-
知識を増して平和を追い求めるものみの塔 1963 | 4月1日
-
-
知識を増して平和を追い求める
「なんじの子らは皆エホバに教をうけ,なんぢの子らのやすきは大ならん」― イザヤ 54:13
1 視力はなぜそれほど大切ですか。
無数の事物の大きさや美を認め,周囲の出来事を見ることのできる健全な視力というものは,食物によってかなり左右されます。ごちそうは満足感を与えますが,それにもまして,はっきり見えるということは大きな満足感を与えるものです。遠近,物の大きさ,色彩,生きもののように動く機械,建物,働く人,遊びに興ずる人などを見守ったり,あるいは旅行してめずらしいものに目を留め,あるいは本を読んで過去や将来に思いをはせ,外国のことを考え,飛んだり泳いだりした子供の冒険の追憶にふけるのは楽しいものです。視力があればこそ過去と現在の戦争と争いを見,また平和を追うことができます。目を造ったもの,視力を支える食物の与え主エホバ神と和を求めるために使うならば,視力はすばらしいものです。
2 霊的な視力を保つために,何を用いなければなりませんか。
2 食物をとらなければ健全な視力を得られないのと同じく,あるいはそれ以上に,霊的な事柄を悟るには霊的な食物が必要です。毎日きまった時間にきまった場所で,定められた者のととのえた食物を食べるのと同様,霊的な食物も一定の時間に定められた場所で,この大切な食事を出す任にあたる者の備えるものをとらなければなりません。
3 環境は異なるにしても,勉強の場所には何が必要ですか。
3 霊的な食物をとる場所をどこに選ぶにしても,それは平和のある場所,ゆっくり考え,静かに思いをめぐらし,物事を考えぬくことのできる場所でなければなりません。それは家族そろって聖書を話し合い,学んでいる事柄に皆が注意を集中できる場所です。このような環境の益は詩篇133篇 1,3節に指摘されています,「視よはらから相睦みて共にをるは,いかに善くいかに楽しきかな またヘルモンの露くだりてシオンの山にながるゝがごとし,そはエホバかしこに福祉をくだし……たまへり」。
4 勉強の時間を計画するとき,何を導きにすべきですか。
4 時間は人によりさまざまであるにしても,霊的な食物から最大の益を得るには,わけを考え,比較考量し,研究中の事件を心に描いてみるためにはっきりした頭が必要です。残業をして夜おそくまで働いた後,あるいは一日の仕事を終えてからテレビを二,三時間みて勉強にとりかかっても,思うようにはかどらないでしょう。御自分も御家族も身をいれて勉強できるような時間を選んで下さい。コロサイ書 3章23,24節(新口)の言葉を心に留めておくのはよいことです。「何をするにも,人に対してではなく,主〔エホバ,新世〕に対してするように,心から働きなさい。あなたがたが知っているとおり,あなたがたは御国をつぐことを,報いとして主〔エホバ,新世〕から受けるであろう」。
5,6 (イ)グループの勉強の指導者として,だれが最も適任ですか。(ロ)これらの資質は個人的な勉強にもなぜ必要ですか。
5 これらの霊的な食事を世話する者は,それに与る人が多くても少なくても,平和を求める人であり,箴言 3章13-18節の述べる通り,霊的食物の大切なことを認識している人でなければなりません。「知恵を求めて得る人,悟りを得る人はさいわいである。知恵によって得るものは,銀によって得るものにまさり,その利益は精金よりも良いからである。知恵は宝石よりも尊く,あなたの望む何物も,これと比べるに足りない。その右の手には長寿があり,左の手には富と,誉がある。その道は楽しい道であり,その道筋はみな平安である。知恵は,これを捕える者には命の木である,これをしっかり捕える人はさいわいである」。本当の知恵はエホバ神から与えられることを認識するならば,家族あるいは他の人々と一緒に勉強する機会を熱心に待ち望むようになるでしょう。
6 人間は毎日何かの決定をしなければなりません。またその際に何かの基準となるものを用います。宗教の教え,過去また現在の人間の思想あるいは自分の利己的な考えなども加味されたものが,この基準になっています。人の信念は人となりに表われます。心に抱く考えが行動を支配します。従って神に奉仕し,聖書に従うことを望むならば,聖書を毎日学ばねばなりません。(エレミヤ 10:23。箴言 3:5,6)自分の考えが聖書に徹するように,各人が聖書を学ぶべきです。
平和の君は手本
7-9 (イ)すぐれた霊的視力を得るという点で,イエスはどんな手本を残していますか。(ロ)どんな種類の食物から,イエスはこれらの力を得ましたか。
7 神の言葉を常に学んだ手本として第一にあげられるのはキリスト・イエスです。(ヨハネ 17:3)イエスはエホバの原則に従って決定を下しました。(マタイ 19:3-6)イエスは子供の時から何時も聖書に親しんでいました。「イエスはますます知恵が加わり,背たけも伸び,そして神と人とから愛された」。(ルカ 2:52,新口)普通に山上の垂訓と呼ばれる,マタイ伝 5-7章に記録されたイエスの話を読むとき,イエスがどれほどヘブル語聖書に通じており,それを引用されているかに注目して下さい。イエスはまた将来を見通して,何が起きるかを預言しました。ペテロが3度,御自分をいなむであろうと弟子たちに言われたこともあり,(マタイ 26:34)また迫害を予見されました。ヨハネ伝 16章2節と使徒行伝 8章1節をくらべて,その予見の正しかったことを確かめてごらんなさい。
