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良いたよりの中心をなすもの ― 神の王国ものみの塔 1978 | 1月1日
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祭司で,神から直接に任命を受けた人]のさまにしたがう大祭司と呼ばれているからです」― ヘブライ 5:7-10。
15 (イ)キリストは強い叫びと涙とをもって神に何を祈願されましたか。(ロ)イエスはどのように従順を学ばれましたか。どんな結果になりましたか。
15 イエスは完全な仕方でその忠誠を保たれました。イエスが『神に向かって叫ぶ』ことをされたのは,人類のための贖いとしての死を避けるためではなく,ご自分が不忠実になったり怠慢になったりして神の不興を買いそのために死ぬということを避けるためでした。イエスはご自分の歩みが成功をもって報われることを望まれました。イエスは「従順を学ばれました」。イエスは全く有利な状態の下にあった天において神に従順でした。しかし,地上においては神への従順は迫害と苦しみ,いや決定的な事態をさえもたらしました。イエスは完全で正しく,生まれた時からきずのない方でしたが,その歩みを終える時には,十分に資格のある試みられた真の王なる祭司として,大きく拡大された意味で完全にされていました。
16 イエスが地上で試され苦しまれたことは,人の救いにどのように作用しましたか。
16 イエスが地上で試され,苦しみ,死なれたことが,人類の救いにどう作用するのでしょうか。同使徒はこう答えます。
「彼はすべての点で自分の『兄弟たち』のようにならなければなりませんでした。神にかかわる事がらにおいてあわれみ深い忠実な大祭司となり,民の罪のためになだめの犠牲をささげるためでした。彼は,自分自身が試練に遭って苦しんだので,試練に遭っている者たちを助けに来ることができるのです」― ヘブライ 2:17,18。
キリストに買われた人類
17-19 (イ)人類はどんな悪い状態の下にありましたか。(ローマ 7:14。詩 49:6-9)(ロ)イエスはどのように人類の悲惨な状態に対する解決策となりましたか。
17 アダムは神に反逆したとき,神の敵となり,そうすることによって自分の命を放棄し,また自分の子孫が罪ある者として生まれてくる原因をつくりました。つまり罪と死に売り渡してその奴隷としました。(創世 3:17-19。詩 51:5)したがって,その子供たちは故意に罪を犯した罪人ではありませんでした。彼らは買い戻していただくことができました。(ローマ 8:20)イエス・キリストは,祭司として,罪を贖うのに必要とされていた価値と質を持つ犠牲をささげなければなりませんでした。アダムの子孫の人間はだれも,お金でもって,あるいは自分の命を犠牲にしても,これを行なうことはできませんでした。その価はあまりにも高く,アダムと等価値のもの,すなわち完全な人間の命が要求されていたからです。キリストは,必要とされる「すべての人のための対応する贖い」となられました。(テモテ第一 2:5,6)イエスは,律法が動物という劣った犠牲で予表していたものを供給するために来られたのです。
18 イエスのバプテスマの時,イエスが神に近づかれたことについて,記録はイエスが次のことを言われたように描写しています。「『犠牲やささげ物をあなたは望まず,わたしのために体[完全な人間の体]を備えてくださった。あなたは全焼のささげ物や罪のささげ物を是認されなかった』。そこでわたしは言った,『ご覧ください,わたしは参りました(書の巻き物[律法の巻き物,申命記 17章19,20節にあるように,特に王たちに対するもの]にわたしについて書いてあります),神よ,あなたのご意志を行なうために』」― ヘブライ 10:5-7。詩 40:7,8。
19 したがって神は,わたしたちが受けるもの ― わたしたちのすべての希望 ― を,イエス・キリストに依存するものとされました。この偉大な王がわたしたちのために何を行なわれたか,またこれから何を行なわれるかは,次の記事でさらに検討されます。
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神の王国の王が人間のために行なう事柄ものみの塔 1978 | 1月1日
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神の王国の王が人間のために行なう事柄
「彼の名は,驚くべき助言者,強力な神,とこしえの父,平和の君と呼ばれるであろう」― イザヤ 9:6,新。
1,2 世界の悪い状態を見るとき人々はどんな相いれない考えを持ちますか。
神はなぜ,イエス・キリストが地上におられた時以来1,900年以上にわたり,同じ不完全な状態の存続を許してこられたのか,不完全な人間には理解することが困難です。『なぜ物事はもっと速く進展しなかったのか』と言い,また世界の混乱状態を見ると,しばしば『これが是正できるなど考えられない』と言います。しかし神の政府の王のための計画を調べてみるなら,一見遅いと思える理由が理解でき,また神の王国が比較的短期間に成し遂げる事柄にかえって驚くでしょう。
2 前の記事でわたしたちは,イエスが天の霊の命から人間の命に移されたこと,それはその人間の命を犠牲として与えるためであったこと,そしてそのようにして人類の大祭司としての資格を備えられたことを見てきました。地上におけるイエスの従順な歩みはまた,イエスに王となる資格を与えました。それらの任務をイエスは人類のためにどのように果たされるのでしょうか。
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