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  • 伝統の中で勝ち誇る聖書の真理
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1985
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  • 聖書の真理の力
  • 子供たちに益となっている聖書の真理
  • 『王国を第一に求めなさい』
  • 種々の人から成る社会という問題
  • 将来を考慮に入れて建てる
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1985
塔85 5/15 27–30ページ

伝統の中で勝ち誇る聖書の真理

今から100年前,英国の家庭では大抵聖書が主要な地位を占めていました。1611年に発行されたジェームズ王欽定訳はこの国のプロテスタントの伝統にとってなくてはならない存在となっており,当時人々から大いに愛され尊ばれていました。ですから,ものみの塔協会の初代会長,チャールズ・T・ラッセルは,1891年に初めて英国諸島を訪れた時,人々の「宗教的熱情」に感銘を受けました。ラッセルはこの国のことを「収穫を待つばかりになっている畑」と述べ,それら関心を示す人々を集め,この国に聖書文書をもっと行き渡らせることが緊急に必要とされているのを見て取りました。

その必要を満たすため,ラッセルはロンドンに文書集配所を開設しました。また,1898年までに英国には聖書研究者(当時エホバの証人はそのような名で知られていた)の集まり合う会衆が九つ存在するようになっていました。さらに2年後の1900年には,ものみの塔協会の最初の支部事務所がロンドンに設立され,1911年にその所在地はクレイブン・テラス34番地になりました。そのすぐ近くのロンドン・タバナクルは幾度も歴史的な大会の会場となりました。福音宣明の業は英国全土で繁栄を見ました。

しかし1914年に第一次世界大戦が勃発してから,状況は変化してゆきました。伝統ある宗教が支持を失うようになり,その衰退は今日まで続いています。古い教会や大聖堂を擁した伝統,そしてしきたりや儀式をひたすら重んじている英国国教会が70年後に,20歳前の人々で,教会員の75%に当たる人々を失う事態になることを,その当時いったいだれが想像したでしょう。また,スコットランド教会の会員が100万人を切る,つまり人口の18%ほどに激減すること,あるいはウェールズで多くの礼拝堂が車庫やスーパーマーケットや娯楽センターになり果てることなどだれが想像したでしょうか。しかし,これが今日見られる状態なのです。

他方,英国のエホバの証人が1984年に,9万5,000人を上回る活発な伝道者を数えることや,エホバの証人の1,170の会衆が前例のない王国会館建設計画に携わることをだれが想像したでしょうか。しかしそれは歴然とした事実です。矛盾するように思えるこうした進展をどのように説明できるでしょうか。エホバの証人は英国でなぜ繁栄しているのでしょうか。また彼らは今日どんな問題への対応を迫られているでしょうか。

聖書の真理の力

ことわざにもあるとおり,伝統は簡単に廃れるものではありません。それでも,長年教会の忠実な支持者だった人の中に,聖書の真理に対する愛によってそうした伝統の捕らわれから逃れた人が大勢います。また,聖書の真理の力によって生活を変革した人もいます。次に紹介する経験からも分かるように,英国において聖書の真理は確かに伝統の中で勝ち誇っています。

生まれてからずっと英国国教会の会員としての立場を守り,聖書をこよなく愛していることでよく知られた一人の年配の婦人がいました。その婦人は,自分と同じ地域に住むエホバの証人を大勢知っていて,証人たちには感服していましたが,証人と宗教について話し合うということになると,決して深入りしようとはしませんでした。しかし,近所の聖書研究の群れで「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」と題する本が研究されることになった時,その婦人は招待に応じて集まりに出席し,そこで行なわれていた討議の内容に深い感銘を受けました。そして,それ以来,その集会と会衆の王国会館で開かれる集会に定期的に出席するようになりました。教会区司祭の訪問を受け,教会に姿を見せなくなったことについて尋ねられた時,婦人はきっぱりと,教会に所属していた86年間に聖書について学んだことよりも,その二,三週間に学んだことのほうが多かったので教会へ戻るつもりは全くないと言いました。

「証人と話し合い,罪を認める」という見出しで次のような記事が「西ウェールズ・ガーディアン」紙に載りました。30歳のある男性が窃盗罪で逮捕されました。その男性は「無罪」の申し立てをするよう弁護士に指示しました。ところが,審理が行なわれる前に,エホバの証人と聖書研究をするようになりました。その結果はどうなったでしょうか。法廷に対して供述書が出され,弁護側が「有罪」を申し立てるというどんでん返しになったのです。主席治安判事はその事件の要約の中で,「被告が国の法律に従って生活するよう決意したことはたいへん喜ばしいことである」と言明しました。その人の妻は,夫がすでに生活を著しく改めたことを認め,感情を込めて「これは本当に最善の生き方です」と言いました。

