-
あなたが最も望んでいるものは何ですかものみの塔 1975 | 10月1日
-
-
政府の下では将来,幸福も平和も繁栄もないことを悟るようになりました。また,この事物の体制の政治諸国家と共に滅びるのを免れる唯一の希望は,主権者なる主エホバのメシアによる王国にあることを悟るようになりました。彼らは,サタン悪魔が「この事物の体制の神」であることをはっきり理解しているので,政治諸国家を崇拝してその偽りの神を崇拝したいなどとは思いません。(コリント第二 4:4)そして,すべての主権は当然,至高の神に属していることを認めます。ゆえに,そうした人々は,真の崇拝の家で神を崇拝するため,自らを主権者なる主エホバに全くささげ,その大使たちと交わるようになりました。
神の偉大な霊的神殿
エホバの宇宙主権を擁護してエホバを崇拝する,現代のそうした人々を見る時,しばしば引用されるイザヤ書 2章2節から4節までの次の預言の感動的な成就を目撃しているのです。『すえの日にエホバの家の山はもろもろの山のいただきに堅く立ち もろもろの嶺よりもたかく挙がり すべての国は流れのごとく之につかん おほくの民ゆきて相語りいわん 率われらエホバの山にのぼりヤコブの神の家にゆかん 神われらにその道をおしえ給わん われらその路をあゆむべしと……斯てかれらはその剣をうちかへて鋤となし その鎗をうちかへて鎌となし 国は国にむかいて剣をあげず戦闘のことを再びまなばざるべし』。
古代イスラエルにおいて,エホバの神殿はシオン山の上にあり,崇拝の中心地となっていました。その神殿は西暦前607年にバビロニア人の手で滅ぼされ,二番目の神殿はユダヤ人がエルサレムに復帰してから再建され,ヘロデによって改築され,拡張されましたが,西暦70年にローマの軍勢によって滅ぼされました。ゆえに,末の日に存在し,そこに人々が集まるであろうとイザヤの語ったこの神殿は,人間の手によって建てられた有形の神殿ではなく,「ヘブライ人への手紙」と呼ばれる聖書の書の記述者が次のように述べている神殿です。「キリストは,実体の写しである,手で作った聖なる所にではなく,天そのものに入られたのであり,今やわたしたちのために神ご自身の前に出てくださるのです」― ヘブライ 9:24。
これこそハガイの預言が指し示していた神殿,偉大な霊的神殿であり,その至聖所つまり天そのものには,エホバ神が裁き主として座しておられます。(ヘブライ 12:22,23)大祭司であり,王であるキリストは,諸国民を『揺り動かす』ために神の用いる主要な代理者です。(詩 110)キリスト教世界は神とキリストに仕えていると主張してはいますが,キリストは特にその領域で『行なわるるところの諸の憎むべき事のために嘆き哀しむ人々』を集めておられます。(エゼキエル 9:4)そのような人々が『嘆く』のは主に,世界情勢が自分たちにとって不利な影響を及ぼしているからではありません。むしろ,自称クリスチャンの間で見られる堕落した行為のゆえに,つまり宇宙主権者であられるエホバ神の尊いお名前と王なる大祭司であるそのみ子の上に非難がもたらされているゆえに嘆いているのです。そのような事態を嘆き悲しむ人々は,自らが正義を本当に愛する者であることを証明しています。
この末の日にあって,エホバの霊的神殿の地上の中庭にいるこれらの人々がだれであるかには,疑問の余地はありません。そうした人々は,あらゆる人種,国民そして背景などあらゆる境遇の下から集められてきました。そして,自分たちの生活を清いものにし,聖書に定められている型に従って,自分たちの人格を変化させています。(エフェソス 4:22-24)彼らが抱く聖書からの希望は,地上における永遠の命の見込みです。預言的な書である啓示は,そうした人々のことをよく描写しています。神が諸国民を『揺り動かす』ことが終わりに近づく時期に関し,啓示の書の幻は,イエス・キリストと共に天的な王また祭司となるべく復活する人々が最終的に集められる様をまず描写し,それに続いて使徒ヨハネは次のように書き記しています。
