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  • 神の言葉を恐れずに語りなさい
    王国宣教 1984 | 1月
    • しれません。また,クリスチャンとして良心的にできないある事柄について了解を得るため,先生にお話ししなければならないかもしれません。先生の反応を恐れて話すのをぐずぐずと先へ延ばしますか。それとも恐れずに自分の信仰を「温和な気持ちと深い敬意をもって」弁明しますか。恐れなく語るとき,エホバはわたしたちを強め,その行動を祝福してくださるでしょう。―ペテロ第一 3:13-15。

      5 家から家に宣べ伝える時にもわたしたちは恐れなく語ることが必要です。あなたは会社や銀行,学校などに入ることに恐れを感じますか。忙しい商店街はどうでしょうか。憶することなくそうした区域の人々に接し,明るい態度で簡潔に証言して良い結果を得ている伝道者は大勢います。もちろん,長い話は避けなければなりません。また,できるだけ責任者の立場の人に証言するのが効果的であることに多くの人は気づいています。この点で経験を積んだ人と一緒にそのような区域を奉仕してみるのはいかがですか。恐れずに語るその人の模範から鼓舞されるに違いありません。

      6 自分の家の近所を奉仕するのは苦手だと言う人たちがいます。また,友人や学校の級友の家には入りたがらない伝道者が時として見受けられます。それは人を恐れることではありませんか。むしろあなたは,親しく知り合っているそのような人々にすばらしい希望を知らせる最善の立場にあるのではありませんか。ある姉妹は昔の同級生が住んでいることが分かった家にいつも入ろうとしませんでした。ある日その区域で働いていると,またしてもその家が姉妹の番になりました。他の伝道者たちからしきりに勧められて,その姉妹はようやくその家に入りました。昔の同級生は喜んで話を聴き,研究が始まりました。今ではその人とその人の成人した息子が献身した奉仕者となっており,娘も定期的に学んでいます。その家に思い切って入らなかったなら,このような結果は起こらなかったに違いありません。

      7 この1月と2月,わたしたちは「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」の本を野外で提供します。多くの人々は音信に無関心かもしれませんが,真理を求める人や,誠実な心を持つ人々にとってこれは何と魅力的な手引きでしょう! 今まで関心を示さなかった人々も,美しいさし絵や考えさせる説明文を見て,自分の望んでいるものがそこにあることに気づくかもしれません。それは人々に知らせなければならない音信です。恐れずに神の言葉を語り続け,積極的にこの助けを提供してください。そうするとき,エホバはあなたの努力を祝福されるでしょう。

  • 質問箱
    王国宣教 1984 | 1月
    • 質問箱

      ● 会衆としてささげる祈りにどのように敬意を示すことができますか。

      祈りは集会を通してエホバにささげられる崇拝の重要な部分であり,すべての人は深い敬意を示すべきです。会衆を代表して祈るよう割り当てられた兄弟は,その目的と場所にふさわしい祈りをするため,祈るべき事柄を注意深く考えておくべきです。エホバの導きと祝福を祈り求めることに加え,集会で教えられる事柄に対する感謝,会衆が目標としている事柄など適切な点を含めるなら,会衆は益を得られるでしょう。

      エホバ神は,ほかにも重要な関心事を数多くお持ちであるにもかかわらず,わたしたちの祈りに注意深く耳を傾けてくださいます。(ペテロ第一 3:12)そうであれば,祈りがささげられるとき,会衆の成員は最後に心から「アーメン」と言うことができるよう,よく耳を傾けるべきです。わたしたちの心と思いが祈りと共にあれば,エホバはその祈りをひとりひとりからのものとして受け入れてくださるでしょう。

      会衆と共にこの重要な祈りに加われるよう集会に遅れずに来ることも敬意の表われです。しかしやむを得ない事情で遅れ,祈りのささげられている最中に王国会館に着いたならどうすべきですか。祈りの間に自分の席を求めて歩くのははなはだ敬意の欠けたことと言わねばなりません。それは聞き入る兄弟たちの集中を妨げる愛のない行為でもあります。むしろわたしたちはふさわしい位置で立ち止まって,途中ではあっても祈りの残りの部分に和することでしょう。巡回大会や地域大会に出席する場合も同じことが言えます。

