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札入れや,さいふに注意しなさい目ざめよ! 1971 | 2月22日
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ところをつかまえられると,見るもしょんぼりしてしまうのがいる。すられていることにどうして気づいたのかと,聞き返したすりさえいたそうだ。
相当な手腕がすりに要求されることは,芸人が同じような訓練をしている事実からもよくわかる。いろいろなパーティーで,集まった男女から,客に気づかれないように,札入れはおろか,指輪,腕どけい,ネクタイピン,それにあらゆる種類の宝石類を巧妙に盗んでみせる。芸人にズボンつりをはずされながら,ズボンがずり落ちかけるまで気がつかなかった人たちさえいたそうである。そうしたことをして客を喜ばせる,スウェーデンのある芸人は,現在1年に10万ドル(3,600万円)の収入を得ている。
他の職業における専門家と同様,すりを本職としている人たちは,独自のことば,すなわち暗語を持っている。たとえば,英語では“かも”つまり,すりが目をつけた人の注意をそらす仕事をする者を“スツール”と言い,札入れを抜き取る者は,“ツール”“ワイア”“フック”“メキャニック”などと呼ばれる。見つからないように取るのは,“ランブル”である。“フォール・ドゥ”と言うのは,すりの一団がたくわえている全資産で,警察とのいざこざをまるく治めるために払う“フィクシズ”として使用される。
すりから身を守るには
さて,できるだけ札入れを盗まれないようにするにはどうしたらよいのだろうか。すりを避ける一つの方法は,油断もすきもなさそうな,しっかりした顔付きをすることである。すなわち,見知らぬ人の間にいる時は,物思いにふけったような態度,また,疑うことを知らないといわんばかりの無邪気なふるまいは絶対に避けることが望ましい。周囲のできごとに注意し,また,自分が幾らお金を持っているかを,人に見られないようにすることである。そして,できることなら,お金はズボンの後ろポケットよりも,上着の内ポケットに入れておくのがよい。また,遠くに旅行する場合には,旅行者用小切手を携帯し,さらに,理由もなく毎日多額のお金を持ち歩かないようにすれば,すりにあっても,被害が少なくて済む。
すりが自ら認めるとおり,「自分のお金に気を配っている人からは盗めない」。多額のお金を持ち歩く時は,そうするにかぎる。地下鉄やエレベーターに乗っている時,または食品マーケット,食堂,劇場の切符売り場などで列を作って並んでいる時に,押されたり,だれかがぶつかってきたりした場合にはどうするか。そういう時には,札入れに気を配るだけでなく,札入れが取られる危険が全くなくなってしまうまで,手で押えておくことだ。
また,堂々と強盗をやってのける人が今日少なくない。泥棒がふたり,または3人ずつ組になり,ナイフやピストルを突きつけて,人をおどすというケースが多い。そうした目にあわないようにする最善の対策は,大都市での,それも,特に夜のひとり歩きを避けることである。
さいふをひったくられないようにするには
おもにねらわれるのは,婦人のさいふである。強奪,つまり,暴行による盗みがいよいよひんぱんになってきている。婦人のハンドバッグを奪って,逃げる者もいる。
ハンドバッグをひったくられないようにするにはどうしたらよいのだろうか。婦人たちも,いろいろな場所をひとりで歩かないようにするのが賢明である。また,さいふを持ち歩く時は,わきにはさんで,締め金のところに手をやるよう常に注意するのがよい。それでもさいふをひったくろうとするのは,よほどの泥棒である。さらに,店のカウンターや,映画館の隣の席,また,会社の休憩時間に自分の机の上などにさいふを置きっぱなしにしないよう,女の子は注意すべきである。
男の人の中には,衣類のどこかにお金を隠して持ち歩く人がいる。お金携帯用の特製バンドの中,くつ下の中の土ふまずの下,上着やズボンの内側の特製のポケットなどに入れる。多くの女性もお金を身につけて歩く。そうすれば,さいふ目当てのすりにあっても,取られる物と言えば,高が化粧品かハンカチ1枚くらいで済む。スーツやツーピースを着る婦人は,ガードルの上部の裏側に紙入れを隠したり,さらには,胸の内側にお金を隠したりすることもある。札入れを盗まれないよう男性が気をつけなければならないのと同様,女性もさいふを取られないよう気をつけていなければならない。
窃盗罪で現在服役中のある老練のすりによれば,「すりの危険にもう少し注意し,簡単な盗難防止手段を講ずるだけで,さいふがひったくられることはまずなくなるであろう」。
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結婚という課程から学ぶ目ざめよ! 1971 | 2月22日
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結婚という課程から学ぶ
若い人々に結婚のための備えを施す教科課程は数多くありますが,それは結婚のための課程ということができるでしょう。しかし,物事を客観的に考えうる円熟した既婚者は,おしべなくて結婚生活そのものからも多くを学べる,ということに同意するでしょう。したがって,結婚生活は,結婚という課程と評することができます。
結婚の経験が最善の師だ,というのではありません。決してそうではありません。神のことばこそ最善の師です。ヨブにつかわされた,神の代弁者エリフが表明したとおりです。「誰か能く彼[神]のごとくに教誨を垂んや」。(ヨブ 36:22)とはいえ,結婚生活は,神のことばの教える律法や原則を実際にあてはめる数々の機会を差し伸べます。したがって,そうした律法や原則の価値や妥当性,その正しさや知恵のほどを身をもって知る助けとなります。
ほんとうに愛し合い,幸福な結婚生活を築こうとする夫婦は,互いにわかち合うさまざまな経験から,確かに数多くの事がらを学べます。「蜜月<ハネムーン>は,互いに慣れるための短い期間だが,結婚は,そうするための長い期間である」とは,もっともなことばです。順応することを学ぶのは,結婚生活から得られる主要な教訓の一つでしょう。しかも,科学者が観察してきたとおり,人間の順応する能力は無限に近いものなのです。
恋愛をしている若い人の中には,結婚の床をバラの花のそれと考える人がいます。そうである場合が確かにあるにしても,その場合でさえ,バラにはとげがあることを忘れてはなりません。結婚にはバラの花の数以上のとげがあるのを感じて,結婚生活をやめたいと考える人がいるかもしれません。しかし,イエス・キリストによれば,罪のない配偶者が再婚する権利を得るために,離婚訴訟を起こしうる唯一正当な根拠は姦淫だけです。―マタイ 19:8,9。
結婚したふたりは,いわば一身同体とはいえ,互いにやはり異性であり,気性も異なるでしょう。物の見方も,一方は知的に,他方は感情的に見る,というように異なるかもしれません。それに,弱点もしくは限界があるため,時には,ある程度のいらだちや失意を招く場合もあるでしょう。また,単にタイミングが合わない場合もあります。ふたりがいつも同じことを同時に望むとはかぎりません。
聖書,結婚に関する教科書
結婚の創始者であられるエホバ神はまた,結婚に関する教科書,
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