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  • 結婚に関する神のお考えを知る
    目ざめよ! 1971 | 5月8日
    • が妊娠したので,彼女の親から責めたてられたからだ,と彼は主張しました。まともな生きかたでないことはわかっていましたが,彼の弁解と約束とで気持ちが弱り,私は両親の家を出て,彼が私のために借りた家に移りました。

      そのときから私は,スリナムで「ブイテンブロー」,つまり「外の女」として知られている者になったわけです。この境遇の人は,ここでは少しも珍しくありません。アブラハムや他の族長たちがめかけをもったのだから,これは聖書的だ,と言う男たちさえいます。一夫一婦は,女にとっては自然の道だが,男にとってはそうではない,と彼らは主張します。そのころの私は,結婚に対する神のお考えについて全く無知でした。

      こうした状態のもとで生活しながら,5年間,彼は私に愛情を示しました。ところが,彼の態度は急変しました。彼はがまんのできないような人間になりました。何の理由もなしに私を打つこともしばしばでした。あるときなど,彼の4人目の子どもを妊娠していた私を,階段から押し落としました。私は,この恐ろしい,悲しい状態から救い出してください,と神に何度も祈ったことをおぼえています。

      私はくりかえし,出て行く,と言って彼をおどしました。そして力と勇気を奮い起こして,3度それを実行しました。しかしそのたびに結局は折れて帰ってきました。もし戻らなければ,私と子どもたちに,何か恐ろしいことが起こるかもしれないことを,私はひどく恐れていたようです。わたしたちは,同じ問題,つまりわたしたちの生きかたについて,絶えずけんかをしていました。私は,これは正しい生きかたでも,子どもの育てかたでもないということを主張しつづけました。その行きつくところは,さらに多くの殴打と一時的な別居でした。

      時にかなった助け

      そうしたある日,ひとりの婦人が私の家に来ました。その人はエホバの証人でした。私は,その人が私の家に来て毎週私と聖書の勉強をするということに同意しました。ところが,それと同じ時に,私はある知人から,心霊術者にたのんで問題の解決を助けてもらいなさい,と強くすすめられました。心霊術者は,紛のようなものをくれました。これを“私の主人”の食物と飲み物の中にそっと入れるのです。そうすれば,すべての問題はさらりと消えて,私に対する相手の愛情がもとにもどるというのです。しかし,事態はすこしもよくならず,かえって次第に悪化していきました。

      あるとき私は,週一度の聖書の勉強が終わったあと,証人である友だちに,心霊術にたよったことには触れないで,自分の窮状を打ち明けました。彼女は,親切な中にもしっかりとした態度で,勉強をつづけるよう私を励まし,克服しがたいように思える問題でも,時がくれば解消する,という希望を差し伸べてくれました。私は最後に,自分の結婚生活についての実状を率直に告白しました。「正義の新しい世を待ち望んで生活する」という小さな聖書の手引書の1節をわたしたちが読んだのは,この話のすぐあとでした。これによって私の考えかたはすっかり変わりました。

      これが,私の注意を捕えたその小冊子からの引用です。「従ってクリスチャンはどんなことがあっても,悪鬼崇拝や魔術に加護や病気のいやしを求めません。献身したクリスチャンは神に信仰をおくことを神から命ぜられています」。この箇所にはエペソ書 6章14-18節も引用されていました。また,子どもをおんぶしたクリスチャンの母親が,道具をもった祈とう師の助けを,手をあげて拒んでいるさし絵ものっていました。

      のちほどわたしたちは,「ほまれある結婚」という問題を扱った。同じ小冊子の大切な部分も取りあげて話し合いました。その話し合いのあいだに私は,今日の男性が,ひとり以上の女と関係をもつ問題で,アブラハムや他の族長たちを引き合いに出せないことを学びました。キリストの到来で,ヘブル人たちが習慣にしていた一夫多妻はもはや黙認されなくなったのです。クリスチャンの男子は,『ひとりの妻の夫』でなければならず,『女はそれぞれ自分自身の夫を持たねばなりません』。(テモテ前 3:2,12。コリント前 7:2)これは全く驚くべきことでした!

      そして実際に私に戦いをいどんだのは,その小冊子の中の次の節でした。「社会一般のしきたりのため,あるいは他の理由で聖書のこれらの要求にかなっていない家庭の場合,聖書の教えを聞くと,聖書はある意味で挑むものとなります。必要な変革をなし遂げますか。そうすればエホバから豊かに祝福されることは間違いありません。エホバは結婚の創始者であり,従順な人に対して新しい世において永遠の生命を与えます」。

      正しい決定をする

      そこで私は決定を下さねばなりませんでした。自分の生活を,結婚にかんする神のお考えに一致させねばなりません。(ヘブル 13:4)ほかの女性と正式に結婚しているこの男から離れねばなりません。しかしそんな勇気がどこにあるでしょうか。私は彼をひどく恐れていました。こんど出て行ったら殺してやると,おどされていたのです。彼は,私と聖書を勉強していたエホバの証人の婦人もただではおかない,とさえ言っておどしました。

