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  • 野外宣教を改善するために宣教学校を活用する
    神権宣教学校案内書
    • を適用するにつれ,わたしたちは預言者の次のことばに声を和せるでしょう。「主エホバはみずから,教えられた者たちの舌をわたしに与えられた。疲れた者にことばをもってどのように答えるかをわたしが知るためである。彼は朝な朝なさまさせられる。彼は,教えられた者たちのように聞くよう,わたしの耳をさまさせられる」― イザヤ 50:4。

  • 助言は人を建て起こす
    神権宣教学校案内書
    • 研究 20

      助言は人を建て起こす

      1,2. わたしたちはなぜ助言を求めますか。わたしたちはどんな方法で助言を受けますか。

      1 まことの神の崇拝者は自分たちのすべての道に神の導きをためらうことなく常に仰ぎ求めてきました。聖書の詩篇作者のひとりは確信をもって書きました。「あなたの助言をもって,あなたはわたしを導(か)……れる」。(詩 73:24)また,エレミヤは次のようなことばで真剣な祈りをささげました。「その事柄全体はあなたご自身にとってあまり驚嘆すべきことではありません。……あなたは……まことの神,偉大なかた,強力なかた,その名前は諸軍のエホバで,助言においては偉大で,行為に富んでおられ(ます)」― エレミヤ 32:17-19。

      2 今日,エホバの助言はエホバを崇拝するクリスチャンに対し,しるされたみことばと,神の真のしもべたちで成る組織を通してもたらされます。ですから,神権宣教学校の名簿に載せられる人は,受ける助言はもとより,助言が与えられる際の霊,つまり精神も聖書のすぐれた原則によって制御されていることを日ならずして自覚するでしょう。

      3-5. 「話の助言」の用紙,および研究21から研究37にわたる資料はどのようにいっしょに用いられるよう意図されているかを説明しなさい。

      3 進歩的な助言。研究生と学校の監督の両方を助けるため,「話の助言」と呼ばれる用紙が備えられています。それには,研究生が真理を効果的に伝える能力を伸ばすのに役立つ36の事項が列挙されています。各の点に関する有用な資料は,この本の研究21から研究37にわたり,簡潔にまとめて収められており,特定の研究の章は「話の助言」の用紙の中に番号で示されています。それらの研究の章は特に助言用紙に関連して用いるために準備されています。密接な関係を持つ2,3の特質は,同時に取り上げるのが良いと考えられるので,たいてい1つの研究の中でいっしょに取り扱われています。

      4 学校の名簿に載せられて日の浅い人は,「話の助言」の用紙に掲げられている点を念頭に置いてよく準備するのは有益なことです。神権宣教学校での最初の話では,学校の監督(あるいは,名簿に載せられている人が大ぜいの場合,別の助言者)は,研究生が扱った点に関連して良い面だけをほめます。それ以後,助言者は,研究生の話し方を改善する上で一番注意が必要な助言点に段階的に注目し,次の話に関連してその点で努力するよう,研究生に具体的な指示を与えます。助言者は助言用紙の他の点にいつ移ることができるかをおのおのの研究生に知らせます。

      5 研究生の話し手の中には,かなり速く進む人もおれば,1つの研究の章で取り上げられている幾つかの点を一度に取り扱うよりも,一度に1つの点だけを取り上げて努力する必要のある人もいるでしょう。事実,ある研究生は,1つのむずかしい点を取り上げて努力するのに,幾つかの話をするよう指示される場合もあるでしょう。それは,別の点に移る前に,当面の話の特質をほんとうに修得するためです。

      6,7. 学校の監督はどんな点に関して助言を与えますか。

      6 おのおのの研究生の話の後に与えられる助言は,話をする能力を改善しつづけるよう研究生を援助することを意図した親切な助言であるべきです。しかし,講話や聖書の目立った点を扱う話し手になんらかの助言を与える必要があれば,そうした助言は学校が終わってから個人的に与えます。特に,その話し手が割り当てられた時間を超過した場合,助言が与えられるでしょう。講話を話す人は,あらゆる点で模範的な話をするよう努力すべきです。したがって,個人的な助言はまず必要ではないでしょう。

      7 普通,努力すべき点として研究生に事前に知らされた点に関して助言が与えられます。もちろん,話の何か他の面が特に良い場合,助言者は話し手をほめるのに確かにその点を含めることができますが,助言用紙上のその点には記入しません。使用される記号は次のとおりです。「努」(努力してください): 特定の話の特質を改善するため,さらに努力を要する場合。「改」(改善された): 研究生はある点に関して少なくとも一度はすでに努力し,改善した証拠を示しているが,また今度も努力するほうが良いと考えられる場合。「良」(良い): 考慮中の特質が十分に発揮されたので,学校の次の割り当てを準備する際,話の特質の別の点に関する研究に進んでも良いと認められる場合。研究生が朗読の割り当てを受けている場合,助言者はこの種の割り当てに一番適した助言を与えるはずです。

      8-10. 助言用紙に記入するにあたって,学校の監督は進歩を励ませるようにするため,何を念頭におくべきですか。

      8 学校の監督は,助言を与えて最善の益を図るため,相当の識別力を行使すべきでしょう。話し手がごく新しい人であれば,何にもまして必要なのは激励でしょう。他の研究生はもっと長く学校にはいっており,熱心に話を準備し,また,努力するよう指定された,話の特質に注意を払ってはいますが,その能力はある程度限られているかもしれません。そのような場合,話のある特質が多少なりとも発揮されているなら,学校の監督は助言用紙に「良」としるし,注意を要する別の特質に進むことを許すかもしれません。

      9 一方,別の話し手はより多くの経験を積み,あるいは生来の能力にいっそう恵まれているかもしれませんが,他の仕事に追われて,指定された話の特質を時間をかけて研究しなかったため,思うように話せない場合もあるでしょう。そのような場合,学校の監督が助言用紙に「良」としるして別の点に進むよう告げるとすれば,実際のところ,研究生の進歩は妨げられるでしょう。それが,指定された特質は発揮しえたはずだと考えられるような話であれば,助言者は助言用紙に「努」(努力してください)としるし,研究生の進歩を図るため,なんらかの個人的な援助を差し伸べるでしょう。そうすれば,研究生は,おのおのの話を単に割り当てを履行するだけのものではなく,話し手としての自分たちの進歩を示す標識にするよう励まされるでしょう。

      10 この話の訓練は進歩的なものであることを念頭においてください。一夜にして熟達した話し手になることを期待してはなりません。それは漸進的な過程ですが,勤勉に努力すれば,その速度をあげることができます。話の訓練のこのプログラムを通して与えられる提案を熟考し,割り当ての準備に専念するなら,あなたの進歩は日ならずしてすべての観察者の目に明らかになるでしょう。―テモテ前 4:15。

      11-16. 助言者は,助言を与える際に人を建て起こせるようにするため,どんな指針に従うよう努力すべきですか。

      11 助言者。学校の監督は,割り当ての資料が十分に取り上げられたかどうかを判断し,かつ,何か不正確な点があれば,それを訂正できるようにするため,毎週の研究資料を注意深く研究すべきです。とはいえ,資料の提供の仕方に批判的になりすぎるあまり,話を楽しめないというようなことは決してあってはなりません。学校の監督もやはり,話されるすぐれた真理の益にあずかるべきです。

      12 助言に際して学校の監督は,普通,まず最初に研究生の努力をほめます。次いで,話し手が努力している,助言用紙上の点に関する注解に移ります。ある点が引き続き注意を要する場合,話し手の弱点を強調するよりも,どうすれば改善できるかを強調すべきです。そうすれば,助言は話し手と聴衆の他の人々を建て起こすものとなるでしょう。

