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生命のために神権制度を認めるものみの塔 1954 | 12月1日
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手段を支給するもので,経済的には源の法人に依存しております。そのように経済的に依存していること自体によつても,支部の僕は言われることを行わねばなりません。なぜならば,資金を供給する協会は,支部についての金銭を費す場合に責任を取らねばならず,そしてどのように資金を用いるかということは神に責任を取らねばならないからです。協会になされる神権的な寄附ということからしても,金銭を最も賢明な,そして最も効果的な方法で費すことは協会の責任です。この世であつても,そのような処置は,正常で,良い健全な事務手腕と考えられています。従つて,支部の僕は制度の教に従わねばならず,そしてその奉仕の地位にいて効果的であるよう努力すべきです。それは,支部の運営を最も経済的に行うとともに,そして最も良く,又最も大きな結果を得るためです。しかし,支部の僕は王のサリムの一人ですから,経済的な責務や依存という動機よりももつと高い動機がなければなりません。なぜならば,私たちの制度は商業的ではないからです。制度は神権的であつて,ヱホバ神に服従しており,その統治する王イエス・キリストを通して神によつて支配されている事実から高い動機は生じます。これこそ,神に献身しているすべてのものが制度を認め制度に服従し,制度に忠節を証明しなければならない主要な理由であります。
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制度を認める模範ものみの塔 1954 | 12月1日
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制度を認める模範
1 一人の宣教者が制度を認めたということについて,どんな聖書的な模範がありますか? その結果は何でしたか?
神権制度とその統治体を正しく認めることについての多くのよい模範を考えてごらんなさい。キリスト教の会衆がエルサレムで制度化されて間もなく,ユダヤ人宗教家たちの猛烈な迫害をうけて,その会衆はエルサレムの都から散りました。しかし,使徒たちは統治体として同市に残つていました。福音伝道者または宣教者であつたピリポは,北サマリヤで良いたよりを伝道し,その町に会衆を設立するのに成功し,その成員たちに洗礼をほどこしましたが,その会衆には一つの大切なものが不足していました。すなわち,それは奇蹟的な賜物を伴う聖霊でした。ピリポの願いは,その地生まれの証者たちで成り立つ会衆にも,これらの賜物を受けさせたいということでした。彼は神権制度を認めており,また御霊の奇蹟的な賜物は,小羊の使徒たちだけによつて与えられるか,あるいは彼らが直き直きに居合わせる時に与えられると知つていましたので,エルサレムに通知をいたしました。そのことは,福音伝道者または宣教者が無私と忠義の気持で神権制度を認めたものでした。その結果は何でしたか? 使徒時代の統治体は,使徒ペテロとヨハネを遣し,そして洗礼をうけたサマリヤの信者たちには,御霊とその賜物が与えられました。聖書にこう書かれています。『それで二人は下つて行き,彼らが聖霊をうけるようにと祈つた。というのは,彼らは主イエスの名によつて洗礼をうけただけであつて,聖霊は注がれなかつたからである。それで二人は彼らの上に手を置き,彼らは聖霊をうけ始めた。………使徒たちが手を置くことによつて,御霊は与えられた。』― 使行 8:1-19,新世。
2 パウロとバルナバの場合,彼らはどのように制度を認めましたか? どんな結果が,それに続きましたか?
2 後になつて,バルナバとパウロは,無割礼の国民に遣わされた宣教者でしたが,彼らは割礼と異邦人の問題で非常に悩まされました。二人ともその問題については正しく理解していましたが,しかしアンテオケの会衆で争論が起つた時,『彼らはパウロとバルナバおよび彼らのうちのある者たちに,この問題についてエルサレムの使徒や長老たちのところへ行かせるよう取り極めをした。』(使行 15:1,2,新世)神権制度をこのように認めたため,再びよい結果をもたらしました。エルサレムの統治体の特別集会が召集されて,その問題は徹底的に審議されました。ヤコブは神の代弁者として用いられ,聖書の成就に人々の注意を向けさせるとともに,無割礼の異邦人の信者たちが守らねばならない正しい結論を語りました。統治体は聖霊によつて支持をうけ,そのような信者たちに対する基礎的な要求を記した手紙をつくり,パウロとバルナバはその手紙を持つてエルサレムを去りました。その問題が討論されていた多くの町々で,この手紙は読まれました。パウロとその同労者が,信者のいた町々を旅行した時に,『彼らは,その地の人々に語り,エルサレムにいた使徒や長老たちが決定した命令を守るようにと告げた。』この結果からして,会衆が動揺し,意見の分裂をし続けることはなくなり,『会衆は信仰をかたく強められ,日ごとにその数は増し続けた。』(使行 15:3より16:5,新世)神権制度を認めることは,一致を保つて力を強め,多くの増加を得るものです。
3 今日誰が同じように制度を認めなければなりませんか? なぜ,そしてどのように?
