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台湾における王国を宣べ伝えるわざは迫害にもかかわらず繁栄した目ざめよ! 1973 | 2月8日
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が,いちばん近い海端の駅から8時間歩いたところに住んでいました。タカコさんはある時,めったに行ったことのない海端で聖書を1冊求めました。聖書を読んだ結果,彼女はそれまでの迷信的な習慣をいくつかやめました。彼女は夫の反対を受けて離婚され,1つになる赤ん坊と着の身着のままで村を追い出されました。タカコさんは友人の家に身を寄せて聖書を読み続け,自分の学んだ事柄を他の人に話し続けました。
1950年の3月ごろ,その夫婦は和解しました。その時夫は新しい職場の近くに住むため海端に移っていました。ふたりには聖書を調べてエホバの目的を学ぶ機会がかなり多くなりました。ふたりはいっしょに,秘密裏に行なわれる集会に出席しはじめました。そのために家から2時間も歩かねばならないことがしばしばありました。ある時警察に呼び止められて検閲を受けました。夫の聖書は取り上げられましたが,タカコさんの聖書は赤ん坊のおむつの中に隠してあったので無事でした。これを小さな始まりとして,彼女の部族の関心を持つ人びとからなるいくつかの小グループが,数個の部落で成長しました。1953年5月13日にタカコさんはバプテスマを受け,1957年には3か月の訓練を受けて特別開拓者という全時間伝道する奉仕者に任命されました。彼女が熱心に働いた結果,ブナン族のいくつかの部落に住む約60人が王国の音信を受け入れました。
1940年代に,島の南端に近いパイワン族の地域で働いていた,ひとりの阿美族の人が,日本語の「ものみの塔」を手に入れました。その人は読んだ事柄が気に入ったので,さらに数冊の雑誌を求めました。彼は,この新たに見いだした真理を仕事仲間である数名のパイワン族の人に話しました。同じような方法で,タイヤル,ルカイ,ヒューマなどの他の部族も王国の良いたよりに接するようになりました。
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手術の新方式目ざめよ! 1973 | 2月8日
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手術の新方式
● アメリカ,マサチューセッツ州,ウォーセスターのイブニング・ガゼッテ紙は,最近,「手術に『輸血なし』で行なう傾向」という見出しの記事を掲げ,次のように述べました。「これまで手術のときに輸血をするのは常識であった。しかし今では違う。ここ数年,医学者たちは,輸血を完全に排除しないまでも,最小限にくい止める新しい手術方式を開発した。彼らの主張によれば,その新方式は患者にも良い」。同記事は,以前考えられていたより多くの血液が失われても患者はもちこたえられることを指摘している。新しい技術としては,手術の前後に栄養物を与えて増血する,出血を少なくするために血圧を下げる,失われた血液を栄養液で補うなどがある。一流の心臓外科医である,テキサス心臓研究所のデントン・クーレイ博士は,「大手術のほとんどが輸血なしで行なえることは今や明らかである」と語った。また,前述の新聞記事は次のように述べている。「輸血を要しない外科技術の開発は,エホバの証人が宗教上の理由で供血者の血液を輸血させないため,従来の手術を施せないことも幾分刺激になっている」。
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彼らは答えを見いだした目ざめよ! 1973 | 2月8日
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彼らは答えを見いだした
あなたは,世界のでき事を見て,どうしてこれほどまでに苦しみや不正があるのだろうと考えたことがありますか。だれに責任があるのでしょうか。こうした疑問や,他の気にかかる疑問に対して,信頼できる答えが得られたら,と思ったことはありませんか。多くの人々は今日,エホバのクリスチャン証人の助けを得て,聖書を学べば満足のゆく答えが見いだせることを知るようになってきています。
