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    ものみの塔 1959 | 6月15日
    • ヱホバの異常な業のむかしの型

      『ヱホバむかしペラジムの山にて立ち給いしがごとくにたち,ギベオンの谷にていきどおりを放ちたまいしがごとくにいきどおり,しかしてその行いをおこないたまわん。奇しき所為なり。そのわざを成したまわん。異なるみわざなり。』― イザヤ 28:21

      1 なぜヱホバの行いと業は,人間の期待するものではなく,また信じたいと欲するものではありませんか。

      ヱホバは不思義な行いをしたり,異常な業をすることができます。堕落した人類の考えは,ヱホバの考えでなく,ヱホバの道は彼らの道ではありません。(イザヤ 55:8)ヱホバは御自分の考えにしたがつて行い,御自分の道に従つて行われる故,ヱホバの行いと業は,人間の期待するものではなく,信じたいと欲するものでもありません。

      2 『ヱホバの座位』は,どのように中東のシオンの山に設立されましたか。そして,このことにつきペリシテ人は何をしようと決意しましたか。

      2 私たちの時代に対する予言的な意味を持つ不思議で異常な二つの業は,クリスチャン時代よりも11世紀前に中東で起りました。かつてベツレヘムの町で羊飼をしていたダビデは,キリスト前1077年にイスラエルの12支族を治める王になるため油を注がれました。それから間もなくして彼は軍勢をひきつれてエルサレムの町に進み,シオンと呼ばれる町の要害地を手に入れました。神ヱホバの導きの下に,その地を政治の中心にすることは極めてふさわしいと見てとつたダビデ王は,南のヘブロンの町からシオンの要害地に自分の首都を移しました。そのようにしてヱルサレムは首都になりました。西部の海辺にいたユダヤ人でない敵共のペリシテ人たちは,このすべての事柄を見て心配動揺しました。彼らが良く知つていたダビデは,シオンの山の要害で全イスラエルを支配する王に立てられました。このことは彼らにとつて危険だつたのです。ヱホバ神はダビデを選んでイスラエルを支配する王にならしめ,油を注がれて,その地位に就くようダビデに命じました。それでシオンの山上でダビデは『ヱホバの座位』と呼ばれるところにすわり,真実の支配者ヱホバの見える代表者として統治しました。敵のペリシテ人たちは,設立された神のこの国に対して怒りを感じました。彼らはダビデ王を追いはらい,神の模型的な国をくつがえそうと決意しました。

      3 ダビデ王に対するペリシテ人の最初の運動は,ヱホバによりどのように破られましたか。それで,神についてはどんな事実が確立されましたか。

      3 天の最高の神は,興味を持つていましたか。興味を持つて居られました。聖書の記録は,ペリシテ人の軍隊がエルサレムの南にあるレパイムの谷に来たとき,どのような事態が生じたかを告げています,『ダビデ,ヱホバに問いていいけるは,我ペリシテ人にむかいて上るべきや。汝かれらを我が手にわたしたまうや。ヱホバ,ダビデに言いたまいけるは,上れ我かならずペリシテ人をなんじの手にわたさん。ダビデ,バアルペラジ(破壊の処という意味)に至り,彼らをそこにて撃ちていいけるは,「ヱホバ水の破壊り出るごとく我が敵をわが前に破壊りたまえりと。この故にそのところの名をバアルペラジムと呼ぶ。かしこに(ペリシテ人たちは)その偶像を捨てたれば,ダビデとその従者これを取りあげたり。』『ダビデ命じて火をもてこれをやかせたり。』(サムエル後 5:17-21。歴代志略上 14:8-12。申命 7:5,6)異教のペリシテ人たちは,戦勝を得る目的のために自分たちの神々である偶像を持つてきました。しかし,これらの神々である偶像は,ペリシテ人にとつて嘘のもの,偽りの希望のものと判明しました。ヱホバは真実のもの,真の神でありました。水が用いられた不思議な行いをすることにより,ヱホバは油が注がれた王ダビデに勝利を与え,シオンに首都を持つ神の模型的な国を保存しました。偽りの神々は朽ち果てました。

      4,5 (イ)ダビデ王に対するペリシテ人の第2番目の運動を破るヱホバの指示は何でしたか。(ロ)その戦いの結果はどのようでしたか。その戦いは,どの位の区域にわたり行われましたか。

      4 しかし,ペリシテ人たちはその教訓を学びませんでした。ダビデがシオンの座位に坐つている神の国を憎んだペリシテ人たちは,国内に再び侵入してきました,『ペリシテ人ふたたび上りてレパイムの谷に布き備えたれば,ダビデ,ヱホバに問うに,ヱホバ言いたまいけるは上るべからず。彼らのうしろにまわり,ベカの樹の方より彼らを襲え,汝ベカの樹の上に進行の音を聞かば,すなわち突出づべし。そのときにはヱホバ汝のまえにいでて,ペリシテ人の軍を撃ち給うべければなりと。」ダビデ,ヱホバのおのれに命じたまいしごとくなし。』『ペリシテ人の軍勢を撃ちやぶりつつ,ギベオンよりガゼルにまでいたれり。是においてダビデの名,もろもろの国々に聞えわたり,ヱホバもろもろの国人に彼を恐れしめたまえり。』― サムエル後 5:22-25。歴代志略上 14:13-17。

      5 この度は,神の命令を受けたダビデは,神の国の敵に対して正面から攻撃しませんでした。彼はペリシテ人の側面,またはうしろにあつたベカの樹の背後に行きました。行進する軍隊のごとき音が樹の上に聞えたとき,ダビデはペリシテ人に襲いかかりました。その音は,恐らくダビデの攻撃軍の音を吹き消したことでしょう。ヱホバもペリシテ人の上に襲い,彼らは陣営を打ち捨てて逃げました。ダビデ王と彼の軍勢は,ペリシテ人たちを追跡し,約16マイルのあいだ,すなわちギベオンの町からガゼルの町にいたるまで撃ち払いました。

      6 ヱホバは,シオンのダビデ王のうちに何を置きましたか。そしてペリシテ人の妨害にもかかわらず,ダビデはどの位の期間ヱホバの座位にすわりましたか。

      6 ギベオンのところでヱホバは,それらのペリシテ人たちに対し異常な業をいたしました。ヱホバは,御自分の模型的な国とシオンの油注がれた王を守りました。ヱホバはシオンにいたダビデ王を,王室の支配階級つまり王朝の基礎にしました。それは,イエス・キリストにあつて最高の栄誉に達したのです。ペリシテ人たちは,シオンの山からその王なる石を取りのぞき,そして『ヱホバの位』をくつがえそうとしました。しかし,ヱホバのみこころは,それとは反対でした。ヱホバの模型的な国は,勝利を得ました。ヱホバの王であるダニエルは,シオンで33年間支配しつづけ,それからダビデの子であるソロモンは,シオンで王になるべく油を注がれ,そしてシオンにある『ヱホバの座位』にすわつたのです。それでダビデ王は,ペリシテ人たちを足下に踏みつけていました。

      7 今日,どんな仕方でペリシテ人精神は存在していますか。それは何処に根強く存在していますか。それで,イザヤ書 10章21-23節によると,ヱホバはどんな不思議なことを定めましたか。

      7 不思議な勝利を得たヱホバの二つの勝利は,ヱホバ神についてのすばらしい歴史的な参照になりました。それらは将来,すなわち私たちの時代に対するヱホバの目的を述べるものです。今日でも昔のペリシテ人の場合と同じように,ペリシテ人精神すなわち神の真実な御国に対する悪しき反対があります。それは,神と新しい契約に入つていると主張するキリスト教国内に存在し,存続しています。それで,ヱホバ神は極めて不思議なもの,すなわち絶滅ということを定めました。ヱホバはその決定を変えないでしょう。予言者イザヤは,そのことを告げるために用いられました。イザヤは次のように語つています,『その残れるもの,ヤコブの残れるものは大能の神にかえるべし。ああイスラエルよ,なんじの民は海の砂のごとしといえども,残りて帰りきたる者はただわずかならん。それは滅びすでにさだまり,義にて溢るべければなり。主万軍のヱホバの定めたまえる滅びは,これをあまねく国の内に行い給うべし。』― イザヤ 10:21-23。

      8 その滅びは,誰の上に最初来ましたか。しかし,パウロは自分の時よりも将来の時に大きな成就のあることをどのように示していますか。

      8 イザヤの次の世紀中に,滅びはエルサレムとユダの住民の上に来ました。しかし,クリスチャン使徒パウロは,イザヤ書から引用して次のように語ることにより,パウロの時代よりも将来になつて滅びの大規模な成就が来ると示しています,『また,イザヤはイスラエルについて叫んでいる,「たとい,イスラエルの子らの数は,浜の砂のようであつても,救われるのは,残された者だけであろう。ヱホバは地にてさばきをなし,それを全うして短くせられる……今の時にも残れる者は(ヱホバ神の)過分の御親切により,(ヱホバ神による)選びによつて存在している。』― ロマ 9:27,28; 11:5,新世。

      9 第2番目の滅びは,何時でしたか。そして,私たちの時代には何がありますか。

      9 ヱホバはその『地にてのさばき』を,ユダの地とエルサレムについておこない,(西暦)70年にローマの兵士たちはユダヤ人たちを滅ぼしたのです。そして,私たちの時代中に最終の滅びがあるでしょう。

