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  • 終わりがいつ来てもよいよう備えをしている
    ものみの塔 1984 | 5月15日
    • 娘婿のマシュー・レオンディスと私はカリフォルニア州のさまざまな会衆で長老として奉仕しています。それに加えてジョナサンは,開拓者,また ものみの塔協会の本部のベテル家族の成員として一時期全時間奉仕の特権を楽しみました。

      終わりの時におけるふさわしい態度

      エホバは,1世紀のクリスチャンたちにもお許しになったように,ご自分の今日の僕たちがある種の希望や期待を心に抱くことを許してこられました。それは私たちの真の動機づけと専心の深さとを明らかにするのに役立ってきました。私たち家族は次のような質問に直面しました。私たちは短期間だけという条件で,つまり私たち自身の出す条件のもとで神に仕えているのだろうか。私たちはすぐに与えられる報いだけを動機として行動しているのだろうか。それとも,目ざめた状態を保ち,常に活発であり,エホバがご自分の約束を忠実に果たされることを信頼し続けているだろうか。―テトス 1:2。

      私の家族の二つの世代,父と祖父は報いの多い幸福な人生を送ったのちに亡くなりました。私のひ孫,孫たち,子供たちそして私という四つの世代が残っています。今では6人の孫たちがエホバに仕え,さまざまな機会を捕らえ,会衆内で,また野外宣教の点でさまざまな責任を果たしています。孫たちも,終わりとそれに続く回復された地上の楽園を楽しみに待ち望んでいるのです。私たちは皆,長い間待ち望んできた時がエホバの定められた時に到来するという確信を抱いています。私たちは,「それを待ちつづけよ。それは必ず起きるからである。遅くなることはない」という預言者ハバククの訓戒を当てはめることができます。―ハバクク 2:3。

      私は今数え年で73歳ですが,エホバの組織との交わりから得た貴重な思い出に満ちた人生を振り返ってみると,さまざまな事柄が思い起こされます。幼いころの胸を刺すような思い出の中には,ラッセル兄弟がその最後の講演となった話をしに行くためにロサンゼルス行きの列車に乗るべく出発した際に,オープン・カーの中に立って手を振ってサンフランシスコ会衆に別れを告げている姿があります。ほかにも数々の思い出が頭をよぎります。1930年代に孤立した区域で開拓奉仕をしたこと,大小さまざまな数多くの大会,それも特に私たちがエホバの証人という名称を受けた1931年のオハイオ州コロンバスの大会などが思い起こされます。―イザヤ 43:10。

      今は,エホバの『忠実な奴隷級』と足並みを合わせるべき時であることが分かります。確かに,私たちはかつてなかったほど,目ざめた状態を保ち,油断なく見張っていることが求められています。最終的な報いがあるかどうかにかかわりなく,エホバは忠節な奉仕と賛美を受けるにふさわしい方であることを決して忘れてはなりません。なぜでしょうか。私たちの存在そのもの,将来への希望などあらゆる良いものの源であられるからです。平和と健康と幸福の回復された楽園,復活(愛する者たちがよみがえらされて,再び共になる時),そして天のみ父との栄光ある関係のうちに受けるとこしえの命 ― それは何とすばらしい将来になるのでしょう。―啓示 4:11。ルカ 23:43。

  • 新しい会計秘書が任命される
    ものみの塔 1984 | 5月15日
    • 新しい会計秘書が任命される

      ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会およびニューヨーク法人 ものみの塔聖書冊子協会の会計秘書の職に,ライマン・A・スウィングルが任命されたことを発表するのは喜びです。わたしたちは,スウィングル兄弟が過去54年間エホバの証人の本部において,またこれまで38年の間ペンシルバニア法人の理事の一人として行なってきた立派な奉仕を続けてゆくことを期待しています。

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