      全員が敬意を込めて祈りに和するとき,会衆の愛と一致は一層強められるでしょう。

  • わたしたちの教える能力を改善する ― 個人的な気遣いを示すことにより
    王国宣教 1984 | 1月
    • わたしたちの教える能力を改善する ― 個人的な気遣いを示すことにより

      1 「わたしの小さな羊たちを養いなさい」。(ヨハネ 21:17)この言葉でイエスは,真理のみ言葉で霊的に養われる必要のある羊のような人々に対するご自分の純粋な愛と個人的な気遣いを強調なさいました。イエスはペテロに3度,他の人々に仕えることによってメシアに対する自分の愛を表わし示すことになるだろうと強調されました。

      2 イエスは,ご自分が追随者にとって真の友また愛情深い仲間であることを実証なさり,『彼らを最後まで愛されました』。(ヨハネ 13:1)イエスに見倣う者としてわたしたちは,新たに弟子となる見込みのある人たちに対して同様の個人的な気遣いを示し,神の言葉の大切な真理を分け与える必要があります。(マタイ 28:19,20)わたしたちがそのことを行なえる幾つかの方法があります。

      彼らに個人的に関心を払いなさい

      3 聖書研究生を集会に招待し,必要なら交通の便を図ってあげることにより,個人的な気遣いを示すことができます。寛大また親切であることにより,そしてもてなすことにより,研究生が真のキリスト教を実地で見るよう助けます。敬虔な特質は伝染性があり,わたしたちが彼らに対して示すのと同じ霊を生じさせることがしばしばあり,結果として原則に基づいた愛を基礎とする優れた,親密な友好関係が培われます。

      4 毎週の研究以外の機会に聖書研究生に関心を示すことも非常に報いのあることです。研究生が真理において進歩する時に,健全で神権的な友好関係を見いだせるところである自分たちの家庭に研究生を招待してもてなしを示す伝道者たちがいます。そうした機会に他の伝道者たちを招くなら,研究生が新しい友人を得る助けになります。(マルコ 10:29,30を読む。)そのような神権的な交わりは,彼らがクリスチャンとしての円熟に向かって成長するのに助けとなり,良い習慣を身につける助けとなります。(箴言 13:20。コリント第一 15:33と比較。)彼らがわたしたちの友となり,わたしたちのりっぱなクリスチャンの行状を観察すれば,彼らは,わたしたちが単に神の言葉を宣べ伝えているだけではなく,それに従って生活し,それを生き方としていることを理解するに違いありません。―ヤコブ 1:22。

      5 時々わたしたちは,自分の研究生がわたしたちの期待しているほど進歩していないと思うかもしれません。わたしたちは何をするべきでしょうか。援助を最も必要としている分野で,愛をもって彼らを助けるべきです。もし研究生が特定の弱点を克服するのに困難を覚えているなら,協会の出版物から問題に関係のある役立つ参考資料を探し,研究生と一緒に考慮してみてください。また,その件について彼らと一緒に祈ってください。(ヤコブ 5:16と比較。)エホバに対する真の信頼感,また定期的に祈る必要とそれら祈りに調和して生活することの必要に対する認識を築くように研究生を助けてください。―ペテロ第一 3:12。ヨハネ第一 3:22。

      6 個人的な気遣いを示すためには,わたしたちの側の辛抱強さと愛が必要です。しかし,わたしたちと共に学んだ人たちが「エホバの言葉に栄光を帰」し,「信者」となるのを見るのは,何と報いのあることでしょう! 使徒たちの時代にそれら新しい人たちを教えた忠実な弟子たちのように,わたしたちも「喜びと聖霊とに満たされ」るでしょう。―使徒 13:48,52。

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