3 今日でも,支部の僕や,制度の他のすべての特別な代表者たち,そしてまた制度によって奉仕の地位に任命されている者たちは,同様に神権制度を認めねばなりません。使徒パウロと彼の若い随伴者テモテの場合と全く同じく,キリストの下にある目に見える神権制度はこれらの任命者や代表者たちを任命し,職務に即けます。いま,なすべきことは,制度からの指示を受け,そして良心をもつてその指示を遂行することです。大切なことは,このことをするときに,ヱホバの神権制度の王なる支配者を心に留め,また王をよろこんで認めて行い,そして王のほまれのために行うことです。
4,5 私たちは,自分自身にほまれを取つて,そして王を暗やみに押しこめてはいけないと,ヨアブはどのように説明しましたか?
4 利己的な気持をいだいて,自分個人のために栄えを奪いとり,王を蔭に押しこめてしまうような努力を決してしてはなりません。ダビデ王の甥であつたヨアブ将軍の例を考えてごらんなさい。ヨアブは,王にたいして正しい気持を持つていた時に,物ごとを正しく認めていました。アンモンの国はダビデ王の使者をひどく侮辱し,それでダビデ王の戦闘指揮官であつたヨアブは首都ラバにむかつて戦い,その水の都を取りました。水の都とは,つまり水の供給を持つていた都の部分か,またはその水の供給を守つていた城砦でした,この大切な部分が取られてしまつたので,首都は長いこと保つことができず,結局にはどうしても降伏せざるを得ないでしよう。しかし,ヨアブは自分個人の名声を得ようと自分一人で都の包囲を強めて,成功の最高潮に達しようとはせず,彼の地的主権者とまたヱホバの油注いだ王に関する事柄の神権的至当さに対して正しい認識を示しました。ヨアブは,たとえ大切な準備の仕事をしたのではありますが,ヱホバの油注いだ王が敵の王都を取り,そしてこの偉業に対して名声を得るようにと欲しました。
5 『ヨアブはダビテに使者を送り,こう言つた。「私はラバと戦い,水の都を取つた。さて,民の残りの者を共に集めて都を囲み,それを取りなさい。それは,私が都を取つて,私の名前でもつてその都が呼ばれないためである。」それで,ダビデはすべての民を共に集めてラバに行き,ラバと戦つてそれを取つた。それからダビデはアンモン人の王の冠(またはミルコムの冠)をその王の頭から取つた。その重さは,一タラントの金であり,その中には貴重な石があり,その冠はダビデの頭の上に置かれた。そして,彼は非常に多くの都の分捕品を持ち出した。』― サムエル後 12:26-30,改訳; 10:1-7。
6,7 (イ)任命された僕は,その奉仕の割当てを,個人的な誉を得る踏石にはいたしませんが,それはどのようにしてですか?(ロ)個人的な誉の代りに,彼は何のために計画し,そして働きますか?
6 同様に,今日でも神権制度の代表者または,任命者は仕事の特別な割り当てをうけます。その者はその割り当てを達成しようと働き,ヱホバ神は祝福して成功を得させます。その仕事は完成に近づき,あるいは終に公やけに発表することが必要になります。もしも制度の代表者または任命された代理者が公やけに知られるのを求めるならば,どこまでも行い続け,達成された仕事が公共の注意をひいて,彼の名前がその仕事と結びつき,彼の名前が人々に言われ,そして自分自身の追従の名声を得るでしよう。しかし,その人は賢明な態度をとり,自分はただ神権的な奴隷であつて,制度内で特権の仕事を与えられたのみであり,自分がした仕事については公やけに讃められる価値などはなく,ただヱホバとその主イエス・キリストの助けによつてすることができたのであると心から認めます。その人は,利己的で個人的なほまれを得るための踏石として,この特権である仕事の割り当てをいたしません。そのようなほまれは,彼自身に対して公共の注意をひきますが,奴隷として彼が属している神権制度の重要さを隠蔽してしまうでしよう。
7 それで,その人は華々しい輝きの光から身を離します。公共の目から見えないように,自分の割り当てられた仕事をいたします。彼は身を退いて,制度内の上位の者にその仕事を続けさせ,全部の仕事を完成するのに必要な手段を取らせそして最終の成功を得て公共の注意の前に置かれます。このようにして,完成したことに対するほまれは,制度の王なる首イエス・キリストに捧げられるようにいたします。その人は完成したことについて制度がほまれをうけ,この完成は神権制度全部の仕事の一班であると公共の人に認められたく願います。制度が賞讃を得るようにしなさい,制度の深い認識こそ公共のあいだに持たれるべきものです。公共の人には,制度内にいる成員・つまり制度内の単なる奴隷たちを讃めさせるよりは,制度を主としていつも心に留めさせ,制度について語らせ,そして制度に確信を持たせなさい。こうするならば,滅亡に導く個人的な誇りが入るということは阻止され,そして神の大いなる御手の下にあつて自らを低くするということを意味します。それは,神が正しい時に忠実な者を高めることのできるためです。―ヤコブ 4:6,7。ペテロ前 5:6。
8 ヨアブ将軍は,ダビデ王がアブネル将軍を用いるのをどのように阻げましたか? ヨアブ将軍は,アブサロムに関係して,王の命令にどのように背きましたか?