  • ヱホバの異常な業の警告
    ものみの塔 1959 | 6月15日
    • ヱホバの異常な業の警告

      1,2 (イ)キリスト教国とユダおよびエルサレムは,来るべき滅びについてどのような警告のいましめを持つていましたか。(ロ)イザヤは,どのように警告を発しましたか。

      今日のキリスト教国は,ユダとエルサレムに生じた事柄を,自分の上に降りかかる事柄の警告のいましめにするべきです。また,昔のユダとエルサレムは,イスラエルの10の支族になされた滅びを,自分たちの上に来る滅びについての警告の見せしめとするべきでした。イスラエルの10の支族の中,主要な支族はエフライムでその首都はサマリヤでした。エフライムという名前は,実際のところイスラエルの10の支族の全部の国を表わし示すために用いられました。エフライムとその首都サマリヤに対する滅びは,キリスト前740年の予言者イザヤの時代に起つたのです。その滅びが来る前に,神はイザヤを用いて次の警告を発しました。

      2 『酔える者なるエフライム人よ,なんじらの誇の冠はわざわいなるかな。酒におぼるる者よ,肥えたる谷の頭にあるしぼまんとする花のうるわしき飾はわざわいなるかな。見よ,主はひとりの力ある強き者をもち給えり。それは雹をまじえたる暴風のごとくやぶり,そこなう狂風のごとく,大水のあぶれ漲るごとく烈しく彼を地になげうつべし。酔える者なるエフライム人のほこりの冠は,足にてふみにじられん。肥えたる谷のかしらにあるしぼまんとする花のうるわしきかざりは,夏こぬに熟したる初結の無花果のごとし。見る者これを見て,取る手おそしと呑みいるるなり。』― イザヤ 28:1-4。

      3 (イ)サマリアが国家の首都にされたとき,イスラエルの宗教的な状態はどんなでしたか。(ロ)酔つぱらい共は,何を飲んで酔いましたか。彼らはどんな種類の飾りを身につけていましたか。

      3 肥えた谷の西の端に向つて,急な山腹を持つ高さ300フィートの丘があります。それはサマリア又は『見張の山』と呼ばれました。サマリアの町がそこに建てられました。その位置は,非常に美しく魅惑的なものでした。そして昔の戦争の仕方によると,それは戦術的な軍事要塞であつてその地を攻めくづす手段は飢餓だけでした。サマリアの町が,イスラエルの10の支族の首都になつた時までには,その国民はすでにヱホバから離れそむき,ユダとエルサレムの敵になりました。ユダにあるヱホバの国に敵対するため,サマリアはユダヤ人ではないシリアと同盟さえむすびました。イスラエルとユダのあいだには,戦争が絶えず行われていたのです。バアル崇拝の中心地,首都サマリアは,酔払いで一杯でした。特に,政治的な酔払いで一杯でした。彼らは実際の酒で酔払らつただけでなく,政治的な酒で酔つたのです。この後者の酒は,ユダからの政治的な独立の酒であり,またシリアとかユダにあつたヱホバの国に対する他の敵共と政治的な同盟という酒でした。酒に浮かれたその宴会のとき,彼らは花でつくられた冠で頭を美しく飾りました。それは美しい飾りでしたが,しぼんでしまう花でつくられたものです。酒に酔いしれた酔つぱらい共は,そのようなしぼんでしまう冠をつけていたのです。首都サマリア全部は,政治同盟の後押しを受けて,独立の政治力という楽しみで酔いしれているあいだ,そのようなしぼんでしまう冠を着けていました。

      4 それらの酔つぱらい共の朽ちゆく冠は,どうしてわざわいのものとなりましたか。ヱホバが神の怒りを執行する際に用いた『力ある強き者』とは何でしたか。

      4 そのようなしぼんでしまう冠は,わざわいである! とヱホバ神はイザヤを通して述べました。それは地にふみつけられてしまうからです。国であるという栄光は,汚されます。一国が気ままに酒に酔うという状態は,突然に中断されます。力のある一世界強国によつてくつがえされ,従属せしめられるという酔をさます経験は,サマリアとエフライムを正気に復せしめ,厳粛な事実を今更に認識せしめました。サマリアの酔払い共にとつて,これは全く心外の驚くべきことでした。なぜなら,彼らの国はヱホバを捨てて金の子牛や偽りの神バアルを崇拝し,シオンの山の『ヱホバの座位』にすわつたヱホバの油注がれた王に対し,絶えず戦争をしたからです。サマリアに属する背教の国をくつがえすために,ヱホバ神はひとりの『力ある強き者』を持ち,神のいかりを執行しました。それは誰でしたか。首都がニネベにあつた世界強国アッスリアでした。水のあふれみなぎるユフラテ河のように,アッスリアの征略軍は,その国中を踏みつけて滅亡をもたらし,首都サマリアを滅ぼしました。(イザヤ 7:17-20; 8:7,8)夏のいちぢくが,見つけられるとすぐにもぎとられてしまうのと同じく,サマリアの酔つぱらい共を飾つていた冠の美はすぐにしぼんでしまいました。

      5 エルサレムとユダの酒飲み共は,何を見て何を為すべきでしたか。ヱホバは,彼らを通して現代のキリスト教国にどのように警告を与えましたか。

      5 しかし,ユダとエルサレムにも酔つぱらい共はいました。これらの者たちは,神を捨てて偶像崇拝をなし,権力に酔いしれていたエフライムとサマリアの酒飲み共に生じたことを見て,その警告のいましめを心にとめ,目を覚ますべきでした。ユダとエルサレムが正気に帰らないなら,将来どういうことになるかを知らせるため,ヱホバはイザヤを霊感して近くの国であるエフライムとサマリアに生ずることを指摘せしめました。同時に,このことをすることによつてヱホバは,間もないハルマゲドンで現代のキリスト教国に何が生ずるかを警告せしめられたのです。

      6 イザヤは,ユダとエルサレムの酔つぱらい共は誰であると示していますか。彼らの食卓は,どのようになりましたか。

      6 霊感を受けたイザヤは,いまユダとエルサレムの酔つぱい共を指しつつ,次のように言いました,『されど彼らも酒によろめき濃き酒によりてよろぼいたり,祭司と預言者とは濃き酒によりてよろめき,酒にのまれ,濃き酒によりてよろぼい,しかして黙示を見るときにもよろめき,さばきを行うときにもつまづけり。すべて膳には吐きたるものとけがれとみちて潔きところなし。』― イザヤ 28:7,8。

      7 (イ)エルサレムのレビ人の祭司たちについては,彼の職務の故にどんな義務が要求せられましたか。(ロ)エルサレムの預言者たちについては,彼らの職務の故にどんな義務が要求せられましたか。

      7 王と国民は,霊的なみちびきと宗教的な奉仕についてはエルサレムの祭司と予言者たちに仰ぎ求めました。祭司や預言者たちは,節制を行つて酒に酔つてはなりません。レビの祭司たちは,宗教的な奉仕をする前に酒を一滴でも飲んではならないという神のいましめを受けていました。彼らはいつも正気で注意深くしていなければならなかつたのです,それは彼らが神の事柄にたいして僭越にならず,神の律法と自分たちに課せられた制限を破つて,そのために殺されないためです。(レビ 10:1-11)神の言葉を直ちに頭に思い起して,それを神の民に教えるために,彼らはいつも頭をはつきりした状態に保つべきでした。彼らは,神の聖なる民の倣う堅実な模範でなければなりません。エルサレムの預言者たちについても同様なことが言えます。預言者たちが酒に酔つてしまうことは,全く不名誉なことであり,神に非難をもたらすと共に,神の民に対して恥ずかしい手本となりました。ヱホバの代弁者という高い職務を持つ彼らは,ヱホバのみこころを見るためにそのまぼろしを明白に保ち,その識別力を鋭く保つことが要求せられていました。ヱホバの決定を表明するためには,平衡のとれた頭が必要でした。酒を飲み過ぎて舌がもつれていながら,神の音信を明瞭に説明することはできません。

      8 それでは,聖なる職務についていたそれらの者共は,誰に倣いましたか。それにはどんな結果がともないましたか。

      8 悲しいことに,彼らはエフライムとサマリアの酔つぱらい共に倣いました。神の言葉は彼らの口から出て来ないで,かえつて汚い吐きものが出てきました。吐きものは,すべての上にはね飛びました。酒に酔いしれた彼らは,その中に倒れ伏してのた打ちました。そのようなことをした彼らは,吐いたところに戻つて,それを舐めましたか。否であります。彼らは酒に戻つて,酔い気分をつづけようとしました。それで,彼らのさばきは曲つたものでした。彼らは,神の聖なる国民について偽りの事柄を見たのです。そして,ふたしかな足取りでよろめき歩いて行きました。彼らが安全に導ける者はひとりもなく,また特定な目的地に連れて行くこともできませんでした。エフライムとサマリアの酔つぱらいのなした間ちがいと同じ間ちがいをするものと期待されました。彼ら自身と,彼らに従つた国民は,エフライムとサマリアに生じた終末と似ている終末に向つていました。酒に酔つたエルサレムの祭司と予言者たちはわざわいであります! 彼らはヱホバの民を正しく導いておらず,ヱホバが彼らの中に建てた模型的な国を保とうとしませんでした。彼らは,『ヱホバの座位』にすわつた王の精神的な助言者になるのにふさわしい状態ではなかつたのです。

