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    目ざめよ! 1974 | 10月8日
    • 障害を持つ危険性が50%も高いことを示している。

      人影の絶えたナポリの大聖堂

      ◆ イタリアの新聞ビタ・オッギは次のような問いを発している。「きらびやかに飾ったこれらの教会の忠実な信者たちはどこにいるのか。芸術的趣向を凝らした装飾を施し,建築に巨額の費用を要した教会堂には,今日だれでもが目撃できるように,人影が絶えている」。『ナポリ市民のわずか10%がミサに出席するだけで,同大司教管区内の(現在まだ開いている)すべての教会はあふれてしまう』ものと推定されている。では,なぜそれらの教会には人けが絶えているのだろうか。「各人がキリスト教の教理を知らないことがその理由と思われる。……ナポリのカトリック教育界に熱意の欠けていることが宗教的無知を助長していると結論せざるを得ない」。

      教会に支援された反乱

      ◆ カナダ聖公会の司祭W・モルトセドは経済発展計画の組織を助ける目的で英領ホンジュラスへ派遣されていた。サスカツーン・スター・フェニックス紙によると,彼は教会員に対し,教会の基金の幾らかが「土地の政治を支配している政党に抵抗する地下活動を支援するために」使われていると報告した。カナダの平信徒の一グループは,世界的なテロ活動を支持するために用いられるカトリックやプロテスタントの“義援金運動”に対する抗議活動を組織した。同グループのスポークスマンは,「この事はわたしをぞっとさせる。なぜなら,教会の仕事は,人の魂を救うことにあるはずだからである。わたしは,黒人を,あるいは逆に白人を殺すことを含む政治活動に,教会が関与するべきではないと考える」と述べた。

      カトリックの批判

      ◆ 最近,アメリカのカトリック全国紙ザ・ヴォイスは,第一面の論説記事の中で次のような批判を掲げた。「教皇パウロ六世がマルクス社会主義の支持者であることを今だに疑っている者は,目かくしをされて事実が見えなくなっているのである。あらゆる階層の,またあらゆる種類の共産主義者が教皇との謁見を求めてあきもせずに群れをなしてバチカンにやって来る」。司祭たちが相変わらず教皇を批判しているため,バチカン当局も引き続いて対応策を講じざるを得なくなっている。教皇パウロは,ローマ四旬節伝道師団にあてた最近の教書の中で,自分自身の教会に対する“酷評”を控えるよう,司祭たちに再度要請した。

      司教の“たわ言”

      ◆ この世俗的な時代にあっては,無神論者が,バベルの塔と神が言語を混乱させたことに関する聖書の記録を“神話”であると唱えてもだれも驚かない。しかし,カトリックの司教がそのような発言をするだろうか。ところがフルトン・J・シーン司教は最近まさにそのような発言をした。そして,「これは,超自然の現象などではない」と述べた。では,いったい何だったと言うのだろうか。シーンは次のように答える。「それは彼らの技術が複雑化したことの直接の結果である。建築家・技師・大工・れんが職人・天文学者・帳簿係などがそれぞれ別々の専門語や科学用語を作り出したため,他の人が何を言っているかわからなくなったのである」。どのような事が起きたかに関する聖書の記録は「神の霊感を受けた」ものである。では,シーン司教は,どこから自分の情報を得たのであろうか。

      “これらの司祭はとどまっている”― なぜか

      ◆ 過去数年間に,多くの司祭がローマ・カトリック教会を去った。しかし熱心な教会員の要望に答えて,依然僧職にとどまっている司祭も少なくない。しかし,なぜ彼らはとどまっているのだろうか。「これらの司祭はとどまっている」と題する最近出版された本の中で,著者ポール・ウィルクスは,司祭たちが僧職にとどまっている理由は,ある人たちがそうであってほしいと考えているほど高潔なものではないことを明らかにしている。ある司祭はこう語っている。「わたしが司祭としてとどまっているのは,単に自分が現在司祭であるからにすぎない」。別の司祭は,「司祭としてとどまっている理由をすぐに書くようにと言われても書けない」ことを認めた。また,信仰についてはどうだろうか。公民権運動家でもあったある司祭はこう告白している。「『信仰が失われつつある』と叫んでいる教皇は,自分に対する信仰,自分の権威に対する信仰のことを語っている,とわたしは理解している」。

      宗教の模範に倣う

      ◆ ニューヨークの専門の賭博師たちは,いわゆる“ラスベガスの夜”を開催するユダヤ教の会堂やカトリックの教会からヒントを得ている。この“ラスベガスの夜”というのは,宗教の資金を増やすという名のもとに隠れて行なう不法賭博である。今や賭博師たちは,“慈善”団体の名のもとに自分たちの“夜”を開いている。たいていの場合,警察は宗教の不法賭博を大目にみてきた。しかし,ある警察副部長はこう問いを発している。「そうした賭博行為の幾つかを選んで告発できるだろうか。そのすべてが,くろうとはだしの不法行為なのである」。他にも問題がある。「宗教団体主催のギャンブル・パーティーを取りしきる無報酬の篤志家の中に,組織犯罪と関係のあるプロのいる疑いがある」と,ニューヨーク・タイムズ紙は報じている。この点については,現在警察当局による取り調べが行なわれている。

      宗教の“同性愛クルセード”

