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ミシシッピ川の洪水で重大な影響を受けたアメリカの穀倉地帯目ざめよ! 1973 | 9月8日
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すべて,結局のところ,農場経営者の収入の減少につながります。収支とんとんの経営でどうにかやってゆこうと苦闘してきた多くの小規模な農場経営者は,全滅しかねません。
クインシ(イリノイ州)のヘラルド-ホイッグ紙上,農業問題の著述家ケイス・L・ウィルケイはこう述べました。
「アメリカの農業史上,春の時期に農場経営者が,予測できないこれほど多くのできごとに直面した例は,これまでにはほとんどなかった。…この国の史上,降雨量のきわめて多い春の一例となったこの同じ時期に,農場経営者は,大異変をもたらした諸勢力の重圧を四方から受けている。…農業にはいつも,『もしそうであれば』という問題がたくさんつきまとっている。しかし,今年ほど問題の山積した年を思い起こせる農場経営者はほとんどいないばかりか,これほど重大な問題を思い起こせる人は確かにひとりもいないと言えよう」― 1973年5月1日付。
それに,もし農場経営者が影響を受けるのであれば,消費者が影響をこうむるのは必至です。供給が減少すれば,今年の後期には食費はなおいっそう高騰することになり,また穀物が不足すれば,パン製品の値段も高くなります。それに,肉牛その他,穀類の飼料で育てられている家畜の価格も上がります。農場経営者のこうむった他の損害も,消費者の食費にはね返ってきます。
このようなわけで,ミシシッピ川の洪水は,アメリカの最も肥沃な,食糧生産地の人びとの生活に一時的影響を与える以上のできごとになりました。つまり,世界中の人びとの直面している食糧不足や物価高騰の恐るべき事態を助長するものとなりました。
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水中でどれほど長く生きられますか目ざめよ! 1973 | 9月8日
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水中でどれほど長く生きられますか
米国家安全会議の推定によると,アメリカ人全部をひとりひとり普通の水泳プールの深いところへ押しやったら,ゆうに半数はでき死するということです。
ブラムウェル・ガブリエルソンがジョージア大学で行なった調査では,でき死者の71%は泳げない人,22%はかなり泳げる人となっています。わずか1%だけが泳ぎのじょうずな人でした。
こうした調査や推定は,泳げるほうが生き残る機会はずっと多いような印象を与えますが,多くの水泳コーチは,岸から遠く離れている,波が荒い,重い衣服をつけているその他,水泳者が遭遇するかもしれない困難な状況のもとで生きのびるには,普通の遊びのための水泳だけではたして十分かどうか疑問に思っています。ジョージア工科大学の水泳コーチ主任,フレッド・R・ラヌーは,水中で生きのびるための興味深い泳法を案出しました。ラヌー教授はそれを「ドラウン・プルーフィング」(おぼれない泳法)と呼んでいます。
その原理
このおぼれない泳法は,水面すれすれのところで,からだを立てるようにした,くつろいだ姿勢でいて,息を吸い込む時だけ水面に顔を出すほうがうまくゆくという考えにもとづいています。理解しなければならない基本的な事実は,普通の人間のからだには,衣服を着けている場合でも,浮こうとする傾向,あるいは浮いた状態に近くなる傾向があります。
次のことを頭に描いてみてください。木製のカヌー用かいは水に浮きます。そのかいの一端に,かいの浮力をほぼ相殺する重りをくくりつけるとどうなるでしょうか。水かきはまっ直ぐに沈んでかいを水中に引き込みます。しかし,重りのつけられていないほうの端は,すぐにまた水面に浮き上がります。かいは沈みません。依然として浮いています。ただしほとんど水の下になっています。
さてこんどは,かいの代わりにあなた自身を頭に描いてみてください。あなたのからだは,肺の中に水がはいっていないかぎり,かいのようにぷかぷか浮くでしょう。中に空気がはいっていると,肺は自然の救命具となります。この物理上の事実から,ラヌー教授は,水中で長時間生きのびる良い方法は,呼吸するのに十分なだけ水面に浮かび上がるようにからだを操作し,それから,息を吸いこめるだけの高さに水面から顔を出すことだ,と考えました。
ですから,おぼれない泳法の原理は,せんじつめると,水中で,立った姿勢に近い状態でらくにしているということになります。この原理が応用できれば,5歳の子どもでも水中で長時間生きのびることができます。ある人びとは荒海の中で12時間浮いていました。そして水の中を30余㌔も歩きました。
とはいえ,非常の時にこの方法で実際に生き残るには,練習が必要です。アメリカとカナダだけで毎年7,000人ほどの人ができ死する事実を考えるなら,自分や自分の家族が,深い水の中で生きのびる方法を知っておくのは,賢明なことではないでしょうか。
技術を学ぶ
このおぼれない泳法を習得するさいに,まず捨てなければならないのは,頭を水面に出していようという衝動です。頭は水の中で前にたれたままにしておくのです。そしてからだを,普通に泳ぐときのように水平にしないで,垂直に浮かすのです。両腕は力を抜いて肩からたらします。水中のぼろ切れのようにたらすのです。
心配はいりません。ほとんどの人は沈みません。からだは後頭部だけを水面に出して浮きます。足を下にしてそういう姿勢でいると,水がからだをささえる働きをし,からだはエネルギーを消耗しないですむのです。