● 現在バハマ諸島に住んでいるある男の人は次のように語りました。「わたしは戦争で引き裂かれた国から来ました。家は戦争のさ中に失いました。わたしたち夫婦は命が助かったのでまだしあわせでした。しかし,わたしたちは疲労を感じ,みじめな気持ちになり,どうしてよいのかわからない状態でした。わたしは,『何をしたから自分はこんな罰を受けるのだろう。だれに責任があるのだろうか』と自問してみましたが,納得の行く答えは見いだせませんでした。
「そんなある日,ひとりのエホバの証人がわたしのところに来て,エホバ神はそうした事柄に一切関係がないこと,またコリント後書 4章4節によるとサタン悪魔が現在の事物の体制の神であって,邪悪な事柄の主要な責任者であるということを話してくれました。この邪悪な体制はエホバ神とみ子キリスト・イエスによってまもなく確実に滅ぼされるとその人は言いました。そして新しい事物の体制がそれに取って代わり,その体制のもとでは,人々は互いに平和に,また幸福に暮らすというのです。
「わたしはその証人と聖書を学びはじめました。彼は聖書の預言を説明し,エホバの戒めを教えてくれました。こうして,わたしは自分の疑問に対する答えを見いだしたのです」。
● アメリカのある婦人は,トニーという幼いむす子ができ死したため,悲嘆に暮れていました。夫は,口にこそ出しませんでしたが,心の中ではその事故のことで妻を責めており,結婚関係が危くなってきていることを婦人は感じていました。
ある日,カトリックの司祭が家に来たので,婦人はその司祭に,「なぜちいさなトニーは死んだのでしょうか」と尋ねました。すると彼は,『神が天でもうひとりの天使をお入り用だったからです』と答えました。かっとなった彼女は,司祭に「うそつき」と言いました。婦人はその時どんな気持ちだったかを次のように語っています。「神は,脳性小児麻痺のわたしにとってトニーを産むことがどれほどたいへんなことであったかをご存じのはずです。では,なぜ神はわたしからあの子を奪ったのでしょう」。
その後婦人は,むす子がどうしているかを知ろうとして,心霊術者である義理の兄弟のところに行きました。彼は自分の属する読書クラブに婦人を入れました。しかし,婦人の学んだ事柄は彼女に真の慰めをもたらすものではありませんでした。トニーは生きていて,地上で次の生物に生まれ変わるのを待っているということを信じるようになった婦人は,自分が死んでトニーと再会しないうちに,彼が生まれ変わってしまっては困まると考えました。それで,娘を殺して自分も死ぬことを決心しました。
まず彼女は,弾薬帯が何に使われるのかを知らないふりをして,銃に弾丸を込める方法を夫に教えてもらいました。計画を実行に移すことに決めていた日,婦人は娘に学校を休ませました。その日でした。玄関をたたく音がしました。それは女性のエホバの証人でした。娘はその証人に,母親は病気だと言ったので,証人は立ち去りました。ところがそのあと,今度は裏口で戸をたたく音がしました。それは別のエホバの証人でした。その人はすでにほかの証人が表口から訪問していたことを知らなかったのです。娘はその人にも,母親は病気だと言いました。しかし,その証人は,そのように断わられてもあきらめずに,あなたのお母さんに聖書のことを話したいだけだと娘に言いました。すると母親は中にはいってもらってもよい,と言いました。証人はその婦人に,死者の復活のことを述べている,ヨハネ伝 5章28,29節を見せ,地上に楽園を復興させるという神のお目的を話しました。
その結果,婦人は何年かぶりで希望を持つようになりました。しかし,彼女は,夫との仲が依然として良くなかったので,夫は理解してくれないのではないかと考えました。すると証人は,頭の権に関する聖書の教えに彼女の注意を向け,たとえ夫がキリストを自分の頭とすることを望まなくても,妻はキリストを頭として受け入れることができると言いました。そこで婦人は聖書を研究することに同意しました。
この婦人は聖書研究ですばらしく進歩しました。ついには夫も関心を持つようになり,今では婦人と夫は一致した家族として幸福に暮らしています。ふたりは聖書の研究を通して,人が死ぬ理由だけでなく,復活のすばらしい希望についても学びました。彼らは,今は死の眠りについているむす子がよみがえり,楽園となった地上で永遠に暮らす日を待ち望んでいます。また,献身しバプテスマを受けた証人として,聖書に基づく希望を他の人びとにも伝えています。
気になる疑問に対して聖書が与えてくれる答えは,確かに慰めをもたらします。
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