      ◆ 最近,全米(カトリック)僧職者協議会連盟は,「〔合意に基づく〕成人どうしの同性愛行為」を犯罪とする従来の民法を廃止することを求めた。この問題に関する彼らの決議はまた,同性愛者が「教会内でその能力と希望に応じた職を見つける」のを助けるための特別の努力をも要請している。一方,青年聖職に関する連合メソジスト協議会のほうでも,同性愛を「聖職につくための妨げとすべきではない」と言明した。聖書はこうした見方に同意していない。―コリント第一 6:9,10。

      “週単位”の活動を営む国

      ◆ 「われわれは生き伸びるために文字どおり戦っている」と,1,300万の人口を抱えるスリランカの首相は語っている。高騰する食糧品の輸入価格は,紅茶やゴムの輸出による外貨収入を20億㌦(約6,000億円)も上回り,これ以上諸外国からの借款を得ることはますます困難になっている。過去25年間に人口の倍増した同国は,今や米と小麦に窮乏している。一経済学者はこう語っている。「この国は今,週単位で活動している。……一週間以上先のことは考えないし,また実際に考えることもできない」。

      ユダヤ人の家族問題

      ◆ 1900年から1965年について見ると,アメリカ在住のユダヤ人で非ユダヤ人と結婚する者の数は,約100人に1人から,10人に1人へと増加した。そして現在では3人に1人がそのようにしている。英国のおもだったユダヤ教牧師は,ユダヤ人の絶滅を懸念して次のように述べた。「最悪のガンは,痛みを伴わないものである……異民族との結婚はいわばそのような病気である」。ニューヨークのユダヤ教牧師評議会は,異民族間の結婚式を執り行なうユダヤ教牧師の除名を議決した。同評議会の議長は,ユダヤ人社会を成長させてゆくためには,「ユダヤ人の家族において3人の子供は最低限必要である……しかし多ければ多いほどよい」と述べた。民族の生存に対するこの関心は宗教的なものであろうか。典型的な考え方を示すものとして,オーストラリア在住のあるユダヤ婦人は,無神論者である彼女の夫は,「自分の子どもがもしユダヤ人と結婚しなければひどく怒るでしょう。でも宗教的な感情は全く抜きにしてです」と語った。

      薬剤と腎臓病

      ◆ 麻薬も他の治療用薬剤も共に腎臓病を起こすことがある。ベイラー医科大学の内科学教授ガラベッド・エクノーヤン博士は,腎臓病の合併症がヘロインやコカインなどによる麻薬中毒からも起きることがあると米国医師会に最近報告した。一方,ペンシルバニア大学附属病院のトマス・G・モーレイ博士は,自分が研究したある型の腎臓病患者101人について見ると,その約20%は,アスピリンその他一般に販売されている痛み止めを含む,麻薬ではない鎮痛剤の大量使用によるものであったと述べた。

      ガンに関する比較

      ◆ ヴェストニーク・スタテスティキ誌によると,ソ連におけるガンの死亡者数は,世界の工業国中最低である。死亡率は徐々に増加しているが,1972年のガンによる死亡率は,10万人につき129.6人であり,アメリカのそれを22%下回っている。ソ連男性の死亡率の急激な増加は,喫煙からくる肺ガンに帰せられている。アメリカの場合と同様,男性の肺ガンによる死亡者数は,女性の5倍にもなると言われている。小児病の多くが克服された今,ガンは,アメリカにおいて1歳から14歳の子どもの死因の第一位を占めている。

  • 聖書の第48番めの本 ― ガラテア人への手紙
    目ざめよ! 1974 | 10月8日
    • 『聖書全体は神の霊感を受けたものであり,有益です』

      聖書の第48番めの本 ― ガラテア人への手紙

      筆者: パウロ

      書かれた場所: コリント,またはシリアのアンティオキア

      書き終えられた時期: 西暦50年から52年ごろ

      含まれている時代: 確定できない

      1 ガラテア人への書はどの会衆にあてられたものですか。それらの会衆はいつまたどのようにして組織されましたか。

      パウロがガラテア 1章2節で言及しているガラテアの諸会衆の中には,ピシデアのアンティオキア,イコニオム,ルステラ,デルベなどの会衆が含まれていたものと思われます。これらは多少異なった地域にある場所ですが,すべてはローマのガラテア州に属していました。使徒 13,14章は,パウロとバルナバのこの地域における最初の宣教旅行の模様を伝えています。その宣教旅行の結果としてガラテアの諸会衆が組織されました。それらは,フリギア人,ギリシャ人,ローマ人,ゴール人,それに少数のユダヤ人など,さまざまな国籍の人々で成り立っていました。これは,西暦46年ごろの,パウロのエルサレム訪問の少し後のことでした。―使徒 12:25。

      2 (イ)パウロの二回めのガラテア旅行にはどんな結果がありましたか。しかしその後にどんな事が起きましたか。(ロ)その間にパウロは旅行をどこまで進めていましたか。

      2 西暦49年,パウロとシラスは,ガラテア地方へのパウロの二度めの宣教旅行にたちました。これは,『諸会衆が信仰を堅くされ,日ごとに人数を増す』という結果になりました。(使徒 16:5; 15:40,41; 16:1,2)しかしながら,そのすぐ後を追うようにしてやって来たのは,ユダヤ教化を図る偽教師たちでした。彼らはガラテア諸会衆内のある人々に説き付け,真のキリスト教の基本的事項として割礼を受け,モーセの律法を守らねばならない,と信じさせました。その間に,パウロは旅行を続けてミシアを通り,マケドニアからギリシャに入っていました。やがてコリントに着き,そこで兄弟たちと共に18か月以上過ごしました。ついで西暦52年,彼はエフェソス経由でシリアのアンティオキアに向かいました。そこは彼の根拠地であり,同じ年の内にそこ

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