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自分の勉強を改善するものみの塔 1963 | 12月1日
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ている文章です。これらの文章は傍線をつけることもできます。このように心を配って一章を読むならば,章のあらすじをつかめます。雑誌の記事を読むときにも,同じようにすると効果的です。
22 いくつかの言葉をひとまとめにして読むことにはどんな価値がありますか。どんな場合にゆっくり読むことが必要ですか。
22 読むとき,一時に一つの言葉ではなく,いくつかの言葉をひとまとめにして読むようにしなさい。おはじきの玉をつかむとき,一度に幾つもつかめるのと同じで,目の動きを止める毎に,いくつかの言葉を一度に読みとることができます。こうすると早く読めるだけでなく,内容もよくつかめます。しかし時には内容が難しくて,早く読めない性質の文章もあります。たとえば意味の深い箴言の文章などは,言葉をひとつずつ読むことが必要です。しかし大抵の場合,いくつかの言葉をひとまとめにして読んだほうが意味を容易につかむことができます。
23 読んだ事柄を頭にいれるため,どんな読み方が提案されていますか。
23 副見出しのところに来たならば,今まで読んできたことを思い直してみます。要点を覚えていますか。内容をつかんでいなければ,各節の全体を要約している文章をもういちど読んで,記憶をあらたにして下さい。聖句が説明されていたならば,それを覚えていますか。覚えていなければ,もういちど読んでごらんなさい。こうしておいて,次の副見出しのところまで読み進みます。主題と内容の進展を頭において読みなさい。
24 (イ)勉強するとき,どのように鉛筆を使うべきですか。(ロ)何ひとつの章を終えたところで何をすべきですか。
24 自分の本また雑誌ならば,かぎとなる言葉や注目すべき文章に鉛筆で傍線をつけられます。傍線はひかえ目につけましょう。これは後で読み返すときや,本をグループで勉強するとき,要点を思いおこすのに役立ちます。他の人の本にしるしをつけてはなりません。本を読むとき,他の人のつけたしるしは邪魔になるからです。一章を読みおえたならば,頭の中で最終的な復習をしてみます。要点を心に留めなさい。いま読んだ事について,他の人に何を話せるかを考えてごらんなさい。
25 活発に考えながら読むため,何をしますか。
25 活発に頭を働かせながら読めば,1,2頁読んだあとで何を読んだのかわからないという事はありません。考えながら読むことは,実のある読書をするために肝要です。出来事の描写ならばそれを心に描いてごらんなさい。聖書の根本的な真理,預言の成就に注目して下さい。書かれていることと自分の行動をくらべてごらんなさい。そうすれば益を得ます。新しい考えに注目し,また述べられている事の理由を考えてごらんなさい。内容を吟味し,また神のことばの伝道者として宣教に役立つ事柄に注目して下さい。このようにして勉強は実のあるものとなります。
26 自分の勉強を改善することからどんな益が得られますか。
26 自分の勉強を改善することから,多くの益が得られます。学べば学ぶほど,自分の希望を他の人によく説明できるようになり,問題にぶつかるときも,より良い判断を下すことができます。また自分が正しいことをしているという確信も強まり,この世の懐疑主義や無神論の悪い影響から身を守る信仰の盾を強く,また大きくできます。更に会衆の神権宣教学校でする研究生の話に上達し,グループの聖書研究の時にいっそう有益な答ができるようになります。家から家の宣教において語る言葉にも確信がこもり,善意者を再訪問することに上達し,またいっそう内容の充実した家庭聖書研究を司会できるようになります。こうして霊的な幼児にとゞまることなく,円熟に成長できるでしょう。自分の勉強の習慣を改善することによって,生命への道をしっかり歩めるのです。
27 神のことばという宝をどのように考えるべきですか。
27 神のことばは霊的な富の宝の倉です。その宝を得ようと勤勉に努力すれば,それを得られるのです。この宝は金銀で買えないものをもたらします。神のことばに思いをめぐらし,神のことばを口に出して,生ける限りこの富を大切にして下さい。神のことばを何よりの関心事にしなさい。自分の勉強を改善して神のことばに対する認識を示し,クリスチャンのなすべき宣教に実を結ぶよう神のことばを使いたいとの願いを示して下さい。
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日毎に知識を加えて平和に住むものみの塔 1963 | 12月1日
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日毎に知識を加えて平和に住む
