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    ものみの塔 1962 | 2月1日
    • 世界の緊張からのがれる

      真の神を愛してその神に奉仕する者だけがその解決策を持っています。それは何ですか。

      過度の緊張ということが世界中の問題になっています。『あの国では緊張が緩和した』ということなど,めったに新聞に出ません!『緊張が増大している』というのは,もっとよく聞くことです。人種的な問題,政治的問題,暴動そして不穏な状態は,国内の緊張をかもし,国際的な冷戦は世界の緊張を引き起こしました。犯罪と病気もそれに一役買っています。多くの家庭では家族関係に,緊張がみられます。緊張した状態にとまどっている世界に住んでいる人間が,過度の緊張からぬけ出すには,どうしたらよいでしょうか。

      喫煙量,アルコール飲料,鎮静剤の使用などが増しているということから,緊張が,今日の最も重要な問題のひとつであることは明白です。医師は緊張を解きほぐす薬を処方するぐらいが関の山で,症状を軽くすることはできても,緊張の背後にある根本的な原因を取り除くことはできません。

      世界の緊張からぬけ出すために,神の御言葉,聖書に照らして緊張の原因をさぐらねばなりません。人間の行為にかんする聖書の原則を適用しないため,緊張が増していきます。それで過度の緊張からぬけ出したいと思うものは聖書に行き,平和と一致と心身の健全な状態を増進する原則を,はっきりと知らねばなりません。

      現在の世における多くの緊張は,物質的面,地位の点,あるいは金を得るという点で隣人に負けまいとする風習からきています。ジョン・テッベルは「平衡のとれた生活の魔術」という本の中で次のように述べています,「成功するというのが目標であり,失敗は許すべからざる罪とみなされているわれわれの社会における男の生活は,彼らに大変な緊張と恐れそして心配を与えているので,彼らは全く文字通りの自殺的行為をしているのである」。感情的なストレスと肉体の病気がいかに密接に関係しているかを,医学は,どしどし指摘しています。ある権威者によると,過度の緊張は心臓病の大きな原因になっているということです。物質的な世で緊張した空気の中で生活している人は,どうすべきですか。

      聖書の原則を適用して緊張をほぐす

      次の聖書の原則を適用して下さい,「金銭を愛することをしないで,自分の持っているもので満足しなさい」。「ただ衣食があれば,それで足れりとすべきである」。(ヘブル 13:5。テモテ前 6:8,新口)これらの原則を無視する者は,緊張した状態で生活します。なぜなら常に心配があり,満足感は逃げ去ってしまいます。「富むことを願い求める者は」わなにかかり,人を無力にする緊張感になやまされます。どうしてですか。そのわけはこうです,「金銭を愛することは,すべての悪の根である。ある人々は欲ばって金銭を求めたため,信仰から迷い出て,多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした」。―テモテ前 6:9,10,新口。

      多くの人が緊張した状態で生活するのは,何事にも慎」むという聖書の原則を適用しないからです。(テモテ後 4:5,新口)この原則は広範囲に適用されるものです。過度の緊張になやまされている多くの人は,平衡がとれていません。そのような人は,適当な栄養をとらずに偏食したり,気まぐれな食事をします。何年間も平衡を欠いた食事をするなら,体が過度に緊張してしまいます。仕事と休息そして,睡眠との間に,正しい釣合がなくてはなりません。適当な睡眠を長期間にわたってとらないなら,過度に緊張してしまいます。良識を示さぬために緊張した状態になるということを指摘して,ウォルター・シー・アルバレズは次のように書きました,「多くの婦人は何年もの間神経をすりへらしたままでその生活を続けて行き,遂には神経衰弱の一歩手前まで来てしまう。2,3ヵ月でも自分の活動の一部を切り詰めるなら ― 午後昼寝をするなり,夜早く寝さえすれば ― 多くの治療や多くの手術を避けることができ,子供にどなり散らしたり,主人とけんかしたりせず,家庭が破壊されるということはないだろう。神経質な人の多くは,はじめから十分の精力がなかったか,あるいは何年もの間自分の持っていた精力を『出し続けて』きた人である。つまらぬことに自分自身を使い果たすことがしばしばある。……このような人々の中には大切な活動のために使う力がほとんどないという人がいる。多くの人は精力を分散しすぎるため,神経衰弱気味になってしまう」。