「これらのことののち,わたしが見ると,見よ,すべての国民と部族と民と国語の中から来た,だれも数えつくすことのできない大群衆が(いた)……そして大声でこう叫びつづける。『救いは,み座にすわっておられるわたしたちの神と,子羊とによります』」。
それからヨハネが,それらの人々はだれなのかと尋ねると,質問を受けた長老は次のように答えています。
「これは大患難[この事物の体制が揺り動かされて完全に崩壊する時]から出て来る者たちで,彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした。それゆえに神のみ座の前にいるのである。そして,その神殿で昼も夜も神に神聖な奉仕をささげている……彼らはもはや飢えることも渇くこともな(い)……み座の中央におられる子羊が,彼らを牧し,命の水の泉に彼らを導かれるからである。そして神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去られるであろう」― 啓示 7:9-17。
神の家にもたらされる,より大きな栄光
それで,それらの人々こそ,神にとって本当に望ましいものです。それに,あなたは身体的にも道徳的にも自分を清くする人の真価を認めるのではありませんか。自分の欲望や性向を抑えようとしない人々よりも,好戦的でない,つまり『戦闘のことを再びまなばない』どころか,隣人の平和や最善の益を図って働く人たちの方が望ましいのではありませんか。そして,事実,そうした人々は金や銀よりもずっと価値があるのではありませんか。あらゆる人々がそのような望ましい人になれば,犯罪,詐欺,ゆすり,盗みそして戦争などの根本的な原因である利己心は除き去られるでしょう。各人が自分自身と同じほど隣人に関心を抱くので,飢えや汚染の恐れさえなくなるでしょう。―ルカ 10:27。
それで,神は,ハガイを用いて予告なさったとおり,『その場所に平和をもたらし』ました。その場所というのは,「大群衆」,つまり「あらゆる国民のうちの望ましいもの」が集まってきた,神の偉大な霊的神殿の地上の中庭です。(ハガイ 2:9,新)創造者である神の下に喜んでやって来て,自分の生活を神の原則と一致させ,神に栄光を帰す人は,諸国民の「望ましいもの」として神の目に映ります。エホバはご自分が語った通り,そうした望ましい人々を用いて,ご自分の名前とその霊的神殿の上に,地的な神殿に与えたよりも一層大きな栄光を,確かにもたらされました。
また,エホバの偉大な霊的神殿で仕えるため一致のうちに集まり,自分の生活を変化させるようになった人々は,イエスの次のような言葉の成就にあずかっています。「わたしのため,また良いたよりのために,家,兄弟,姉妹,母,父,子ども,あるいは畑をあとにして,今この時期に百倍を,すなわち家と兄弟と姉妹と母と子どもと畑を迫害とともに得,きたらんとする事物の体制で永遠の命を得ない者はいません」。(マルコ 10:29,30)エホバの命令に聞き従うことによって,それらの人々は自らを「望ましいもの」とするだけでなく,自分の心の望みが満たされることをも経験しました。―詩 145:16。
-
-
祈りによって神の真理を見いだすよう導かれるものみの塔 1975 | 10月1日
-
-
祈りによって神の真理を見いだすよう導かれる
◆ コロンビアのある建設請負人は,神が何らかの方法で自分を用いてくださるように,と祈っていました。一人のエホバの証人の宣教者と十歳になるその仲間の奉仕者が訪問した時,彼はその話に注意深く耳を傾けました。その少年の聖書に関する知識に感銘を受けたこの人は,その宣教者と聖書の勉強をすることに同意しました。その後まもなく,彼は,心霊術に関する本を捨て,たばこをやめ,また,偶像礼拝に関して聖書の述べる事柄を妻に説明したのち,いろいろな像も捨ててしまいました。この人は,聖書を学び始めてから十か月後に,エホバの証人の地域大会でバプテスマを受けました。
-