8 ヨアブ将軍が,常にそのような神権的な気持ちを持ち続けていたならば,どれ程に良かつたことでしよう! そうではなかつたのです,彼は,他の者に対するねたみや,また王の任命に対してのうらみの心で,気持が多く動かされました。このために,彼はその王に対して反逆の行いをするようになり,そして最後の反逆の行いの時に,自分自身の生命を失いました。サウロ王が死んだ後,ユダの支族はヘブロンの町でダビデを王としました。他の11の支族は,サウロの子であるイシボセテを王として選び,内乱が続いて行われました。時がたつて,アブネル将軍はイシボセテと仲違いをし,ダビデ王と交渉し,ヱホバの油注ぎしダビデのところに支族の残りの者をひきつれると話しました。しかし,将軍ヨアブはアブネルに復讐の気持をいだき,アブネルを騙して殺し,このことを阻げました。(サムエル後 2:1より3:39)幾年か後に,ダビデの子アブサロムはダビデに反逆し,ダビデは止むを得ずエルサレムから逃げてヨルダン河を越えねばならず,アブサロムは優勢な大軍をひきいて出かけ,ダビデと戦つてダビデを殺し,イスラエルの王座を得ようとしました。ヨアブと同僚の者たちが戦いに出かけた時,逃亡者ダビデは彼らに命じ,『私のために若者アブサロムを手柔かに取扱つてもらいたい。』と言いました。しかし,アブサロムは敗戦から逃げようとしたときに,木の枝にその長い毛がかかつて,宙に浮いているとの報告をうけて,ヨアブは其処に行き,この無力のアブサロムに3度槍を故意に突きさし,殺しました。だが,ダビデ王はこのためにいたく歎きました。―サムエル後 15:1より19:4,ア訳。
9 ヨアブは,ダビデの行つたアマサ将軍の昇進をどのようにして阻げましたか? そして,ソロモンについての神の御目的とはどのように反対しましたか?
9 附随することですが,アブサロムはその反逆の時に,ユダの支族のアマサを将軍といたしました。(サムエル後 17:24,25)アブサロムが死んで後,イスラエルの支族は,ダビデ王がエルサレムに戻つてきてもらいたいとの願いを示しましたが,しかしユダの支族は,そうする決議をするのに遅かつたのでした。ダビデ王は,将軍ヨアブの反逆の行いを考えて,アマサに言葉を送り,不従順なヨアブの代りに彼を王の軍隊の指揮官にならせようと約束しました。ヨアブの性質として,ヨアブはこのことを深く憤りました。ダビデがエルサレムに戻り,アマサを任命してしばらくたつて後に,ヨアブはアマサに会いました。ヨアブは,丁度イエスに対するユダのように,欺きの身振りをして,アマサに接吻しようとしました。アマサがなんの疑うこともなく気をゆるめていたとき,ヨアブは剣を抜いて,刺し通し,その腸を地に流しました。(サムエル後 19:8-15; 20:3-13; 23:25)ヨアブは自身自ら殺人者であると表し示し,『太平の時に戦の血を流し,戦の血を己の腰のまわりの帯とその足の履につけたり。』(列王紀略上 2:5)ダビデの子アドニヤが,ソロモンをしてダビデ王の相続者にするというヱホバの任命より先んじて,彼を王として支持するよう人々の群に呼びかけた時,ヨアブはその招待の召しを受けいれ,アドニヤに従つて,支持いたしました。ダビデ王は,アドニヤの潜越な王位横領を阻げるため,その愛する子ソロモンを正式に即位させました。
10 ヨアブは,どのような最後を遂げましたか,なぜそうなりましたか?
10 ヨアブについて,ダビデがソロモン王に与えた最後の指示は,次のようでした。『それであるから,お前の知慧に従つて行いなさい,それは彼の白髪を安らかにショオールに行かせないためである。』(列王紀略上 2:6,ア訳)ソロモンにそれらの指示を行う時が来た時,ヨアブは逃れて幕屋を求め,ヱホバの祭壇の角をとらえていました。その聖なる場所で彼は撃ち殺されねばなりませんでした。というのは,ソロモンの言葉を引用するとこう記されています。『彼は,彼よりも正義であり名誉ある二人の人を撃ち,剣でもつて殺した。しかし,私の父ダビデはそのことを知らなかつたのである。すなわち,イスラエルの軍隊指揮官ネルの子アブネルとユダの軍隊指揮官エテルの子アマサである。』(列王紀略上 2:28-35,ア訳)ヨアブが不満足になり,彼よりも良い人々を彼の濫用した職務につかせまいと努めたために,彼は自ら災いに導かれました。
11 僕がどんな道をとるときに,最善の結果が得られますか? そして低位された時には,なにをしてはなりませんか?
11 今日制度内での任命された僕が,ヱホバの油注いだ王大いなるダビデに忠節
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