      9 彼らは今日の誰をよく表わし示していますか。実際の酒や飲物の他に,特定な他の品物は,酩酊の影響をもたらしますか。

      9 彼らは現在のキリスト教国にいる霊的な酔つぱらい共をなんと良く現わし示したのでしょう! キリスト教国内の祭司や牧師たちを酔わせるものは,実際の酒や酔いをもたらす飲物の他に別のものもあります。それらのもののために彼らは眠気を感じ,よろめき,宗教的なまぼろしを混同し,霊的に汚れたものを吐き出し,宗教的な世界に面している危険と神のメシヤによる御国の真実の関心事に対しては,鈍感で無関心になつています。

      10 霊的な酔を生ぜしめるそのような事柄について,ヱホバはイザヤを通して何と呼ばわりましたか。

      10 霊的な酔を生ぜしめるそのような事柄について,ヱホバは預言者イザヤを通して次のように呼ばわりました,『なんじらためらえ,しかして驚かん。なんじらほしいままにせよ,しかして目くらまん。かれらは酔えり。されど酔のゆえにあらず,彼らはよろめけり,されど濃き酒のゆえにあらず。そはヱホバ酣睡の霊をなんじらの上にそそぎ,しかしてなんじらの目を閉じ,なんじらの顔を覆いたまえり。その目は予言者,その顔は先知者なり。かかるが故に,すべての黙示はなんじらには封じたる書のことばの如くなり,文字知れる人に渡して請うこれを読めと言わんに,答えて封じたるが故に読むこと能わずと言わん。また文字知らぬ人に渡して請うこれを読めと言わんに,答えて文字知らざるなりと言わん。主いい給わく,この民は口をもて我にちかずき口唇をもて我を敬えどもその心はわれに遠ざかり,そのわれを畏みおそるるは人のいましめによりて教えられしのみ。この故に我この民のなかにて再びくすしき事をおこなわん。そのわざは奇しくしていとあやし。かれらの中なる知者のちえは失せ,聡明者のさときはかくれん。』(イザヤ 29:9-14)この種の酔は,身体上の酔よりもヱホバ神にいつそう憎まれるものです。

      11 (イ)聖書の中では,ぶどう酒は何を象徴するために用いられましたか。(ロ)ヱホバはどんな霊的な国のぶどう畠を捨てましたか。しかし,ヱホバはどんな霊的なぶどう畠をたがやして守りますか。

      11 昔のイスラエルでは,ぶどうをつくるためにぶどう園の手入れが行われました。聖書の中では,よろこびと刺激を生ぜしめる神の御国の力を象徴するために,ぶどう酒は用いられました。神の模型的な国であつた昔のイスラエルは,神に忠節を保たなかつた故に,神は手入れをしていた模型的な国のぶどう園としての不忠実なイスラエルを排斥しました。しかし,神の御国の事柄に忠実を保つクリスチャン会衆内にあつて,ヱホバ神は霊的なぶどう畠をたがやして守ります。そして,ヱホバ神はそのぶどう畠について大いによろこびます。イエス・キリストは,ぶどうの幹です。彼につき従う油注がれた弟子たちは,その枝です。そして,そのぶどう畠はヱホバを崇めるために多くの実を結びます。(イザヤ 5:1-7; 27:2-6。ヨハネ 15:1-8)しかし,キリスト教国は,ヱホバの知らないぶどう,ヱホバには関係のないぶどうです。キリスト教国の祭司たちや,予言者 ― 伝道者のつくり出すぶどう酒は,神の御国の霊ではありません。御国の霊は,清い敬虔なよろこびと熱心を生ぜしめるものです。ヱホバ神は,来て『金なく,価なくして』ぶどう酒と乳を買えとイザヤを通して,私たちを招待しています。しかし,それはキリスト教国のぶどう酒でもなく,又乳でもありません。―イザヤ 55:1。

      12,13 (イ)キリスト教国の牧師の象徴的なぶどう酒は何ですか。それは,どのように彼らに影響しますか。(ロ)彼らは,吐いた後に,何に戻りますか。彼らは,どのようにヱホバの証者にとつて警告の見せしめですか。

      12 キリスト教国の祭司や予言者 ― 牧師のつくり出すぶどう酒は,この世の国の霊です。それは,『この世の支配者』なるサタンの下にある地的な国々の政治や争いに,よろこびと刺激を見出せしめます。(ヨハネ 12:31。マタイ 4:8,9)それは,彼らをしてこの世と妥協させ,この世と同盟を結ばせ,この世の為に祈りを捧げ,そしてこの世に道徳的な支持を与えさせます。祭司たちや予言者牧師たちは,それから多くの楽しみを得ると共に,この世の国々から来る名誉,称賛,友情,恩恵,そして保護に多くの楽しみを得ています。彼らはこの種の飲物を気ままに飲み,そしてこの世の精神で酔つぱらつています。彼らは一杯になつて,汚い言葉を吐き出します。

      13 このように吐き出すということは,彼らが一杯になつたものを拒絶するということではなく,むしろ過度に飲み過ぎていることを示します。そのわけで彼らはこの世のぶどう酒に再び戻り,それを再び求めて,霊的には決して本気にならないのです。それで,彼らは,イエスの伝道した神の御国については正しく見ることができません。彼らはぼんやりとしか見ず,混乱に陥つています。そして,神の御国と神の新しい世についての安全な導きではあり得ません。彼らは,今日のヱホバの証者のあいだにいる霊的な監督たちにとつて警告のいましめであります。監督は,実際のぶどう酒や酒を飲んで正体なく酔うようなことがあつてはなりません。彼らは,サタンの世の国の霊的な酒,宗教的なぶどう酒に酔いしれる霊的なアルコール患者になつてはなりません。その種のぶどう酒は,神の心や善意者の心をよろこばしません。―シシ 9:12,13。エペソ 5:18。

      皮肉の嘲笑

      14 酒に酔つた者たちは,イザヤの話に反対し,どんな脚韻を嘲笑の態度の中に述べましたか。

      14 イザヤの時代では,酒に酔つた祭司や予言者たちは,イザヤの批評,警告,そして助言に反対しました。彼らは嘲笑の言葉でもつて反対し,次のように言いました,『かれ(イザヤのごとき者)は誰に教えて知識を与えんとするか。誰にしめして音信を悟らせんとするか。乳をたち懐をはなれたる者にするならんか。そは「いましめにいましめを加え,いましめにいましめを加え,度にのりを加え度にのりをくわえ,ここにもすこしく,かしこにもすこしく教う。」』聖書の新世訳の欄外によると,彼らはこの小さな脚韻を次のように述べました,『それはツオウ ラツオウ ツオウ ラツオウ,コウ ラコウ コウ ラコウ,ゼア シャム ゼア シャム!』― イザヤ 28:9,10。

      15 それらの酔つぱらつた者たちは,イザヤに対して怒りを感じて,実質にはどんな反対の言葉を述べましたか。

      15 別の言葉で言えば次のような意味です,「いつたい,このイザヤは誰に話しをしていると思うのか。彼は誰に知識を教え,彼の聞いたことを理解させようとしているのか。彼は,おむつにくるまつている赤ちやんとか,乳離れしたばかりでやつと流動食を食べ始めた子供たちに語つていると考えるのか。イザヤは同じことを繰りかえし,繰りかえし伝道しているからだ。イザヤは同じことを我々の耳に鳴らしつづけている,『これはヱホバのいましめである,あれはヱホバのいましめである! これは人の行動と教えを量るヱホバの標準であり,あれはヱホバの測量の標準である! それはこのヱホバの御言葉の中に見出せることができ,それはあのヱホバの御言葉の中に見出すことができる。ここにすこしの助言があり,あそこにもすこしの助言がある!』それは我々にとつて訳の分らぬ言葉である。それは赤ちやんにする話のようだ,それは大人の我々に対する話ではない。我々は教育を受けており,この世界の事柄には十分通じている。我々は全く賢明であるから,困難な事態から自分を助け出し,災難から我々を救う決定をすることができる。イザヤは我々を赤ちやんと考えているにちがいない。それは笑うべきことだ!」

      16 それと似た仕方の中に,キリスト教国の牧師はヱホバの現代の証者をどのように見なしますか。

      16 イエス・キリストとその使徒の時代のとき,ユダヤ教の宗教指導者たちは,それと同じようでした。今日,キリスト教国の宗教牧師たちはヱホバの証者に対して,それと同じようです。彼らは,ユダヤ教のサンヘドリンが証言台上の使徒ペテロやヨハネを『無学な,ただの人たち』と見なしたと同じように,ヱホバの現代の証者たちを見なします。(使行 4:13)牧師たちは,自分自身を学問のある者,普通の者とはちがう者と見なします。そして,普通の人とはちがつた服装をして,呼びかけを受けるときには称号をつけねばならぬと感じています。そして宗教的な指導をするために特別な訓練を受けた者,そして挑戦とか質問をしてはいけない権威として認められねばならぬと見なしています。彼らは,キリスト教国の神学を教わつていないヱホバの証者たち,そして大胆に語るヱホバの証者たちが,キリスト教国の牧師たちを,発育不完全な赤ちやん,教育のない者,無経験な者,判断の不足している者,自分自身の処理のできない者のように取扱つていると感じています。ヱホバの証者は,彼らの言語を語りません。すなち宗派信条の言語とか,高等批評の言語とか,哲学の言語を語りません。私たちの聖書の伝道は,牧師たちにとつては外国の言葉,教養のない野蛮人の言葉のごとく,私たちだけの分る言葉のようです。

      17 牧師たちの考えることがどのようなものであろうと,ヱホバの証者の受ける宗教的な教育は勝れたものであると決定するものは何ですか。

      17 学問があり,高等の教育を受けたキリスト教国の牧師がどのように考えようとも,決定的な質問はこうです,すなわちヱホバの証者はイザヤ書 54章13節の述べるごとくヱホバより教えられた者ですか。ヱホバの証者の学校の程度は,真実に高いものですか。ヱホバの証者の学校は,神の言葉だけを専攻し,神の御言葉の述べることだけを教え,自分勝手な意見を述べる人間の言葉を教えるようなことはありませんか。彼らの学校は,宗教的な論議の事柄に関して,神の言葉の中から『ここにもすこし,あそこにもすこし』と指摘しますか。

      18 イザヤ書 28章11-13節によると,ヱホバは酔つた嘲笑者たちにどんな答えを用意しましたか。

      18 シンゲン 26章5節(新口)は次のように言つています,『愚かな者にその愚かさにしたがつて答をせよ。彼が自分の目に自らを知恵者と見ないためだ。』ヱホバは,酔ぱらつた嘲笑者たちに答をせられました。彼らは,イザヤの語るのは野蛮人のようで,その話し方はどもり,外国の言葉を話す者のようであると見なしました。イザヤはヱホバについて次のように語つたのです,『このゆえに神あだし唇と異なる舌とをもてこの民に語りたまわん。さきに彼らに言いたまいけるは,こは安息なり,疲れたる者にやすみを与えよ。こはなぐさめなりと。されど彼らは聞くことをせざりき。かがるが故に,ヱホバの言葉彼らに下りて,いましめにいましめを加え,度にのりをくわえ度にのりを加え,ここにもすこしかしこにも少しく教えん。これによりて彼らすすみてうしろに仆れそこなわれ,わなにかかりて捕えらるべし。』― イザヤ 28:11-13。

      19 エレミヤを通して述べた預言によると,ヱホバはどもる者共を用いてどのように語り始めましたか。誰がこの経験から益を受けましたか。

      19 イザヤの後の次の世紀中,ヱホバは異国の言語を語るどもりのような人々を用いて,エルサレムの酔つぱらいの祭司と預言者たちに語り始めました。ヱホバは全くの野蛮人を用いて彼らに語りました。それらの者共は,意味の分らぬ,ちんぷんかんぷんの野蛮人の言葉を話していた者共,すなわちネブカデネザル王のひきいるバビロン人でした。バビロンの王がエルサレムとその栄光に輝く宮を滅ぼした時よりも幾年か前に,エレミヤは次のように預言して語りました,『ヱホバ言い給う,イスラエルの家よ,視よ我遠き国人をなんじらに来らしめん……なんじらその言葉を知らず,その語ることをも悟らざるなり。そのえびらは開きたる墓のごとし,彼らはみな勇士なり。……また剣をもてなんじの頼むところの堅き邑を滅ぼさん。』(エレミヤ 5:15-17。エゼキエル 3:5,6とも比較しなさい)ユダヤ人たちは,イザヤを通して告げられた神の警告の助言に耳を傾けて聞きませんでした。イザヤは,彼らの言葉を吃らずに語りましたが,霊的な酔つぱらいたちは,イザヤの語ることを外国の言葉のように見なして,理解するのを拒絶したのです。それで,ヱホバ神は身にしみる教訓を与えるため,バビロン人を用いて語りました。バビロン人は全く異なる外国語を語つたので,それはどもりのように聞えたのです。彼らがバビロンの捕われ人として連れ去られたキリスト前607年から,バビロンの滅ぼされたキリスト前539年までの約70年のあいだ,流刑に処せられたユダヤ人たちはバビロン人の奴隷となつて彼らのいましめや度に聞き従わねばなりませんでした。忠実なユダヤ人の残れる者は,このこらしめから益を受けたのです。

      20 ネブカデネザルのごとき刑執行者としてヱホバは誰を起こしましたか。ユダヤ人たちは,イエスの与えた警告をどのように取り扱いましたか。

      20 一国民としてのネブカデネザルとバビロン人たちは,ずつと古い昔に死にました。しかし,今日ではヱホバは神のさばきを執行する者として御自分の大いなる僕,すなわち油そそがれた御子,王なるイエス・キリストを起されました。この油そそがれた者であるキリストは,羊のごとき弟子たちで成り立つ油そそがれた会衆の頭であります。クリスチャン時代の第1世紀に,ユダとエルサレムのユダヤ人たちは,昔の酔つぱらい共がイザヤを取り扱つたと同じように,イエス・キリストを取り扱いました。彼らは,(西暦)70年,ローマの軍勢によつてエルサレムが滅ぼされる,ということについてのイエスの預言的な警告を心に留めませんでした。羊のごとき残れる者,すなわち『小さな群』だけが大いなるイザヤであるイエス・キリストを信じて,エルサレムとユダヤ地方に来る滅びからの逃れ方についての助言を受け入れました。大多数のユダヤ人たちは,霊的に酔つぱらつた祭司や預言者たちに従つたのです。これらの者たちは,メシヤによる神の御国を捨てて,『私たちには,カイザル以外に王はありません』と叫びました。―ヨハネ 19:15,新口。

      21,22 (イ)ユダヤ人たちは,イエスの弟子たちの述べた警告をどのように取り扱いましたか。神は彼らの音信をどのように後押ししましたか。(ロ)神からのこの奇跡的な後押しは,誰に対するしるしでしたか。

      21 これらのユダヤ人にとつては,メシヤのイエス・キリストとその忠実な弟子たちは,理解できない外国語を語つている者のようでした。ユダヤ人たちは,その警告に耳を閉じました。イエスが(西暦)33年に死んでからの後の年月中,弟子たちはユダヤ人に来る神の報復の日について伝道しつづけました。その音信にいつそうの力をつけ加えるため,神はそれらの初期の弟子たちに異言を語るという奇跡的な贈物を与えたのです。このことの目的については,使徒パウロが次のように説明しています。

      22 『(キリストにある)兄弟たちよ。理解の力では,子供となつてはいけない。悪については幼な子となるのは良いが,理解の力では,おとなとなりなさい。律法(イザヤ書 28章11節)にこう書いてある,「私は異国の舌と異国のくちびるとで,この民(イスラエル)に語るが,それでも,彼らは私に耳を傾けない,とヱホバが仰せになる。」それで異言は信者(クリスチャン)のためでなく,不信者のためのしるしである。』(コリント前 14:20-22,新世)つまり,異言はキリスト前607年にバビロンに移されたユダヤ人のごとき不信者に対するしるしでした。それらのユダヤ人たちは,バビロンでバビロン人の言葉を聞き,イザヤが真実を語つたこと,およびヱホバの真の予言者であることを信じたのです。

      23 パウロはイザヤの預言の適用を将来のものにしている故,それはいつ完全で最終的な成就をしますか。音信を『異つた』ものにするため,奇跡的な異言の賜物は,必要ではありませんか。

      23 このように使徒パウロは,イザヤの預言の成就をクリスチャン時代に適用しました。ユダヤ人の残れる者がバビロンでの長い捕われから戻つて,エルサレムの最初の荒廃が終つた後でも,イザヤの預言は適用を中止しませんでした。同じく,エルサレムが西暦70年にローマ人によつて滅ぼされた後でも,イザヤの預言は適用を中止しなかつたのです。その時生き残つたユダヤ人たちは,異邦人のすべての国々に捕われて行きました。ユダヤ人の言葉を語るクリスチャンたちは,彼らに話しをせず,異邦人たちが彼らに話しをしたのです。異邦人の言葉は,ユダヤ人の言葉を語らず外国の言葉を語るのでどもりの言葉のように思えました。それでイザヤの預言は,1914年以来の私たちの時代に完全で最終的な適用がなされます。ヱホバは19世紀前の五旬節<ペンテコスト>の日には異言の賜物をクリスチャン証者に与えましたが,現在はそのようなものを用いて語りません。異言のごとき奇跡的な賜物は,ユダヤ教やキリスト教国からの不信者たちを説得するために,今日必要ではありません。イザヤからの私たちの音信は,『異つたもの』と言われるために外国語である必要はないのです。

      24 エルサレムのようにキリスト教国は何に面していますか。キリスト教国は,その注意をうながされたにもかかわらず,どんな休息の場所を無視しましたか。

      24 使徒時代のエルサレムの場合と同じく,この世の『終りの時』におけるキリスト教国も同様です。キリスト教国は,ハルマゲドンでヱホバの大いなる僕による刑執行に面しています。1914年に『終りの時』が始まつて以来,主なる神の備えた休息の場所が何であるかについて,キリスト教国の注意はひき起されました。それは,私たちの希望を置く場所,そしてサタンの世の疲れから安楽を求める場所です。この休息と安楽の場所は,私たちからこの世の恐れを取りのぞき,安全な定住地と避難所を与えます。この場所は,油そそがれた御子イエス・キリストの手中にある神の御国です。イエス・キリストは,いま天的なシオンの高きところにおられ,王として統治しています。