      13 良くできましたとか,特定の話の特質に関して再び努力する必要があるとかと単に研究生に告げるだけでは不十分です。なぜ良かったか,なぜ改善が必要か,また,どのように改善できるかについて助言者が説明すれば,出席者すべてのためになるでしょう。加えて,考慮中の話の特質が野外宣教や会衆の集会で大いに必要とされる理由を強調するのは有益です。それは,その点に関し会衆全体の認識を鼓舞し,また,その点に引き続き注意を払うよう研究生を励ますものとなるでしょう。

      14 研究生の話の復習をするのは助言者の務めではありません。助言は簡潔で要点をついたものにし,各の研究生の話に対して2分以内で述べるよう注意すべきです。そうすれば,ことばを多用しすぎて助言や提案をあいまいにしないですみます。同時に,論じられた事がらに関する付加的な資料の載せられている,この本のページに研究生を注目させるのは適切なことです。

      15 発音や文法上のささいなまちがいは,注意すべき大きな事がらではありません。むしろ,助言者は話し手の話し方の全般的な効果に関心を払うべきです。それは価値のある,啓発的な資料ですか。話はよく組織だてられており,容易についてゆけますか。話し方は誠実かつ熱心で,人を納得させるものですか。表情や身ぶりは,話し手が自分の話している事がらを信じていること,また,聞き手に与える印象よりも,すぐれた真理を理解してもらうことにいっそうの関心をいだいていることを示すものですか。そうした肝要な事がらが十分配慮されてさえいるなら,聴衆は発音や文法上の2,3のまちがいなどにはほとんど気づきません。

      16 この宣教学校における助言は常に,人を助ける親切な仕方で与えられるべきであり,研究生を助けたいという強い願いを伴っているべきです。助言を受ける研究生のひととなりを考慮してください。その人は感じやすい人ですか。教育をあまり受けなかったのではありませんか。その弱点を酌量すべき理由があるのではありませんか。助言はそれを受ける人に,自分は批判されたのではなくて援助されたのだ,という気持ちをいだかせるものであるべきです。研究生が助言とその穏当さをまちがいなく理解できるようにしてください。

      17-19. 話のたびごとに最大の改善を遂げるには,おのおのの話を準備する前,および話をしたあとに何をすべきですか。

      17 助言から益を受ける。神権宣教学校での話の割り当てを受けたなら,自分がその話をするのは,会衆のために教訓的な資料を述べるためだけではなく,話をする自分の能力を改善するためでもあるということを念頭においてください。こうした面で成果をあげるには,努力をするよう求められている,話の特質を多少の時間をかけて分析するのはたいせつなことです。努力の対象とされている点が取り扱われている,この本の研究の章をもう一度注意深く読んで,その点をどのように加味して準備すべきか,また,その話の特質を自分の話し方の中でどのように示すべきかを知るようにしてください。あなたを助けるため,この本の中では,話のおのおのの特質の主要な面は肉太の活字で印刷されています。それらは考慮すべきおもな要素です。

      18 自分の話を終えたなら,与えられる口頭の助言を注意深く聴き,感謝の念をもって助言を受け入れてください。それから,注意を必要とする点に努力を払ってください。進歩を速めたいと願うなら,次の話の時まで待っていてはなりません。自分が努力する必要のある点が論じられている,この本の中の資料をもう一度研究し,種々の提案を日常の会話にあてはめるよう努力してください。そうすれば,次の研究生の話をする時までには,おそらくそれらの点を修得していることでしょう。

      19 研究生はみな,この学校のプログラムで順次行なう話のたびごとに改善を目ざして努力すべきです。それには確かに不断の努力が必要です。しかし,それは必ずエホバの祝福をもたらします。神権宣教学校における訓練から最大の益を受ける人々にとって,箴言 19章20節は特別な意義をもつことばと言えるでしょう。「助言を聴き,訓戒を受け入れなさい。あなたが将来に賢くなるためである」。

      [104,105ページの図表]

      話の助言

      話し手______________________________

      (氏名 ― 略さずに)

      記号: 努 ― 努力してください

      改 ― 改善された

      良 ― 良い

      日付 話の番号

      啓発的な資料(21)*

      明快で理解しやすい(21)

      関心を起こさせる紹介のことば(22)

