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  • レビ記の中で強調されている神の神聖さ
    ものみの塔 1977 | 8月1日
    • 人に配慮を示す義務がありました。彼らはそれら貧しい人々から利息を取ってはなりませんでした。中傷すること,目方や量りをごまかすことなども禁じられていました。故意に仲間を傷付ける者は,ふさわしい懲罰を受けることになっていました。―レビ 19:9-18,26,32-37。

      安息と祭り

      基本的に言って,イスラエル人は三種類の安息を守るよう命じられていました。まず最初に挙げられるのは週ごとの安息日です。それは週の最初の日である日曜日にではなく,週の七日目に当たりました。次に,毎月の最初の日は安息日とされました。第三に,一年中植えることも刈り取ることもいっさい行なわれない安息年があり,土地に休みが与えられました。一年間に及ぶ安息をイスラエル人が守れるように,エホバは六年目の収穫高を,八年目の作物の収穫が始まるまでイスラエル人が食べてゆけるのに十分なものにすると約束されました。安息年を七回重ねた後,50年目には大いなるヨベルの年が来ました。その年にすべての人は,病気,様々な事情,そして放漫経営などの理由で過去49年間に失った財産すべてを取り戻せることになっていました。ですから,ある家族は富の上に富を築き上げてゆく一方,他の家族はどんどん貧しくなってゆくというような事態は決して見られませんでした。―23章および25章。

      レビ記にはまた,毎年行なわれる三つの祭りの祝いに関するエホバの要求も記されています。こうした祭りは,『エホバの前に楽しむ』機会となり,一致して神を崇拝するイスラエル人と神との関係を強めるのに役立ちました。(レビ 23:40)まず早春には,一週間にわたる無酵母パンの祭りを伴う過ぎ越しがありました。それに続いて,晩春には七週の祭り,つまりペンテコステがありました。この祭りは,一日だけで終わりました。三番目の祭りは秋の収穫が完了してから行なわれました。これは取入れの祭り,あるいは仮庵の祭りと呼ばれました。その祭りの期間中,イスラエル人は一週間ずっと仮庵に住むことが求められたからです。これは,彼らが荒野で仮庵に住んだ時のことを思い起こさせました。

      レビ記は26章に入ってその最高潮に達すると言えるでしょう。そこには従順に対する報いと不従順のもたらす結果が書かれています。『もしあなたがたがわたしの定めに歩むならば』,どうなるとエホバはイスラエル人に言われましたか。彼らは繁栄し,豊かな収穫を得,平和を享受し,敵を打ち破って,非常に数が多くなるでしょう。一方,『もし彼らが神の定めを軽んじるなら』,彼らは飢饉,疫病,敗戦などを経験し,他国へ連れ去られることにさえなるでしょう。しかし,この章は希望を与える復興の約束によって結ばれています。その復興の約束は,西暦前537年にイスラエル人がバビロンから戻った時に確かに成就しました。最後に27章は,特定の誓願をかけることについて論じ,結論を述べています。

      レビ記は,古代の神のしもべたちにとって価値があったのと同様,今日の神のしもべたちにとっても本当に大きな価値があります。中でもレビ記は,罪のはなはだしい罪深さ,および贖いの犠牲の必要性,血の神聖さ,そして公正と愛の重要性を強調しています。しかし何にも増して,レビ記は,エホバのお名前とその神聖さを強調しながら,偉大な立法者としてのエホバの主権の重要性をわたしたちに再認識させてくれます。

  • 「被解放民の会堂」
    ものみの塔 1977 | 8月1日
    • 「被解放民の会堂」

      ステファノと論争した人々の中には,「いわゆる“被解放民の会堂”の者たち」がいました。(使徒 6:9)これらはおそらくどんな人々でしたか。被解放民は解放された奴隷でした。したがって「被解放民の会堂」の者たちと言われているのは解放された奴隷でユダヤ人の宗教に改宗した人々あるいはローマ人に奴隷とされ,後に解放されたユダヤ人のことかもしれません。

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