平和,それは楽しく,また望ましいありさまです。これはとくに神との関係,クリスチャンの仲間との間柄についてあてはまります。弟子とのわかれの話の中で,イエスは,「われ平安を汝らにのこす。わが平安を汝らに与ふ。わが与ふるは世の与ふるごとくならず汝ら心を騒がすな,またおそるな」と言って,キリストにならう者すべてがそれぞれ平和を持たねばならぬ事を教えました。―ヨハネ 14:27。
クリスチャンはこの平和を得るためになにをしたら良いでしょう。神のことばである聖書,神の地上の組織,および神の聖霊を通して神から与えられる知識を定期的に,日毎に取り入れるべきです。イザヤはこの事を前以って告げて,「またなんぢの子らは皆エホバに教をうけ,なんぢの子らのやすきは大いならん」と述べました。―イザヤ 54:13。a
この面でイエスは,若い時から実に良い模範を見せたではありませんか。「イエス智慧も身のたけもいやまさり,神と人とにますます愛せられ給ふ」。その宣教の記録を調べると,イエスが聖書に精通していた事を認めぬわけにはゆきません。試むる者の誘惑をしりぞけ,逆らう者の言説を論破し,群衆を前に力強い話をした時,すばやく,しかも実に巧みに神のことばを引用したではありませんか。―ルカ 2:52。マタイ 4:3-10; 5:27-42; 22:29-40。
こうしてイエスが聖書に通ずるためには,それだけ多くの時間をかけねばなりませんでした。私たちとて同じことです。追いまくられるように忙しい今の古い世にあっては,私たちの時間を要求することがらが実に多くあります。それゆえ,個人の勉強,家族の勉強,会衆での勉強の時間を生み出すために,それほど重要でない事を整理しなければなりません。そうです,まさに聖書もすすめる通り,「賢くない者のようにではなく,賢い者のように歩き,今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである」。―エペソ 5:15,16,新口。
知識を増し加え,平和に住むためには,聖書の勉強をする際に,霊的な食欲を強く,すなわち,自分は霊的な物が必要だとはっきり自覚していたいと思われるでしょう。しかし,きつくなるほどたくさん食べてものうくなっている時,また何時間もテレビを見て眠気をもよおしている時などに,どうしてそんな気がまえになれるでしょう。「銀のごとくこれを探り,かくれたる宝のごとくこれをたずねば,…神を知ることを得べし」と箴言のことばが述べている通りに,落ち着いた勉強をし,十分に調べ,十分に知識を掘り出すためには,単に勉強したいと願うだけでなく,勉強にふさわしい精神状態を整えねばなりません。―箴言 2:4,5。
良い成果を望むなら,定期的に勉強しなければなりません。からだの健康を守り,体力を維持するために,週に一度か二度の食事でまにあいますか。霊的な健康を保ち,霊的な力を培うためにも,規則的に,しかも日毎に,霊的な食物で自らを養わねばなりません。それで聖書を読み,その意味をゆっくり考えることのために,毎日いくらかの時間を取りなさい。
エホバ神がみこころに従ってそなえられた聖書研究用の手引を学ぶなら,次々と新しい知識に接するでしょう。そんな場合にどうしますか。ただ批判的な態度で読みますか。いえむしろ,昔のベレヤの町の人々の模範にならうべきです。「こゝの人々は…心よりみことばを受け,この事正しくしかるか然らぬか日々聖書をしらぶ」。新しい真理を学び,それを確かめるなら,それを自分の一部とし,私たちのひな型であるイエス・キリストに似る者となるべく,それをして私たちの人格を変えるものとならせなさい。―使行 17:11。コロサイ 3:10。
もう一つ注意しなければならぬ点をあげましょう。会衆の集会にそなえて予習をする場合でも,あるいは,講演を準備し,プログラムの一部を研究し,新しい本の内容を読み取る場合でも,自分が今している勉強の主題から離れてはなりません。肉や野菜など晩の買物のためにスーパーマーケットに行ったはずなのに,特売があったからといって,石けんや化粧品でかごを一杯にして帰るどこかの婦人の真似をしてはなりません。手元にある仕事に心をそそぎなさい。
知識を加えるのに役立つ多くの方法がありますが,中でも効果的なのは,復習,熟考,討議です。一人でしばらく勉強したなら,なにを学んだのか簡単に振りかえってごらんなさい。一人で歩いている時,だれかを待っている時など次の機会をとらえ,学んだ事を思い出し,その意味を深く考えてごらんなさい。さらにまた,もし機会が許すなら ― たとえば社交的な集まりのおりなどに ― 努めて共なるクリスチャンの仲間と学んだ事柄を話し合ってごらんなさい。事実,どんな知識にも伴うものがあるのです。それは,自分が得た知識を他の人と共に分かちあうという責任です。こうして進んでゆくなら,日毎に加えられた知識によって平和に住む者となるでしょう。
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