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苦しい時,だれに頼るかものみの塔 1962 | 4月1日
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を願ってはならないかを十分に理解しなければなりません。何人の人が時間をとって聖書を学び,神の御心を知ろうとしますか。イエスの次の言葉を信ずることを行いによって示す人が,どれだけいますか。「人はパンだけではなく,エホバの御口からくるすべての言葉によって生きなければならない」。(マタイ 4:4,新世)神が人間を見捨てているのですか。あるいは神の言葉を無視する人間が神を見捨てているのですか。神の御心と御目的に一致しない祈りをささげても,それは失望に終わります。
祈りと知識
イタリアの百卒長の例は,神を見出すために祈りとそれ以上のものが必要なことを示すよい例です。コルネリオは常に神に祈る人でしたが,神の御心を教えてもらうため,ある人を迎えにやって自分の家に招くようにと告げられました。ペテロと他の真のクリスチャンが喜んでコルネリオの家に来ました。コルネリオとその親族,親しい友人は「エホバが〔ペテロに〕お告げになったことを残らず伺おうとして,みな神のみ前にまかり出ました」。(使行 10:1-33,新世)コルネリオとその家族や友人は,聖書の討議によってエホバを求め,見出すことを知ったのです。それは救いを意味しました。
今日においても聖書の正確な知識は同じく必要です。神の言葉の預言通り,いまは苦しい時代です。(テモテ後 3:1)緊張は極度に増し加わっています。それは人間の愚かさのためばかりでなく,緊張を作り出す者,サタン悪魔が人類を支配するか,あるいは滅ぼそうとして,やっきになっているからです。(黙示 12:12)この危急の時代に対処するため,人間は神の知恵を必要としています。聖書に書かれている通り,エホバ神にこの知恵を求めるのは正しいことです。(ヤコブ 1:5)しかしコルネリオの場各と同じく,あなたの家に喜んで来て,諸国民へのあかしとなるため,全世界においてエホバが語ることを命じた真理を伝える真のクリスチャンをさがし求めなければなりません。―マタイ 24:14。
家族一同が聖書を学ぶことによって,何十万人の人は次のことを知るようになりました。すなわちエホバの御心を知ることは,苦しい時の力になるということです。神の御心と一致しない事を祈り求めることはもはやありません。たとえばこの世の平和を祈り求める人は何百万人もありますが,正確な知識を持つ人は,イエスが「この世のためにではなく」,神の御心を行なうことを望む人々のためにだけ祈ったことを知っています。(ヨハネ 17:9,新口)次の戦争によって人間とその住み家である地球が滅びることを恐れていた人も,エホバを求めるとき,神が人間の自殺行為を予見されて,「地を滅ぼす者どもを滅ぼして下さる」と約束されていることを学びます。神のこの大きな働きは「ハルマゲドン」と呼ばれています。(黙示 11:18,新口; 16:16)ハルマゲドンの後には,荒廃した地に一人,二人の人が残るだけですか。そうではありません。ハルマゲドン後の正義の新しい世には,危急の時にエホバを求めた人々 ―「あらゆる国民,部族,民族,国語のうちから」出てきた人々が生き残ってゆくのです。―ペテロ後 3:13。黙示 7:9,10,新口。
しかしハルマゲドン前のいま,個人的な苦しみや悩みをどうしますか。その原因が何であれ,死はおそらくいちばん大きな悩みです。病気や老齢もまた実際に悲哀をもたらします。エホバに頼ることは現実的な救いをもたらしますか。そうです! 肉親に死なれた悲しみも,復活のたしかな期待へと変わります。イエスは次のように約束されました,「これを怪しむな,記憶の墓にいる者がみな彼の声を聞いて出てくる時がくる」。(ヨハネ 5:28,29,新世)この約束が間もなく成就することに信仰を持つとき,生きようとする強い意志が湧いてきます。聖書の原則と神の御国の良いたよりを学ぶとき,健全な心の平和を得,苦しみを加えるような愚かな行いを避けることができます。病気,痛み,悲しみと死が人類から取り除かれる時のごく間近いことを知るならば,老齢や長い病気にも耐えることができます。―黙示 21:3-5。