      25 なぜキリスト教国は『耳を傾けよう』としないのですか。宣べ伝えられる音信は,キリスト教国にとつてどう聞こえますか。

      25 キリスト教国は,人々を神の設立した御国にみちびき,『疲れたる者に休息を与えよ』と再三再四うながされ,励まされてきました。しかし,ヱホバが油注がれた証者の残れる者を用いてそのことを知らせたので,キリスト教国は心をかたくなにして高慢な態度を取つています。また,キリスト教国は自分自身の神学と計画を持ち,この世との政治宗教的な関係の酒で酔いしれているため,『耳を傾け』ようとしません。キリスト教国は,御国の休息所を求めようとせず,また全国民へ証として神の御国の良いたよりを伝道してもいません。神の王と御国を捨てたキリスト教国は,ヱホバの証者に敵対して戦い,ヱホバの証者を滅ぼしてその御国伝道を中止させようとしました。キリスト教国にとつて,ヱホバの証者は,異国の言葉できわめて奇妙な音信を述べているように見えます。キリスト教国は,その音信を嘲笑して馬鹿にしているのです。

      26 ヱホバがご自分の証者を用いてキリスト教国に語るということについて,キリスト教国はどんなことを確かに知らねばなりませんか。

      26 キリスト教国に一つのことを必ず知らせなさい。ヱホバ神はキリスト教国に対する寛容を永久に行使しないでしよう。ヱホバ神は,平和を愛して害を与えぬ証者たちを用いていつまでもキリスト教国に語るようなことをしない,ということです。ヱホバの証者は,キリスト教国より迫害を受けている者たちです。支配している御国とヱホバの報復の日についての伝道が十分に行われたと,ヱホバが決定されるとき,彼は刑執行の軍勢を用いハルマゲドンの戦場で処置を取られるでしよう。

      27 そのとき,キリスト教国は何を聞きますか。そして,キリスト教国の宗教指導者たちは,何を行つて絶滅を受けますか。

      27 『全能の神の大いなる日』の戦いの叫びの只中で,キリスト教国の聞くことがらは,いましめにいましめを加え,度にのりをくわえ,ここにもすこしく,かしこにも少しく,ということが執行されることです。そのとき,つらいきびしい仕方の中に,キリスト教国はヱホバの証者がヱホバの音信を語つたということ,および酩酊の気分でツオウ ラツオウ ツオウ ラツオウ コウ ラコウ コウ ラコウ ゼア シャム ゼア シャム!などと嘲笑すべきでなかつたと知るでしよう。私たちヱホバの証者はキリスト教国に警告を発して悔い改めるようにうながして来ました。しかし,キリスト教国は酔つぱらいの浮かれ気分をつづけてきました,そして神が滅びの宣告を執行するときまでその浮かれ気分をつづけるでしよう。その時,キリスト教国の宗教指導者たちや,その宗派の群れの人々は『すすみてうしろに仆れ,そこなわれ罠にかかりて捕えらるべし。』それは絶滅を意味します!

      28 ヱホバの証者は沈黙せず,予言者イザヤのどんな厳しい宣明を繰り返し行いますか。

      28 ヱホバの証者は,あらゆる嘲笑やあざけりを受けても,沈黙しようとはしません。彼らは預言者イザヤの厳しい言葉を繰り返し語ります,『なんじら此のエルサレムにある民(今日のキリスト教国を予表する)をおさむるところのあなどる者よ,ヱホバの言葉を聞け。なんじらは言えり,われら死と契約をたて陰府とちぎりを結べり。みなぎりあふるる禍害のすぐるときわれらに来らじ。それはわれら虚偽をもて避所となし,あざむきをもて身をかくしたればなりと。このゆえに神ヱホバかく言いたもう,視よわれシオンに一つの石をすえてその基となせり。これは試みをへたる石,とうとき隅石かたくすえたる石なり。これにより頼むものはあわつることなし。われ公平をはかり縄とし,正義をおもしとす。かくて雹はいつわりにてつくれる避所をのぞきさり,水はそのかくれたるところに漲りあふれん。なんじらが死とたてし契約はきえうせ,陰府(共通の墓)とむすべるちぎりは成ることなし。されば,みなぎり溢るるわざわいの過ぐるとき汝らはこれに踏みたおさるべし。その過ぐる毎になんじらを捕えん。朝々に過ぎ,昼も夜も過ぐ』― イザヤ 28:14-19。

      偽りに逃がれる

      29 なぜ霊的に酔つているキリスト教国の支配者たちは,安全であると感じていますか。誇り高ぶつていたサマリアとエルサレムの支配者たちは,そのことをどのように予表しましたか。

      29 あなどつて嘲笑をなし霊的に酔ぱらつているキリスト教国の支配者たちは,大丈夫と確信しています。彼らはあらゆる準備を整えており,神の怒りの日に対しては十分の守りをしていると考えます。そして,昔のサマリアとエルサレムに生じた事柄を避けることができると思つているのです。彼らは,殺されて葬られることは決してないと言います。どのように? ヱホバの証者が虚と言うところに逃れ,私たち証者がいつわりと言うことに身をかくすことによるのです。イザヤの時代では,酔つぱらつてあなどりの言葉を語つたサマリアとエルサレムの支配者たちは,三位一体の教理,永久の苦しみを受ける地獄の火の教理,私たちの地と宇宙が火で燃えて終つてしまうという教理,およびそれに類似の教理,というようないつわりに逃れましたか。アッスリアとバビロンの世界強国の攻撃を受けて包囲され,そして滅亡を受けるという事態に面して,彼らはそのような偽りの教理にかくれましたか。否であります。サマリアはシリアとの防衛同盟に助けを求めました。そしてエルサレムは最初アッスリアに助けを求めて,それが失敗してからは,エジプトに助けを願い,エジプトの馬や,戦車および軍勢のうしろに身をかくしました。パロの軍勢が来たためにバビロン人の包囲軍が撤退したとき,エジプト側についていたエルサレムの支配者や,祭司および予言者たちは,自分たちは安全な避けどころ,かくれ所を持つており,敵がその場所に来ることは決してないと確信しました。

      30 同様に,この終りの時において,キリスト教国は何にのがれて,自分の身をかくしましたか。

      30 同様なことはこの終りの時にも示されています。いまヱホバの証者は,神の刑執行の軍勢がハルマゲドンに来るということについてキリスト教国に特に警告しています。現在,祭司や預言者たちの後押しを受けているキリスト教国の支配者たちは,ヱホバの備え給うた休息の場所と安楽の場所に避難せず,この世の同盟に避難しました。第一に,キリスト教国は国際連盟を提唱して,1919年から1939年まで国際連盟にのがれました。そして1945年から現在にいたるまでキリスト教国は,世界平和安全制度である国際連合のうしろにかくれました。キリスト教国は,ヱホバの証者の言葉に注意を払わず,事実上,次のように言います。

      31 実際のところ,キリスト教国は安心しきつた態度で,そしてヱホバの証者に敵対の態度で何と言いますか。

      31 「あなた方証者たち,あなた方の神ヱホバの報復の日の音信を語つても,我々をおどかすことはできない。あなた方は,我々に死とショオールがのぞむと言うが,そんなものは我々に触ることもなく,また我々を害することもない。我々は死と仲の良い間柄であり,あなた方のヱホバ神の刑執行の軍勢により死が我々に触ることはない。我々は生き残るが,あなた方は生き残らない。我々はあなた方証者が共通の墓というショオールを良く理解するようになつた。我々はそれについてのまぼろしを持つている。我々は事態の結果をも同様に見ている。ショオールは,その口を開かず,我々を中に呑みこむこともしない。あなた方ヱホバの証者たちが,ハルマゲドンと言つている事柄の後に,あなた方が我々の骨を埋めるようなことは決してない。ハ!ハ!我々はかつて国際連盟と国際正義法廷をのがれ所にした。第二次世界大戦以来,我々は国際連合,その安全保障軍隊,武装解除委員,国際正義法廷,そして国際連合内でつくられたすべての防衛同盟や条約の背後にかくれた。あなた方ヱホバの証者が大々的に伝道している滅亡の軍勢が,我々のところに来るとか,我々を死またはショオールに投げるということはない。かえつて,それらのものは後ろに追いまくられ,我々のエジプトの避難所および隠れの場所は,持ちこたえるだろう。それらは我々の最後にして唯一つの希望である。そして我々の期待を裏切ることはない。それらは我々にその真実さを証明し,あなた方証者たちは災いを叫ぶ者,偽りの預言者と証明するだろう。あなた方はそのような者だと私たちが言つて来た通りである。」

      32,33 詩篇 62篇9節と33篇17-19節から証明されるごとく,(イ)キリスト教国の支配者たちは,何を自分たちの避難所にしたと,私たちヱホバの証者は言いますか。(ロ)のがれ所およびかくれ所として,国際連盟は何であると証明しましたか。国際連合は何であると証明しますか。

      32 しかし,神のたしかな言葉に立つ私たちヱホバの証者は,キリスト教国の政治支配者や宗教支配者が偽りと欺瞞の機構にのがれたと言います。彼らは偽りと証明するものにかくれました,すなわち偽りの神々や,信頼できない同盟や,また神の刑執行の軍勢にたいして対処不能のものにかくれました。私たちは詩篇 62篇8と9節(新口)を引用します,『神はわれらの避け所である。低い人はむなしく,高い人は偽りである。彼らをはかりにおけば,彼らは共に息よりも軽い。』

