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責任のがれをしますかものみの塔 1969 | 11月1日
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者なるか,釈くことを求むな」という使徒パウロの助言に従うことでしょう。(コリント前 7:27)このことまた他のどんな関係においても,約束を堅く守る人を詩篇作者ダビデはこうほめています。「エホバよなんぢの帷幄のうちにやどらん者はたれぞ……誓ひしことはおのれに禍害となるも変ることなし」。そうです,神は,犠牲を払っても約束を守る者,言いのがれをしない者をよみされます。―詩 15:1,4。
あなたはお子さんをお持ちですか。ではこのことにおいて,あなたには二重の責務があります。ひとつは,正直とか規律の正しさといった,正しい原則や習慣を子供の心に教え込むことです。言いわけをしてすべきことを行なわずにすまそうとしたり,「どうしてもしなければいけないの」と言って責任をのがれようとするのを許してはなりません。そしてもうひとつはよい手本を示す責務です。世代のへだたりをつくる何より大きな原因は,親が自分の教えることを実行してよい手本を示さないということにあるでしょう。
とくにクリスチャンの奉仕者は,言いのがれをして責務を怠ったり,責任を拒んだりすることがないように注意しなければなりません。クリスチャンには,神のことばを学び,会衆の集会で仲間のクリスチャンと交わり,野外奉仕に参加する責務があります。快楽や安楽への愛着,人間に対する恐れなどのために,こうした基本的責務を言いのがれることがあってはなりません。クリスチャンは自分の能力,体力,機会などの管理者ですから,その管理に忠実でなければなりません。―コリント前 4:1,2。
さらに,国内または国外の,クリスチャン奉仕者の必要の大きな場所へ行って,全時間伝道をすることも求められています。またある立場でクリスチャン兄弟たちに奉仕することも求められています。多くの人がそれに応じていますが,それでもまだ,それほどの理由もないのにそれを断わる人がいます。あなたはより多くの奉仕への召しに心を傾けますか。ほとんどあるいは少しも理由がないのに,責任をもつことを避けてきましたか。これは多くのクリスチャン奉仕者が,自分の心に尋ねてみるとよい質問です。「収穫はおほく労動人はすくなし」とは,イエスの時代より今日のほうが切実に言えることばです。(マタイ 9:37)イエスがたとえ話の中で言われた「盛んなる夕餐」に,人々はいろいろな言いわけをして出席を断わりましたが,わたしたちはそうした人々にならわないようにしましょう。―ルカ 14:16-24。
言いのがれをする傾向に負けると,命を失わないまでも幸福を失うといった,重大な結果を招く可能性があります。だから使徒パウロはこう警告しているのです。「なんぢら心して語りたまふ者をこばむな,もし地にて示し給ひし時これをこばみし者どものがるる事なかりしならば,まして天より示し給ふとき,我らこれを退けてのがるることを得んや……このゆえに我らは……感謝してうやうやしきとおそれとをもて御心にかなふ奉仕を神になすべし」― ヘブル 12:25,28。
債務をすすんで受け入れるためにはどんなことが助けになりますか。その最大のものは,心をつくし,精神をつくし,思いをつくし,力をつくして神を愛し,自分自身のように隣人を愛することです。また,わたしたちが住むこの時代の緊急性を認識すること,責務を言いのがれないことからくる現在と将来の報いを知っていることなども助けになります。その報いとはなんですか。心の平安,満足,永遠の命につながる神の是認です。―マルコ 12:29-31。
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サルマナッサルの黒オベリスクものみの塔 1969 | 11月1日
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サルマナッサルの黒オベリスク
● 19世紀の半ばごろ,考古学者A・H・レヤードは「サルマナッサルの黒オベリスク」と呼ばれる碑石をニネベの南部で発見した。この碑石の一面には,サルマナッサル3世の前でひざまずいているイスラエルの王エヒウもしくはその使節の姿が浮き彫りにされている。この考古学上の発見物は大英博物館に保存されている。
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