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    ものみの塔 1970 | 2月1日
    • 述べています。「我またエホバの声をきく いはく われたれをつかはさん たれかわれらのために往べきかと そのとき我いひけるは われこゝにあり我をつかはしたまへ エホバいひたまはく 往てこの民にかくのごとく告げよ」。イザヤは直ちに預言的な使命を帯びてつかわされました。その仕事は800年余の後代に到来するメシヤの成すわざを予表するものでした。イザヤはエホバの栄光にかかわる宮のこの幻を決して忘れませんでした。メシヤを正確に予表する者としてイザヤはエホバから受けた使命に忠実でした。(イザヤ 6:6-13。マタイ 13:10-15)しかしわたしたちはどうですか。エホバ神をいっそうよく知ったなら,イザヤが行なったように,エホバの奉仕に快く自らをささげますか。そうです,神を十分に知るとき,わたしたちは,「われこゝにあり我をつかはしたまへ」と神に言わずにおれません。

      預言者エゼキエルの見た幻

      27 預言者エゼキエルは最初,いつ幻を与えられましたか。

      27 メシヤすなわち油そそがれた者が到来する前に,生けるまことの神の奇跡的な幻を見た人はほかにもいます。そのひとりはイザヤの次の時代の預言者エゼキエルです。エゼキエルが最初,壮大な幻を見たのは,イザヤの予告した滅びがその民の上に生じる6年前のことでした。当時,エゼキエルは捕われの身として異教の地バビロニアにいました。彼はこう述べています。「我ケバル河のほとりにて かのとらへうつされたる者のうちにをりしに 天ひらけて我神の異象を見たり」。そしてこのことが起きた日付を,ユダヤ暦のその年のタンムズの五日,すなわち紀元前613年,「エコニヤ王のとらへゆかれしより第五年の」「四月の五日」としています。―エゼキエル 1:1-4。

      28 エゼキエルは最初の幻の中で,何が動いているのを見ましたか。それを動かしていたものはなんですか。

      28 当時,天地の創造者はユダの国のご自分の不忠実な民とその首都エルサレムに対するさばきを執行しておられました。したがってエゼキエルが見たのは,何ものかが動いているありさまでした。それはエゼキエルに自分をありのように感じさせるほどの巨大な古代の戦車のようでした。ガソリンや電気または原子力を用いたエンジンなど何も装備していませんが,それはきわめて速く,また行く手の何物にも妨げられずに回転しながら進みました。操縦装置もブレーキも見あたりませんが,車の惰性に打ち勝つため速度をおとすこともなしに,一直線の進行方向を一瞬に変えることができました。この壮大な戦車を動かした力はなんですか。それは明らかに,その戦車に乗っておられるかたの活動力すなわち霊でした。

      29 この天の戦車の車輪はなぜ特異なものでしたか。

      29 これは二つの車輪のある古代の戦車ではなく,四つの車輪から成る車のようなものです。車輪は不思議な作りでできており,その輪はいたるところ目で満ちており,行く手を見ることができます。そのうえ,回転しながら進むそれぞれの車輪にはその内側に,もう一つの車輪が直角をなして垂直についています。それでこの車は横に向かう場合でも,角を曲がる時のように車輪の方向を変えずに進むことができます。エゼキエルがこの戦車の動くありさまを描いた次のことばに注目してください。

      30 エゼキエルの説明によれば,この戦車の車輪はどのように動きましたか。

      30 「その輪の形とつくりは黄金色の玉のごとし その四箇の形はみな同じ その形とつくりは輪のうちに輪のあるがごとくなり その行く時は四方に行く 行くにまはることなしその輪ぶちはたかくしておそろしかり 輪ぶちは四箇ともにみなあまねく目あり」― エゼキエル 1:16-18。

      31 この戦車に走者として伴ったのはだれですか。

      31 昔,王族の乗った戦車が進む時には,多数の走者がその前後左右につき,乗り手に偉観を添えました。(列王上 1:5; 18:44-46)預言者エゼキエルが幻で見たその天の戦車に伴ったのは4人のケルビムでした。これらのケルビムは昔の走者に相当しました。エゼキエルは最初,それらケルビムを「生物」と呼んでいますが,彼らはある点で人間の姿に似ているものの,人間でないことは確かです。(エゼキエル 1:5,15; 10:9-13)預言者エゼキエルは,それら四つの生き物とその戦車の光景が突如,言語に絶するほどの栄光を伴って眼前に展開してゆくさまを次のように描写しています。

      32 エゼキエルの描写によれば,ケルビムはどんな姿に見えましたか。

      32 「我見しに みよ烈き風 大なる雲および燃る火の団塊 北よりいできたる また雲のまはりに輝光あり その中よりして火のうちより熱たる金族のごときもの出づ その火の中に四箇の生物にてなれる一箇の形あり そのさまはかくのごとし すなはち人のかたちあり おのおの四の面あり おのおの四の翼あり その足は直なる足 その足のうらは犢牛の足のうらのごとくにして磨けるあかゞねのごとくに光れり その生物の四方に翼の下に人の手あり この四箇のものみな面と翼あり その翼はたがひに相つらなれり その往ときにまはらずしておのおのその面の向ふところに行く」。

