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    ものみの塔 1985 | 6月15日
    • 研究を楽しいものにしなさい

      13 読書と研究はどんな点で異なっていますか。

      13 読書は楽しみだが,研究は骨が折れる,と言われてきました。その言葉には幾分真理が含まれています。楽しみながら気分をほぐすためにかなりの量の建設的な読書をすることができます。楽な姿勢で,「エホバの証人の年鑑」の報告や「目ざめよ!」誌を一,二時間読む以上に楽しいことがあるでしょうか。一方,研究は骨折りを意味します。ある辞書は次のように述べています。「研究とは,研究している事柄の種々の可能性やその適用,変異,関係などを明らかにするよう,詳細な点に細心の注意を払いつつ,目的を持って継続的に注意を集中することを示唆する」。確かに,研究には努力が求められます。しかし,どんな骨折り仕事でも立派に成し遂げられれば,満足感を,またそれに見合った益をもたらすのと同様に,研究も楽しくて,霊的に報いのあるものとなり得ます。研究をそのようなものとすることはわたしたちにとって益になります。どのようにですか。

      14 自分の個人研究をより楽しくて有益なものにするために,どんなことをしなければならないかもしれませんか。

      14 研究を楽しくて本当に益になるものとするには,そのために十分の時間を割く必要があります。「研究とは……詳細な点に細心の注意を払いつつ,目的を持って継続的に注意を集中することを示唆」しているのであれば,自分は「ものみの塔」誌や会衆の書籍研究に使う出版物を研究したと正直に言えることがどれほどあるでしょうか。研究の資料にざっと目を通すだけで,与えられた説明の詳細な点や理由を本当の意味で真剣に調べることなしに質問の答えに下線を引くことが多いと言ったほうが当たっているのではないでしょうか。自分にこのことが当てはまるようなら,霊的な「食」習慣を改善するために取るべき第一段階は多分,研究のために『よい時を買い取る』ことでしょう。(エフェソス 5:15-17)これは他のそれほど重要でない活動に使っていた時間を,思い切って研究に振り向けることを意味しているかもしれません。しかし,あわてて資料に目を通さなくてもよくなり,むしろ資料をじっくりと研究する時間を持てると,研究が非常に楽しくなることに驚かれるかもしれません。

      15 研究を楽しくて霊的に有益なものにするためには,ほかにもどんなことが欠かせませんか。

      15 時間の要素と無関係でないのは,祈りの問題です。研究を霊的に有益なものにするために,エホバの祝福は欠かせません。イエスの名においてエホバに祈り,わたしたちの思いと心を開いてくださるよう,そして研究しようとしている真理を本当に素直に受け入れられるようにお願いしなければなりません。集会の準備をするためにあわてて腰をおろし,エホバの祝福と,学んだ事柄を自分の日常生活に当てはめるための知恵とをエホバに求めるのを忘れたことを後になってから気づいたということがどれほどあるでしょうか。エホバの助けは求める者にはいつでも与えられるのに,どうしてその助けを得ようとしないのでしょうか。―ヤコブ 1:5-7。

      深く掘り下げて調べる

      16 この研究の主題の聖句と調和して,知識,識別力,そして理解を得るためにわたしたちはどんなことをしなければなりませんか。

      16 箴言 2章4節と5節は,『隠された宝を求めるようにそれを尋ね求めつづけるなら,まさに神についての知識をも見いだすことであろう』と述べています。この聖句の文脈は,エホバの「ことば」,「おきて」,「知恵」,「識別力」,および「理解」を求める必要について述べています。宝を探し求めるには努力と粘り強さが求められます。掘り返すことが大いに求められます。「まさに神についての知識」,そして「識別力」や「理解」を尋ね求める場合にも,これは変わりません。やはり大いに掘り下げること,つまり表面的なところよりも深いところを悟ることが求められます。神の言葉の表面をざっと見るだけで十分だなどと考えてはなりません。

      17 聖書はエホバのお考えについてどんなことを述べていますか。それでは,わたしたちはどんな事柄に感謝しなければなりませんか。

      17 詩編作者は,「エホバよ,あなたのみ業はなんと偉大なのでしょう。あなたのお考えは非常に深いのです」と叫びました。(詩編 92:5)使徒パウロは,「ああ,神の富と知恵と知識の深さよ」という感嘆の言葉を書き記しました。(ローマ 11:33)別の手紙の中では,「神の奥深い事柄」について述べています。(コリント第一 2:10)確かにパウロの説明するように,神はそのような奥深い事柄を「ご自分の霊によって」啓示されます。その活動力は,霊的食物を供給するためにキリスト・イエスの任命された,油そそがれたクリスチャンに力強く働きます。「神の目的の隠された深み」をわたしたちがいよいよはっきりと悟れるようにするために,「奴隷」級の行なっている霊的に掘り下げて調べる業に本当に感謝すべきです。―コリント第一 2:10,今日の英語聖書。