子供たちに益となっている聖書の真理

片親だけがエホバの証人になっている家庭では,子供たちが伝統的な宗教儀式に参加できないのはかわいそうだということがとりわけ長年の間争いの種となってきました。しかし最近,高等法院は,感情の絡むこの問題について異なった視野に立って判決を下しました。その内容は一部次の通りです。

「[エホバの証人の]信条と活動に不道徳な点や社会的に不愉快な点は一つもない。母親に従ってエホバの証人になる可能性にはこれらの子供の福祉に対する脅威が付いて回るが,今扱っているのは受けの良くない宗派であるゆえ,そうした脅威を強調しすぎるのはたいへん危険なことである」。

エホバの証人の子弟は,かわいそうどころか,クリスチャンとして訓練され,しつけられているのでほめられる場合が少なくありません。一例として,スコットランドのグラスゴーに住む一教師はエホバの証人の子弟について,「学校で良い成績を収めているが,それは彼らがほかの子供より頭が良いからではなく,幼い時から座って耳を傾け,学んだことを適用する方法を教えられているからである」と述べました。さらに,十代の証人たちについて,比較的平衡の取れている場合が多いので,青年期に特有の問題に対処しやすいのではないかと思うと述べています。

『王国を第一に求めなさい』

それらの子供が成人したらどうなるでしょうか。子供の時に受けた訓練は後の人生で何らかの益になるでしょうか。現在英国には350万人の失業者がいるので,生活の中で霊的な事柄を第一にするのは本当に試みとなり得ます。それでも,イエスの約束にあるとおり,『王国を第一に求める』なら確かに豊かな報いがあります。次の経験はそのことを実証しています。―マタイ 6:33。

ある若いエホバの証人は,全時間宣教と世俗の仕事のどちらを取るかを決めようとしていた時,ある工学関係の会社で,将来有望な仕事を提供されました。ただし,火曜日と木曜日の晩に特別な研修を受けるということが条件になっていました。しかしその青年は,自分がエホバの証人であり,火曜日と木曜日の晩は会衆の集会に出席していることをはっきり言うことにしました。「君はどちらを第一にするかね」と支配人は尋ねました。若者は妥協したくなかったので,その申し出を断わり,生活費を賄うためにパートタイムの仕事に就いて全時間宣教を始めました。

この若者は現在,宣教者になって外国の地で奉仕することを目標にしています。幸福で実りある活動に従事してきた4年余りを振り返ってみると,自分と同世代の人で大学へ行ったのに就職できないでいる人を大勢目にしています。社会の落伍者になった人もいます。仕事を提供した会社はどうなったでしょうか。その後間もなく倒産し,今は影も形もありません。

全時間宣教つまり開拓奉仕は若い人だけのものではありません。イングランド北部に住む一家の主人である一人の証人は定期的に開拓奉仕をするため,繁盛していた事業を売ってパートタイムの仕事に就きました。父親の立派な手本があったので,その人の4人の子供のうち3人は学校を卒業すると直ちに開拓奉仕を始め,残る一人の娘も自分の番が来たらその仲間に加わりたいと強く願っています。母親も,できるときには補助開拓者として奉仕し,ひと月に60時間以上を宣べ伝える業に費やして立派な手本を示しています。

英国では補助開拓の業が盛んになっています。1984年5月には最高数に当たる1万2,108人の証人がこの奉仕の特権を進んで捕らえました。スコットランドのある会衆では,サリドマイド児として生まれたため両腕と片足のない,23歳になる兄弟が率先して補助開拓を申し込みました。その時,会衆の熱意がどんなに燃え上がったかご想像いただけるでしょう。会衆内の人々の親切な援助により,その人は家から家へ証言することができます。

種々の人から成る社会という問題

英国は狭い国ですが,異なった伝統や言語や方言に関する問題がないわけではありません。例えばウェールズでは,英語を話す人々でも大抵土地の言語であるウェールズ語をいまだによく知っています。ウェールズのずっと辺ぴな地方には少数ながらウェールズ語しか話さない人々がいます。それらの人々を援助するため,協会は最近幾つかの聖書研究の手引きをウェールズ語で印刷しました。最初の幾つかの報告からすると,それらの手引きは大いに歓迎されているようです。

