ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 闘牛士の人生 ― どれほど満ち足りたもの?
    目ざめよ! 1975 | 12月22日
    • た。ところが司祭はわたしの来ていることを聞くと,やって来てわたしの告白を聞いてくれましたが,長いあいだ待っていたつつましい人々は無視されました。このような出来事から,カトリック教会に対するわたしの信仰は弱くなりはじめたのです。それでもわたしは神の存在を信じ,聖書に対する敬意を持っていました。事実,聖書を読むことは楽しみでした。

      それである時わたしは司祭に聖書のことを質問し,聖書を理解したいということを話しました。しかし司祭のいわく,聖書は神学者の読むもので,わたしが読むならば気ちがいになると言ってわたしを落胆させました。これはわたしを悲しませ,教会に対する信仰をいっそう弱めました。

      人生におけるまさった目的

      このころ,つまり1968年の秋のこと,妻とわたしが朝食をとっているところへ,ドアがノックされました。妻がドアをあけると,ふたりの婦人が立っており,聖書から話をしました。わたしのしたどの質問にも,ふたりは聖書を用いて答えたので,わたしは驚嘆して,自分もあのように聖書を使えたらと思いました。彼女らから求めた文書を読んでみて,わたしは自分の切望していた聖書の知識を得るのにそれが有用なことを知りました。ほどなくしてわたしたちは家で定期的な聖書研究をすることに同意しました。

      牧場で祭りの一部としてもよおされた闘牛に参加するように招かれたのは,ちょうどこのころでした。サヴイーユの司教もそこに居て,逐一楽しんでいるさまをわたしは見ました。しかしわたしはなぜか自分が場違いなのを感じました。

      闘牛士としてわたしは約240頭の牛を殺したにちがいありません。しかしその時でさえ,わたしは他の闘牛士が牛とたたかうのを見守りながら,おびただしく血を流し,苦しんでいる動物をあわれに思いました。聖書の教えをよく知るにつれて,闘牛は真のクリスチャンの持つべき職業ではないことを悟りました。牧場での祭りに関連して行なわれたあの闘牛に出たのが,わたしにとって最後の闘牛となりました。

      正義の新しい事物の体制を創造する神の目的を認識するにつれて,神に仕えたいというわたしの願いは次第に強くなりました。(ペテロ第二 3:13)これはわたしにとって人生の主要な目的となりました。そして神はすべての人が神の新体制について知ることを望まれていると聖書に述べられているゆえに,わたしは他の人々にそのことについて話しはじめました。―マタイ 24:14。

      人々の家を訪れると,多くの人はわたしが来たのを知って驚くと同時に喜びました。彼らは闘牛のことについてわたしと話そうとします。しかしわたしはその機会をとらえて,人生には闘牛よりもはるかに良いものがあることを説明するのです。それはわたしたちの偉大な創造者を知って創造者に仕えることです。わたしはそのことの真実を確かに経験しました。―寄稿。

  • ストレスは心臓に悪い
    目ざめよ! 1975 | 12月22日
    • ストレスは心臓に悪い

      ● 米国では,毎年,10万人につき平均378人の人が心臓発作で死んでいます。米国は世界で心臓病による死亡率の非常に高い国の一つです。それとは対照的に,日本に住む男性の場合,この死亡率は四分の一以下です。長い間,アメリカ人の脂肪分の多い食生活が主な原因と考えられてきましたが,ストレスもそれに劣らず重要な要因であることを示す証拠が増大しています。米国に住む幾千人もの日本人男性を対象に行なわれた10年間の研究の結果,脂肪分を多く取っていても,家庭や社会で個人の地位を認めることが強調される伝統的な日本式の生活を続ける男性の間では,心臓発作の目立った増加のないことが明らかになりました。しかし,米国に住む日本人の男性でも,攻撃的で競争心の強いアメリカ人男性の特性に倣う人は,心臓発作を起こす可能性が五倍も多くなっています。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする