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信仰によって勇気を持ち,強くあれものみの塔 1962 | 3月1日
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訓戒のためである」。(コリント前 10:11,新口)エホバから次の言葉を告げられたヨシュアのようにあなたは感じますか。「ただ強く,また雄々しくあって,わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法をことごとく守って行い,これを離れて右にも左にも曲ってはならない。それはすべてあなたが行くところで,勝利を得るためである。この律法の書をあなたの口から離すことなく,昼も夜もそれを思い,そのうちにしるされていることを,ことごとく守って行わなければならない。そうするならば,あなたの道は栄え,あなたは勝利を得るであろう」。(ヨシュア 1:7,8)信仰と勇気はそのことをする鍵でした。信ずる者すべてが完全な「律法の書」である聖書から離れないならば,今日でも信仰と勇気によって同じことができます。聖書を読みなさい。聖書を学びなさい。聖書に生きなさい。エホバ神と御子を知る知識を得ることをあなたの生命の問題にしなさい。全くそれは生命にかかわることです。―ヨハネ 17:3。
22 エホバ神の教えを離れて右か左に曲がる人は決して賢い行いをすることができません。知恵はエホバ神の授け給うものです。エホバ神はあらゆる知識の源です。今日,人間の必要とする知らせはエホバの御言葉の中に書きしるされています。たしかに多くの人は,聖書を評して時代おくれの本,古代史の本だと言います。はたしてそうですか。あなたの救いはその中に書かれているのです。生命と死 ― あなたはそのいずれを選びますか。今日のたいていの人にとって,聖書をしらべるには勇気が必要です。まして聖書を学んだり,他の人とそれを論ずるにはいっそうの勇気がいります。ヨシュアに対してエホバが「この律法の書をあなたの口から離すことなく,昼も夜もそれを思い」,「勝利を得る」ためにそうせよと告げられたのであれば,今日の私たちが賢明に行なうためにそうするのは是非とも必要です。この世でそのことをするために勇気を持ちましょう。キリストの教えを信じてその通りに生活する人は,たとえ患難にあっても,必要とする勇気を失わないでしょう。「この組織制度の神」サタンは,イエスの友でなかったのと同様にその人の友ではありません。サタンはイエスの敵でした。サタンはすべてのクリスチャンの敵です。しかしクリスチャンは勇気をもってサタンの世に打ち勝つことができます。
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セナケリブの死に関して聖書は正確ものみの塔 1962 | 3月1日
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セナケリブの死に関して聖書は正確
ヒゼキヤ王のとき,神は18万5000人のアッスリヤの兵士を殺して,エルサレム攻略を阻止しました。「一般的なユダヤ史」の中でフィリップ・バイバーフェルド法学博士は,この出来事について「聖書の記録はセナケリブの暗殺で終わっている」と述べています。「アッスリヤの王セナケリブは立ち去り,帰って行ってニネベにいたが,その神ニスロクの神殿で礼拝していた時,その子アデランメレクとシャレゼルが,つるぎをもって彼を殺し,ともにアララテの地へ逃げて行った。そこでその子エサルハドンが代って王となった」。〔列王下 19:36,37,新口〕
「これと矛盾してバビロン年代記は,テベットの20日に,アッスリャ王セナケリブが反乱を起こした一人の息子によって殺されたと述べている。従って彼は息子たちの一人の手にかかって死んだことになる。ナブナイド年代記を見ても同様である。バビロンおよびアッスリヤ史の中できわめて重要なこの出来事に関しては,あらゆる事を考え合わせてみるとき,バビロンの記録のほうが聖書よりも信頼できるとされてきた。しかし事実を言えば,その反対が真実なのである。最近に発見されたエサルハドンのプリズムの断片の中で,彼自身が次のように述べている。すなわち彼の兄弟たちが王位を奪おうとして反乱を起こし,父のセナケリブを殺したこと,彼がニネベで追いつく前に彼らはのがれて行方が知れなかったことである。
「バビロン年代記,ナブナイドおよびベロサスは間違っている。聖書の記録だけが正しいと証明された」。
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