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汚染の責任は神にありますか目ざめよ! 1975 | 10月22日
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について,自分が無知であることを示しているにすぎません。地を従えるといっても,必ずしも抑圧することを意味しているわけではありません。支配は必ずしも破壊的であるとは限りません。多くの土地で雑草は有用であるとはいえ,庭園の中では無用です。ライオンやトラはジャングルの中にいるからよいのであって,町の中では歓迎されません。鳥やハチを殺さずに雑草を除去し,レタスを栽培することはできませんか。また,動物が絶滅にひんするまで殺したりせずに,動物を制御して,利用することはできませんか。清らかな水を得るために水の流れを神格化したり,きれいな空気を得るために風を崇拝したり,汚染されていない土壌を得るために山の前にひざまずいたりしなければなりませんか。
汚染の原因は,地球の管理者になるようにとの人間に対するエホバのご命令にあるのではありません。むしろ,地の住民は自分たちの物理的な環境を汚染する前に,道徳的に汚れた者となったのです。つまり,貪欲によって無知な人々が汚された,道徳の崩壊です。それは原因と結果のはっきりしている問題と言えます。原因は汚染された人々であり,その結果は汚染された環境です。ゆえに解決策として,まず人々を教育し,清めなければなりません。そうすれば,環境はおのずと浄化されてゆきます。原因を取り除けば,結果も消え去ります。
人は自分のまくものを刈り取ります。しかし,その事実を認めようとせず,責任を他の所になすりつけ,個人としての責任を逃れようとする傾向は,今日広く見られます。犯罪者は,自分たちではなくて社会が悪いのだと言います。汚染の原因となっている人々は,自分たちではなくて神が悪いのだと言います。こうして愚かな論議が続けられるのです。
その上,科学が浸透した無神論的社会では,神に責任をなすりつけることが俗受けするようになりました。そして,その過程で,それら神を信じない人が自分たちの論議をもっともらしく聞こえるようにし,著名人の口から神に対する中傷を引き出すことができれば,それこそ彼らにとって願ってもないことです。数年前,著名な僧職者たちは,神は死んだと宣言しました。ところが今や,人間の環境問題は神の責任であるという意見をほのめかすことにより,事実上自分たちの責任を転嫁するために神を復活させようとしているのです。そのようなもくろみは成功しますか。それは正しいことですか。もちろん,そうではありません。
スラム街やごみ捨て場,砂塵あらし,異臭を放つ河川,よどみゆく湖水,有毒物質で汚れた海洋,汚染された土壌,汚物,スモッグに満ちた空気,ますます多くの種類の生物が絶滅しかかっていることなどすべては,人間の無知と貪欲のほどを物語っています。こうした汚染の問題に立ち向かい,物事を素直に見つめ,汚染が物語っている次の言葉に耳を傾けてください。「正に人間が汚染させた国だ!」。
しかし,神と神の造られた物すべてを愛する皆さん,気落ちしないでください。今でも天は神の栄光を表わし,地の驚くべき被造物は今なお神の永遠の力と尊厳を物語っています。エホバがわたしたちの時代について述べている次の言葉を心に留めてください。「応報の日が到来しました。今こそ……地を滅ぼす者たちを滅ぼす時です」。(啓示 11:18,新英)神は,ご自分の栄光と全創造物の永遠の益のために,間もなくその本来の目的を成し遂げ,地がふさわしい仕方で『従えられる』のを見届けられるということを知るのは,何と大きな励みとなるのでしょう。
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悪い考えに抵抗する目ざめよ! 1975 | 10月22日
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悪い考えに抵抗する
● 誘惑は必ずあなたの戸口を訪れる,と言われてきました。しかし,もしあなたが,誘惑に,中に入って食事をしていくようにとさそうなら,それはあなたの責任です。それで,悪い考えが悪い行為に至らないうちに,その考えを退けるのは何と重要なことでしょう。
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