      33 私たち証者は,また詩篇 33篇17-19節を引用します,『(戦争用のエジプトの)馬はすくいに益なく,その大いなる力も人を助くることなからん。視よ,ヱホバの目はヱホバをおそるるもの,またそのあわれみをのぞむるのの上にあり。こは彼らのたましいを死より救い,飢たるときにも世にながらえしめんがためなり。』今日,キリスト教国は象徴的な『獣の像』を持つています。国際連合のどの成員国家も,それを設立してその維持に参加しました。そしてこの世の諸国民による偶像崇拝の対象にしているのです。それについて私たちはエレミヤ記(10:14,15)を引用します,『その鋳るところの像は,偽物にしてその中にたましいなければなり。これらはむなしきものにして迷いのわざなり,その罰せらるるときに滅ぶべし。』それで,私たち証者たちは次のように言います,実体的なエジプトの戦車は,キリスト教国を助けないでしよう。人間が悪魔の霊感を受けてつくつた,平和と安全を象徴する像は,いま諸国民によつて崇拝を受けていますが,しかし神々でないと証明するでしよう。キリスト教国の宗教が,この政治的な世界と同盟していることは,汚れたもの,不敬虔なあざむきです。ハルマゲドンの戦いが来なくても,避難所でもあり,かくれの場所であつた国際連盟は偽りであると証明しました。現在,『全能の神の大いなる日の実際の戦争』が間近になつているいま,国際連合は嘘であり,偽わりであります! ヱホバは,御自分の御言葉を通してそう言われています。

      34 ヱホバは,安定した永続の政府の基礎を何処に置きましたか。何時,彼はこの基礎をそこに置きましたか。

      34 人類の唯一つの希望,私たちの唯一つの避難所とかくれ所は,神の天的な御国であるシオンにあります。ヱホバは,安定した永続の政府の基礎として,たしかな基礎の尊い石,試みられた石,すなわち御自分の子にして王なるイエス・キリストをシオンに置きました。(イザヤ 28:16。ペテロ前 2:4-6。ロマ 9:32,33; 10:6-11)ヱホバはイエスに油を注いで試みと試練を受けさせました。このイエスは,神の主権に忠実なることを証明したのです。33年にユダヤ人たちは王なるイエスを排斥しました。しかし,ヱホバは死人の中から彼をよみがえして天的なシオンに置いたのです。使徒ヨハネは,自分に与えられた啓示の中で,イエスが14万4000人の忠実な油そそがれた弟子たちの会衆と共に立つているのを見ました。―黙示 14:1-5。

      35 ヱホバは,絶対の意味で,いつ御自分の尊い岩をシオンに置きましたか。そして,なぜその時?

      35 第一次世界大戦が最高潮に達した1918年に,キリスト教国は同様にイエス・キリストを拒絶しました。しかし,ヱホバは天的なシオンに御自分の尊い石を絶対の意味で置かれました。なぜ,そうですか。なぜなら,1918年までには,ヱホバの油注がれて御座についた王イエス・キリストは,神に尊い者と証明したからです。彼は1914年に天で始まつた戦争中の試みと試練をうけても成功を収めた者と証明しました。その戦争は,神の天より悪魔を追い払い,悪魔と悪鬼の使たちをこの地の近くに追い落しました。彼らはハルマゲドンで底のない坑に投げ入れられる前の短い時の期間,そのところに束縛されます。

      36 キリスト教国は,何のために自分の選びをしましたか。なぜキリスト教国はあわてふためいてそこに逃れ,身をかくしましたか。

      36 キリスト教国は,御座についたヱホバの王を排斥しました。第二次世界大戦前およびその後の両方で,キリスト教国は選びを決定しました。キリスト教国は,この世の同盟を支持しており,天的なシオンに不動に置かれたヱホバの王なる岩を支持していません。国際連盟の失敗にもかかわらず,キリスト教国のカトリック教会や新教徒教会は,いまでもシオンの山の王なる岩を見ません。ヱホバの証者は,特に1926年以来,その王なる岩について声高く宣伝したのです。キリストを奉ずると公言するそれらの宗教制度は,国際連合を選んで,国際連合に希望を置きました。世界共産主義の脅威および20世紀の現代の物質的な文明の破滅に直面したキリスト教国は,あわてふためいて国際連合に避難所を求め,その中にかくれました。キリスト教国の最後の希望は,多くの国家で構成されているこの制度の中にあります。その制度は,違つた政治思想や,キリスト教とかユダヤ教,マホメット教や異教,そして共産主義というような違つた宗教的な信仰を持つているものです。

      37 なぜヱホバの証者は,あわてふためいて国際連合に入りませんでしたか。私たちは,どこにのがれ所とかくれ場所を取るよう羊のごときすべての人を招待しますか。そしてなぜ?

      37 しかしながら,国際的な憎しみや迫害を受けようともヱホバの証者はあわてふためいて国際連合に入るようなことをしませんでした。1918年-1919年に,彼らは十分に試みを受けてシオンに置かれたヱホバの尊い岩に信仰を置きました。彼らは国際連盟に崇拝を捧げることを拒絶し,その滅亡を言明しました。いま私たちは国際連合を崇拝することと,国際連合に頼ることをも拒絶します。そして,同じくその来るべき滅亡を言明します。私たちはシオンの王なる岩に頼つて,私たちの避難所およびかくれの場所にします。そしてこの世の恐怖,悲哀,心配に参加しません。私たちは今でもここにおり,ヱホバの尊い岩にかたく依り頼んでいます。そして,ハルマゲドンに対する避難所とかくれ場所はヱホバの岩の中に求めよと,私たちは伝道し,全地の羊のごとき人々を招待します。私たちの希望は,キリストによるヱホバの御国にあります。避難所としてのその御国は,偽わりではありません。それは真実です。かくれの場所であるその御国は,嘘ではありません。それは依頼することのできる実際です。その御国は,真理がつづくかぎり ― 永久につづくでしよう!

  • ヱホバがその異常な業に立ち上るとき
    ものみの塔 1959 | 6月15日
    • ヱホバがその異常な業に立ち上るとき

      1 平和と安全を図るためにこの世の機構に不注意な安易さを求めようとする者の状態について,イザヤはどのように述べていますか。そしてなぜ?

      いまは平和,安全,繁栄,そして生存を図るこの世の機構に入つて,不注意な安易とか自己満足を求める時ではありません。この世の備える安易の寝床で身を伸ばすと,寝床は短くてその足は外に突き出て冷気にあたります。短い寝床に合わせて体を二つに曲げ,膝をあごの下に持つて行くと,こんどは寝床のふとんは狭くて十分に体を包まず暖く寝ることができません。それと同じく,来るべきハルマゲドンの戦い中におけるヱホバの行いと業が黒い影のようにしておおいかぶさつてくるとき,この世的な安易と休息を取ろうとしている人類の状態は,心胆を寒からしめます。それはふるえさせます。イザヤは(28:20,21で)こう言つているのです,『床みじかくして身をのぶることあたわず衾せまくして身をおおうこと能わざるがごとし。そはヱホバむかしペラジムの山にて立ち給いしがごとくに立ち,ギベオンの谷にていきどおりをはなちたまいしがごとくにいきどおり,而してその行為をおこないたまわん。奇しき所為なり。その工を成し給わん。異なるみわざなり。』

      2,3 (イ)イザヤの預言が言われて後の世紀中,なぜ状態はヱホバによる奇妙なもの,異常なものでしたか。(ロ)何時ヱホバは,信ずることのできないその業を成しとげましたか。ヱホバはそのことを繰り返し行うことをためらわないと,どのように示しましたか。

      2 その言葉が言われて後の次の世紀中に,ヱホバは立つてその言葉を最初に成就しました。それ以前にエルサレムが滅ぼされたことは一度もありませんでした。ダビデの家の王座がくつがえされたことは,以前に一度もありませんでした。畏怖の念を感じさせるヱホバの宮が焼かれて全く灰になるというようなことも以前には一度もなかつたのです。そのようなことが起るなどということは,ユダヤ人にとつてとうてい信ずることができないものでした。ヱホバがそのような事柄に対して責任を持つなどということは,あまりにも奇妙であり,異常なことであり,とうていあり得ないとユダヤ人たちは考えました。しかし,ヱホバは預言者ハバクク(1:5-9,新口)を用いて,疑いを持つユダヤ人たちにこう警告しました,『諸国民のうちを望み見て,驚け,そして怪しめ。私はあなたがたの日に一つの事をする。人がこのことを知らせても,あなたがたはとうてい信じまい。見よ,私はカルデヤ人を興す。これはたけく,激しい国民であつて,地を縦横に行きめぐり,自分たちのものでないすみかを奪う。これはきびしく,恐ろしく,そのさばきと威厳とは彼ら自身から出る。その馬はひようよりも速く,……彼らはみな暴虐のために来る。』