第二次世界大戦以来,英国の市民権を持つ人々が以前の植民地から絶え間なく流入してきています。報告によれば,現在英国には,多数の西インド諸島出身者を別にして,インド,パキスタン,バングラデシュからやって来たアジア人が100万人余り住んでいます。その人たちの言語はエホバの証人にたいへん興味深い課題を投げかけてきました。聖書文書は関係する二つの主な言語,すなわちグジャラート語とパンジャブ語で入手できますが,真理を伝える最初の糸口をつかむのは容易ではありません。それらの人の言語を学び,彼らの社会的宗教的伝統を理解しようと決意している証人たちは,その人たちの社会に温かく迎え入れられています。

その結果,ロンドンの新聞ガラビ・グジャラートの報道によれば,「グジャラート人の中には,ヒンズーの伝統的なカースト制度から離脱し,現在エホバの証人になっている人が少なくない」ということです。ウエンブリー・ミッドウィーク紙にも同様の趣旨の,「聖書,カーストの障壁を打ち壊す」という見出しが載りました。しかし,カースト制度を離脱した人々は,特に,見合い結婚という伝統に関連して家族から非常に強い圧力を受けます。ある若いインド女性はそうした状況に立たされ,お見合い相手として何人かの男性を次から次に紹介されましたが,その都度相手の男性に徹底的に証言しました。それらの男性はそれぞれ,この女性の信仰が強いのを見て彼女との結婚を望まなくなりました。この女性は結局,両親の承諾を得て,インド人のエホバの証人と結婚しました。二人は現在一致した家族としてエホバへの奉仕を行なっています。今日英国全土にはアジア系の活発な証人が500人余りおり,そのうち35人は全時間の伝道者です。

将来を考慮に入れて建てる

第二次世界大戦が始まるほんの数か月前に,ロンドンおよび,ハローとイルフォードの郊外に王国会館が初めて建設されました。今ではロンドンだけでも,四つのギリシャ語会衆,二つのイタリア語会衆および一つのスペイン語会衆を含む140の会衆があり,そのほか,中国語,グジャラート語,日本語,ポルトガル語,パンジャブ語の群れがあります。土地家屋の価格の高騰に伴い,新しい王国会館を取得することはこれまでに増して難しい問題となっています。

しかし,二日で建てる王国会館という新しい建設計画は物事の速度を速めるものとなっています。1983年にヨーロッパで最初の,その種の王国会館がイングランド中部の都市ノーサンプトンに建てられました。そのユニークな建設の分野での経験の深い証人が米国やカナダから建設を監督するためにやって来ました。近所のある学校では校長先生が,彼の言う「地域住民による一大事業の興味をそそる光景」をじかに見るため一定の時の間隔を置いて建設現場を見学することを生徒に許可しました。しかしそれは単に地域住民の事業というだけにとどまらず,日本,インド,フランス,ドイツなどのずっと遠い国から駆けつけた約500人の自発奉仕者の混じる国際的な建設計画でした。

現在英国ではこの一致の精神のことがよく話題になります。エホバの証人はもはや取るに足りない少数グループとみなされてはいません。英国国教会の一牧師が述べたとおり,「燃えるような熱意と能率的な組織」をもって将来を考慮に入れながら建てている,目的のある人々とみなされています。その牧師はさらに,「聖書について詳しい知識を持っている人々であることがうかがえる。聖書を引用することができ,どこに何が書いてあるかよく知っている。一般の成員たちが驚くほどよく訓練されているようだ」と述べました。エホバの証人が一致と力強さを見せる理由はまさにそこにあります。すなわち,エホバの証人は,自分たちが信じまた宣べ伝えている事柄すべての根拠として,聖書だけを用いているということです。それは今日容易に認められる事実です。

英国では1980年代の今も聖書はベストセラーであり,聖書に対する敬意も残っています。確かに,100年前のような,すぐそれと分かるような「宗教的熱情」はもはや見られないかもしれません。しかし,英国のエホバの証人は聖書の真理を高く掲げることにより,収穫物を豊かに取り入れています。1984年に行なわれた,年に一度の主イエス・キリストの死の記念式には合計18万7,709人がエホバの証人と共に集まりました。これは出席者の最高数に当たります。したがって,現在の事物の体制がその終結に近づくにつれ,伝統の根強いこの国で今後さらに大勢の人が真理を受け入れて真理の神エホバの崇拝者になるものとエホバの証人が確信しているのももっともなことです。―マタイ 24:3,14。

[27ページの地図/図版]

(正式に組んだものについては出版物を参照)

英国

スコットランド

グラスゴー

イングランド

ノーサンプトン

ロンドン

ウェールズ

[29ページの図版]

英国ノーサンプトンの,またたく間に建てられた王国会館

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