      18 クリスチャン各人はどのようにして神の言葉を掘り下げて調べることができますか。また,み言葉を掘り下げて調べるためにどんな道具が備えられていますか。

      18 それだからといって,説明されている考えを十分に深いところまで理解する目的で神の言葉を深く掘り下げて調べるクリスチャン各人の責任がなくなるわけではありません。これには参照されている聖句を調べることが関係しています。また,「ものみの塔」誌の記事の中にある脚注を読むことをも意味しています。そうした脚注の中には,ある聖句や預言のより詳しい説明をしている古い出版物を参照するよう読者に示唆しているものもあります。そのためには,その古い出版物を見つける努力を払い,次いで参照されているページに書かれている事柄を研究し,深く掘り下げて調べることが求められます。それは,索引,語句索引,「聖書理解の助け」,それに「聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です」といった本など,「奴隷」級が長年にわたって入手可能にしてきた,特に聖書研究用に作られた手引き書を十二分に活用するということです。確かにクリスチャンには,み言葉を掘り下げて調べるための優れた道具が与えられています。その中でも最新のものは,新しく出された英語の「参照資料付き聖書」です。この聖書はやがて数多くのほかの言語でも入手できるようになるでしょう。(日本語版は最近発行された)これらみ言葉を掘り下げて調べるために備えられた道具を大いに活用してゆきましょう。

      目的を持って研究しなさい

      19 知識についてどんな注意は肝要ですか。

      19 神の言葉を深く掘り下げて調べる目的は,兄弟たちに対して優越感を抱いたり自分の知識をひけらかしたりするためではありません。この世の人々の場合には,大抵そうしたことが目的になっています。一般原則として,使徒パウロの書いた,「知識は人を思い上がらせるのに対し,愛は人を築き上げます」という言葉はこの点で真実です。(コリント第一 8:1)わたしたちは愛に動かされて,宣べ伝え,弟子を作る業において,またクリスチャンの集会の霊的な益に思慮深い仕方で寄与する際に,自分の知識を謙遜に用いるようになるでしょう。

      20 この点に関してパウロはどんな勧めを与えていますか。

      20 「もはやみどりごでなくなり」,むしろ「すべての事において,頭であるキリストを目ざして成長して」ゆくようにしましょう。(エフェソス 4:13-15)「円熟に向かって進んでゆきましょう」。(ヘブライ 6:2)わたしたちを霊的に強くし,クリスチャン会衆の中で有用な者にならせる,「固い食物」を吸収できる円熟した人になりましょう。しかし,これには研究によって知識を取り入れる以上のことが関係しています。それには感謝の念を抱いて,エホバのことば,すなわち公にされた言葉を食物として取り入れることが求められます。この点については,次の記事の中で考慮することにしましょう。―詩編 110:1。イザヤ 56:8; 66:2。

  • エホバのことばの成就を支えにして生きてゆく
    ものみの塔 1985 | 6月15日
    • エホバのことばの成就を支えにして生きてゆく

      「人は,パンだけによらず,エホバの口から出るすべてのことばによって生きなければならない」― マタイ 4:4。

      1 エホバはどのような点で食物の偉大な供給者ですか。しかし,イエスは人間の必要についてどんなことを述べましたか。

      エホバは食物の偉大な供給者であられます。エホバは聖書の冒頭の章の中で,人間に対してそのような方としてご自身を表わされました。(創世記 1:29,30)それよりずっと後に,詩編作者のダビデは感謝の念に動かされてエホバに対して次のように述べました。「すべてのものの目は望みを抱いてあなたを見つめます。そして,あなたは彼らに食物をその季節ごとに与えておられるのです。あなたはみ手を開いて,すべての生きているものの願いを満たしておられます」。(詩編 145:15,16)確かにエホバは,人間と動物の双方に食物を豊かに備えておられます。しかし,人間と動物では相違があります。動物は物質の食物しか必要としないのに対し,人間には物質のパン,つまり食物以上のものが必要とされることをイエスは示されました。人は『エホバの口から出るすべてのことばによっても生きなければならない』のです。―マタイ 4:4。

      2 マタイ 4章4節のイエスの言葉の意味について,わたしたちはどんなことを知っていなければなりませんか。

      2 イエスが述べたこの言葉は,奇跡的に石をパンに変えなさいと言ってイエスを誘惑しようとしたサタンに対する答えの一部でした。悪魔はこの点をそれ以上押し通すことはせずに,すぐに別の誘惑へと移ってゆきました。その時サタンが詩編 91編11節と12節を誤って適用した仕方から判断して,イエスがその最初の誘惑に対する答えの中で言っておられたことの意味を,サタンは理解してさえいなかったのかもしれません。(マタイ 4:3-7)しかし,わたしたちエホバの僕は,イエスの言われた事柄に非常な関心を抱いています。霊的な益を最大限に受けるために聖書の中を

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