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あなたの誠実を試すものみの塔 1955 | 10月1日
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を調べ吟味し続けなさい。』― コリント後 13:5,新世。
29 信仰のほかに,神は私たちに何を要求していますか?
29 私たちの信仰が深く根差していて,しかも正確な知識に基くものであるならば,信仰の小さな種子は生長して繁茂するでしよう。そして冷い無関心とか,熱い迫害で影響をうけることはありません。私たちがこの信仰を養うとき,それは生長し続け,ヱホバより豊かに祝福されるでしよう。その信仰は,ペテロ後書 1章5-11節(新世)に示されている他の性質と密接な関係を持つています。私たちは多くの努力を払つて,信仰に徳を加え,徳に知識を,知識に節制を,節制に忍耐を,忍耐に敬虔を,敬虔に兄弟愛を,そして兄弟愛に愛を加えねばなりません。『これらのものがあなた方に備つて,豊かになるならば,私たちの主イエス・キリストの正確な知識について,活動しない者,実を結ばない者にはならないであろう。……兄弟たちよ,それであるから,ますます励んで,あなた方の召と選びを確かなものにしなさい。これらの事を行い続けるならば,決して失敗することはない。』それですから,ますますはげんでヱホバに信仰を保ちなさい。クリスチャンに降りかかる試錬にくじけることなく,むしろ神の力と御言葉に頼り,そして神に信頼しなさい。
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試される信仰ものみの塔 1955 | 10月1日
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試される信仰
1 苦難に対して,私たちはどのように準備しますか?
ヱホバの証者の信仰は,苦難の時であつても,決してなくならないでしよう。主人より偉大な僕は居りません。それで,イエスが迫害をうけて,その信仰が試されたと同じように,イエスの今日の弟子たちも迫害をうけ,その信仰を試されます。(ヨハネ 15:20)古い世の組織制度から苦難を受けることは,予期しているところであつて,私たちの信仰はそれで強められますが,決してなくなることはありません。予言的にマゴグのゴグと言われているサタンは,地上にいる神の僕たちに反対して,いまにも襲いかかり,戦争をしようとしています。聖書の説明によると,サタンの軍勢は,善意者の集まりつつある無防備のヱホバの民の都を包囲しています。それですから,『愛する者たちよ,あなた方を試みるために降りかかる火のような試錬を,なにか見知らぬことが起つたかのように驚きあやしんではならない。むしろ,キリストの苦難にあずかればあずかる程よろこぶが良い。』(ペテロ前 4:12-14,新世)サタンのそのような企てに怖気づくどころか,ペテロはこうすすめています『信仰をかたくし,同じ苦難は世界の全兄弟にも降りかかつていると知り,悪魔に抵抗しなさい。』― ペテロ前 5:8-10,新世。
2 (イ)サタンは新しい世の社会に対して,どんな行為を取りますか?(ロ)どんな保証と助言がありますか?
2 サタンは,信仰の弱い者たちを打ちつぶそうとしています。しかし,ヨハネ黙示録 2章10節(新世)は,こう述べています。『あなたのうけようとする事柄を恐れてはならない。見よ。悪魔はあなた方のある者を試そうとして,獄に入れるであろう。あなた方は,十日間苦難をうけるであろう。死の危険があろうとも忠実であれ。私は生命の冠をあたえる。』悪魔は,今日にいたるまでヱホバの僕に反対して来ましたが,聖書はその記録で一杯です。ヱホバに対する忠実の故に,多くの者は獄に入れられ,苦しめられ,そして家族から引き離されています。しかし,何ものもヱホバ神の真の僕の持つ信仰を破ることはできません。イエスの御言葉を思い起します。『体を殺しても魂を殺すことのできない者たちを恐れてはならない。しかし,魂と体両方をゲヘナで滅し得る方を恐れなさい。』(マタイ 10:16-23,28,新世)ヱホバの僕たちに何が臨むとも,ヱホバは,御自分の僕が堪えられない以上に試験されるのを許しません。ゼカリヤ書 2章5節の示すところによると,神に奉仕し,神の保護と安全を求める人々にとつて,神は火の垣のようであります。信仰の試錬をうける際に,私たちは神の御言葉の保証を持つており,そして神の御霊により支持をうけているということを知ります。迫害をうけても,私たちはひるみません。かえつて,金属が火で鍛錬されるように,信仰も迫害によつて試みられ,証明されます。
3,4 (イ)過去と現在のヱホバの証者は,迫害を受けてもどのように耐えましたか?(ロ)なぜ彼らは迫害されますか?
