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  • 聖書の「行間逐語訳」
    ものみの塔 1970 | 2月15日
    • 英訳聖書も三位一体を裏づけるために用いることはできません。

      19 三位一体論者が冠詞を勝手にそう入して不当な翻訳をしていることを考えれば,彼らが「一つの」という不定冠詞をこの句に用いることはできないと反論する余地はありません。なぜですか。

      19 「神」という語の前に「一つの」という英語の不定冠詞を付すことはできないとして三位一体論者が反論する余地はありません。なぜなら,聖書の他の翻訳者すべてが英語の「一つの」という意味の不定冠詞を,ギリシア語原文のそれに対応する不定冠詞の付されていない語の前に何百回となく用いているからです。それだけではありません。これら翻訳者たちは英語の「その」という意味の定冠詞を幾つかの特定の語の前に再三付していますが,ギリシア語原文にはそのような冠詞は用いられていません。たとえば英語で「霊」,また「聖霊」という意味に訳されていることばがその例です。ギリシア語原文中のこれらの語の前には,英語の「その」という意味の定冠詞に対応するギリシア語の冠詞の付されていない場合があります。しかし三位一体を奉ずる翻訳者たちは,英語の「霊」また「聖霊」の語の前に定冠詞「その」をそう入し,原意を曲げて英訳しています。そのうえ,「霊」(spirit)という英文字を,かしら文字のある「霊」(Spirit)と書き,これが三位一体の第三位にあたる,理知のある何者かを暗示するかのような印象を読者に与えようとしています。

      20 「御国行間逐語訳」は英語の「霊」(spirit)ということばの問題をどう扱っていますか。このことから何がわかりますか。

      20 このような字句を訳出するのに,「御国行間逐語訳」の逐字訳は英語の定冠詞「その」を付していません。また,「新世界訳」も定冠詞「その」をそう入したり,「霊」(spirit)の英文字にかしら文字を用いたりせず,「霊」(spirit),また「神聖な霊」(holy spirit)と文字どおりに訳出しています。したがって使徒パウロは使徒行伝 6章3節(新)でエルサレム会衆に対してこう語っています。「あなたがたの中から,霊と知恵とに満ち,認められた七人の男子を,あなたがたのために捜し出しなさい」。またマタイ伝 3章11節(新)でバプテスマのヨハネは,きたるべきイエス・キリストについてこう述べています。「そのかたは聖なる霊と火とをもって,あなたがたにバプテスマを施すであろう」。ギリシア語本文をこのように訳出することは,神の霊は目に見えない活動力であって,神聖な目的のために神聖な仕方で用いられるものであるという聖書の真理と合致します。

      21 行間逐語訳の逐字訳は「神の霊感による」という句(テモテ後 3:16,新)をどう訳出していますか。

      21 神はご自分の聖なる霊を用いて記述者に霊感を与えて聖書全巻を書かせました。したがってテモテ後書 3章16節(新)は「聖書はすべて神の霊感によるものであ(る)」と述べています。しかし行間逐語訳は,「神の霊感による」とするかわりに,ここに用いられている単一のギリシア語を「神が息を吹き込んだ」と直訳してその原意を示しています。つまり,神は聖書を著わさせるために霊感を与えた人々にあたかも息を吹き込まれたかのようでした。

      22 (イ)使徒たちの時代においては人に教える場合,たいてい口授しなければなりませんでした。なぜですか。(ロ)行間逐語訳はガラテヤ書 6章6節にある口授に関し,何を示していますか。

      22 使徒たちの時代には聖書の写本はあまりありませんでした。聖書について論じたり,聖書の意味を説明したりする本もありませんでした。したがって聖書を教えるにはたいてい聖句を読み上げて,口頭で説明しなければなりませんでした。それでガラテヤ書 6章6節(新)はこう述べています。「さらに,みことばを口授されている者はだれでも,そうした口授をする者とともに,すべての良いものにあずかりなさい」。しかし行間逐語訳は「鳴り響かされる(者)」,また「鳴り響かす(者)」という表現を用いて,口授することに関して使われているギリシア語の基本的な意味を示しています。これは,教え手の声が聖書研究生の耳に鳴り響くことを生き生きと表わしています。そうした口授を受けて人は教えられたのです。