8 イエスは遠い将来のことさえ見通しています。マタイ伝 24章,ルカ伝 21章にあるイエスの預言はいま成就しており,健全な霊的視力を持つ人はそれを見ることができます。
9 イエスはすぐれた霊的な悟りを持ち,天の父の御心を第一にする重要性を悟っていました。それで「わたしの食物というのは,わたしをつかわされたかたのみこころを行い,そのみわざをなし遂げることである」と言われました。(ヨハネ 4:34,新口)イエスにはエホバ神からくる平和があり,この平和を求めてそれを得ることをイエスは他の人々に教えました。
10-13 (イ)つりあいを保つため,また他の人を効果的に教えるために準備が必要なことをたとえで説明なさい。(ロ)どんな知識が肝要ですか。なぜそれに正確を期すべきですか。
10 イエスの教えた事柄は聖書に記録されており,マタイ伝 5章6節(新口)に「義に飢えかわいている人たちは,さいわいである,彼らは飽き足りるようになるであろう」と言われた種類の人であれば,たしかに平和を得ることができます。しかし救われるには,このようなすばらしい事柄を語り告げるのをさしひかえてはなりません。「人は心に信じて義とされ,口で告白して救われるからである」とロマ書 10章10節(新口)にある通りです。
11 教えられた者は教える者となります。そして教えるには知識が必要です。教える者としてパウロはテモテに命じました,「わたしから聞いたことを,さらにほかの者たちにも教えることのできるような忠実な人々に,ゆだねなさい」。(テモテ後 2:2,新口)人は新しいこと,興味深い事柄を学ぶことができます。食事の支度をするのにあちこちで手間を省いたり,結局できたものは軽食かサンドイッチに過ぎないことがあります。このようなものからは余り力が得られません。それでこの頃からだの調子がよくないのはどうしてだろうなどと考えます。従って他の人に教えるだけの力を得るのは,単に知識を得るというだけのことではありません。
12 他の人にこれらのことをゆだねるというのであれば,よく考え,いろいろな信条の人に理解してもらえるように教えるにはどうすればよいかを考え抜かねばなりません。多くの霊的食事を準備することが必要です。他の人に聖書の真理を十分に理解してもらいたいと思うならば,自分がまず手落ちなく理解していなければなりません。神に関する知識を他の人に教えることができ,またエホバから平安を得ている私たちは,他の人々が神との和を求めるのを援助できます。
13 しかし正確に教え,また人の心にふれる教え方をしなければならない理由はほかにもあります。教えを受けた人が「さらにほかの者たちにも教えることのできるよう」に,教えなければなりません。あり合わせのもので自分のために簡単な食事を準備するのと,人をよんでごちそうするのとでは大きな違いです。しかしこのようなごちそうを準備することを他の人に教えるとなれば,それは更に大きな相違です。真理を教えられたこれら忠実な人々は,他の人にそれを伝えます。しかし人間の哲学を加えたり,妥協を許すために真理をまげたり,あるいは新しいことを教えたりしてはなりません。地上のどこにいても柔和な人々に,エホバの真理を正確に伝えなければなりません。それは柔和な人が神の御心を知り,また神からの平安を得るためです。それで平和を求めるにあたって,エホバ神のみならず,御自分を犠牲にささげた御子イエス・キリストのことを正確に知らなければならない理由が分かります。霊感の下に聖書を書いたペテロは,平和を求める人々のために次の祈りの言葉をしるしました,「神とわたしたちの主イエスとを知ることによって,恵みと平安とが,あなたがたに豊かに加わるように。いのちと信心とにかかわるすべてのことは,主イエスの神聖な力によって,わたしたちに与えられている。それは,ご自身の栄光と徳とによって,わたしたちを召されたかたを知る知識によるのである」。―ペテロ後 1:2,3,新口。
14 善意者を教えるとき,何時も聖書を使うことにはどんな大きな価値がありますか。
14 イエスはその地上の宣教において,人々の理解できる言葉を使い,また聞いた人が自分の聞いたことを他の人に話せるように,真理をやさしく説明しました。(ヨハネ伝 4章,ルカ伝 24章)真理はそのように分かりやすく説明しなければなりません。分かりやすく教えるには,深い知識が必要です。神の言葉である聖書のどこにそれがあるかを,示さなければなりません。そうすれば聞いた人は説明の言葉をたとえ忘れても,聖書を開いてもう一度読むことができます。聖書には1900年前にイエスが「あなたの御言は真理であります」と言われたときに書かれていた事柄がそのまま今でもしるされています。―ヨハネ 17:17,新口。
15 どうすれば勉強は退屈なものでなくなり,楽しみになりますか。
15 このような知識を身につけるには,勉強が必要です。知識を得るのは,沢山の本を読み,退屈な事実をこつこつ調べるやっかいな仕事であると考えないで下さい。むしろそれは霊的な食事であって楽しみともなります。エホバの宝は熱心に追い求めるべきものです。調理に手をかけてあらゆる味合いを生かした料理は,実においしいものです。それを期待通りに満喫して十分に味わうには,時間をかけて準備し,また賞味しなければなりません。霊的な食物もそれと同じことです。箴言 2章4-6節に約束された報いを得るには,研究しなければなりません。「銀のごとくこれを探り,かくれたる宝の如くこれを尋ねば汝エホバを畏るることをさとり神を知ることを得べしそはエホバは智恵をあたへ,知識とさとりとその口より出づればなり」。
知識は緊急に必要
