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『お前が生まれてくる前から,お前のことを大事にしていた』目ざめよ! 1984 | 10月8日
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覚悟ができているほどその子たちを愛している献身的な親についてさらに考えてみましょう。(ヨハネ 15:13)新聞の伝えるところによると,そのような親たちは医師が輸血を処方しても自分の子供に輸血を受けさせようとしなかったと言われています。なぜでしょうか。その人たちは愛のある親たちなのですから,それが冷淡さから出たものでないのは明らかです。
幾つかの事例では,そのような事件,すなわち親の権利にかかわる事件が法廷に持ち込まれました。これは読者がご自分の子供たち ― 生まれてくる前から大事にされていたに違いない子供たち ― をどのように世話するかということと関係があるかもしれません。こうした点を念頭に置いて読むなら,次の記事は非常に興味深いものとなるでしょう。
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この二親は愛情深いのか,それとも無情なのか目ざめよ! 1984 | 10月8日
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この二親は愛情深いのか,それとも無情なのか
自分の子供の受ける医療について決定を下す親の権利に関する問題はさまざまな国で生じましたが,特に注目に値する事件が一つあります。それはイタリアのサルジニア島の主要な都市であるカリアリ市に近い,サロークという小さな町の一夫婦,ジュゼッペ・オネダとコンシリア・オネダにかかわる事件です。
この事件は世界中に報道されているので,その悲しい経験についてある程度ご存じの向きもあるかもしれません。本誌a およびさまざまな国のマスコミはこの事件を大きく取り上げてきました。
死病
オネダ夫妻の幼い女の子,イザベラは重症地中海貧血<サラセミア>という恐ろしい遺伝性の血液病にかかっていました。その病気の治療法として知られているものはありません。それは死病です。場合によっては,輸血によって幾年も延命効果をあげることができますが,医学の権威者たちはそれが治療法でないことを認めています。ハリソンの「内科学の諸法則」(1980年版)はこう述べています。「[ベータ]重症地中海貧血の患者の平均余命は短い。この病気の最も重いものにかかった患者が成人するまで生き延びることはまれである」。イザベラの場合のように病気が重いと,大抵の場合生まれてから二,三年で死亡します。自分の子供がイザベラのような病気にかかっていたとしたら,どうしますか。
ジュゼッペとコンシリアはイザベラの死が避けられないものであることを知ってはいましたが,二人はその子をカリアリの一診療所に定期的に連れて行きました。そこでイザベラは周期的に輸血を受けていました。それにより一時的にある程度苦痛が和らいだものの,さまざまな問題も生じました。なぜでしょうか。輸血のために鉄分が多くなりすぎるからです。ウィントローブの「臨床血液学」(1981年)は,定期的に輸血を受ける『重症地中海貧血の患者の大半は,鉄分が多くなりすぎて合併症を起こし死亡する』と述べています。この医学書は次の点を認めています。「既に挙げられた治療手段の多くは,大規模な適用には不向きである。[最も効果のある方法]の現在の費用は,一人の患者につき,年間約5,000㌦(約120万円)である」。
医師の中には,地中海貧血の子供に普通の生活を長くさせる可能性についてバラ色の話をする人がいます。これは別に驚くべきことではありません。絶望的な状態を認めたいと思う人がいるでしょうか。病人が希望を託す医師であればなおのことそう言えます。しかし,不治の病があるということはだれでも知っています。地中海貧血はそうした病気の中に入れなければなりません。ですから,最善の療法について,またさまざまな治療法のもたらす結果についても,相反する見解があるかもしれません。しかし,本当に病気を治す治療法はだれも知らないのです。
幼いイザベラほど症状の重い子供の場合,たとえ輸血療法を行なったところで,長年持ちこたえられると医学的に保証することはできません。重症地中海貧血に関する統計は厳しい現実を明らかにしています。それは否定しようのない統計です。ミネルバ・メディカ(72,1981,662-70ページ)はISTAT(イタリア中央統計協会)のまとめた数字を載せていますが,それによると,1976年にこの病気で死亡した147人の子供のうち,23.8%は生まれてから4年以内に死亡しました。
愛のある親を“殺人者”呼ばわりするのはなぜか