      誤りを退ける助け

      23 (イ)クリスチャン・ギリシア語聖書のどんな翻訳を用いることのできる人は特に前述のいろいろな点を十分理解できますか。(ロ)「新世界訳」の翻訳者たちは「召集者」ソロモンにどのように見習いましたか。また,どんな助けをたよりにしましたか。

      23 「ギリシア語聖書 御国行間逐語訳」はギリシア語本文の下に逐字訳を掲げて,ギリシア語の原意を的確に訳出していますが,このことを例証する事柄はほかにも多数列挙できます。英語以外にはオランダ,フランス,ドイツ,イタリア,ポルトガルまたスペインの各国語に翻訳された「クリスチャン・ギリシア語聖書 新世界訳」を用いる聖書研究生は特にそうした事柄の意味を十分に理解することができるでしょう。そして,「新世界訳」が,ギリシア語本文で著わされている神のみことばを「真実なことば」を用いてそれら他の言語に訳出するのに,いかに努力しているかを理解できるでしょう。現代のことばに訳出されたこれらの翻訳は神からの霊感を受けてなされたものではありません。それらの翻訳者たちは,霊感を受けた聖書記述者のひとり,「召集者」ソロモン王の行なわねばならなかったことをしなければなりませんでした。すなわち翻訳者たちは,「喜ばしいことばを見いだすこと,また,真実なことばを書くことに努め」ねばならなかったのです。(伝道 12:10,新)しかしこのすべてを行なうに際して彼らは,霊感にではなく,神の神聖な霊の導きにたよりました。ソロモンは聖書に収められている彼の著わした本の中に確かに「喜ばしいことば」を書きしるしました。したがってそれら翻訳者たちもつとめてソロモンに見習いました。

      24 「御国行間逐語訳」は今日,誤りを退ける助け,特に,ギリシア語を知っていると唱える牧師の攻撃から身を守る助けとして役だちます。なぜですか。

      24 聖書の原語の文字どおりの意味を訳出している「御国行間逐語訳」は,多くの宗教指導者がゆがめられたことを教え,かつ,文字にしるされた神のみことばを曲げることさえしている今日,誤りを退ける助けとして役だちます。キリスト教世界の僧職者は,聖書の原語の知識を持つゆえに原語本来の意味するところを知っていると唱え,誠実な聖書研究生のところにやって来て威かくしようとする場合があります。しかし,「クリスチャン・ギリシア語聖書 御国行間逐語訳」を用いれば,聖書の本文を参照し,その本文の行間にある逐語訳を調べることができるのです。そうすれば,そのような高圧的な牧師の語ることが真実かどうかを確かめられます。こうして聖書研究生は反論を述べ,聖書の真理から迷わされないように自らを守ることができます。

      25 幾多の言語に翻訳されている,ものみの塔協会の出版物を読む人は,聖書研究の助けとなるこの新しい本の益に間接的にあずかれます。どうしてそう言えますか。

      25 もとより,英語の読める人は「御国行間逐語訳」の益に直接あずかれます。しかし,この逐語訳の所有者である,ものみの塔聖書冊子協会は,その機関誌,書籍,小冊子その他の出版物を執筆するに際して,聖書を研究するための助けとなるこの逐語訳を活用しますから,たとえ英語が読めなくても,協会の印刷物が翻訳されている幾多のことばを通してその益に間接的にあずかることができるでしょう。ゆえに,文字にしるされた神のみことばを愛する人すべては,聖書研究の助けとなるこの新しい出版物に対して神に感謝できるでしょう。

  • 教会で話し合わない事柄
    ものみの塔 1970 | 2月15日
    • 教会で話し合わない事柄

      ● 最近のこと,ひとりの婦人がエホバの証人と聖書を学びはじめました。彼女は自分の教会の牧師のもとに行き,「エホバの証人が行なっているのは真の崇拝ですか」と尋ねました。牧師は,「そのとおりです。しかし,そうした事柄は,ここでは話し合いません」と答えました。

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