      33 ケルビムのような生き物はどんな顔を持っていましたか。

      33 これより3,400年前,罪を犯したアダムとエバが追い出されたエデンの園の入口に現われたケルビムについて,預言者モーセは,なんの描写も残しませんでした。(創世 3:24)しかし預言者エゼキエルはケルビムと思われる生き物について前述のように描写し,さらにこうつけ加えています。「その面の形は人の面のごとし 四箇のもの右には獅子の面あり 四箇のもの左には牛の面あり また四箇の者わしの面あり その面とその翼は上にて分る そのおのおのの翼ふたつは彼とこれと相つらなり二箇はその身をおほふ」― エゼキエル 1:4-11。

      34 車輪はケルビムの動きとどのように合致していましたか。

      34 天の戦車の車輪は,走者にも似たこれらケルビムの動きとどのように合っていますか。預言者エゼキエルはこう述べています。「生物の行く時は輪そのかたはらに行き 生物地をはなれて上る時は輪もまた上る すべて霊のゆかんとする所には生物その霊のゆかんとするかたにゆく 輪またそのかたはらに上る これ生物の霊 輪のうちにあればなり」― エゼキエル 1:19-21。

      35,36 (イ)ケルビムの容ぼうは何を表わしていますか。(ロ)エゼキエルはケルビムと車輪のまえに何を見ましたか。また,何を聞きましたか。

      35 もとより,ここでケルビムのような生き物として描写されている生き物が天に,すなわち目に見えない霊的領域にいるわけではありません。ゆえに,一見異様なその容ぼうは,人間,ライオン,雄牛,また,わしその他の鳥にきわだって備わっているすぐれた特性を表わすものでした。これらの特性も興味深いものですが,ここではしばらくのあいだ,ケルビムのようなそれらの生き物および,そのかたわらにある車輪の上方にあるものに,もっと注意を向けましょう。預言者エゼキエルはその上方に何を見ましたか。彼はこう述べています。

      36 「生物の首の上におそろしき水晶のごとき空ありて その首の上にひろがる 空の下にその翼直く開きて これと彼とあひつらなる またおのおの二箇の翼あり そのおのおのの二箇の翼 こなた彼方にありて身をおほふ 我その行く時の羽声を聞に大水のおとのごとく全能者の声のごとし そのおとのひゞきは軍勢の声のごとし その立どまる時は翼を垂る」― エゼキエル 1:22-24。

      37 その「空」は天の戦車にとってどんな役割をはたすものですか。他の響きすべてを圧したのはなんでしたか。

      37 そうです,「空」です! それはこの天の戦車の基地で,半透明の氷のように見え,きわめて壮厳なものでした。こうしてその戦車に乗っておられるかたは,凍った水に似た堅固な基地に立ち,ご自分のさばきを執行するために前進する者として表わされています。この壮大な基地の下で聞こえるのは,全能者の用いられたその戦車の動く音です。それは野営する一団の軍隊が,全能者の敵を滅ぼすために,ときの声をあげて戦闘に参加する時のようでした。しかし氷に似たその基地,すなわち「空」の下で聞こえるそれらの響きすべてを圧するような別の声がありました。預言者エゼキエルはその壮厳な空の上から鳴り響く声を聞きます。それは天の戦車の基地に立たれる全能者の声でした。全能者はどんな姿をしていましたか。エゼキエルは次のように述べています。

      天の戦車の乗り手

      38 エゼキエルはその戦車の乗り手と,そのかたの周囲に見られる輝きとをどのように描写していますか。

      38 「その首の上なる空の上より声あり そのたちどまる時は翼を垂る 首の上なる空の上に青玉のごとき宝位のかたちあり その宝位のかたちの上に人のごとき者います またわれそのうちと周囲に磨きたるあかゞねのごとく火のごとくなる者を見る その人の腰より上も腰より下も火のごとくに見ゆ そのまはりの輝光は雨の日に雲にあらはるゝ虹のごとし エホバの栄光かくのごとく見ゆ 我これを見てひれふしたるに 語る者の声あるを聞く」― エゼキエル 1:25-28。

      39 (イ)そのさん然とした光輝はどんな一語で要約されていますか。(ロ)その戦車の乗り手についてはどの程度詳しく述べられていますか。その王座は何に似ていますか。

      39 あかがね ― 新世界訳聖書の字義訳では,こはく金(金と銀の合金)― に似た輝き,また戦車の乗り手を完全に囲み,その輪郭を描いて四方に照り輝く火,そして七色のにじのようにはえる光輝 ― このすべては「栄光」というただ一語にまとめられています。それはまさに「エホバの栄光」です!「その人の腰」とありますから,人間のそれを思わせるような形がありましたが,その顔や姿についてはそれ以外になんの形も示されていません。この全能者エホバのざしておられる王座は,みごとに削られ,かつ研磨された青玉,つまりサファイアに似ています。そのしみいるような青さは,ほかならぬエホバの王座のある天を暗示するものです。このサファイアのような王座からエホバはご自分の預言者エゼキエルに話されたのです。

