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人間になる以前の存在ものみの塔 1962 | 10月15日
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の律法は,神の言葉によって批判されている人間を「もろもろの神」と呼んでいます。ユダヤ人たちが,人間のさばき人を「もろもろの神」という名称で呼んでいるこの聖句を取り消すことはできません。またこの聖句がそういうことを言っているという事実を否定することも,この聖句を霊感された聖書から取り除くこともできないのです。イエスはこれらのことをユダヤ人に告げられました。それにもかかわらず,はなはだ多くのすばらしい良いわざをされたイエス・キリストが,ご自分の父として神のことを話し,ご自分を単なる神の子として語ると,ユダヤ人たちは彼は神を汚したと言い,神を冒潰した者として彼を石で打ち殺そうとしたのです。それでもイエスは,詩篇 82篇が「もろもろの神」と呼んでいる人間どもよりすぐれていました。なぜなら,彼すなわちイエスは,彼の天の父が聖別して世におつかわしになったかただったからです。アサフが,イスラエルのさばき人たちを「もろもろの神」と呼んで一つの詩を作っても,神を汚したことにならないのなら,イエスがご自分を一つの神ではなく単に神の子と言ったことは,なおさら神を汚したことにはなりません。―詩 82篇。(表題)
69 (イ)これまで資料として用いてきたヨハネの書物の中で,私たちはイエス・キリストに関し何を見出すことができませんでしたか。(ロ)読者も私たちと一緒に,ヨハネの書物を資料にさらに検討をすることをすすめられているのはなぜですか。
69 以上のようなわけで,ヨハネの書物から取った前記のすべての資料のどこにも,イエス・キリストがご自分を神と呼んだり,人にご自分を神と呼ばせたりしておられるところは見あたりません。しかし,三位一体論者は,ヨハネの書物の中のこれに関係した聖句は,まだ全部検討されていない。これらの聖句は,イエスが,ご自分を神と言われたこと,人にも自分を神と言わせたことを証明し,さらにヨハネ伝 1章1節を「言葉〔あるいはロゴス〕は神であった」と訳している点で,多くの聖書は正しいことを証明するというでしょう。それで,「言葉」に関するこの記事のつぎの三つの部分で,そういう聖句を取りあげてみます。読者の皆さんも私たちと一緒にそれらを検討して下さい。
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神の目的とエホバの証者(その48)ものみの塔 1962 | 10月15日
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神の目的とエホバの証者(その48)
「『あなたがたは私の証者です』とエホバは言われる」― イザヤ 43:10,新世訳
トム: 法廷における公正な聴問の権利に対するこの恐ろしい打撃をうけて後に,エホバの証者と協会は戦いを断念しましたか。
ジョン: いいえ,彼らはだんことして断念しませんでした。協会の弁護士は,他の多くの件における妨害物を取りのぞこうとつとめました。その中の二つの件では,エホバの証者は列の終りに行って,就任局の役人と爪先立ったことがありました。南カロライナ州のスミスとペンシルバニア州のエステップの二人の証者は就任することを拒絶しました。彼らは告訴されて,二つの別々の控訴院が弁護を認めぬと述べたため,その後の処罰は確認されました。この二つの件は,それから最高裁判所に提出されましたが,その間に,戦争は終了しました。1946年2月4日,最高裁判所はエホバの証者に有利な判決をくだしました。最高裁判所は次のように裁定しました。すなわちエホバの証者に公正な聴問の権利を拒絶し,証者たちが弁論する前に中立を妥協して,まず軍隊にはいらねばならぬと裁定したアメリカ合衆国の下級連邦判所は間ちがっていたというのです。最高裁判所は次のようにも論じました。すなわち徴兵委員会は条例と規定に違反行為をなし,事実に反して奉仕者の類別を否定したのであるから,証者たちは徴兵委員会の無効なることを示し得るとのことです。a
その年の終り頃(1946年12月23日)最高裁判所は法律を拡大して,良心にもとづく戦争反対者で,収容所に行かなかったエホバの証者,あるいは出頭後も収容所に残らなかったエホバの証者たちが法廷で弁明することを許しました。これは,ギブリンとドデスの件でした。b
ロイス: 最高裁判所がそのような件における法律を明確にし,弁論を否定した下級の連邦裁判所の態度を矯正して後,戦時中に投獄され罰金刑を受けた4300名の証者たちに対してはなんらかの処置がなされましたか。