16 (イ)どんな理由を考えるとき,定期的な勉強をすべきですか。(ロ)霊的食物の必要なことをたとえで説明しなさい。
16 知識は緊急に必要です。その理由はいろいろありますが,まず今は悪の世の終りを見ることのできる時代です。「今は悪い時代」であり,悪は増しています。(エペソ 5:16,新口)必要なものは知識です。神の僕と自称した人々でも,知識のないために滅びました。(ホセア 4:6,9)知恵の神をあなどることはできません。来るべき楽園の世界に生命を得る人に要求される事柄を,神は定めました。それで特別な人だけが知識を増し加えればよいという間違った考え方をしてはなりません。食物と水は生きてゆくためにどうしても必要です。生命をささえてゆくのに,これに代るものはありません。同じく知識を得るには,勉強する方法しかありません。それは間違いのない事実です。「永遠の命とは,唯一の,まことの神でいますあなたと,また,あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります」。(ヨハネ 17:3,新口)しかし「エホバの法をよろこぶ」ことも,知識を熱心に求める別の理由です。(詩 1:2)この態度を持つ人はエホバ神によく用いられ,神の制度内で成長するように多くの人を助け,平和の道を隣人に知らせるわざをすることでしょう。食物を人にすすめなければならないことも,よくあります。「わが子よ,蜜を食べよ,これは良いものである,また蜂の巣のしたたりはあなたの口に甘い。知恵もあなたの魂にはそのようであることを知れ,それを得るならば,かならず報いがあって,あなたの望みは,すたらない」。―箴言 24:13,14,新口。
17-19 会衆で学ぶすべての事においついてゆくための時間を生み出すには,何が必要ですか。
17 知識を得るために解決しなければならない時間の問題を考えて下さい。いちばん良い時間はいつで,どれだけの時間を勉強にあてることができますか。時間を有効に使って最大の益を得るどんな方法でありますか。勉強についやした時間は,きわめて利の大きな投資であると考えて下さい。時間を無駄なく使わなければなりませんが,栄養失調になって死ぬ金持ちのようにけちに使うべきではありません。パウロはエペソ書 5章15,16節によいさとしを与えています,「そこで,あなたがたの歩きかたによく注意して,賢くない者のようにではなく,賢い者のように歩き,今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである」。(新口)
18 勉強の時間を決めたならば,毎週,会衆の集会に出て聖書を研究する分をまず家で十分に準備できるだけの時間をとって下さい。「ものみの塔」や「目ざめよ!」に載せられる有益な記事を読むことを望まれるでしょう。知識を求めるとき,聖書の教え,他の人から質問される事柄をしらべ,研究するようになります。このような研究にはすべて時間が必要です。
19 一週に三晩は会衆の集会に出席し,ほかの日の晩に善意者との聖書研究を司会している人は大ぜいあります。それにしても勉強や他のことに使える晩が三晩のこっています。家族そろって神の言葉を学ぶために,そのうちの一晩を用いてはいかがですか。
20 きめておいた勉強をとりやめるか延期するとすれば,それはどんな場合ですか。
20 成果を得るには,このような勉強の時間をきちんと決めて実行し,何かほかの事が起きてもそのために勉強を延期しないようにすることが大切です。マタイ伝 6章33節に述べられたエホバの言葉の原則に従いましょう。「まず神の国……を求めなさい」。(新口)きめてある勉強を延期するのは,エホバの目から見てもっと大切な事をしなければならない時だけです。
なぜ勉強するか
21 エホバを知り,その御心を知ることができるかどうかは,何によって決まりますか。
21 おそらくいちばんよく尋ねられるのは,「どんな方法で勉強するのがよいか」という質問です。まず最初からいちばん大切なのは,正しい勉強の態度です。どんな動機で知識を求めているかによって,エホバの助けがずっとあるかどうかが決まります。マタイ伝 13章23節は,この事を示すたとえです。「良い地にまかれたものとは,御言を聞いて悟る人のことであって,そういう人が実を結(ぶ)……のである」。(新口)
22 知識にすすむため,どんな事実を認識しなければなりませんか。
22 次のいろいろな事実をしっかり心に留め,それが自分の考え方になるまで何度も思いかえしてみるべきです。そうすれば,知識の追求をやめることはありません。クリスチャンは知識を増し加えることが必要です。(ヘブル 5:12–6:2。テモテ後 2:15。エペソ 4:13)エホバは教えを授けます。(イザヤ 30:20)キリスト・イエスは主なる先生です。(マタイ 5:2; 13:1-52。マルコ 4:1,2; 9:31。ヨハネ 3:2; 13:13; 15:1-8; 20:16)知識を得るには,天の神とキリストを師と仰いで教えを受けなければなりません。(イザヤ 54:13。ヨハネ 6:45)エホバの御霊は知識を得るために是非必要です。(ヨハネ 14:26; 4:24。使行 1:16。ペテロ後 1:21。コリント前 2:10)エホバは聖書の中に御自分を啓示され,また御目的を啓示されました。聖書は神の知恵の宝庫です。(テモテ後 3:16,17。ヨハネ 17:17。ペテロ後 1:19,21)エホバは御自分の制度を用いて御自分の民を教え,養います。(マタイ 24:45-47)ですから「忠実な思慮深い僕」の述べる真理を疑わずに信じなさい。