      40 翌年,エゼキエルが見た幻の中では,その天の戦車はどこにありましたか。

      40 翌年,ケルビムのような生き物を車輪のそばに伴った,エホバの天の戦車が今度はソロモン王の建てたエルサレムの宮の前にある別の幻を預言者エゼキエルは見ました。エゼキエルはこう語っています。「こゝにわれ見しにケルビムの首の上なる空に青玉のごとき者ありて 宝位の形に見ゆ……その人の入る時ケルビムは家の右に立をり雲その内庭にみてり こゝにエホバの栄光ケルビムの上よりのぼりて家のしきみにいたる また家には雲みちその庭にはエホバの栄光の輝光みてり 時にケルビムの羽音外庭にきこゆ全能の神のものいひ給ふ声のごとし」― エゼキエル 10:1-5; 8:1。

      41 (イ)その戦車はどこから進んできましたか。その戦車が新たな場所に移ったことは何を示していますか。(ロ)エゼキエルはあたかも自らエルサレムを滅ぼしていたと,どうして言えますか。

      41 こうしてエホバの天の戦車は,エゼキエルが最初に幻を見た場所,すなわちバビロンのケバル川をあとに,西方エルサレムとその宮をさして轟音をたてて進んだのです。このことは不忠実なエルサレムとその汚された宮に対するエホバの火のようなさばきの執行される時が迫ったことをあらかじめ示すものでした。その町は宮もろとも滅びようとしていました。(エゼキエル 10:6-22)象徴的な意味でエゼキエルは不忠実な町エルサレムを自ら滅ぼしていたのです。どのようにしてですか。預言者としての務めをエホバから受け,また,差し迫った滅びに関する音信を宣明することによってです。エゼキエルは,ケバル川のほとりで,エホバの戦車を幻で見てから20年後,すなわちエルサレムが実際に滅びてから14年後,破滅を知らせた自分の使命を思い起こさせられました。つまり,バビロンに捕われて25年目に,完成したエホバの新しい宮の幻を与えられたのです。エゼキエルは人の形をしたひとりの天使に導かれて,その宮を見学しました。こうしるされています。

      42 エルサレムの滅びた14年後,エゼキエルは新しい宮に関するエホバのどんな幻を見ましたか。

      42 「彼われを携へて門にいたる その門は東に向ふ 時にイスラエルの神の栄光 東よりきたりしが その声大水の音のごとくにして地その栄光に照さる そのかたちを見るに我がこの町をほろぼしに来りし時に見たるところのかたちのごとくに見ゆ またケバル河のほとりにて我が見しところの形のごとき形の者あり我すなはちひれ伏す」― エゼキエル 43:1-4; 40:1-4。

      43 その幻がエゼキエルに与えた影響は,まことの神の栄光について何を物語るものですか。

      43 幻に見る全能の神エホバの栄光はあまりにも強烈で,もろい肉の人間は思わず地に伏して神を拝さないではいられませんでした。エホバ神の栄光は,慎しみもなく,みだりに,かつ,こう然と見るべきものではありません。エゼキエルが見た「エホバの栄光」の奇跡的な幻は恐るべきものであり,人をおののかせ,神を拝させずにはおかないほどのものでした。しかしエゼキエルはそれらきわめて異常な経験をしたにもかかわらず,彼自身にかかわる神のお目的のゆえに生き残れました。

      44 エゼキエルの見た幻からすれば,人間は今,神を親しく知って,神との平和を得なければなりません。なぜですか。

      44 ケルビムのような生き物に仕えられ,ご自分の天の戦車に乗り,勝利を収めて進むエホバ神はまさに栄光に輝いておられます。同様に今日,神はご自分の審判を執行すべくその車を進めておられるのです。今や人間はこのような神を親しく知って,神との平和を得,その平和を保たねばなりません。

  • 神を知ることはとこしえの平和をもたらす
    ものみの塔 1970 | 2月1日
    • 神を知ることはとこしえの平和をもたらす

      1 ダニエルはいつエホバの幻を見ましたか。その幻の中で彼は最初に何を見ましたか。

      エゼキエルが天の戦車に乗られた栄光に輝くエホバの幻を初めて見てからおよそ60年後,エゼキエルとともにバビロンにとらわれていた仲間のひとりが,宇宙の主権者であられる神の幻を与えられました。そのことがダニエル書 7章1-3節にこうしるされています。「バビロンの王ベルシャザルの元年にダニエルその床にありて夢を見 脳中にまぼろしを得たりしが すなはちその夢をしるしてその事の大意を述ぶ ダニエル述べていはく 我夜のまぼろしのうちに見てありしに 四方の天風大海にむかひて烈しく吹きたり 四箇の大なる獣海より上りきたれりその形はおのおの異な(れ)り」― ダニエル 7:1-7。

      2 四つの獣は何を表わしていますか。至上の審判者は何に基づいて象徴的な獣をさばきますか。

      2 それは預言的な意味をもつ幻でした。この幻の中でダニエルにその意味を説き明かした者のことばによれば,四つの大いなる

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