      3 キリスト前607年,ヱホバはその業を行いました。さらに大切なことは,ヱホバは一見して信じることができないようなその業を繰り返して行うのをためらわないということです。エルサレムとその宮が2度目の滅びを受けた時より約26年前の西暦44年頃,使徒パウロはアジアの会堂で多数の不信者に伝道しました。彼はハバククの言葉を引用して,シオンに立つヱホバの王を捨てる結果につき彼らを戒めました,『見よ,侮る者たちよ。驚け,そして滅び去れ。私は,あなた方の時代に一つの事をする。それは,人がどんなに説明して聞かせても,あなた方のとうてい信じないような事なのである。』(使行 13:14-41,新口)侮りの心を持つたユダヤ人たちは,この音信に反対しました。しかし,70年にヱホバはローマの軍勢を用いてエルサレムとその宮を滅ぼし,世界中にいたユダヤ人の宗教的な気持はたいへんな動揺を受けました。

      4,5 (イ)それでは,ヱホバが何をしないと,キリスト教国は考えてはなりませんか,そしてなぜそうですか。(ロ)どんな戦いの時における誰のように,ヱホバは立ち上がり,ペリシテ人のごときキリスト教国を取り扱いますか。

      4 それでは,幾千という宗教制度を持つキリスト教国が,なぜ次のように考えるべきですか。すなわち,ヱホバ神はキリスト教国に対して奇妙な行い,すなわち異常な業を繰り返して行うようなことはない,そしてイザヤの預言を最終的に全く成就することはないなどと,考えることです。キリスト教国は,いつたいキリスト教のものですか。キリスト教国の全歴史を通しての最大の機会の時,そして16世紀にわたる存在の中で最高潮に達しているとき,キリスト教国はその名前にそむき,シオンの御くらに座しているヱホバの王を捨てています。キリスト教国は,救をもたらす神の御国の良いたよりを宣べ伝えず,国際連盟や国際連合を選びます。そのようなことをしながら,キリスト教であるなどとどうして言えますか。キリスト教国とキリスト教国に従う群衆は,霊的なペリシテ人です。そして,ヱホバは,昔の地的なシオンの山に立てられたヱホバの王,ダビデによつてずつと昔のペリシテ人を取り扱つたごとく,キリスト教国とその群衆をも取り扱うでしよう。

      5 不信者にとつて不思議なもの,異常なものも,ヱホバは行います。そして,今度は昔のエルサレムとユダに倣つているキリスト教国に対してなされます。ハルマゲドンの日のとき,御使の軍勢をひきいるヱホバは,ペラジムで立つたように立つでしよう。ヱホバは,大いなるダビデのひきいる軍勢を用いて,ペリシテ人のごときキリスト教国を攻め打ちます。それは丁度,くずれ落ちた堤の隙間から水が非常な力でほとばしり出るようです。キリスト教国の大きな制度がこわれて,キリスト教国に従う者たちが散り散りに追われるとき,偽りの神々を背後に残します。それらは,ヱホバの軍勢によつて燃されてしまうでしよう。

      6 ヱホバはギベオンの場合と同じく,キリスト教国のペリシテ人に対してどのように怒りますか。ヱホバの異常な業は,どのような結果になりますか。

      6 冒瀆の言行をなして来た偽りのキリスト教制度は,一掃されてしまいます。この不思議な行いに生き残り得る人が仮にいるとしても,それらの人はハルマゲドンのときに身をかくして,生き残ることはできません。周章狼狽している御国反対者たちは,悔い改めの心を持たず,いまやその仮面は取りはずされています。そのような者共に対して,至上者なる主,すなわち万軍のヱホバは,ずつと以前のギベオンの場合と同じく,非常な怒りを持たれます。そのギベオンの場所でダビデ王はベカの樹のうしろより,樹の上を吹き行く強い風の音の下にいてペリシテ人の陣営目がけて攻め出でました。そして,ゲゼルに至るまでの16マイルにわたつて彼らを追撃し,ダビデの国に反対する者共を撃ち倒しました。それで,ヱホバはシオンにいる大いなるダビデにより,盗人が予期しない時に来るごとく,キリスト教国のペリシテ人のところに来るでしよう。ヱホバは御自分の異常なる業を行い,キリスト教国に従う者の最後の一人をも滅ぼし去るでしよう。キリスト教国の大きな宗教の宮は,エルサレムの汚れた宮が破壊されたごとく,破壊されてしまうでしよう。

      7,8 (イ)ペラジムとギベオンを憶えておられるヱホバは,大いなるダビデを何になぞらえていますか。(ロ)象徴的な暴風と漲りあふれる水は,何をしますか。それについての報告だけで,何の理由になりますか。

      7 ヱホバはペラジムとギベオンで行われた御自分の業を御心にとめておられた故,御自分の大いなるダビデ,すなわち王なるイエス・キリストを『雹をまじえたる暴風のごとく,壊りそこなう狂風のごとく,大水のあふれ漲るごとく』となぞらえています。それですから,ヱホバはイエス・キリストを『力ある強き者』と呼んでいます。御自分の御使の軍勢を勝利にみちびかれるヱホバは,エフライムの肥える谷の頭でサマリアにあてがつた公正のはかり縄を憶い出されます。ヱホバは又,キリスト前607年および西暦70年に不忠実なエルサレムの上に正義を執行した準縄を思い起されます。(列王紀略下 21:11-15)ハルマゲドンのとき,ヱホバは公正を測りなわとし,正義を準縄にします。ヱホバの『力ある強き者』,王なるイエス・キリストは,御使の大軍をひきつれ,『いつわりにてつくれる避所をのぞきさる』にちがいありません。偽善的な制度のすべての部分にむかつて奔流する『水(ヱホバの力ある強き王とその聖なる御使たち)はそのかくれたるところに漲りあふれん。』

      8 平和と安全の制度や,国際連合,および最後の審判日から身を守るためにキリスト教国の建てたこの世的な同盟は,ことごとく滅んでしまいます! キリスト教国の支配者たちは,頭の中で想像していた『死とたてし契約』がヱホバの力ある活動の王により解けさつてしまうのを見出すでしよう。彼らは死んで低く横たわります。ショオールと結んだと彼らが考えた偽りのまぼろしは,ヱホバの王とその軍隊に対して対抗し得ません。マゴグのゴグの軍勢のために用意されている墓は,その口を広く開いて彼らを受け入れます。ヱホバの象徴的な『みなぎりあふれる水』がキリスト教国の領域内を過ぎ去るとき,キリスト教国の支配者とその軍隊は,ヱホバの王とその御使の軍勢の足下にふみつけられるでしよう。それらの宗教的な偽善者たちは,押し流されてしまいます。毎日の朝な朝なに,また昼も夜も,天的な軍勢は御国反対者の最後の一人をも捕えるために通り過ぎます。自分の群の或る者に生じたことを聞く人々は,こんどは以前に聞いたことを他の人に理解せしめようと努めるとき,自分自身がふるえおののくでしよう。

      9 (イ)なぜそれは本当に『異つた戦争』ですか。(ロ)その不思議さと異常さを増し加えるために,その宇宙的な戦争で,ヱホバ神は何をいたしますか。

      9 これは本当に『ちがつた戦争』でしよう。それは,いかなる国際的なあらそいともちがうものです。国際的なあらそいの場合に,攻撃を受けた諸国家の群れは,攻撃をしかけた群の国に対して『大きな報復』をします。キリスト教国は,サタン悪魔や悪鬼共の援助を受けていますが,それでもヱホバ神や,その王イエス・キリストのひきいる刑執行の軍勢に対して大きな報復をすることができません。神のこの行いの不思議さと,神のこの業の異常さとを増し加えるものとして,ヱホバは自然の力を行使することもできます。キリスト教国の科学者たちは,1914年頃から,その自然の力について私たちに知らせて来ました。たとえば,地と人間にいろいろな影響を及ぼす宇宙線や,1000万アンペアも強さを持つ上空の電流,そしてハルマゲドン前に科学者が発見するかも知れぬ他の自然の驚異や,その宇宙戦争そのものの期間中に表明される他の自然の驚異です。それらは,ノアの日の洪水が,その時までになかつた珍らしいものであつたのと同じく,驚くべき程に珍らしいものです。

      10 主として,神の活動の異常さと不思議さは,どんな事実に由るものですか。

      10 しかし,神の行いと業が不思議であり,異常であることは,必ずしも滅びをもたらすヱホバ神の方法もしくは手段によるものではありません。それは主として次の事実に由るのです,すなわち神の報復は宮を持つキリスト教国に対してなされるのです。そしてキリスト教国は神の目に見える制度,岩の上に建てられた神の教会であり,それに対してハーデスまたはショオールの門は打ち勝たないと主張しています。―マタイ 16:18。

      11 ヱホバの行いと業についての預言的な叙述(じよじゆつ)について侮り笑う者たちには,どんないましめが与えられていますか。

      11 ハルマゲドンのときヱホバはキリストにより驚くべき事柄をします。いまそれについて詳細には述べませんが,しかしこの聖書的な説明は大げさなもの,熱狂的なもの,たいへんな世間さわがせなものと見えるでしよう。キリスト教国の宗教的な群の人々は,それを悔り笑うでしよう。しかし,神の警告の言葉と,実際に記録されている歴史からの例証とは,真剣に採り上げねばなりません。イザヤ(28:22)は次のように戒めています,『この故になんじら侮るなかれ,恐くはなんじらの縲絏きびしくならん,我すでに全地の上に定まれる敗亡あるよしを主万軍のヱホバより聞きたればなり。』侮る者たち,そしてキリスト教国の不忠実にしてこの世的な道から離れるのを拒絶する者たちは,自分自身をかたくなにして,ヱホバの王と御国に対して信仰を持たず,反対の態度を取るでしよう。彼らは結束しているため,ハルマゲドンで刑執行を受けます。その結束は,ますます強くかたいものになり,悔る者がヱホバの不思議な行いと異常な業で滅ぼされることはいつそう確かです。