(マタイ 24:45。コリント前 13:7)エホバは柔和な者だけに教えを授けます。(詩 25:9)エホバから教えられる人は平安を得ます。(イザヤ 54:13。詩 119:165)他の人を益するために知識を得なさい。(箴言 15:28; 20:5; 14:25)エホバがその民に求め給うものは知識だけではありません。(ペテロ後 1:5-8)正確な知識を得ることが必要です。(テモテ前 2:3,4。コロサイ 3:2,9,10)信仰は正確な知識に従って築かれるものです。(エペソ 4:13。コロサイ 2:6,7)学ぶ者は真理を理解するにつれて,言い表わさなければなりません。(ガラテヤ 6:6)ひとりよがりの考えを抱くことはできません。キリストに従った思いを持つべきです。(コリント後 10:5)知識を得るには助けが必要です。(箴言 4:18。コリント前 2:13。ルカ 24:32)耳を傾けて聞き,学ぶのは務です。(ヘブル 2:1)知識を得るための確固とした態度,訓練が必要です。(マタイ 16:21-23。箴言 4:13; 17:10)感謝して真理を受け入れなさい。(ヤコブ 1:21)祈りつつ知識を求めなさい。(ヤコブ 1:5-7。マタイ 7:7。マルコ 11:24。コロサイ 1:9,10)あらさがしをしないこと。(ロマ 8:5。使行 17:11)知識を得るのに近道はなく,勉強に代る方法はありません。(テモテ後 3:16,17。箴言 2:1-7)真理を心に留めるのに,復習は肝要です。(ヨハネ 14:26。ペテロ後 1:12; 3:1,2。ロマ 15:14,15)知識を頭に入れるには熟考することが肝要です。(箴言 15:28。詩 77:12。創世 24:63。テモテ後 2:7)知識は生命につながっています。(ヨハネ 17:3。マタイ 4:4)知識は考える能力を守り,また成長させます。―箴言 3:21,22; 2:1,10-15。
23 たとえはどんな役目をしますか。
23 たとえ話は理解を助けます。イエスの教えた事柄を学ぶと,多くの面白いたとえが使われているために,言おうとしている事柄をはっきり理解できるのに気づくでしょう。マタイ伝 13章34,35節,15章15節は,イエスのたとえ話の典型的なものです。イエスは,農夫,漁夫,主婦その他の人々が容易に理解できるたとえを使いました。今日エホバの証者の使う出版物はさし絵が豊富に入れられています。たとえば「失楽園から復楽園まで」に入れられているさし絵をごらんになり,それが記事の理解にどう役立っているか注目して下さい。
読んでいる事柄を肌に感じとる
24-30 士師記 6-8章の中で,この出来事を記憶し,エホバを知る知識を加えるのに役立つどんな点が心に銘記されますか。
24 これらの原則を学びとって正しい心がまえが出来たならば,興味のつきないエホバの言葉の探究を始めることができます。眼前に展開する出来事をはっきり理解するため,その光景を心に思い浮かべてみるのは良いことです。士師記 6-8章を読んで,裁き人がイスラエルを治めた時代に思いをはせ,農夫ギデオンと行動を共にしてみましょう。ギデオンに現われたエホバの御使は,イスラエルをミデアン人の手から救う器としてギデオンが選ばれたことを証明しました。それから色々な出来事が次々に起きます。夜になってバアルの祭壇が打ちくずされ,エホバの祭壇が築かれたので,町の長老たちはギデオンを殺そうとしてその姿を探し求めます。ギデオンの父はバアルに挑戦する言葉を述べて人々を去らせます。ギデオンの使は3万2000人の兵士を連れてきます。さて神からもう二つのしるしを得て確信を抱いたギデオンは,エズレルの谷に陣をとったミデアン人から5マイル離れていないハロデの井戸に向かって進みます。
25 しかし意外なことが起きました。ギデオンは,むかし軍隊の指揮をとる者にエホバが命じたことをします。「つかさたちは……言わなければならない。『恐れて気おくれする者があるならば,その人を家に帰らせなければならない。そうしなければ,兄弟たちの心が彼の心のようにくじけるであろう』」。(申命 20:8,新口)2万2000人が家に帰ったことを知るとき,心がくじけてしまいますか。うんかの如きミデアン人の大軍を前にして,いったいどうすればよいのですか。ギデオンの計略や,いま1万人に減った軍勢の大きさを敵に知られたならばどうなるでしょうか。
26 兵士たちは水ぎわに連れてこられます。立ち止まって水を飲みます。手早く水をすくって飲んだ300人がわけられました。ひざをかがめて水を飲んだ9700人は,家に帰るように命ぜられました。「ひとりを撃つようにミデアンびとを撃つことができるでしょう」とギデオンに語った天使の言葉が,思い起こされます。(士師 6:16,新口)しかしこんなに小人数の兵士で? ハロデの井戸の名が「ふるえ」を意味するのも当然です。
27 こんどは300人の一人になったと考えてごらんなさい。勝利を得るならば,それは自分たちの力ではなくエホバの力によることをいま確信できます。疑いを捨て,ギデオンを通して与えられるエホバの指図に従うのがよいことです。その場にいた者にも,将来の人々にもエホバの強調されていることが,いま理解できます。それは指図に従うという事です。
28 夜のとばりがおりて,敵の天幕を探ったギデオンは心を強くします。そして陣営に戻ると300人を3組に分け,各人に不思議な武器,ラッパと,つぼにともしたたいまつを与えました。ギデオンはその使い方を教え,また合図を教えるでしょう。
