成し遂げるために専心しなさい。全く,あらゆる妨害に打ち克つよう決意しなさい。もしそうするなら,競走に半分以上走つたことになります。走者であるあなたは,その競走に必要な走る速度を知らねばなりません。それは短距離競走ですか。それとも長距離競走ですか。走る速度を加減しなければなりませんか。あるいは全力で走らねばなりませんか。優勝する拳闘家や力士は,賢明な頭を持つているにちがいありません。なんの分別もない野牛とは違います。同じく,私たちも強い足を持ちながら,弱い心であつてはなりません。ただ家から家に歩くのではなく,私たちは強い心を持ち,聖書の話をする時には,的を当てなさい。賢明に走りなさい,競走に勝つて勝利を得るため,聖書の知識と叡智を用いなさい。あなた自身を強め,神の御言葉の知識で備えをいたしなさい。『あなた方は,ヨブの耐え忍んだことと,ヱホバの与え給うた報いについては聞き知つている。』― ヤコブ 5:11,新世。

      4 イエスは,『最後まで耐え忍ぶ者は救われる。』と語られました。(マタイ 10:12,新口)あなたは,耐え忍びますか。もし耐え忍ばないなら,あなたは敗れるでしよう。パウロの次の言葉を銘記しなさい『私は確信する。死も生も,天使も支配者も,現在のものも将来のものも,力あるものも,高いものも深いものも,その他どんな被造物も,私たちの主キリスト・イエスにおける神の愛から,私たちを引き離すことはできないのである。』― ロマ 8:38,39,新口。

      5 (イ)でたらめで発作的な訓練をするなら,なぜ勝者になれませんか。(ロ)ヘゼキヤはなぜ勝ちましたか。

      5 でたらめな訓練をするなら,競走に負けます。時々,思い出したように伝道してはなりません。もし,そうするなら,あやふやな競走をしていることになります。パウロは,そうしませんでした。資格を得るために,定期的な訓練を受けなさい。発作的に走ることはできません。ちよつと全力を出して,また休むという仕方では勝は得られないでしよう。他の人に後れてきても,ちよつとのあいだうんと活動すれば,その後れを取り戻し,それからは息を抜いて,数週間ものあいだ誰にも会わなくても大丈夫だ,と思いますか。そう思うことはできません。『辺速者走ることに勝つにあらず,強き者戦に勝つにあらず。』(伝道之書 9:11)アッシリヤのセナケリブは,勝れた軍隊と力を持つていましたが,勝を得たのは包囲されていたヒゼキヤ王だつたのです。ヒゼキヤ王は,ヱホバを信じていました。ウサギとカメの話を憶えていますか。ウサギは目にとまらぬ走さで走り出ましたが,競走に勝つたのはカメでした。だが,みなさんも御存知のように,ヱホバの確かな御言葉は,人間のつくつた話よりも,ずつと勝れています。なぜヒゼキヤは勝ちましたか。彼は早かつたのですか。彼は強かつたのですか。彼は祈りを捧げて,ヱホバに従つたために勝ちました。そしてヒゼキヤはヱホバの答をうけました。ヱホバは,予言者イザヤを通してヒゼキヤに次のように告げられています,『我おのれの故によりて,僕ダビデの故によりてこの城をまもり,この城を救わん。』(イザヤ 37:35)その夜,ヱホバの御使は,18万5000人のアッシリヤ人を殺しました。(列王紀略下 19章)私たちの戦でも,一撃するだけで,敵はなくなりません。効果的な打撃を打ち続けることが是非必要です。それで,証言の業のときに,定まつた聖句だけとか,一つの聖書の話だけを用いるのは良くありません。変化したものを持つためには,ちがつた変つたものを多く持たねばならないのです。そして,良いたよりをひろめるにあたつても,又は守るにあたつても,それらを正しく用い続けなければなりません。

      6 私たちは誰を恐れてはなりませんか。私たちは,誰を恐れるべきですか。

      6 次のような規則もあります,拳闘の試合や,勝負をする人々は恐れを持つてはなりません。それで,証言をするときに私たちは恐れを持たず,霊的な力に確信して,真理の言葉を正しく取扱うべきです。パウロは,競走について多く語るだけでなく,試合で戦うことをも述べています。(コリント前 9:26。テモテ前 6:12。テモテ後 4:7)伝道するなら反対をうける,ということを憶えて下さい。反対されたとき,あなたはどうしますか。あなたは恐れて止めますか。もしそうするなら,あなたは失格して戦に加わることができません。ヱホバは,こう言われています,『おくびような者,信じない者……すべて偽りを言う者には,火と硫黄の燃えている池が,彼らの受くべき報いである。これが第二の死である。』(黙示 21:8,新口)人間を恐れるならば,罠におちいり,生命の賞を得ることができません。(シンゲン 29:25)『ヱホバを恐るるは,智恵のはじめなり。』― 詩 111:10。

      7 組単位に試合が勝つたり負けたりすることは,どんな教訓を与えていますか。

      7 むかしの試合は,組<チーム>単位で勝負が決められたのであつて,ひとりの選手で勝負が決められたのではありません。投槍選手,円盤投げ選手,角力の選手,跳躍選手,拳闘選手,そして競走選手でチームは構成されました。神権制度は,大きなチームです。私たち各人は,その中の小さな一員に過ぎません。他の成員が是非とも必要です。『実際,からだは一つの肢体だけではなく,多くのものからできている。』(コリント前 12:14-26,新口)チームの成績ということだけを考えましよう。競走に勝つたり,勝利が得られたなら,それはチームの勝利であつて,個人の勝利ではありません。チームの指導者であるキリスト・イエスに誉を捧げましよう。各人はすべての人のことを考え,すべての人は各人のことを考えねばなりません。それは真実の共同動作<チームワーク>です。大きな機械は沢山の部分から成立つています。機械が円滑に動くためには,潤滑油が必要です。私たちの制度に注がれるヱホバの御霊と,その結果に生ずる一致は,丁度機械に用いられる潤滑油のようなものです。

      8 悪い交際は,なぜ危険ですか。

      8 試合の別の規則は,悪い交際を禁じます。古い世の友人は,ある人々から離れていません。ある人々は,愚かにも古い世の友だちと,未だに交り結をんでいます。パウロは,『まちがつてはいけない。悪い交わりは,良いならわしをそこなう。』

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