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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1970
塔70 7/15 443–444ページ

イエス,偉大な師

イエス・キリストが地上で生活されたのはおよそ2,000年前ですから,遠いむかしのことです。あなたのおじいさんやおばあさんの生まれた時よりもずっと遠いむかしです。それは自動車や汽車その他,いま見られるようなものが一つもない遠い時代です。

当時の人々は,たいへんかしこい人が自分たちのあいだにいたので祝福されました。ほんとうにイエスは,地上で生活した人々のうちで最もかしこい人,また,最もすぐれた師でした。ですからイエスはむずかしいことを,いつもわかりやすい仕方で教えました。

イエスはどこでも会う人々に教えました。湖の岸辺や船の上でも,人々の家あるいは旅をする道々でも人を教えました。もちろん自動車を持っていたわけではなく,汽車やバスで旅行なさったのでもありません。各地を歩いて,人々を教えられたのです。

人の話を聞けば多くのことを学べますが,偉大な師イエスからは最もたいせつな事がらを学べます。イエスの語ったことばがしるされているのは聖書です。ですから,聖書を開いてそれを読むのは,ちょうどイエスがわたしたちに話しておられるのを聞くようなものです。

イエスはなぜ偉大な師でしたか。一つには,耳をかたむけて聞くことをされたからです。そうするたいせつさをイエスはごぞんじでした。でも,イエスはだれの言うことを聞かれたのですか。だれがイエスを教えたのですか。イエスのおとうさんである神でした。

人間として地上に来る前,イエスは天で神とともに生活しておられたので,他の人間とはことなっていました。人間として地上で生まれる前に天で生活していた人はひとりもいないからです。天におられたイエスは,御父のことばに耳をかたむけるりっぱなむすこでした。ですから,神から学んだ事がらを人に教えることができたのです。あなたもおとうさんやおかあさんのことばに耳をかたむけることによって,イエスに見習えます。

イエスが偉大な師であった別の理由は,人々を愛されたことです。人々が神について学ぶのを助けたいと願っておられました。おとなと同じように,子どもたちをもイエスは愛されました。また,よく子どもたちに話をし,子どもたちの言うことにも耳をかたむけられたので,子どもたちはイエスとともにいることをよろこびました。

ある日,親たちが幼い子どもをイエスのもとに連れてきたところ,イエスの友人たちは,それらの人に帰りなさいと命じました。その友人たちは,イエスはたいへんいそがしいかたで,子どもなどと話すひまはないと考えたのです。ところがイエスは,そうではないと弟子たちに言われました。幼い子どもたちがそばに来るのを望んでおられたのです。イエスは言われました。『幼な子らをそのままにしておきなさい。わたしのところに来るのをとめてはなりません』。ですから,イエスはたいへんかしこくてえらい人でしたが,時間をさいては幼い子どもに教えました。―マタイ 19:13,14,口語。

イエスはなぜ幼い子どもにも教えたのですか。一つには,神について教えて,子どもたちを幸福にしてやりたいと願われたからです。あなたも神について学んだことを人に話せば,他の人々を幸福にすることができます。

ある時,イエスは幼い子どもを例に出してたいせつな教訓を友人たちに教えました。イエスはご自分の弟子たちの中にひとりの幼い子どもを連れてきて立たせ,それらおとなの人は自分の生き方をかえて,その幼い子どものようにならなければいけないと言われました。

イエスが言われたことはどんな意味だったのですか。おとなになった人がどうして子どものようになれるのですか。幼い子どもは,おとなをそんけいすべきことをふくめて,他の人々から多くの事がらを学べます。それでイエスは,弟子たちがイエスを偉大な師としてそんけいすべきことをしめされたのです。弟子たちは,自分自身の考えよりもイエスの教えをいっそう重視しなければなりませんでした。―マタイ 18:1-5。

イエスは人々にきょうみ深い仕方で教えられました。また,わかりやすい仕方で物事を説明されました。イエスがある山腹におられた時のこと,大ぜいの人々がそのもとに集まり,イエスはこしをおろして,人々にお話をしました。それが山上の垂訓と呼ばれています。その中でイエスは,鳥や花について話し,それらを用いて,神に関する事がらを理解するよう人々を助けました。

こうしてイエスは,食べ物や着る物をどこからえようかと心配すべきではないことを教えました。人々にそれがひつようなことを神はごぞんじです。それで,神の御国を第一にもとめ,神が正しいと言われる事を行なわねばならない,とイエスは言われたのです。そうすれば,食べ物や着る物がえられるよう神が取りはからわれるでしょう。―マタイ 6:25-33,口語。

イエスが話し終えた時人々はどう思いましたか。その教え方におどろいたと聖書はのべています。イエスの話に耳をかたむけるのはたいへんきょうみ深いことだったのです。イエスの語った事がらは,正しいことを行なうよう人々を助けるものとなりました。イエスはほんとうに偉大な師でした。それで今,イエスのことばに耳をかたむけるのはとてもたいせつです。―マタイ 7:28。

わたしたちがイエスのことばに耳をかたむけるべきことを神ご自身がのべておられます。神は天から声を送って,このことを話されたのです。それはイエスが弟子のペテロとヤコブそしてヨハネといっしょに,ある高い山に登った時のことでした。

その山上でおどろくべき事が起こりました。かがやく雲がイエスをおおうと雲の中から次のように言う声が聞こえました。「これはわたしの愛する子,わたしの心にかなう者である。これに聞け」。(マタイ 17:1-5,口語)天から聞こえたのは神ご自身の声でした。神の御子の教えに耳をかたむけるべきことを神がのべられたのです。

あなたはこの偉大な師のことばに耳をかたむけますか。そうするならあなたは幸福な人となるでしょう。それらの事がらに耳をかたむけるのは楽しいことです。また,聖書の良い事がらについて友だちや他の人々に話すなら,大きな喜びがえられるでしょう。

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