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  • 円熟,クリスチャンに対する要求
    ものみの塔 1963 | 10月1日
    • な考えはその心にありませんでした。(ヨハネ 7:18)どんな目にあわされても,どんな罪を着せられても,イエスに悪と汚れはありませんでした。また他の人を害しませんでした。(イザヤ 53:9。ペテロ前 2:22。ヘブル 7:26)また万事において全能の神に全く従順でした。イエスは父のみ心を行なうことを喜んだからです。友のために喜んで生命を捨てたイエスは,愛の完全な手本です。ヨハネ伝 15章13,14節はそのことを述べています。「人がその友のために自分の命を捨てること,これよりも大きな愛はない。あなたがたにわたしが命じることを行うならば,あなたがたはわたしの友である」。(新口)イエスの行いは愛ある親切から出たものであり,他のどんな人間の善行にもまさる行いです。パウロがコリント人に述べた言葉を借りれば,イエスは富んでおられたのに,あなたがたのために貧しくなられた,それはあなたがたが,イエスの貧しさによって富む者になるためでした。(コリント後 8:9)これらの性質に加えてイエスは忍耐,あわれみ,慈悲心,無私の気持を示しました。―ヘブル 2:17。イザヤ 53:7。テモテ前 1:16。ルカ 19:41。マタイ 4:23,24。

      9 (イ)ソロモンは,クリスチャンにとって益のあるどんな行いをすゝめましたか。(ロ)この点について何を自問できますか。(ハ)前進を怠ることをいましめて,パウロはどんな警告を与えましたか。

      9 聖書を書いたソロモンは,円熟に達する道を明らかにしています。ソロモンは,円熟にむかって進歩するための態度,円熟するためにまず必要な条件を次のように教えています。「子供らよ,父の教を聞き,悟りを得るために耳を傾けよ……わたしの言葉を,心に留め,わたしの戒めを守って,命を得よ。それを忘れることなく,またわが口の言葉にそむいてはならない,知恵を得よ,悟りを得よ。知恵を捨てるな,それはあなたを守る。それを愛せよ。それはあなたを保つ。知恵の初めはこれである,知恵を得よ,あなたが何を得るにしても,悟りを得よ……それはあなたを高くあげる……それはあなたの頭に麗しい飾りを置(く)」。(箴言 4:1-9,新口)読んですぐにわかるように,この言葉は円熟を目ざす進歩的な,前向きの態度を示しており,円熟するために何が必要かを教えています。これを自分自身にあてはめて言えば,次のように自問できるでしょう。エホバのことばを熱心に学んで知識を増し加え,進歩していますか。全く成長した人になることを目ざして励みつつ,正確な知識を学びとっていますか。前進を怠るときに陥る弱さをパウロは警告していますが,パウロのその警告に注意を払っていますか。「こうして,わたしたちはもはや子供ではないので,だまし惑わす策略により,人々の悪巧みによって起る様々な教の風に吹きまわされたり,もてあそばれたりすることがな(い)……のである」。―エペソ 4:13,14,新口。

      10 クリスチャンにとって「新しい人格」はなぜ貴重ですか。どうすれば成長できますか。

      10 この新しい知識を絶えず学びとってゆくとき,心をあらたにし,「新しき人」になれるのです。(コロサイ 3:10,新口)それは神のことばにより,神のみこころに従って造られるものです。パウロの言葉からわかる通り,霊的な力が大切です。ゆえにどんな事があっても前進の歩みをとめてはなりません。円熟という目標を何時も心に留めましょう。パウロの次の言葉はきわめて適切です,「愛にあって真理を語り,あらゆる点において成長……するのである」。エペソ人にあてたこの言葉は成長を促し,常に前進すべきことをすすめています。―エペソ 4:15,新口。

