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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1981
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ミサの後

● クレアレンス・J・ウォーカーは,様々な教会でミサの後に合計300人のカトリック教徒と話し合った結果をナショナル・カトリック・レポーター誌に書いています。ミサの際の出席者の無関心さに注目したウォーカーは,次のような幾つかの質問を提起し,以下のような答えを得ました。

「司祭の今日の説教は良かったと思いますか」。100%が肯定の答えをしました。「説教の内容はどんなものでしたか」。82%は答えられませんでした。

「最初かその次の朗読は何に関するものでしたか」。一人も答えられませんでした。

「ミサの中で読まれた聖福音は何でしたか」。80%は答えられませんでした。

「今日教会に来ていた人たちの中に,言葉を掛け合うぐらい親しい人が一人でもいましたか」。98%が,いない,と答えました。

「聖書を定期的に読んでいますか」。読んでいる人は一人もいませんでした。「聖書についてもっと知りたいと思いますか」。98%が,はい,と答えました。「ミサの前や晩の時間に聖書研究が設けられれば,それに出席しますか」。94%は,出席しない,と答えました。

ウォーカーは同信のカトリック教徒に対して次のような所見を述べてその記事を結んでいます。「来週の日曜日45分間,教会でお会いしましょう。もっとも,あなたを本当に自分たちの一員にするようなグループに改宗させられなければの話ですが」。

「古き良き時代」?

● 世界は問題に満ち,統治不能になってきているため,人類がこれから入って行こうとしている時代と比べれば,二つの世界大戦を含む時代も,「古き良き時代」のように思えるであろう,とドイツの一新聞は述べています。

「ベルト・アム・ゾンターク」(日曜日の世界)紙は,「世界は統治不能になってきているか」と題する一連の記事を掲載し,こう述べています。「我々はロケットを打ち上げ人間を月に送り込み,他の惑星に宇宙船を送り,海洋の底にもぐり,あと少しで人工的に生命を作り出すところまで来ている。また,原子を分裂させて,人類を滅ぼすこともできる。しかし,我々はもはや何が“善いこと”で,何が“悪いこと”かについてはっきりしたことを言えなくなった。……いずれにしても,世界を我々の意にかなった方法で統治して行くことはほとんどできなくなりつつある。だからといって,世界が回転しなくなるというわけではない。しかしこれは,二つの世界大戦を含む今世紀の最初の80年間が古き良き時代と思えるような激動の時の始まったことを意味している」。

イエスはわたしたちがこの時代に目撃する状況を正確に予告し,こうした諸問題が「世のはじめから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難」に至ることを正確に予告されました。(マタイ 24:21)その時神は,クリスチャンが長年にわたって祈り求めてきた天の王国によって地球上の物事すべてをご自分の支配下に置かれます。その結果,『義の宿る』新秩序への道が開かれます。―ダニエル 2:44。マタイ 6:9,10。ペテロ第二 3:13。

既婚の司祭の問題

● 聖公会の僧職者をカトリックの司祭として叙任できるという見解をバチカン当局が発表した時,監督教会[聖公会]から離れた信者はそれを歓迎しました。その理由の一つは,カトリックに改宗した聖公会の既婚の僧職者にほかの点で資格があれば,結婚したままでもカトリックの僧職者として叙任することを,バチカンの決定が認めていた点にあります。独身のままで改宗した聖公会の僧職者は童貞のままでいなければならず,既婚の司祭は司教になれません。

しかし,この決定は様々な問題を引き起こしました。既婚の聖公会の司祭を受け入れながら,結婚して僧職に留まりたいというカトリックの司祭を受け入れないのは不公平である,あるいは少なくとも一貫性に欠けていると感じるカトリック教徒は少なくありません。そうした人々は司祭の不足が深刻化してきていることを指摘し,その不足の主要な原因の一つとして強制的な童貞性に対する反対が広まっていることを挙げています。

しかし,問題の起きる必然性があるでしょうか。いいえ,カトリックの“ノックス訳”聖書によると,神の言葉はこう述べているからです。「それで,司教はそのうちにとがの見いだされない人で,一人の妻に対して忠実であり,……自分の家族のりっぱな頭であり,自分の子供たちを秩序正しく扶養していなければならない」。(テモテ第一 3:2,4)ですから,聖書は「司教たち」に対してさえ結婚し,子供を育てることを認めているのです。はっきりと書き記された神の言葉と相反する人間の律法が神の祝福を受けることなどあり得ますか。

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