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  • チャドの内乱を逃れて
    目ざめよ! 1979 | 12月22日
    • た。保健局の一職員の話によると,同じように爆撃を受けた市内の病院は一杯だとのことです。切り傷で見るも無惨な姿になった人々の体を,ねこ車で運ぶところも見ました。幾つかの大使館は破壊され,国連ビルも焼けました。

      当局は私たちが機先を制することを勧めてくれました。というのは,国としては私たちの事情を汲み取ることはできても,逃亡の調停はできないからです。私たちの書類は全部そろっていたので,フランス政府当局は食事を出したり,空軍機の次の便に乗れるよう取り計らったりしてくれました。滑走路で数時間待った後,飛行機は午後6時半,ガボンのリーブルビルに向けて飛び立ちました。このような状況の中でエンジャメナを離れなければならないのは寂しいことでした。内乱のために自由に出入りのできないこの国に帰ってこれるまでには長い時間がかかるに違いないと思いました。

      飛行機がリーブルビルに着陸したのは午後10時ごろでした。フランス人の避難民たちは皆フランス大使館の世話を受け,私たちはオクム・パレスホテルに宿泊しました。

      私たちはものみの塔協会からナイジェリアに赴くことを勧められていたため,月曜の朝にビザを得るためナイジェリア大使館へでかけました。領事官は私たちがフランス人でチャドからの避難民であることを理由にビザの発行を厳として拒みました。私たちとは一切関係を持ちたくなかったのです。24時間のビザでさえ認められませんでした。どうしたらいいのでしょうか。手元のお金も,あるかないかの状態でした。

      そこからパリへ行くのは,もちろん容易なことでしたが,できるならアフリカで宣教者の奉仕にとどまりたいと思いました。それでエホバの助けを得,私たちはコートジボアールのアビジャンへ行くことに決定しました。そしてアフリカ航空旅行代理店からの助力があって,リーブルビル-アビジャン-ダカールというルートの切符を2枚手に入れることができました。その代理店は,エンジャメナから逃れてきたアフリカ航空の社員とその家族の本国送還を扱っていたのです。そこの人々は親切にも宣教者としての割引きまでしてくれました。これが,エホバの証人の業が禁じられている国での出来事なのです! RK103便には二つだけ空席がありました。私たちはアフリカにとどまれることを小躍りして喜びました。

      こうして2月20日の木曜日の午後3時45分ごろ私たちはアビジャンに着き,空港の税関を無事に通過しました。ここに来られたことの幸せを感じ,エホバの保護を感謝しました。多少探しはしたものの,やがてクリスチャンの兄弟たちが見つかりました。仲間の宣教者たちが私たちに示してくれた歓迎の精神や愛は忘れられません。アビジャンで会った兄弟たちのすべてがあふれるばかりの善良さを示してくれました。

      私たち二人はここコートジボアールで引き続きエホバのお名前を神聖なものとし,この町の住宅地で証言の業を楽しんでいます。義を愛する人すべてに真の平和と安全をもたらすというエホバの目的を他の人々に告げ知らせることは,何とすばらしい特権なのでしょう!(ミカ 4:2-4。詩 46:8,9)― 寄稿

  • 愛は落ち目になっている?
    目ざめよ! 1979 | 12月22日
    • 愛は落ち目になっている?

      最近のハリス調査は,全米各地の1,442人の大人を対象にして,自分たちに幸福と満足をもたらす十の事柄を順番に挙げるよう求めました。健康という答えが97%で第一位を占めました。次に家庭生活(92%),そして心の安らぎ(91%),他の人からの敬意(76%),友人(71%),教育(69%),仕事(60%),宗教(58%),性(38%),そして恋愛(33%)の順になっています。

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