      自分自身をしらべる

      11 霊の思いについて,何に思いをめぐらすことができますか。

      11 霊の思いを持つことに関して,いろいろな質問が心に浮かびます。永遠の生命に導く円熟を目ざしてひたすら進んでいますか。宣教を改善したいという願いに何時も動かされていますか。考える事も,御国の関心事が第一になっていますか。野外の宣教は実を結んでいますか。エホバ神の有能な奉仕者となるように他の人を援助していますか。使徒パウロが述べたのと同じことを言えますか。パウロはその助けによって真理を悟った人々のことを,次のように述べています,「わたしたちの推薦状は,あなたがたなのである。それは,わたしたちの心にしるされていて,すべての人に知られ,かつ読まれている……墨によらず生ける神の霊によって書かれ……人の心の板に書かれたものである」。―コリント後 3:2,新口。

      12 (イ)クリスチャン奉仕者また他の人にとって,「ものみの塔」はなぜ貴重ですか。(ロ)何を怠ってはなりませんか。

      12 自分の勉強についてはどうですか。「ものみの塔」の全部の記事を学ぶに十分な時間を勉強にあてていますか。エホバ神が今日お用いになっているおもな伝達の手段であるこの雑誌の一部を読まずにすませてしまうことがありますか。この雑誌を通して与えられる教えはきわめて重要であり,それに注意を払うのは生命の問題であることを認識していますか。

      13 円熟しつゝあるかどうかは,どのようにしてわかりますか。

      13 円熟に進んでいるかどうかは,いろいろな問題の解決策を自力で見つけられるかどうかによってもわかります。原則を考え,正しい結論を出すことができますか。何か尋ねられたとき,聖書から答えられますか。自分自身の問題また宣教に関連した問題を自分で解決しますか。またそうする力がありますか。そうであれば,コリント前書 14章20節を正しく理解していることになります。「物の考えかたでは,子供となってはいけない。悪事については幼な子となるのはよいが,考えかたでは,おとなとなりなさい」。(新口)

      14 仲間のクリスチャンとの関係において,どんな性質を表わすべきですか。

      14 忍耐強く,怒ることにおそいですか。仲間のクリスチャンのことで不平や不満がありますか。人によって親切だったり不親切だったりしますか。他の人のことを話したり,あるいは家族,会衆の人,新しい善意者など,他の人と話をするとき,徳を高める話をしますか。善良で快活な性質を持っていますか。すぐにふさぎ込みますか。伝道するとき,怒りやすく,また何時までも気を悪くしていますか。使徒パウロの次のさとしを心に留めていますか。「たがいに忍び合い,互に責むべきことがあるならば許しあいなさい。エホバもあなたがたをおゆるしになったのであるから,あなたがたもゆるし合いなさい」。―コロサイ 3:13,新世。

      15 (イ)クリスチャンが自分の行いに注意することは,なぜ必要ですか。(ロ)クリスチャン奉仕者は何を得ようと努めるべきですか。

      15 誘惑にすぐ負けますか。それとも誘惑に耐えられますか。道を踏みはずさないように足許を見守ることの必要を認識していますか。サタンは肉の弱さに何時でも目をつけており,呑むべき者を尋ねている敵です。そのことを忘れてはなりません。箴言 4章14,15節はたしかに知恵の道を教えています。「よこしまな者の道に,はいってはならない,悪しき者の道を歩んではならない。それを避けよ。通ってはならない,それを離れて進め」。(新口)すぐにわかる通り,円熟したりクリスチャンの道は真直ぐな道です。それから離れるならば,悲しむべき結果になるでしょう。円熟した強い心で正しい判断を下して誘惑を避けなさい。このようにして(他の人ではなく)自分を何時も吟味するとき,クリスチャンにとって円熟すること,全く成長した人になることがどんなにすばらしい事であるかを知るでしょう。

  • 新世社会内で円熟を目ざして努める
    ものみの塔 1963 | 10月1日
    • 新世社会内で円熟を目ざして努める

      「恥じるところのない錬達した働き人になって,神に自分をささげるように努めはげみなさい」。―テモテ後 2:15,新口。

      1,2 (イ)クリスチャンは何を望むべきですか。それを得るために何をしなければなりませんか。(ロ)この事には何が関係してきますか。各人は結果として何を得ますか。

      目ざして努めるとは,最終の目標を達成するために努力することです。クリスチャン奉仕者にとって,目ざすものはエホバからよみせられる事です。これにまさるものはありません。神の是認をかち得るために「努めはげみなさい」と,神のことばは教えています。もちろん人はクリスチャンの生活をしながら常にいっそうの円熟を目ざして歩まねばなりません。人生の他のものとは対照的な円熟の価値を,パウロは次のように言い表わしています,「わたしは……わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに,いっさいのものを損と思っている」。今日においても人生の歩みをすすめながら知恵と円熟を得ることの価値を,このように評価しなければなりません。―ピリピ 3:8,新口。