前の記事の中で,エホバの証人と聖書を研究することにより,より幸福な家族生活を送るようになったイタリア人の一夫婦のことを取り上げました。ジュゼッペ・オネダとコンシリア・オネダも同様の経験をし,神の是認を受けた人は「たとえ死んでも,生き返るのです」というイエスの保証の言葉を学んで,その経験はより一層意味深いものとなりました。(ヨハネ 11:25)医師たちはイザベラにある程度の健康と命を保証することもできませんでしたが,神のみ子にはそれができるのです。
1979年の夏に,オネダ夫妻がエホバの証人になることを決めたとき,二人はカリアリ第二小児科診療所の医師たちにもはやイザベラに輸血をしてほしくない,と通知しました。二人は聖書から,神が使徒たちおよび忠節なクリスチャンたちすべてに,『血を避ける』よう命じておられたことを学びました。(使徒 15:28,29。創世記 9:3,4と比較してください。)その結果,それらの医師たちは少年裁判所に介入することを求めました。裁判所は,娘に輸血を受けさせねばならないとこの二親に指示し,定期的に輸血が行なわれるのを進んで見守る責任をこの事件に関係した医師たちに課しました。
オネダ夫妻が代わりとなる治療法を探してほかの医師たちの助言を求めていたその期間中,その娘は強制的に連れ去られ,輸血をされていました。それでも,病気は悪化してゆき,イザベラの大切な器官の状態は悪化の一途をたどりました。1980年3月に,医師たちはもはや輸血療法を行ない続けるのをやめてしまいました。数か月のあいだ,輸血を受けさせるためにイザベラを病院に連れて来させるよう取り決めなかったからです。医師たちはどうして法廷の指示を受けた責務を遂行しなかったのでしょうか。当局は今日に至るまでこの謎を解こうとはしていません。
その後数か月のあいだ,オネダ夫妻は自宅で与えることのできる薬を手に入れ,裕福ではないのに,自分たちの手に入る最も良い食事をさせることによって,愛する娘のためにできる限りのことをしました。決して希望を捨てることなく,ドイツやフランスやスイスの専門家たちにも手紙を書きました。
6月の末に,イザベラの容態が急に悪化しました。それは気管支の感染のためだったかもしれません。重症地中海貧血を患う子供にとって気管支の感染は致命的なものになりかねません。この期に及んで,警察が再びやって来てイザベラを診療所に連れて行き,イザベラはそこで強制的に輸血をされている間に死亡しました。
自分たちの2歳半になる子供が死病にかかっていることを承知していたとはいえ,その7月2日に,オネダ夫妻の味わった悲しみと喪失感とを想像することができますか。ところが,二人の悲しみにはさらに別の一撃が加えられることになっていました。1980年7月5日の5時ごろ,二人の警察官が友人の家にいたオネダ夫妻を逮捕したのです。二人には生後3か月の2番目の子供,エステルを友たちに託してゆく時間しか与えられませんでした。
二人はカリアリの地方拘置所に連れて行かれました。そこは“正義の細道”(皮肉もいいところです!)と呼ばれ,イタリアの中でも特にひどい部類に入る拘置所の一つでした。二人は拘置所の別々の監房に拘禁されました。
どうして殺人罪で有罪宣告を受けることなどあり得るのか
このつつましい夫婦は20か月間拘留されました。ようやく公判が開かれ,1982年3月10日にカリアリ巡回裁判所は衝撃的な評決を出しました。その評決はジュゼッペ・オネダとコンシリア・オネダを故意の殺人の罪で有罪としました。判決は懲役14年でした。これは多くのテロリストに科される刑よりも重いのです。
この評決がイタリアじゅうで取りざたされ,大勢の法律専門家たちがその評決を批判した理由もお分かりでしょう。この事件は上訴されましたが,1982年12月13日に,カリアリ巡回上訴裁判所は以前の評決を追認しました。その裁判所のしたことといえば,オネダ夫妻は『特定の道徳観を動機づけとして行動していた』ので,酌量すべき情状があるとして,刑を懲役9年に減刑しただけでした。
人間によって行なわれる公正なはずの裁きの場である法廷の前で残されていた最後のチャンスは,最高破棄院に上訴することでした。1983年7月8日に,ジュゼッペ・オネダは仮釈放になりました。獄中で3年間過ごし,健康状態が悪化して危険になったためです。しかし,コンシリアは投獄されたままでした。
最高破棄院
ローマにあるこの裁判所はイタリアの司法制度の最高機関です。この裁判所は法律の正しい適用と解釈とにかかわる問題を裁き,上訴があった場合に下級裁判所の出した判決を再審理します。法律が守られていなかったとか正しく適用されていなかったとの判断を同裁判所が下すと,この最高法院には以前の評決を無効にし,その事件を再び審理するよう別の裁判所に命ずる権力があります。最高破棄院は1983年12月13日にオネダ夫妻の事件を審理しました。
最高法院は大抵の場合に,提出された評決を破棄することをしませんし,二度にわたる下級審の不利な評決にはかなり重みがあると思われました。では,オネダ夫妻が公正な裁きを受けて,愛のある,気遣いを示す親である二人が,そのような人間としてみなされる希望が幾らかでもあったでしょうか。
事態の劇的な展開!