29 夜中になって出発します。四方から迫る暗やみは,壁のように物音を消してしまいます。だれかが暗やみの中でころんで敵の目をさましたり,あるいはギデオンの合図を待ちきれずに,神のとりきめを無視して先走るならばどうでしょうか。緊迫した空気がひしひしと感じられます。何秒という時間が何時間にも思われます。いよいよ近づきました。部署につく歩哨の息を殺した声さえ聞えてきます。天幕の兵士たちは眠りこんでいます。すると突然301人の吹くラッパが鳴り渡り,301のかめが砕かれ,301人の声が「エホバの剣ギデオンの剣なるぞ」と叫ぶと共に301のたいまつがいっせいに高く掲げられました。
30 ミデアン人は大恐慌に陥りました。大混乱に陥った無数の天幕では同志うちが始まり,ミデアン人はけわしい土地の上を先を争って逃げ出したのです。しかし同志うちにあったり,あるいはギデオンの命によりヨルダンの渡し場で逃げ道をふさいだイスラエル人の剣にかかって12万人が殺されました。
31 (イ)後日に備えて記憶に留めておくための良い方法は何ですか。(ロ)しかし心に留めておくべき最も肝要な点は何ですか。
31 この光景を忘れることはできません。それで勉強しているとき,読んでいる事柄を感じとるようにすれば,忘れる心配はありません。すべての感覚を働かせなさい。心に光景を思い浮かべなさい。想像力を働かせなさい。その出来事の中の一人物になってごらんなさい。食物を味わい,馬を走らせ,岩をよじ登り,ラッパを吹き,濡れた草を踏んで歩くなど,その場に自分がいることを想像し,その場の空気を感じとりなさい。そうしながら,そこに与えられている教えを自分に適用しなさい。なぜその行動がとられたか,エホバの御心がどのように関係しているかを心に銘記するとき,この知識を必要に応じて役立たせることができます。ギデオンの行いは聖書にしるされて長く記憶されていることに注目して下さい。また更に重要なことにエホバが勝利を与えられたことを心に留めて下さい。―サムエル前 12:11。詩 83:9,11。イザヤ 9:4; 10:26。ヘブル 11:32。
-
-
日毎に知識を増し加えなさいものみの塔 1963 | 4月1日
-
-
日毎に知識を増し加えなさい
1 人間の知恵を得る人と神の言葉の知恵を得る人との成長をくらべなさい。
聖書から新しく学んだ事柄を快よく受け入れない人が往々にしています。疑いなくそれは聖書の真理と一致しない自分の考えを捨てなければならないからです。神の教えをおいて,人間の知恵に固執しているならば,いかに知識をふやしても,それは人を誇らせ,ねたみ,争い,疑いに満ち,平安のない不健全な心を生み出すに過ぎません。(テモテ前 6:3-5)自分の人格をあらたにし,利己的な考えを捨てて,聖書の原則に固く従うとき,大きな幸福を味わいます。(エペソ 4:22-24)そして以前のことを考えてみると,前に抱いていた考えが理にかなっていないこと,いまは真理と論理に従って聖書全体にわたり,詳細な理解を得ていることに感慨をあらたにすることでしょう。
2,3 勉強中に参照の聖句をひいたり,辞書その他をしらべることは必要ですが,その際に何を避けるべきですか。
2 与えられている時間内で最大の効果をおさめるには,研究している主題からはなれないことが大切です。辞書をひいてある言葉の意味をしらべるにしても,その頁にある全部の語の定義を読んでいたのでは,勉強がはかどりません。主題をまず頭にいれておき,それを裏づけるための,関連した事柄はそれぞれの場所において考えるようにしなさい。そうしないと,知識は未完成の絵合わせのようになってしまい,主題から離れなければ,エホバの御心を示す完全な絵になるものが,ばらばらでまとまらないままになってしまいます。たとえば前の記事の中で,士師記 7章2節にある主題をつかんでいなければ,ギデオンについて読んでも,ほとんど得るところがないでしょう。
3 エホバの証者の使う出版物には,沢山の聖句が参照されています。引用されていないのは紙面がそれを許さないからです。言おうとしている事を十分につかむには,これらの聖句を読むことが肝要です。そうでなければ別に参照されてはいないでしょう。前の記事の22節に参照されている聖句を読めば,次の要点が銘記されます。すなわち知識とその働きについてこのように多くの事実を啓示されたエホバは,どのように教えるかをご存知であるという事です。
4,5 (イ)真理を定期的に復習することから,どんな望ましい祝福が得られますか。(ロ)神に関する知識を求めるための助けは,どこにありますか。
4 学んだ事柄は復習によって銘記されます。またそれを表現して他の人に伝えるためにも,復習することは必要です。復習するのに良い方法は,学んだ事を他の人と話し合うことです。くり返しているうちに,それは自分のものになります。ペテロはこう書きました,「わたしは今この第二の手紙をあなたがたに書きおくり,これらの手紙によって記憶を呼び起し,あなたがたの純真な心を奮い立たせようとした。それは,聖なる預言者たちがあらかじめ語った言葉と,あなたがたの使徒たちが伝えた主なる救主の戒めとを,思い出させるためである」。(ペテロ後 3:1,2,新口)エホバの御霊は,学んだ事を思い起こさせます。(ヨハネ 14:26)学んだ知識を活発に討議して復習することは,励みとなり益となります。パウロがローマにいる仲間のクリスチャンをおとずれたのも,会うことによって互いを励ますためでした。「わたしは,あなたがたに会うことを熱望している。あなたがたに霊の賜物を幾分でも分け与えて,力づけたいからである。それは,あなたがたの中にいて,あなたがたとわたしとのお互の信仰によって,共に励まし合うためにはかならない」。―ロマ 1:11,12,新口。