ジョン: ちょっと前にお話したように,唯一の残された方法はアメリカ合衆国の大統領に請願することでした。エホバの証者を代表した委員会は1946年のクリーブランドの大会決議にもとづいてそのことをしたのです。前にもお話ししましたが,大統領と恩赦委員会は,約136名だけエホバの証者に恩赦を与えて,残りの他の者全部に差別をつけるという処置を取り,事態をごまかしたのです。c
ロイス: 刑務所に入れられた4300人はどうなりましたか。
ジョン: ほんとうに大ぜいのエホバの証者が刑務所に入れられていました。しかし,彼らの行動は模範的だったので,刑務所の看手がてこずることはありませんでした。多数のエホバの証者が刑務所に入れられたため,連邦の刑務所施設を拡大することが必要でした。そして,多くの場合,全く新しい施設がつくられました。投獄された証者は,刑務所の仕事に忙しくない閑なときでも,時間を浪費しませんでした。それどころか,彼らには聖書や協会の他の出版物の研究をすることが許されたのです。彼らは余暇を良く利用して自分たちの教養を高めたのです。定期的に協会本部からの特別な奉仕者が彼らを訪問して霊的な面で彼らに奉仕しました。これらの人々が忠実を守ったことは,公式の記録になっています。彼らが絶対の中立の原則をしっかり擁護するだけの勇気を持ったことは,徴兵法にかからなかった多数の兄弟たちを強めるのに役立ちました。d
トムさん,ロイスの牧師がエホバの証者について語った疑問の解答が得られましたか。
トム: ええ,全部ではありませんが,しかしちょっと別のことが疑問になっています。エホバの証者が奉仕者であるという主張は通るようになりましたか。
ジョン: いいえ! エホバの証者が奉仕者としての資格を持っているかどうかについての長期間にわたる戦いは始まったばかりでした。もちろん,聴問の権利を確立するための,数年にわたるこの戦いは,エホバの証者に有利に判決されることが必要でした。しかし,1941年から1946年まで刑務所に入れられた4300名が奉仕者としての格づけを受けるにはおそすぎたのです。第二世界大戦終了と共に,徴兵委員会はなくなり,それと共に裁判所もなくなりました。しかし,徴兵の法律は終了しませんでした。1948年,国会は1948年選抜徴兵法が通過したとき,徴兵法は再施行されました。後になって,1951年には,それにはユニバーサル軍事訓練奉仕条令という名前がつけられました。1948年から今日にいたるまで,連邦法廷においてエホバの証者と徴兵委員会,選抜軍役システム,および法務省のあいだにはアメリカ全土において合法の戦いがなされました。それは,エホバの証者が奉仕者としての類別の資格を持つ者かどうか,もしそうなら,彼らの中のだれがその資格を持つ者かどうかについての戦いです。
ロイス: ぜひそのことをお話し下さい。
ジョン: 多数の事件において,遂にエホバの証者は成功をおさめ,法廷は彼らが奉仕者であって,兵役免除の資格を持つむね裁決しました。しかしこの成功は一夜にして難なく得られたのではありません。
トム: というと,証者は,以前,裁判の権利を確立した時と同様,またもや国中の法廷でこの問題のために戦わなければならなかったという事ですか。
ジョン: そうです。国中の全時間開拓奉仕者や会衆の僕の場合,徴兵委員会が事実に反する類別を決定し,奉仕者としての資格を認めないために起訴されたならば,協会はその弁護を引き受ける方針をとりました。エホバの証者の弁護士はその方針をつらぬいたのです。この論点を支持する判決が,前に一度ありました。それはシカゴの上告裁判所で争われた事件で,法廷は次のことを述べました。
……この事に関しては徴兵委員会あるいは法廷,あるいは他のだれかが,彼らについてどう考えるかは余り大切ではない。選抜徴兵局によって彼らが宗教団体と認められ,他の如何なる宗教団体の成員とも同じ待遇を受ける資格を持つことは事実である…
…委員会が4-Dの類別を拒否したことが正当かどうかについては,重大な疑いがある。この点に関する,委員会の当初の考えが何であったにしても,提出された証拠に照らしてみるとき,この者がかかる類別に入れられる資格を持つことは明らかである。e
トム: それは当然のことのように思えますが,他の法廷が同じ判決を下さなかったのはなぜですか。
ジョン: 会衆国各地においてどの事件の場合にも,政府の検事は,ハルの意見にもかかわらず,全時間開拓者が固定した会衆を持たないとの理由で,免除を受ける資格がないと論じました。また会衆の僕は一般信徒の会衆を持たず,エホバの証者から成る会衆を主宰しているとの理由で免除を受ける資格に欠けると論じたのです。この論法は,1953年11月30日,ディッキンソン事件に対する最高裁判所の判決が下されてから,はじめて克服され,論破
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