      それで各人は生活の中で何が大切か決定しなくてはなりません。本当に重要なのは何ですか。大切な事柄に精力を使って下さい。クリスチャンは過度に社交的だったり,趣味に気を取られ過ぎるため,神に奉仕したり,神の民と集まるのに十分の精力がなくなってしまうようなことを望みません。娯楽と休息の時間を取りなさい。しかし,平衡のとれた計画をたて,大切なことに手がまわるようにして下さい。

      もし大切な事柄に手がまわらず,責任を取ることができないと,緊張してくるものです。世俗的な仕事であろうと,クリスチャンの会衆にかんする責任であろうと,自分の務めは果たすべきです。自分の責任をのがれて仕事を成し遂げない人は,たくみにそれをかくして,監督や同労者の目をすっかりごまかしてしまうかもしれませんが,たいてい心の中でその事実に気づいています。果たすべき責任をのがれているという意識は,緊張を生み出し,真向から仕事と取り組むことによってくるストレスよりも,ずっと危険な影響をからだに与えます。そうです,過度の緊張からぬけ出るには,すべての事に平衡を保つことであり,本当に大切なことに自分の精力を向けることです。

      個人的な関係において緊張をほぐす

      最近の経営者にかんする研究は,次の事実を明らかにしています。つまり,過度の緊張というのは毎日の仕事からはそうおこらないということです。E・I・ジュポアンド・ネモアール・カンパニーの精神病院ジェラルド・ゴードン博士によるこの研究について,1961年1月号の「ネーションズ・ビジネス」誌は次のように述べました,「臨床での長い経験から,仕事のせいだと言われている神経的な病気や,ストレス病は,男の人の個人的な生活,特に自分の家庭にその端を発している」。

      家族関係におけるすべての面で,聖書の原則を適用しないなら,必ず緊張した空気がみなぎります。家のかしらという神の与えた役割を果たさない夫には,やすらぎがなく,緊張が待ち受けています。神の原則が軽視される時はいつでも,緊張した状態がおこります。一方,夫が妻や子供を残酷に扱うなら,緊張をまぬかれることはできません。神の御言葉はこう述べています,「残忍な者はおのれの身をそこなう」。(箴言 11:17,新口)不親切,怒り,不身持の行為そして誇りは,緊張をひき起こします。

      事実は聖書が「肉の働き」と呼んでいるものが,緊張を生み出す大きな働きをしているのです。ガラテヤ書 5章19-21節(新口)に列挙してある事柄を考えてみて下さい,「肉の働きは明白である。すなわち,不品行,汚れ,好色,偶像礼拝,まじない,敵意,争い,そねみ,怒り,党派心,分裂,分派,ねたみ,泥酔,宴楽,および,そのたぐいである」。

      不必要な緊張を避けるために,すべてこのような緊張を引き起こす性質や行いを徹底的になくさねばなりません。入れ代わりに神の御霊の実を持たねばなりません。忍耐とかしんぼう強いということは,神の御霊の実の一部であり,家庭や職場あるいは個人的な関係において,緊張をほぐすのに何と大きな働きをしていることでしょう! 御霊のこの実を結ぶなら,何と多くの人々が緊張からとき放されることでしょう!「しかし,御霊の実は,愛,喜び,平和,寛容,慈愛,善意,忠実,柔和,自制……」。(ガラテヤ 5:22,23,新口)どのような状況の下でも常にこのような性質を示すなら,物質的な悪い世のストレスも最小限にくい止めることができます。