3 むかしの神の僕の持つた揺がざる信仰に関する聖書の記録はすばらしいもので,そして私たちに励ましを与えるものです。嘲笑をうけても笞打たれても,又しばられて投獄されようとも,彼らがその信仰を破らなかつたことは,今日のヱホバの民にたいする模範であります。『彼らは石で打たれ,試みられ,のこぎりで引かれ,つるぎで切り殺され,羊の皮や山羊の皮を着て歩きまわり,物に不自由な思をして,苦しめられ,悩まされた。この世は,彼らにふさわしいところではなかつたのである。』(ヘブル 11:35-38,新世)使徒時代の後まもなく多くの迫害はクリスチャン会衆の上になされました。神の否認を肯じなかつた人は,ローマ競技場内の獣や,火焙りや,残虐な苦しみのために死にました。そのような信仰の例は,歴史の中に書き録されていますが,しかし現在にも存在しているのです。現在の神の僕たちは,生命の力を持つ御方にたいして同じく破れることのない献身を示しているからです。
4 今日,全世界の多くの国々でヱホバの証者は迫害をうけています。しかし,それは彼らが悪い行をしているためとか,諸国家の正しい要求を破つているためではありません。そうではなく,真理を伝道して,かつ神の律法と御言葉の正義の原則に対して,忠実をかたく守つているからです。(ペテロ前 4:15,16)実際,神の僕たちを憎むというこの事自体,イエスによつて予言されている時のしるしの一部です。(マルコ 13:9)あるところでは,無分別な政府の行為のために虐待がなされており,別のところでは宗教的な狭量のために虐待がなされています。古い世は,真のクリスチャンたちにたいして,愛を持つていないことを再び示しています。ポルトガル領東アフリカでは,その地生まれの証者たちは,宗教的な敵によつてしばしば指摘され,そして幾ヵ月ものあいだ政府の仕事を強制されます。ベルギー領コンゴでは,ヱホバの証者の研究するキリスト教文書の入国は許されていず,またヱホバの証者は崇拝のために互に集ることはできません。
5 信仰の試練は,どのように続いていますか?
5 似かよつた状態は,世界の他の多くの国々にもあります。特に,共産主義者の支配する国々では,真理の圧迫が続いています。チェッコソロバキヤにいる兄弟たちは,その信仰を験しています。一通の手紙はこう述べていました。『兄弟たちは,神のものは神に,という命令を正しく理解している。人間権力の発した禁止令が,福音を伝道せよという創造者よりの任務を無効にするなどということは,一瞬といえども彼らの心に生じないのである。』東部ドイツからは,続いて行われている苦難の知らせやまた電光石火のごとき襲撃が諸会衆になされて多くの者が逮捕されているという知らせが来ています。現在までの合計によると,1346人が9071年の投獄に宣告されています。ひとりびとりの平均は,6年と9ヵ月であつて,それはみなヱホバに忠実を保つたためなのです。獄から解放されたひとりの証者は,こう言いました『神の御霊は私たちの上に働いて,力を与え,そして私たちの信仰を増した。』別の兄弟は,続けてなされる拷問と投獄の後に,拷問係の者にむかいこう言いました。『私はヱホバ神に忠実を保つことを誓つたのです。あなた方は私を殺して,この所から外に出すことができるでしよう。しかし,私を叛逆者にすることはできません。』全世界にわたり,信仰の試練は終つていません。むしろ,全き最後にいたるまでますます増し加わるものと期待しています。私たちは信仰の盾という武具をつけ,そしてヱホバに信頼と確信を置くことによつてサタンの火矢をいつでも避けるべきです。
6 私たちの信仰が神によろこばれるためには,何が必要ですか?
6 真の信仰は盲目の信仰ではありません。過去の長い世紀のあいだ,幾十万という人は宗教の名のために死にましたが,しかし誉を神に捧げていません。神の言葉を口に述べつつ死んでいるものの,しかし神のいましめを破り,神の目的についての正確な知識を持つていないのです。神のよろこばれる信仰を持つために,神の御意が何であり,また神の言葉は何を命じているかを知らねばなりません。それから,それに従つて神に奉仕しなければなりません。死にいたるまで忠実を保つた御国大使のイエスのごとくに,私たちも奉仕するならば,必らず報いを受けるでしよう。イエスはこのようにしてその信仰と献身を証明し,そしてくるしみをうけた事柄によつて従順を学ばれました。それで,パウロはヘブル人に次のような手紙を書き送つたのです。『信仰の指導者であり完成者であるイエスをしつかりと見つめなさい。イエスは,御自分の前に置かれていたよろこびのために,刑柱や,恥辱を耐え忍ばれ,神の御座の右に坐られたのである。あなた方は,つかれはてて意気阻喪しないために,罪人たちのこのような反対にも耐え忍ばれた方を深く考えるべきである。』― ヘブル 12:2,3,新世。
7 (イ)収穫の業により,私たちの信仰はどのように堅くされますか?(ロ)今日どんな民が生ける信仰を持つていますか?
7 現在なされている収穫の業に関する聖書予言のすばらし成就を目撃するとき,私たちの信仰は今日ますますもつて堅くなります。幾世紀も昔に,聖書の中で予言されていたごとく,新しい世の社会は全世界にわたつて発展しています。これは現実にあること,つまり人間の目に見えないにしても神の天の御国が設立されていることを明白に表明するものです。あらゆる種類の人々は,真理の側に立ち,ヱホバに献身しています。このことからも,柔和な者は地を相続して平和を楽しむという神の最終の御目的に信仰を持つことができます。今日のヱホバの
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