5 エホバの証者のように教えるわざに没頭している組織には,研究方法について役に立つ提案が用意されているものと当然に期待できます。それだけでなく,研究に役立つ貴重な手引がたくさん準備されています。
6 勉強に用いるものとして,まず何がありますか。あなたの持っているのは,どんな種類ですか。
6 まず御自分の聖書をしらべてごらんなさい。目次を見ると,本の名前,どの頁にそれぞれの本があるかはすぐにわかります。同じ問題に関連した他の聖句を参照できるようにした引照付の聖書もあります。新世界訳聖書(英文)の最初の版には,脚注のほか,連鎖式の貴重な引照がついています。これは編集に何ヵ月もの研究を要するぼう大なものですが,読者の便宜のためにつけられました。新世界訳の最初の版によって創世記をみると,欄外に沢山の注があって聖句の理解に役立つことがわかります。たとえば創世記 1章16節の注aには,「『造る』,1,21,27節および2章3節における如く『創造する』ではない」とあります。これによって相違が明らかです。
7 聖句索引はなぜ役に立ちますか。あなたの索引にはどんな特色がありますか。
7 聖句索引を座右に備えておくと,聖句をさがすときに便利です。中心となる言葉たとえば「教える」という語だけを覚えている場合でも,たいてい聖書のうしろに付いている索引(これは英語の聖書の場合です)を見ると,この言葉を含む他の聖句がいくつもしるされています。あるいは平和という問題について知りたいとき,索引を使って「平和」という言葉をひくと,沢山の聖句が出ており,広い視野に立ってこの問題をしらべることができます。それぞれの索引には特色がありますから,それを生かして使うため,使い方の説明をよく読んで下さい。
役に立つ聖書の手引
8-10 エホバの証者の出版物がどのように役立つかを説明しなさい。これらの本を備えておくのはなぜですか。
8 エホバの証者の出版物は,勉強に役立つように作られています。「御心が地に成るように」(英文)の378頁には,「世界強国」の見出しの下に七つの世界強国の名前と,それに関連して参照すべき頁がしるされていますから,これをしらべることにより歴史および神の御目的という観点からの理解が得られます。「地獄の火」の教えについて知るには,「神を真とすべし」の索引によって97頁を見ると,この教えについて真実のことがしるされています。「すべての良いわざに備える」と題する本には,聖書のひとつひとつの本の内容,筆者,それぞれの本にはどの時代のことがしるされているか,聖書の言語などについてくわしく説明されているほか,各種のほん訳や聖書の言語構造の問題もとりあげられています。
9 これらの本には聖句索引がついています。たとえば「主にある者」と結婚すべしと述べたコリント前書 7章39節の意味を知りたいとき,「これは永遠の生命を意味する」の聖句索引を使ってこの本の149頁を開き,説明を読むことができます。毎年末に出る「ものみの塔出版物の索引」(英文)は聖句および題目の索引です。これを使ってコリント前書 7章39節をひくと,1960年および1961年の「ものみの塔」に,結婚に関する資料が沢山あることがわかります。
10 それぞれの本にある特色も見逃してはなりません。「新しい天と新しい地」の358頁にある年表には,キリスト前4025年のアダムの創造から1945年の国際連合成立に至るまでの主要な出来事の年代がしるされ,参照聖句も併記されて完璧なものになっています。「あなたはハルマゲドンを生き残って神の新しい世にはいれる」(英文)の367頁には,地上に永遠の生命を享ける生存者を描いた聖書の42の預言がしるされています。「御心が地に成るように」(英文)の365頁には,キリスト前607年から西暦1926年に至る期間の世界強国の年代表があります。「すべての事を確かめよ」は,70の主要な題目別に沢山の聖句を編集して集めた本です。また1961年版の新世界訳聖書(英文)には,地図,難しい聖句の説明その他の付録がついています。霊的な食事のコースとしてこれらの出版物を使うならば,十分の滋養が得られるでしょう。どの本に何があるかを知りなさい。自分の持っているいろいろな本の内容を知っておくべきです。
11 聖書辞典が事実をしらべるのに役立つのはなぜですか。しかし教義と預言については,なぜ全面的に信頼できませんか。
11 聖書辞典は,とかく調べるのを怠りがちな詳しい事を知るのに役立ちます。聖書自体はつきることのない,新しい事の源です。聖書には国の歴史,文明から日常生活,風習までおよそ何でも書かれていますが,何時もくわしい事まで書いてあるとは限りません。たとえば家の調度についてアモス書 3章12,15節,6章4節,エゼキエル書 27章15-24節,箴言 7章16,17節,31章21-24節をごらん下さい。聖書辞典の「家」の項を見ると,更にくわしいことがわかります。しかしひとつ注意していただきたいのは,これらの辞典の編者がいろいろな宗派の人であって,辞典により異なった意見を述べているという事です。教義また預言の分野になると,聖書辞典は信頼できる手引ではありません。教義また預言に関する知識を得るために信頼できる手引は,コリント前書 1章10節にかなうものです。「みな語ることを一つにし,お互の間に分争がないようにし,同じ心,同じ思いになって,堅く結び合っていてほしい」。(新口)