      2 これは簡単なことではありません。時間をかけ,頭を使い,かなりの勉強をすることが必要です。実を言えば勉強以上のことが必要です。円熟したクリスチャン奉仕者は「全き人」に成長することを望み,生命を与える貴重な教えを他の人々に授け得るよう十分に理解することを望んでいるからです。知識の豊かな人は,それだけ信仰も深く,確信と喜びも大きいものです。そして責任も重くなります。

      3 学習課程からどんな種類の知識を除くべきですか

      3 勉強は働きです。からだの運動と労働によって筋肉が発達するのと同じく,頭を使うことによって知的な能力は発達します。学校教育の型にならって定期的に勉強するのがいちばん効果的です。時間をかけなければならないのは当然です。この学習課程において,学習内容も等しく重要です。「この世の知恵は,神の前では愚かなもの……である」と述べたさとしを心に留めて下さい。クリスチャンはエホバへの奉仕に力をつくすべきであると述べてから,パウロは俗悪なこの世の知識を避けるようにとさとしました,「俗悪なむだ話を避けなさい。それによって人々は,ますます不信心に落ちてい(く)…であろう」。学ぶべき知識の中から俗悪なものを除く理由はここにあります。クリスチャンのおもな関心は永遠の生命の源と,このような生命を得るための要求を知ることにあるからです。こうして「真理の言葉を正しく」教えることが可能となります。―コリント前 3:19。テモテ後 2:16,15,新口。

      4 (イ)研究によってどんな種類の知識を得ますか。(ロ)勉強だけで十分ですか。

      4 教えを受けて知識と知恵を学んでゆく過程は,医科の学生が大学に通って医学を学ぶのと似ています。学生は初歩から高等に進むように組まれた教課の内容を徹底的に勉強します。ここまでは本と講義から知識を得る,おもに理論的な勉強ですが,実際に医療に携わる前に実習をしなければなりません。医学をおさめただけで医師の資格を得るのではありません。実地の経験がどうしても必要です。エホバの奉仕者についても同じ事が言えます。神のことばは,「御言を行う人になりなさい……ただ聞くだけの者となってはいけない」と教えているからです。―ヤコブ 1:22,新口。

      5 勉強だけではなぜ奉仕者になれませんか。

      5 熱心に勉強して正しい知識を学ぶことも大切

  • 証言となる良いふまいる
    ものみの塔 1963 | 10月1日
    • 証言となる良いふまいる

      ◇ カナダ,アルバータ州の奉仕者は,別のエホバの証者と共に,カルガリイ市のある家を訪問した時に出て来た婦人の話を知らせて来ました。「婦人が私たちにききました,『あなたがたはエホバの証者ですか』。そうですと答えると,婦人は私たちを家の中に招き,エホバの証者は品行が良く,他人にも思いやりがあるから尊敬していると言いました。話によると,彼女は以前婦人刑事で,仕事の関係上人のことを良く観察する習慣がついたとのことでした。ある日,彼女は御主人と一緒にブリティッシュ・コロンビア州のレストランに行きました。食事が来るのを待つ間,彼女はウェイトレスたちがお客さんに給仕する様子を見ていました。やがて彼女は御主人に言いました。『あそこにいる娘さんの宗教がなんだか分かるわ』。『おお,なんだね』。『エホバの証者よ』。二人はその給仕さんを呼んで聞いてみたところ,そのとおりでした。給仕が立ち去ったのち,御主人が言いました。『なぜ,エホバの,証者かどうか分かったの』。推理好きの彼女が答えました。『彼女の身のふるまい方,周囲の人たちに対する細かな心のつかい方から』。娘さんの良いふるまいにより,私はこの時数冊の雑誌を配布し,再訪問の取りきめもできました」。

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