      主題に適した紹介のことば(22)

      適当な長さの紹介のことば(22)

      声量(23)

      休止の仕方(23)

      聖書を使うよう聴衆を励ます(24)

      聖句を正しく紹介する(24)

      聖句を強調して読む(25)

      聖句を明確に適用する(25)

      強調のための繰り返し(26)

      身ぶり(26)

      主題を強調する(27)

      要点を目だたせる(27)

      聴衆との接触,ノートの用い方(28)

      筋書きの用い方(28)

      備考: _________________________________

      ____________________________________

      ____________________________________

      * かっこ内の番号は,指定された話の特質を論じている「神権宣教学校案内書」の

      研究の番号を表わします。

      S−48J 6/71

      日付 話の番号

      流ちょうさ(29)

      会話的な特質(29)

      発音(29)

      接続語を用いて一貫性をもたせる(30)

      論理的で一貫した話の進め方(30)

      納得させる論議(31)

      聴衆を助けて推論させる(31)

      意味の強調(32)

      抑揚(32)

      熱意(33)

      暖かさと気持ちをこめて話す(33)

      資料に適したたとえ(34)

      聴衆に適したたとえ(34)

      野外宣教に適応させた資料(35)

      効果的で適切な結論(36)

      適当な長さの結論(36)

      時間(36)

      自信と落ち着き(37)

      身なり(37)

      注意: 助言者はおのおのの話に際し,「話の助言」の用紙上の順序で次に出てくる2,3の点に関して研究生の話を検討し,「神権宣教学校案内書」の1つの研究の章にまとめられているどの点でも取りあげることができます。この手順に調整を加える際にはいつでも,助言者はそのことを前もって「備考」欄に書き込みます。この用紙の余白は,陳述の正確さ,発音の明確さ,態度,ことばの選び方,文法,型にはまった話し方,適切な関連,教える際の技巧,また,必要があれば声の質など,この用紙に掲げられていない点に関して研究生に助言を与える際に用いることができます。

      [106,107ページの図表]

      話の特質の大要

      啓発的な資料(21)

      具体的な資料

      あなたの聴衆にとって啓発的な内容

      実際的な価値のある資料

      陳述の正確さ

      意味を明確にする付加的な資料

      明快で理解しやすい(21)

      簡潔に述べる

      よく知られていない用語を説明する

      資料が多すぎない

      関心を起こさせる紹介のことば(22)

      主題に適した紹介のことば(22)

      適当な長さの紹介のことば(22)

      声量(23)

      気持ちよく聞ける大きさ

      情況に適した声量

      資料に適した声量

      休止の仕方(23)

      句読点を示す休止

      考えの変化を示す休止

      強調のための休止

      情況に応じて必要とされる休止

      聖書を使うよう聴衆を励ます(24)

      提案によって

      聖句を見つける時間を与えて

      聖句を正しく紹介する(24)

      聖句に対する期待を起こさせる

      聖句を使う理由に注目させる

      聖句を強調して読む(25)

      適確なことばを強調する

      効果的に強調する方法を用いる

      家の人が読む聖句

      聖句を明確に適用する(25)

      適用すべきことばを孤立させる

      聖句を紹介することばの要点を銘記させる

      強調のための繰り返し(26)

      要点の繰り返し

      理解されなかった点の繰り返し

      身ぶり(26)

      描写のための身ぶり

      強調のための身ぶり

      主題を強調する(27)

      適切な主題

      主題を成すことば,または考えを繰り返す

      要点を目だたせる(27)

      あまり多くの要点を取り上げない

      主要な考えは別々に発展させる

      補助的な点によって主要な考えに注目させる

      聴衆との接触,ノートの用い方(28)

      視覚による聴衆との接触

      直接話しかけて聴衆と接触する

      筋書きの用い方(28)

      流ちょうさ(29)

      会話的な特質(29)

      会話的な表現を用いる

      会話的なスタイルの話し方

      発音(29)

      接続語を用いて一貫性をもたせる(30)

      推移を示す表現の用い方

      あなたの聴衆に適した一貫性

      論理的で一貫した話の進め方(30)