日毎に霊的な食物
12 日毎に知識を加えるために,何が準備されていますか。それはエホバの証者のためだけですか。
12 毎日の食事を欠かさないことがからだの健康を保つのと同じく,日毎に神の言葉を学ぶことから力が得られます。その日だけの力ではなく,すでに得た知識に加えてゆくことによって,キリスト・イエスの手本にならいつつ円熟と全き成長に進むことができるのです。英語とドイツ語で毎年出版されるエホバの証者の年鑑は,この日毎の必要をみたすためのものです。年鑑には一日ひとつの聖句と,それを説明した「ものみの塔」の節がのせられています。これは神に善意を持つ何十万人の人々によって利用されています。他の言語の場合には,「ものみの塔」に日々の聖句がのせられており,「ものみの塔」のどの号にその説明があるかもしるされています。
13-16 (イ)どうすればこれを最大限に利用できるかを説明しなさい。(ロ)毎日これを実行することからどんな益が得られると,聖書は,述べていますか。
13 これを利用するならば,実に多くのことを学べます。たとえば1962年9月23日の聖句はヘブル書6章1節の言葉,「完成を目ざして進もうではないか」でした。これは肉体のことではなく,クリスチャンとして知識,理解,良い性質,聖書を教える能力の面で霊的に成長することを指しています。
14 1961年9月15日号「ものみの塔」からとられたこの聖句の説明によると,人は何歳になっても学ぶ意志を持ち,心を若くしておくことができます。そしてクリスチャンの円熟を得るため何年にもわたって勉強をつづけることから得る益は大きなものです。簡単に言えば,どんなに年をとっても学ぶことができます。「円熟にむかって進歩する」と題するこの記事は,知識を活用し,知識に進むために役立つ事柄を述べています。
15 聖書のヘブル書 5章を読み,それにつづく6章の最初の1節になぜその言葉が述べられているかを考えてごらんなさい。またヘブル書 5章11-14節は,何時になっても学びつづけることの必要を述べているのに気づかれるでしょう。日々の聖句の出ている章全体を毎日読むことにすれば,毎年,聖書の3分の1を読むことになります。
16 6巻になった新世界訳聖書(英文)の連鎖式引照を使うと,日々の聖句に関連した他の聖句を読むことができ,理解を深めることができます。ヘブル書の最初の5章は,聞いたこと,学んだことに注意するという問題を採りあげています。円熟に成長するため,日毎に霊的な食物をとることは,箴言 8章32-34節によくまとめられています,「今わたしの言うことを聞け,わたしの道を守る者はさいわいである。教訓を聞いて,知恵を得よ,これを捨ててはならない。わたしの言うことを聞き,日々わたしの門のかたわらでうかがいわたしの戸口の柱のわきで待つ人はさいわいである」。(新口)
17 (イ)これらの手引の価値を認識する人は,何をしますか。(ロ)しかし知識を得るかぎは何ですか。
17 知識に進みつづけるかぎは,最も偉大な師の祝福の下にとどまることです。その知恵はつきることがありません。日毎に知識を増し加えることは大きな楽しみであり,それは生活全般にわたる基礎となります。(箴言 4:10-13,18)知識に進む唯一の道は,それを活用することです。―ホセア 4:6。
18,19 最大の楽しみは霊的食物を食べることにありますか。
18 娘に料理を教えない母親,息子に仕事を教えない父親をどう思いますか。このような親は余り尊敬されません。このような親を持つ子供は成人となってからも,親から教えを授けられなかったことを何時も残念に思うことでしょう。食物は食べるものではあっても,まず準備しなければなりません。それを学ぶことが必要です。そうすることには大きな楽しみがあります。
19 霊的な食物についても同じことが言えます。貴重な知識を自分だけのものにしておくのはもったいない事です。次のように書いたパウロはそう感じていました,「もし福音を宣べ伝えないなら,わたしはわざわいである」。(コリント前 9:16,新口)エホバの言葉は知識の宝庫です。しかしそれは知識を頭の中に入れてこそ,言えることです。願っているだけでは知識は得られません。勉強,定期的な勉強,益になる勉強,この知恵を活用するという動機で学ぶことによって,知識を頭の中に入れることができます。また他の人に知識を与えたいと願っているだけでは実際の益になりません。知識には伴侶があります。すなわち知識を他の人に分かつ責任です。
20,21 (イ)知識は何をともないますか。(ロ)聖書は,どんな道を避けることをすすめていますか。
20 知識を得るとき,責任をはたせるだけでなく,神に奉仕するため,どんな責任をはたすべきかを知ります。いまの世の中には責任を避けようとする風潮があります。パウロはテモテ後書 3章5節に,人々は「信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう」と述べて,この事を預言しました。多くの人は責任と名のつくものを見れば,すぐに逃げてしまいます。しかし考えてみると,他の人が責任をはたしているために恩恵をこうむっていることは沢山あります。たとえば食物にしても,生産し,流通機構にのせ,調理して最後に食卓にのぼるまで,何人の人が働いているかを考えてごらんなさい。これらの仕事に携わる人々が各自の務をはたしたからこそ,食物が人の口にはいるのです。ほかの事柄にしても,人が責任をはたさなければ,大ぜいの人が迷惑します。自分で何もかもしなければならない事になるでしょう!