      神と神の御国に信頼を置く

      過度の緊張からとき放されるために,イエスの提供した解決策にも注意すべきです,「あすのことを思いわずらうな。あすのことは,あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は,その日一日だけで十分である」。(マタイ 6:34,新口)特に物質的な事柄にかんして,この助言はあてはまります。明日の物質的必要物について心配し,思いわずらうなら,心身をたぶんそこなうことになる緊張の重圧を,さらに加えることになるでしょう。将来のことを賢明に計画すべきですが,心配したり思い悩んだりするのはよくありません。大切なことは,物質の代わりに神と神の御国に信頼をおくなら,心配と緊張の多くは取り除かれるということです。弟子に与えたイエスの次の言葉に注意して下さい。

      「何を食べようかと,命のことで思いわずらい,何を着ようかとからだのことで思いわずらうな。……何を食べ,何を飲もうかと,あくせくするな,また気を使うな。これらのものは皆,この世の異邦人が切に求めているものである。あなたがたの父は,これらのものがあなたがたに必要であることを,ご存じである。ただ,御国を求めなさい。そうすれば,これらのものは添えて与えられるであろう」。―ルカ 12:22-31,新口。

      それで過度の緊張を避ける解決策は,生活していくさいに御国を第一にし,神と神の御国に信頼を置くことです。そうすればクリスチャンは,その日一日のことに気を使い,異邦人のように明日のことを「思いわずらう」必要がありません。そうです,主イエスは,衣食住を追い求めることは異邦人が切に求めていることだと,クリスチャンに告げています。クリスチャンは自分がどういう者であるかを考え,異邦人にまねるべきでないと,イエスは示しています。異邦人は愛にみちた天の父を持っていませんが,真のクリスチャンは自分たちをみて下さる天の父を持っています。それで献身したクリスチャンには,ある責任がともないますが,神もご自身にある責任をとられます。神はその責任をよく果たされます。それでクリスチャンは,自分が異邦人とはちがって,天的な支給者を持っており,神の御国とその関心事を生活の第一にする,ということをおぼえているべきです。そうするならクリスチャンは「思いわずら」わずに生活することができ,その結果,緊張を避けることができます。

      しかし,国際的な冷い戦争はどうですか。ボタンを押すだけで核戦争が始まるのだという恐れを,どのように処理しますか。本当に国際的な緊張は個人に影響します。全人類が平衡を欠いているこのようなふんいきの中にあって,クリスチャンはどのように緊張をほぐすことができますか。

      意義深い緊張の時代

      聖書の正確な知識に照らす時にのみ,この前代未聞の緊張に対処することができます。ロバート・リンドナー博士は,自著「順応しなくてはならぬか」の中で次のように書いています,「われわれの住んでいる時代の特徴は,個人と社会との間に存在する極端な緊張であると言える。緊張の度合がこのように急ピッチで高くなったのは,歴史上はじめてのことである」。冷い戦争のためだけでなく,暴動,革命,テロ行為,一般的不安の所産であるこの緊張は,聖書により預言されていました。そうです,聖書は緊張の時代がくると予告しました。

      偉大な預言者であるイエス・キリストはこの時代について前もって次のように言いました,「恐ろしい状態や天からは大いなるしるしがあるであろう。また日と月と星とに,しるしが現われるであろう。そして地上の諸国民は,海の鳴り轟きと海の動揺のためにとるべき道を知らず,不安に悩むであろう。また人々は地上に来らんとする事柄を恐れて予期するために,気を失う」。―ルカ 21:11,25,26,新世。

      世界の諸問題を解決する方法を知らず,そして神の御国に信頼をおいていない諸国民は,緊張のるつぼに追いやられ,「恐れて予期するために気を失う」ことすらあるのです。国内や国外の政策をねる世界の賢い人々の,巧妙だと思われている計画がやぶへびだったりして,世界の緊張はますます増大するばかりです。「恐ろしい状態」や天からの「大いなるしるし」の中には,近代科学が最近発見したばかりの宇宙線,突然起こる放射能の放射なども含まれています。これらは太陽の変調によっておこるようです。緊張を引き起こすこの時代の他の多くの事柄についても,イエスは預言しました。例えば「大地震があり,あちこちに疫病やききんが」起こるということです。―ルカ 21:11,新口。