      12 ヱホバはキリスト教国に対する決定を変更しますか。なぜ,すでに受けたこらしめは,侮る者たちにとつて十分でなければなりませんか。

      12 至上者なる主,万軍のヱホバは,キリスト教国とそれに従う幾十億という人々を絶滅しようと決定されました。ヱホバがキリスト前607年と西暦70年に昔のエルサレムとその宮を滅ぼしたと同じく,彼はその発表した決定を決して変えないでしよう。ハルマゲドン前のこの『短い時』のあいだ,なぜ悔り笑つて,いつそうひどく打たれるのですか。なぜヱホバを怒らせて,ハルマゲドンの踏み場で驀進する象徴的な車で轢き殺され,一切の生存から切り絶たれてしまうのですか。すでに受けたこらしめで,もう十分でなければなりません。不信の態度を取つて,誇らしげに悔ることを止めなさい。信仰と謙遜と献身の態度の中に,ヱホバの王と御国に頼りなさい。―イザヤ 28:23-29。

      ヱホバは栄のかんむり美しき冠

      13 いま何をすることによつてのみ,私たちのヱホバの行いと業による刑執行をまぬがれると希望し得ますか。そのとき,何は私たちにとつて極めて『尊い』ものですか。

      13 いま真のクリスチャンであることを証明するのは,なんと祝福されたことでしよう! キリスト教国とその贋のキリスト教から離れて,統治している王イエス・キリストの真の弟子になることによつてのみ,私たちは『全能の神の大いなる日の戦争』の際のヱホバの不思議な行いと異常な業にも,キリスト教国と共々に処刑されずに生き残れると希望し得ます。ヱホバは,すべてのキリスト教国とその霊的な酔つぱらい共に次のことを宣明しました,すなわち彼らは偽りのものに信頼を置いているのであり,そして高い天的なシオンの政府に『とうとき隅石』として,全く試みられ試練を受けた貴重な王なる石を置いた,というのです。この世の機構や同盟がうそのもの,偽りのものであることを見るすべての人,そしてヱホバの尊い王なる石,すなわち新しい世の王イエス・キリストに信頼を置く人々は,真実にして依頼することのできる保護者にのがれて,身をかくします。彼らはヱホバに信仰を働かすことにより,どんな恐慌からも生き残ります。この世は,その恐慌に落ちこんで,滅びを受けるでしよう。それで,シオンにある王なる石は,現在の私たち信者にとつて尊いものです。たとえ,私たちが御国共同相続者の『小さな群』の残れる者であろうと,又は他の羊の『大いなる群』のものであろうと,私たち信者にとつて尊いものです。神からの滅びをもたらすすべての軍勢が,ハルマゲドンの戦いの只中に働きをするとき,その王なる石はなんと『尊い』ものでしよう!

      14 霊的に酔つている者たちの美しい冠と飾りにとつては,それは何を意味しますか。しかし,御国の共同相続者の残れる者は,その飾りとして何を持ちますか。

      14 預言者イザヤの言葉によると,『酔える者エフライムの誇の冠』と『しぼまんとする花のうるわしき飾り』はわざわいです。それらは,ヱホバに反逆の銘釘の反対者共の寄り合う肥えた谷の首にあるものです。なぜですか。なぜなら,彼らの『誇の冠』は,圧倒的な破滅の軍勢によつて踏みくだかれてしまうでしよう。彼らの美しい頭の飾りは,早くしぼんで涸れてしまう花に過ぎないと証明します。丁度,夏にならぬ中にいちぢくが早く熱すると,いちぢくの木にその実を見つける者が大急ぎでもぎ取つてしまうのと同じように,その踏みつけられることは速くなされます。しかし,試みを受けたヱホバの王なる岩に信仰を働かす御国の共同相続者の忠実な残れる者は,朽ちることのない栄光の冠を持つでしよう。預言者イザヤは次のように語つています,『その日,万軍のヱホバその民の遺れる者のために,栄のかんむりとなり,美しき冠となりたまわん。さばきの席に坐する者には審判の霊をあたえ,軍を門より追いかえす者には力を与え給うべし。』― イザヤ 28:5,6。

      15 特に何時から神の御名はご自分の証者に関して崇められましたか。そしてハルマゲドンのときにこの美しい冠と栄えのかんむりには何が生じますか。

      15 特に1926年以来,霊的な残れる者はヱホバを崇めて,ヱホバの御名を宣べ伝えてきました。それで,1931年になつて,『ヱホバの証者』という明確な名前を持つことは聖書的に正しいと感じました。その時以来,ますます増加する他の羊の『大いなる群衆』も,その名前をとり入れました。唯一つの生ける真の神,万軍のヱホバの名前を帯びて,全宇宙の栄光に輝く最高至上者と共にいるということは,何という名誉なのでしよう! 私たちの上にあるヱホバの御名の栄光は,しぼみません。しかし,第二次世界大戦中およびいまに至るまで,御自分の証者たちのためにされたすべてのことの故に,ヱホバは御自分の御名を更にいつそうあがめられました。ヱホバは私たちを保護して,みちびきました。ヱホバは私たちのためにすべての業を行われました。彼は,決してふみつけられることのない『栄えのかんむり』『美しき冠』であります。ヱホバがハルマゲドンでサタンの全制度に対し勝利を得,そしてその宇宙的な戦争で御自分の証者を生き残らして,御自分の御名をまばゆいばかりに高められるとき,私たちの神の『栄のかんむり』と『うるわしき冠』は,はるかに大きな栄光の中に輝くでしよう!

      16 シオンの裁きに座している者は誰ですか。彼にとつてヱホバはどんな種類の御霊になりますか。そしてどんな結果をもたらしますか。

      16 シオンにいる神の王なる岩は,ハルマゲドンで執行される裁きに座しています。彼にとつては,至上者なる主,万軍のヱホバは『さばきの霊』になりました。キリスト教国の酒酔いたちは,この世と同盟して酩酊の精神で正気を失つています。そして,真すぐに物事を見ることもできず,決定をする際にも不たしかな決定をいたします。しかし,イエス・キリストは,そのような者たちとは異り,ヱホバの御霊にみちているので,真つすぐに歩き,明白な決定をするでしよう。ヱホバは,イエスを通して『公平をはかり縄とし,正義をおもしとす』御国に反対している酔つぱらいの敵共は,全く滅ぼされてしまいますが,ヱホバの聖なる御名と宇宙的な至上権には公正がなされ,これらのものは立証されます。

      17 (イ)霊的な戦いをしている私たちにとつて,ヱホバはマゴクのゴグの攻撃軍勢に対して何になりますか。(ロ)霊的な酒酔い人とは異り,誰と契約をむすび,そしてその者のごとく見るのは正しいことですか。

      17 このサタンの世に対する勝利は私たちに保証されています,なぜならイザヤの約束によると,万軍のヱホバは『軍を門より追いかえす者には力』となるからです。それで,私たちが『神からの全き武具』を身につけて霊的な戦をするとき,ヱホバの力はマゴグのゴクの攻撃の軍勢を『門より』追いかえすでしよう。そして,尊い王なる岩の上に建てられたヱホバの見える制度は存続するでしよう。ヱホバの不思議な行いと異常な業は,キリスト教国の制度を一掃して,この世のキリスト教国の同盟国はみな滅びてしまうでしよう。王なる岩の上に建てられたシオンは,勝ち残ります。この者は『死とハーデス(又はショール)とのかぎ』を持つているのです。私たちはこのものと契約をむすび,この者の見るごとく物事を見なければなりません。すなわち,只一つの目的,ただ一つの目標,すなわちヱホバ神の御こころということをもつて見なければならないのです。王であるイエス・キリストは,ショオールと死の正反対です。なぜなら,彼は『よみがえりであり,命である。』― 黙示 1:18。ヨハネ 11:25。

      18 (イ)なぜ私たちは恐れませんか。私たちの誠実な祈りは何ですか。(ロ)私たちはどんな特権を自分のものに持ちつづけたいと欲しますか。そのようにして,何が行われるかということについて,すべての人は何を知りますか。

      18 それで,シオンにここの王なる岩を置き給うたヱホバの証者である私たちは,天と地における将来の発展に対して安全であります。私たちは恐れません。ヱホバの行いは不思議のものであり,近い中に行う彼の業は異常なものでしよう。しかし,私たちはヱホバの御こころが成し遂げられるようにと誠実な祈り,熱心な祈りを捧げます。その滅亡について,またヱホバが決定した事柄について,すべての国に警告として告げることが,今後ともひきつづき私たちの特権でありますように! そして,それが成就するとき,万軍のヱホバ,『栄のかんむり』と『美しき冠』がイエス・キリストにより御自分の立証のためにそれを行つたとすべての人は知ります。そのごとくなりますよう! アーメン!

  • 「御心が地に成るように」(その12)
    ものみの塔 1959 | 6月15日
    • 「御心が地に成るように」(その12)

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