      親切な証人の婦人は,エホバの正しい原則に従って生きようとする者にエホバは助けを約束されているという自信をもって,私を励ましつづけてくれました。(詩 34:7)エホバに助けを祈り求めなさい,と彼女は私にすすめました。私はその助言を感謝し,言われたとおりに祈りました。それでも事態は明るくなりませんでした。そうしたある日,私はふと,心霊術者からもらったあの粉をまだもっていたことを思い出し,さっそく捨ててしまいました。

      それから事態は変化しはじめました。私は覚悟を決めました。次の勉強のときに私は証人の婦人に話しました。「神のご期待にそって生活するためには,私はこの人と別れねばなりません。私はその覚悟を決めました。わたしと6人の子供のために,小さな家を見つけていただけないでしょうか」。彼女は,できるかぎりの援助をすると約束しました。

      まもなく家が見つかりました。衣類の荷造りをしている最中に,内縁の夫が帰ってきました。彼は,私がほんとうに彼のもとを去るのだとは信じられなかったようです。私の決意が堅いのを知ると,彼は,ふたりでもっとよい生活をすることについて,いろんな約束をしはじめました。私は決意をひるがえしませんでした。エホバの助けがあったからこそそれができたのです。彼は私が借りた家を見せろと言ってききませんでした。私が家を借りたことを信じていなかったのです。

      その晩彼は,私の新居にやって来て,ぜひ帰ってくれとたのみました。私が断わると彼は私をなぐりはじめました。こんどこそ私はおどしにのりませんでした。たしかにエホバは私に力をそそいでくださいました。騒ぎに気を悪くした家主は,私の以前の相手を屋敷から腕づくで追い出し,二度と屋敷に足を踏み入れるな,と言いました。その間私は,決意が保てるように助けてください,とエホバに祈りつづけました。エホバはたしかにその祈りを聞いてくださいました。

      良い結果

      やっとエホバのご要求にかなった生活ができるようになって,私はあんどの胸をなでおろしました。私がこの決意をしたことを,子どもたちはどんなに喜び,感謝したことでしょう! 絶え間ない口論と殴打は,子どもたちの生活にほんとうに悪い影響をおよぼしていたのです。いま子どもたちは,内面的な満足と幸福で満たされています。母親である私にはそのことがよくわかりました。

      もちろん問題もありました。これからは私が家族の生計を立てていかねばなりません。しかし幸いに,午前8時から午後2時まで働ける仕事口が見つかりました。これならば,子どもたちが学校から帰るころ,家にいてやれます。わたしたちは,エホバの証人の群れの集まりに出席しました。ですからエホバの崇拝においてもほんとうに一致した家族になりました。

      勤めに行くときや買い物に行くとき,以前の“夫”に会うことが時々ありました。彼が私に話しかけてくるとき,私は無言でエホバに力を祈り求め,いつも,結婚にかんする神のお考えや,生活にかんする聖書の他の原則について彼に話すように努めました。

      今私は,結婚にかんする神のお考えを学びはじめた日を振りかえって見て,それが,私の今までの生涯のうちで最大の挑戦を面前につきつけたことに気づきます。それがいかにむずかしい,激しい変化を意味する決意であったか,私は今でも思い出すことができます。しかし,現在私と子どもたちが享受しているしあわせは,わたしたちが経験してきた苦しみをはるかにしのぐものであることを,私はいま認めざるをえません。

      力の源はエホバでした。エホバにたよらなければ,正しい決意をし,またそれを保つのに必要な勇気を得ることはとてもできませんでした。この「終わりの日」に,私のような境遇にある人々が生活を変えて,結婚にかんする神の正しい見方に生活を合わせるよう助けるため,エホバがご自分のしもべたちを準備されたことを,私は感謝しています。

  • 法王訪問で注目を浴びたフィリピンの教会
    目ざめよ! 1971 | 5月8日
    • 法王訪問で注目を浴びたフィリピンの教会

      フィリピンの「目ざめよ!」通信員

      1970年11月27日,マニラに到着したジェット機から,法王パウロ6世が姿を現わし,フィリピン大統領の指揮する盛大な歓迎に答えたのは史上画期的なでき事であった。というのは,法王が,極東そしてカトリックの優勢な国として400年以上の歴史を持つフィリピンを訪れたのは,これが初めてだったからである。

      法王の訪問により,フィリピンのカトリック教会はかつてないほど一般の注目を浴びることになった。同国のカトリック司祭会議が発行した教書によれば,それは,「カトリック生活を問う機会」であり,また「自己吟味の時」であった。一著述家は,法王は「大混乱の教会」へ来たと語り,1970年6月13日付マニラ・タイムズ紙は,教会は「フィリピンにおける400年間のうち,おそらく最も深刻な挑戦に直面している」と評した。

      混乱とか挑戦,また自己吟味の必要とはいったい何のことなのか。世論,といってもその大半はフィリピンのカトリック教徒自身が語っている事柄なのだが,それを調べれば真相がわかってくる。

      宗教について無知の人々が多い

      早くも,1970年6月9日,諸国民に福音を伝道するためのバチカン聖省の広報,「フィデス」は,フィリピン人のローマ・カトリック精神に賛辞を送りながらも,「フィリピンのカトリック教徒の多くには,なお相当の無知が見られる」ことを認めた。同広報によれば,「宗教はしばしば迷信となる傾向が

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