      それで聖書を調べるなら,緊張を引き起こすこれらの事件は,「世の終り」をしるしづけるものとしてイエスが与えた大きなしるしの一部であるということを,クリスチャンは学びます。私たちは新しい世の門口に来ているのです。イエス・キリストによる神の御国は,預言者ダニエルによって預言されたように,まもなくこの世の王国を滅ぼします。(ダニエル 2:44)それで「世の終り」のしるしを見ても,クリスチャンは諸国民のように,不気味な緊張を感じません。緊張の時代にはいり,それに伴う苦しみを見たならどうすべきかを,イエスはクリスチャンにこう告げられました,「これらの事が起りはじめたら,身を起し頭をもたげなさい。あなたがたの救が近づいているのだから。……これらの事が起るのを見たなら,神の国が近いのだとさとりなさい」。―ルカ 21:28,31,新口。

      世界の緊張が何を意味するか知っているなら,エホバという唯一の御名前を持つ真の神に信仰を持たぬ人が経験するストレスや緊張をやわらげることができます。聖書の原則を生活に適用すればするだけ,また神と神の御国に信頼をおけばおくだけ,世界の緊張からのがれることができます。

  • 新世社会はその青少年をよく世話する
    ものみの塔 1962 | 2月1日
    • 新世社会はその青少年をよく世話する

      クリスチャンの父親には,次の助言が与えられています。「自分の子供をいらだたせないで,エホバのこらしめと権威ある助言とに従って子供をそだてなさい」。(エペソ 6:4,新世)新世社会のクリスチャン証者たちがこのことをしていることは,証者でない人々によって証言されています。

      ニューヨーク市の大新聞社に勤務しているひとりのカメラマン ― この人はユダヤ教を信じています ― は,ヤンキー野球場で行なわれた一致した崇拝者の地域大会で,子供たちがたくさん出席しているのを見て,次のように語りました。子供たちがみな出席しているのは,たいしたものです。うちのせがれはユダヤ教の会堂に行くのを好まない。せがれは家に帰ってくると,『なにがなんだかさっぱり分からん』と言います」。エホバの証者は子供たちの世話をよくしますと彼に説明したところ,彼は「うちのせがれをあなたがたにあずける方が良さそうだ」と答えました。

      ニューヨーク市の近辺の7新聞の発行者は,こう語りました。「私はエホバの証者のことが大好きだ。なかでも,スタジアムにおける証者の秩序と静けさが好きだ。子供たちが宗教に興味を持つのを見るのは良い。ここにいる子供たちを見てごらんなさい! われわれはエホバの証者のように家族全部のための集会を開くべきであると,私は教会委員に話した。新教の宗教がエホバの証者にならうなら,世界はずっと良くなるだろう。あなたがたの制度はすばらしい」。

      ヤンキー・スタジアムでの大会の演壇にのぼった若いエホバの証者の中に,ブロンクスに住むゲリー君がいました。ゲリー君は,わずか6歳ですが,ひとりで家から家に出かけ,神の御国の良いたよりを伝道します。ある日ものみの塔の予約を提供していたとき,戸口に出てきた一婦人は,恩きせがましく彼にこう問いました。「坊やのような男の子が,みなさんのお家を訪問するなんて,ずい分つかれませんか。坊やのような男の子は,元気よく遊んで,人々のお家を訪問するようなことをせず,別のことをするんですね」。

      聖書の原則を正しく教えられていた6歳のゲリー君は,正しい答えをしました。「すべてのことに時があると,聖書は述べています。私たちが家から家に行くときは,人々に神のことと,人間のただひとつの希望である神の御国について述べる時です」。この聖書的な答えを聞いて,その婦人は「ものみの塔」を予約しました。その後,ゲリー君と彼の父親は,この婦人を何度も訪問しました。

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