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現代文明は崩壊に直面しているかものみの塔 1961 | 2月15日
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に出ることによってもわかりますし,法律施行者の中でも収賄や盗みが横行し,商業界では「ぴんはね」がはやり,クイズに出る人は八百長をし,良い評判をもっているように見える従業員でも盗みをはたらき,他人の費用で得をしょうとしていることからでもはっきりわかります。このようなことが横行しているのは,文明が道徳的にむしばまれているという証拠ではありませんか。
「我々の価値,我々の理想はさかさまである」とカールトン・カレッジの学長ローレンス・ゴールドは語った。「我々はくち先だけで霊的価値をほめそやすが,ミンクのオーバーやキャデラックに優先権を与えている」。道徳の価値がさかさまなこの世では,金持ちからなら盗んでもかまわないとよく言います。非常に多くのカナダ人とアメリカ人の従業員はこのように考えているために,雇主は1年に360億円も従業員に盗まれているという勘定になります。これは専門の犯罪者が人々から盗む額の約2倍に相当します。金持ちの会社から盗もうが貧乏人から盗もうが,いずれも道徳的に悪い事ではないでしょうか。道徳の標準は決して伸びちぢみのきくものではないのです。
近代社会は道徳的,霊的価値を低下させてしまったため,今日の青年に犯罪や不正行為が増加しているのも当然であります。彼らの道徳は彼らの住んでいる社会の反映ではないでしょうか。おとなは自分が従っていない道徳的標準を子供に見出そうとしても無理な話です。この事に関してカナダのモンクトンの学校の副校長はこう述べています,「一般の人々は学校で教えてくれるようにとたのんでおきながら,自分ではそれを守っていない場合が往々にしてある」。彼は言葉をつづけて社会的,道徳的組織が腐敗しているという証拠はますますふえていると言いました。
文明を偉大なものにし,永続させるには物質的進歩以上のものが必要です。高い道徳的価値と最高至上者であるエホバ神に対する愛も同様に必要です。技術的進歩のゆえに,近代社会はおのれの目に賢いものになり,エホバ神にその背を向けました。物質を謳歌するこの社会は無神論に傾き,その思想家たちは創造主を認めずに人間の存在を説明しようとして勝手な事を想像しています。このような無神論的な考えは道徳の神聖な原則に対する敬意をつちかいません。むしろくずしてしまいます。そのような考えは人々をして堕落した物質主義的標準を立てさせ,人間はだれも信用できないという状態をつくりだします。
私たちの文明が,昔ほろびた文明のとった物質的で放蕩なコースをたどっているとき,それが続いてゆくと期待できるでしょうか。道徳が腐敗したため,神がノアの日の大洪水前の文明に終りをもたらし,ソドムとゴモラの文明にも終止符をうたれたように,現在の文明をも終わらせようとしています。神は現在の文明をなにかにつけてみてその目方が足りないと見られました。それは近づいている「全能の神の大いなる日の戦争」の時に崩壊してしまいます。(黙示 16:14。ペテロ後 3:5-7,新世)道徳の標準が低下するという事はすでに預言されており,世の終りが近い事を示すものです。正義を愛する人々は,それが滅びた後高い道徳と霊的価値を持つ新しい文明を見るということを希望することができます。神の祝福を受けたその文明は,かぎりなく続きます。
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危険なみちびきものみの塔 1961 | 2月15日
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危険なみちびき
アーネスト・ホワイトは「クリスチャン生活と無自覚」という本の中で次のように述べています,「あるクリスチャンたちがみちびきを得る方法の中には,ばかげたもの,それどころか危険なものさえある。一例をあげると,いく年かまえのことだが,私の若い友人は,毎日仕事をはじめるまえに,1枚の紙と鉛筆を手にもって心をうつろにし,その日の仕事にかんする暗示が起こるまで待てと教えられた。そして心にうかんだことを書きつけておいて,その日の活動のみちびきとするわけである。しかし,彼は,あらゆる種類のばかげた考えが,時には悪い考えさえ心にうかんでくることを知った。そして,2,3週間後には,この方法がばかげて危険であることを悟り,やめてしまった。意識的な考えをこのようにして捨てるのは危険である。これは心を制御する力を失うことを意味する……聖書と常識に基づいた指導的原則がある。それらの原則は,われわれが不合理な手段を用いないように保護してくれるものである」。
「あなたはさとしをもってわたしを導き」とエホバ神の霊感を受けた詩篇記者は述べました。正しい導きを得るには,聖書中に与えられているエホバの助言に照らし合わせて,自分の考えをたえず調べて見なければなりません。―詩 73:24。
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