      資料を合理的な順序で配列する

      関連のある資料だけを使う

      かぎとなる考えを省かない

      納得させる論議(31)

      土台を据える

      確かな証拠をあげる

      効果的な要約

      聴衆を助けて推論させる(31)

      共通の立場を維持する

      論点を十分に発展させる

      聴衆に対して適用する

      意味の強調(32)

      文章の中の考えを伝えることばを強調する

      話の中の主要な考えを強調する

      抑揚(32)

      力の変化

      速さの変化

      高さの変化

      考え,あるいは感情に適した抑揚

      熱意(33)

      生き生きとした話し方によって示される熱意

      資料に適した熱意

      暖かさと気持ちをこめて話す(33)

      表情に表われる暖かさ

      語調に表われる暖かさと気持ち

      資料に適した暖かさと気持ち

      資料に適したたとえ(34)

      簡単なたとえ

      適用を明らかにする

      重要な論点を強調する

      聴衆に適したたとえ(34)

      身近なところから得る

      上品なたとえ

      野外宣教に適応させた資料(35)

      種々の表現を一般の人々に理解させる

      適切な論点を選択する

      資料の実際的な価値を目だたせる

      効果的で適切な結論(36)

      話の主題に直接関連している結論

      結論は何をすべきかを聞き手に示す

      適当な長さの結論(36)

      時間(36)

      自信と落ち着き(37)

      挙動に表われる落ち着き

      制御された声によって示される落ち着き

      身なり(37)

      適当な服装と身だしなみ

      正しい姿勢

      きちんとした所持品

      不適当な表情をしない

  • 啓発的な資料,明快に述べる
    神権宣教学校案内書
    • 研究 21

      啓発的な資料,明快に述べる

      1-3. 啓発的な話をするには,具体的な資料が必要です。なぜですか。

      1 価値のある話は熱心な準備から始まりますが,それには時間と努力がいります。しかし,なんと大きな報いをもたらすのでしょう! あなたは正確な知識のたくわえをふやし,聴衆とわかち合う真に有益なものを得,一般的な話をするどころか,人を啓もうする詳細な事がらを提供でき,また,自分が話しているのは正しい事がらであるとの自覚をいだけます。その結果,神のみことばに対する聴衆の認識は高められ,エホバに誉れがもたらされます。啓発的な資料に関してここで特に考慮するのは,話の中で何を話すかという点です。その幾つかの面を簡単に考慮しましょう。それは「話の助言」の用紙上の最初の点となっています。

      2 具体的な資料。一般的な内容の話には重みや権威がありません。それはばく然とした話で,聴衆に確信を与えません。具体的で厳密な考えでなければ,人に覚えてもらうことはできません。それは,論題に関する調査と知識のほどを明らかにするものです。

      3 この特質は,準備の際,なぜ,いつ,どこでなどと自問することによって取得できます。ある事がらが起きたと言うだけでは,たいてい不十分です。場所の名前や日付,あるいは理由をあげてください。ある真理を述べるだけでは不十分です。それがなぜ真実か,知る価値がなぜあるのかを示してください。指示を与える場合には,ある事がらをどのように行なうかを説明してください。この種の説明がどの程度必要かは,聴衆がすでにどの程度知っているかによって決まります。ですから,どの程度詳述するかを決めるには,聴衆を考慮してください。

      4-6. あなたの特定の聴衆に対して啓発的な話をするには,どんな要素を念頭におかねばなりませんか。

      4 あなたの聴衆にとって啓発的な内容。ある聴衆を啓発する事がらも,別の人々にとっては,なんら知識をふやすものとはならなかったり,全然理解できなかったりする場合さえあるかもしれません。したがって,資料は特定の聴衆に適したものでなければなりません。たとえば,わたしたちのわざがどのように行なわれているかを述べる話でも,エホバに献身しようとしている人,あるいはこの世の一群の人々に対する話と奉仕会での話とでは,資料の取り扱い方が全く異なるでしょう。