しかし,鼻と口が水中にある以上,15秒ほどして空気が必要になる時にはどうすればよいでしょうか。
頭の前に両腕を静かにゆっくりと持ってきて交差させます。そして片方の足をやはりゆっくりと胸の方へ向けて曲げ,それと同時に他方の足を後方に伸ばします。それから頭を上げ,鼻から息を吐き出します。息を吸い込むこともできるほど長く頭を水面に出しておくためには,あおり足で両足をそろえ,交差していた両腕をゆっくりと左右に広げます。手足の動きは,呼吸が十分にできるほどのものでなければなりませんが,肩が水面に出るほど激しくてもいけません。
息を吸い込んだなら直ぐにまた頭を水中に入れ,顔を前にたらし,腕を両わきにもってきます。そしてからだの力を抜いて休みます。しかし,肺が空気を要求して張り裂けるような感じになるまで水中に浮いていてはいけません。苦しくならないうちに水面に顔を出して呼吸をします。
以上のような方法で,休むことと空気を吸いに浮上することを交互にくりかえすなら,疲労することなく長時間,水中にいられることがわかります。からだを絶えず動かして体力を使いはたさないのが,この泳法の利点です。からだはほとんどの時間,実際に休んでいます。
また,手足の動かしかたをわずかに変えることによって,空気を吸いに浮かび上がるたびに50㌢ばかり前進することもできます。こうして,時のたつうちには,長距離を疲労せずに泳ぐことができます。もとより,このおぼれない泳法を効果あらしめるためには,時間をかけて練習する必要があります。
深い水の中でどのようにして長時間生きのびるかを知っていれば,でき死することはないかもしれません。しかし,ほとんどの場合,前もってよく用心するならば,でき死するような事態に遭遇する必要はありません。
ですから用心しましょう。アメリカにおける事故死の原因の第二位は水におぼれることであるという事実に留意しましょう。このことは確かに,深い水の中で生きのびる方法を知るための十分の理由といえます。
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自制することから得られる思いがけない祝福目ざめよ! 1973 | 9月8日
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自制することから得られる思いがけない祝福
自制は神の霊の実のひとつです。(ガラテヤ 5:22,23,新)非常に不快な状況のもとで自制を保つことは,それを見ている人びとに好ましい印象を与え,この望ましい特質の源を知るよう,それらの人びとを動かす場合があります。アメリカ,カリフォルニア州に住むエホバのクリスチャン証人のひとりはそのことを経験しました。彼は次のように述べています。
「その朝,わたしは早く起きました。その日は祭日で仕事に行く必要がなかったので,わたしは近くを散歩することにしました。近所の,新しく越してきた家のかどを曲った時,その家の主人が庭に立っているのに気づきました。すでに近づきになっていたので,わたしは手を上げ,『おはよう,ドン。お元気ですか』と言いました。
「ドンが答える間もなく,一条の黒い細長いものが猛烈な勢いで庭を横切り,へいを飛び越えて,わたしの足を激しくかみ始めました。本能的にわたしは両手で顔を防ぎました。ドンはわたしのそばに飛んで来ました。その黒い長いものは,ドンの飼っているメスのドベルマン(畜犬の一種)だったのです。その犬はわたしがあいさつをした時の動作を,ドンに撃いかかる合図と見あやまったのでした。ドンがその犬を静かにさせて,わたしから引き離すまでに,わたしはかなりかまれ,ズボンは引き裂かれてしまいました。
「当然,わたしはそのでき事から衝撃を受けました。それはドンも同じでした。しかしここで,自制という特質が物を言うことになりました。気がつくとわたしは,そのことでドンに毒づく代わりに,ドンを慰め,犬は主人が害されるように見えたので主人を守ろうとしていたのだ,と説明していました。
「その後まもなく,ドアをノックする音が聞こえました。出てみると,ドンがそこに立っていました。わたしは彼を家の中に招じ入れました。ドンは医者に見てもらったのちの具合などを尋ねました。あれこれ話したのち,ドンは,『わたしの犬を殺してやりたい,銃を取ってきてこの手で撃ち殺してやりたいというお気持ちでしょうね』と言いました。わたしはもう一度,ドンにもドンの犬にも恨みを全くいだいていないことを得心させました。ドンは驚いてしまいました。わたしにそれほどの自制力があること,そして受けた危害に対して危害をもって報復しないことが信じられなかったのです。わたしは穏やかに,自分がエホバの証人のひとりとして神の霊の特質を培っていること,また今度のでき事にさいして自制を示せたのは,聖書を勉強し,学んだ事がらを実際に行なっていたからにほかならないことを説明しました。
「数日後,わたしの妻はこの隣家を訪問し,ドンの妻,メアリーに『ものみの塔』と『目ざめよ!』を渡しました。その後まもなくその家族と聖書研究が始まりました。ドンは,そのような難しい状況のもとで自分を制することのできる人は自分にとって役立つ何かを持っているに違いない,と繰り返し述べました」。
その結果はどうなりましたか。今では,ドンもメアリーもバプテスマを受けたエホバの証人として,自制の特質を示すことがクリスチャンにとって非常に重要であることをよく理解しています。
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