その日,法廷で起きた事柄をここで再現することにしましょう。
5人の判事のうちの一人が報告係を務め,事件の際立った点を法廷に提出して冒頭陳述が行なわれた後に,検察当局の言い分の申し立てが始まりました。
弁護側は,検察当局の代理をする判事を特に恐れます。その判事の要請を無効にするのは非常に困難だからです。しかも,このとき検察当局の代理をした判事は,数多くの有名な事件でその役割を担ってきた老練な裁判官でした。この人はどんなことを言うでしょうか。
驚いたことに,その判事はこう尋ねました。「この訴訟の際に明るみに出た諸事実によると,父親あるいは母親はいかなる時点においてであれ,その子供の死を望んでいることを表わしたであろうか。カリアリ裁判所はこの質問に対して十分の答えを出しているだろうか」。そして,「少年裁判所はその子を父親と母親の手に委ねたが,それは二人が愛のある親で,子供にとってその家庭環境が最善であると認めたからである」と付け加えました。検察当局の代理をしたこの判事は次いで,『関係していた判事,専門家および社会学者たちは,この親たちが自分たちの子供の保護監督権を与えられるにふさわしいかどうかを定める最もよい立場にあった』ことに注意を促しました。
オネダ夫妻が悪意を抱いてその子供の死を生じさせたという主張はどうでしょうか。検察当局の代理をした判事はこう言葉を続けました。「我々が冷静になった上で,殺意があったと言えるほど強力な証拠は,挙動の上での証拠も証拠となる他の要素も存在しない。……したがって,これらの理由により,我々は[カリアリの]判事たちがこれらの質問に対して満足のゆく答えを出していないとする」。
次いで,検察側のこの判事は,「よって,殺意の有無についての評決を取り消すよう本法廷に求める」という驚くべき要請をしました。
殺意があったことを証明する証拠はないのです。ということは,オネダ夫妻は故意の殺人者などではないということです。それに加えて,検察側の判事は以前の裁判の取り消しを申請していました。
次いで,同法廷は弁護側の言い分を聞きました。その弁護士たちは国中にその名を知られた人たちでした。弁護士たちは下級審の訴訟手続きの矛盾と,出された判決の不条理なところを指摘しました。
それから裁判官たちはしばらくのあいだ退廷しました。最後に,裁判長が同法廷の判決を読み上げました。以前の評決を取り消し,本件をローマ巡回上訴裁判所に移し,そこで再審理すること。
最高法院はその判決の理由を述べた際,とりわけ,小児科診療所と他の行政事務機関の重大な欠点を明らかにしました。『疑いもなく……行政事務機関には重大な落ち度があった。それらの機関は最初の措置を取ったあと……被告の思想上の信条に関する問題をはっきりと,恒久的に解決するための何らかの対策を立てるようにとの明確な要請があったにもかかわらず,それらの機関は全く関心を示さなかったのである』。これは最高破棄院の判決の30ページにある言葉です。
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