21 聖書,また聖書を理解するための手引,家庭や神の民の会衆において真理を教えるために払われている努力に対して感謝しなければなりません。他の人の熱意に心を打たれることはよくありますが,それでもパウロは,「人はそれぞれ,自分自身の〔責任の〕重荷を負うべきである」と言明しています。(ガラテヤ 6:5,新口)神の言葉を学んで知識を得るにつれて自分のものとなる特権にしりごみするよりも,雄々しく,強くなることが必要です。
教える制度
22 責任をはたすことを,だれが教えますか。このような者にはそうする資格がありますか。
22 エホバが御自分の証者たちを集めた地上の制度は,柔和な人々に真理を教え,またその人々が責任をになうのを助けるために組織されています。エホバの証者の新世社会には,いろいろな職業,社会的地位の人がいます。その多くは大学出ではありません。それでも聖書を知っており,教えることができます。神の言葉を人に教える務を熱心にひき受け,はじめ抱いたのと同じ神への愛,霊的な食物に対する認識をもって,くる年もくる年も教えるわざに励んでいます。この人々はいちばん幸福であり,いちばん平和な人々です。退いて知恵におくれ,霊的に全く成長するとき得られる祝福を見逃すべきではありません。知識にすすみ,大いなる師エホバにますます有用な者となりなさい。エペソ書 4章11-13節はそのことを強調しています,「そして彼は,ある人を使徒とし,ある人を預言者とし,ある人を伝道者とし,ある人を牧師,教師として,お立てになった。それは,聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ,キリストのからだを建てさせ,わたしたちすべての者が,神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し,全き人となり,ついに,キリストの満ちた徳の高さにまで至るためである」。(新口)円熟です!
23,24 (イ)責任をはたすことには何が含まれていますか。(ロ)他の人を教えて教える者とならせるには何が必要ですか。
23 他の人を教える責任というのはつまり,マタイ伝 28章19,20節にイエスの言われた奉仕の特権を受け入れることです。「行って,すべての国民を弟子として……あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ」。(新口)パウロは次のようにも言いました,「堅い食物は,善悪を見わける感覚を実際に働かせて訓練された成人のとるべきものである」。―ヘブル 5:14,新口。
24 自分の語ることが,エホバの真理の言葉と一致していることを確かめねばなりません。知識を得ることにたゆんではなりません。学ぶにつれて,得た知識をまげることなくそのまま他の人に与えなさい。教えられた人は,真理を正確に他の人に教えなければならないからです。―テモテ後 2:2。
25,26 (イ)ルカ伝 6章38節はこの事にどう結びつきますか。(ロ)日毎の霊的食物に無関心でいることは,どのように危険ですか。
25 心は宝の庫です。エホバの庫から聖書の宝を得て,御自分の心をみたして下さい。そして教えを聞く柔和な人にこの富を与えるとき,ルカ伝 6章38節に述べられた祝福を体験できます。「与えよ。そうすれば,自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ,ゆすり入れ,あふれ出るまでに量をよくして,あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたの量るその量りで,自分に量りかえされるであろうから」。(新口)
26 神の知識を捨てたために災を招き,神に奉仕することを全く,そして永遠にやめてしまった人々のことが聖書に出ています。アダム,ソロモン,ユダなどをすぐにあげることができます。また常に学んでも真理を悟ることのできない人が多い終りの時であることに留意して下さい。(テモテ後 3:7)師であるエホバから決して離れてはなりません。そうすればこのような災の道を避けられます。またエホバを賛めることに自分の知識を用いて下さい。エホバから与えられる知識は清く,エホバは学ぶ者を保護して下さるのみか,その言葉の清いこと,御自身がそれを清く守ることを保証されています。―箴言 30:5,6。詩 12:6,7。
27 エホバの知恵を得るために最も望ましい態度はどんなものですか。
27 この事に終りはありません。生命を望むすべての人は,多くのすばらしい事をエホバから常に学ばなければならないからです。エホバを師と仰ぐ人は,永遠までも他の人々に語り告げるのをやめることはできません。しかしいま詩篇 119篇97-105節に歌われた学びの庭のふんい気の中で,知識を求めるときの正しい態度を心に思いかえして下さい。「いかにわたしはあなたのおきてを愛することでしょう。わたしはひねもすこれを深く思います。あなたの戒めは常にわたしと共にあるので,わたしをわが敵にまさって賢くします。わたしはあなたのあかしを深く思うので,わがすべての師にまさって知恵があります。わたしはあなたのさとしを守るので,老いた者にまさって事をわきまえます。わたしはみ言葉を守るために,わが足をとどめて,すべての悪い道に行かせません。あなたがわたしを教えられたので,わたしはあなたのおきてを離れません。あなたのみ言葉はいかにわがあごに甘いことでしょう。蜜にまさってわが口に甘いのです。わたしはあなたのさとしによって知恵を得ました。それゆえ,わたしは偽りのすべての道を憎みます。あなたのみ言葉はわが足のともしび,わが道の光です」。(新口)
文語訳を使つて,聖書を一日に5頁ずつ読むならば,328日間,あるいは,11ヵ月たらずで,聖書全体を通読することになります。日課の一つとしてはいかがですか。
-