エホバに頼る人は肉体の病気に耐える力を与えられるだけでなく,罪を犯して霊的な病気になった時にも,円熟したクリスチャンに頼んで罪の許しと神のいやしの霊を神に祈り求めてもらうことができます。(ヤコブ 5:13-15)経済的な危機の時にも,エホバの僕は「日ごとの食物」を十分に得させて下さいと神に願うことができます。(マタイ 6:11,新口。箴言 30:7-9)迫害に苦しむとき,クリスチャンはエホバに救いを求め,また義のために受ける苦しみに耐える力を与えられるように祈ります。(詩 143:9。コリント前 10:13)誘惑からの救いも,確信をもって願い求めることができます。―マタイ 6:13; 26:41。
あなたの戸口で
エホバのクリスチャン証者が聖書を携えてお宅にお伺いするとき,コルネリオの賢明な行いを思い出して下さい。家族を集めて,エホバが彼らに語ることを命じた事柄に耳を傾けて下さい。苦しみの加わるこの時代にあって,どのようにエホバに頼るかを,彼らは熱心に教えます。コルネリオのようにすすんでその事を求め,いちばん近い御国会館に連絡してエホバの証者の訪問を求めて下さい。真の神と人類に対するそのすばらしい御目的を知らせるのは,エホバの証者の喜びです。あなたとあなたの友人にむかってエホバの証者は熱心に次の言葉を語ります。「これはわれらの神なり,われら待望めり彼われらを救ひたまはん是エホバなり,われらまちのぞめり我らそのすくひを歓びたのしむべしと」。―イザヤ 25:9。
一刻もゆうよせずに,エホバ神を知るようにして下さい。エホバ神こそ,苦しい時に頼るべきおかたです。
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愛はすぐに落胆しないものみの塔 1962 | 4月1日
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愛はすぐに落胆しない
「愛は寛容であり…すべてを忍び…すべてを耐える」。このゆえに愛はすぐに落胆しません。愛がすぐに落胆しないことは,今日でも示されています。次の経験はその事を物語るものです。―コリント前 13:4,7,新口。
◆ 2,3年前,韓国の京城で一人のエホバの証者は家から家に伝道中,非常な興味を覚えたらしい一人の人に会いました。この人は1冊の雑誌を受け取りましたが,雑誌の代金を寄付することについて伝道者の述べた言葉を無視しました。寄付のことを強調して家の人に気まずい思いをさせたくなかったので,伝道者はそのまま去りましたが,この人が本当に興味を持っているかどうかを知るため,再び訪問することにしました。
再び訪問したとき,この人が寄付を出さなかった訳を知りました。この人は韓国戦争で足を失って両足とも義足なので,いったん腰かけると立ちあがることがとても難しいのです。この人は真実に興味を持っていました。それで更に文書を求め,この度は以前に求めた雑誌の代金と共に文書の代金をも払いました。聖書研究が始められ,戦争で不具になった人ばかり3人がこの人の他に参加しました。時を経てこの中の二人がエホバの側に立ち,献身して洗礼を受け,良いたよりの奉仕者となったのです。身体の障害にもかかわらず,二人は野外奉仕のあらゆる面に参加し,その伝道区域が地勢のけわしいところにあるにも拘わらず,そうしています。
その献身の深さのゆえに,この二人の証者は急速に円熟しました。二人が先に立って熱心に働いた結果,最近,京城にひとつの新しい会衆が設立されました。その一人は監督,もう一人はその補佐に任命されています。二人合わせても,足は1本しかないのです。たしかに愛はすぐに落胆しません。
◆ これはトリニダードの一中国人証者の話です。この証者はからだが麻ひしているので車つきの椅子を使っている病人ですが,会衆の御国会館建設に役立ちたいと決意しました。何をすることができますか。この証者は自分の考案した簡単な仕掛けを,まひした手に取りつけて,ペンと刷毛を持つことを工夫し,また母規の献身的な援助によって,文字を書くことと,絵を描くことを独力で学んだ人です。
ちょうどその頃,土地の美術協会では新しい美術センターを開くにあたって,個展を開く人を求めていました。これに応募したこの人は,3ヵ月以内に33枚の水彩画と油絵を書きあげました。出品した作品の半分は最初の晩に買い手がつき,展覧会が終わったときには2,3の絵を除いて全部の絵が売れました。この証者はその純益をそっくり御国会館建設資金に寄付しました。
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