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聖書中の出来事を時代順に配列するものみの塔 1975 | 10月15日
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997年のこと,イスラエルの十部族は反乱を起こし,ヤラベアムを自分たちの王にしました。しかし,レビ人とベニヤミンの部族およびユダの部族は,ダビデの王家に固く付き従いました。十部族の王国は,ヤラベアム王が子牛崇拝を導入したため,さい先の悪いものとなりました。十部族の王国は,西暦前740年にアッシリア人によって滅ぼされるまでの期間ずっと,この汚れた偶像崇拝から回復することはありませんでした。(列王上 12:16-24,28-30。列王下 17:1-6)それからおよそ133年後の西暦前607年,二部族の王国のほうもバビロニア人によって征服されました。―列王下 25:1-9。
西暦前537年,70年にわたるバビロンでの捕囚の後,ユダヤ人の残りの者は神殿を再建するためエルサレムに戻りました。しかし,ネヘミヤの指揮の下にエルサレムの城壁が再建されたのは西暦前455年でした。預言者マラキは,西暦前443年に彼の預言を書き記しました。そしてこれをもって,ヘブライ語聖書はすべて書き終えられました。マラキの預言は,『契約の使い』,つまりメシアのために人々を整える神の使者が到来することを示していました。―マラキ 3:1。
クリスチャン・ギリシャ語聖書は,二人の使者の誕生に関する布告をもって,聖なる歴史の糸をたぐり始めます。西暦前2年の春,メシアつまりキリストの前駆者,バプテストのヨハネが生まれました。その六か月後,マリアは,予告されていたキリストとなるべき人物イエスを産みました。三年半にわたるイエスの地上における宣教は,西暦29年の秋に始まり,西暦33年の春,その死をもって終わりました。イエスが復活し,昇天した後も,弟子たちはイエスが始められた業を続けました。西暦98年ごろ,ついに聖書は,最後まで生き残った使徒ヨハネの手によって書き終えられました。同年ヨハネは,福音書に加え,ヨハネ第一,第二,および第三の手紙を書いたものと思われます。それより二年ほど前,ヨハネは「啓示」の書を書きました。
ここに挙げた説明は,聖書に記されている出来事をどのように時代順に正しく配列できるかを示しています。聖書をお読みになる時,個々の出来事を時の流れの中で位置づけるようになさってください。そうするなら,聖書に記されている歴史はあなたにとってより意味の深いものとなるでしょう。
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読者からの質問ものみの塔 1975 | 10月15日
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読者からの質問
● クリスチャンは自殺に対してどんな見解を持つべきであると,神の言葉は示していますか。
命の源であるエホバは,人間の命が貴くて神聖なものであると宣言しておられます。(創世 9:5。詩 36:9)ゆえに聖書は,自分の命を絶つ,つまり自分を殺すことに外ならない自殺を非としています。故意になされるそうした行為は,自分に対する殺人行為です。(出エジプト 20:13。ヨハネ第一 3:15)自殺をしたことが聖書の中に記されているごく少数の人は,エホバに対して不忠実で,自分の命が本当は神に属しているということを考えなかった人でした。―サムエル前 31:4。サムエル後 17:5-14,23。列王上 16:18。マタイ 27:5。
故意に自分の命を絶つ人は,命の神聖さを全く軽視しているゆえにそうするのです。そうした人は流血の罪を負うことにもなります。精神能力が正常な時に自殺をするなら,それは道徳観念や信仰の欠如,また神に対する恐れを持っていないことの表われです。それは,生活上の問題や責任を回避しようとする,憶病な行為です。自殺をした当人が真のクリスチャンであると唱えていたなら,その行為は当人とエホバとの関係をはなはだしく損なうものとなります。自殺行為は,命を絶つよう勧める悪霊の圧力に屈してしまうことになり兼ねません。(マタイ 17:14-18)こうした極端に自己中心的な殺人行為は,当人が,あとに残る家族に対する愛,会衆や友人に対する愛,果ては周囲の地域社会に対する愛さえ全く持っていないことの表われです。自殺行為は当人の仲間すべてに恥辱と憂いをもたらすからです。―マルコ 12:31。
大抵の国では,検死官でなければ,死因を公式に報告することはできません。しかし,検死官が自殺であるとの報告を提出したとしても,実際には自殺でない場合もあります。例えば,ある人の死に関してそうした自殺の報告がなされてから三週間後に,それがあまり例のない事故によるものであることを示すはっきりした証拠の明らかにされた例もありました。ゆえに,様々な状況を常に考えに入れなければなりません。精神病が関係していましたか。その人は正気でしたか。その人には責めるべき点あるいはとがめるべき点がありますか。すべての事実を知ることが困難な場合も少なくありません。
では,会衆と交わったことのある人が自殺をしたと伝えられる場合,その人の葬式に出席することに対してクリスチャン会衆の成員はどのような態度を取るべきですか。そのような葬式を司会するよう依頼された長老はどうすべきですか。自殺であると報じられてはいても事故であるように思われる場合や精神病が関係している場合に,会衆の成員の中には,遺族を慰めるため葬式に出席することを自分の良心が許す人もいるでしょう。遺族の求めに応じて,そのような葬式を司会するかどうかは長老各自の個人的な決定にゆだねられます。しかし,事情を知らない地域社会に与え得る影響を考え,会衆としてはそのような葬式を公に主催したり,王国会館でそうした葬式を執り行なったりしないほうがよいと決定する場合もあるでしょう。
一方,自殺をしたことが確認された場合,会衆の成員や長老はその葬式に関係したくないと思うかもしれません。そのような場合,内輪の葬式を取り決めることは遺族に任されます。そうした内輪の葬式では,遺族の中のだれかが親族一同のために一言話したいと思うかもしれません。さらに,自殺をしたと思われる人の葬式が,遺族の要請によって会衆の成員でない人や葬儀屋自身によって司会される場合,そうした葬式には出席したくないと思う人もいることでしょう。
正義を愛するわたしたちは,自殺に追いやられた人の中にも,将来に何らかの見込みのある人がいるかどうかという問題をあわれみ深い,全知の神のみ手にゆだねます。命を愛するわたしたちは,日ごとの命を神聖なものとみなし,日常の物事や交わりにおいて,人類に命を与えてくださった方の是認を得るような仕方で振る舞うよう努めます。
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麻薬について知るべき事ものみの塔 1975 | 10月15日
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麻薬について知るべき事
麻薬は,それを常用する人の生活にどんな影響を与えますか。聖書は麻薬を使うことについて何と述べていますか。
「真の平和と安全 ― どこから得られるか」と題する192ページの本は,「命の賜物に対する敬意」という章の中でこうした問題を扱っています。わずか150円のご寄付でお求めになれます。郵送料は発行者が負担いたします。
またご希望の方には,資格のある奉仕者がお宅を訪ね,ご家族の皆さんに,聖書に関する事柄を無償でお話しするよう取り決めることができます。108 東京都港区三田5丁目5番8号 ものみの塔聖書冊子協会(振替 東京 138022番)にお申し込みください。
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