      5 神権宣教学校のいろいろな割り当てに関しても,これらの要素を考慮しなければなりません。割り当てられたどんな話であれ,述べられる資料は,聴衆や場面,また話の目的などの見地から考慮されるべきです。これらの要素は話の型や,話し手が設定した場面によって決まります。もとより,講話は会衆に対する話です。他の話はいろいろ異なっており,その聴衆や目的は場面によって明らかにされます。そのいずれの場合でも,研究生と助言者は次のように自問できます。資料は,その話に関係している特定の聴衆に適しているだろうか。聴衆は啓発され,教えを受けるであろうか。

      6 準備に際し,次のように自問してください。この話で何を成し遂げたいと欲しているのだろうか。この人,あるいは一群の人々は,わたしが話したいと思っている事がらをすでにどれほど知っているだろうか。これらの点を述べる前に,どんな土台を据えねばならないだろうか。全く異なった人々に対して,どのように違った仕方で話せるだろうか。多くの場合,比較してみると,自分の見方がはっきりします。聴衆を考慮し,自分が話そうとしている特定の聴衆にとって資料を啓発的なものにする仕方が他の場合とどう違うかをちょっと知るため,準備の際,異なったグループの人に話す別の話し方を試みてください。

      7-8. どうすれば,わたしたちの話を実際的なものにすることができますか。

      7 実際的な価値のある資料。学ぶべき事がらはたくさんありますが,そのすべてが実際に役だつわけではありません。わたしたちにとって啓発的な資料とは,クリスチャンとしての生き方,また,わたしたちの宣教に関して知る必要のある事がらにかかわるものです。わたしたちは,学んだ知識の用い方を知りたいと思います。

      8 研究生は準備をする際,また,学校の監督は助言をする際,次のように自問して,この点を考慮できます。この話の中には指針となるどんな原則があるだろうか。この資料は決定を下す際に用いられるだろうか。提出された知識は野外宣教に適応できるだろうか。それは神のみことばをたたえ,神の目的をさし示すものだろうか。そうした知識すべてを与えうる話はめったにないにしても,実際的であるためには,述べられた資料は,なんらかの仕方で聴衆が用いうるものであるべきです。

      9-11. 陳述の正確さはなぜそれほど重要ですか。

      9 陳述の正確さ。エホバの証人は真理の組織です。わたしたちは真理を話し,いつでも,またどんな詳細な点でも絶対に正確でありたいと願ってしかるべきです。教理に関してだけでなく,引用文,または他の人々について話す事がらでも,あるいはそれらの人のことを伝える場合でも,さらには,科学的なデータやニュースとしてのできごとに関する事がらであっても,そうであるべきです。

      10 聴衆に対して誤った陳述がなされると,それは繰り返され,誤りは大きくなるかもしれません。不正確さに気づいた聴衆は,他の点についても話し手の権威を疑い,音信そのものの真実性をさえ疑うかもしれません。最近関心をいだいた人がそうした陳述を耳にし,別の時に,それとは違った見解を聞かされると,エホバの証人の考えは一致していないと結論し,理由を述べることさえせずに交わりを絶つかもしれません。

      11 助言者は,研究生の述べることを1つ1つ取り上げて酷評すべきではありません。真理に新しく,したがって,神のみことばのより深い事がらの点で信仰が十分確立されていない人の場合は特にそうです。むしろ,助言者は,考え方を練るよう巧みに研究生を助け,事前の周到な準備によって正確さを改善する方法を示します。

      12,13. 意味を明確にする付加的な資料の価値を述べなさい。

      12 意味を明確にする付加的な資料。黙想をして得た考えや,ある論題に関してさらに詳しく調査して集めた考えは,話の内容に大いに貢献するものであり,時には,聴衆のすでに知っている資料を繰り返して述べる,非教訓的な話を避けるのに役だちます。それは話に新鮮味を添え,聴衆の関心を生き生きとしたものにするばかりか,よく知られている論題でもほんとうに喜ばしいものにすることができます。同時に,それは話し手に自信を与えます。また,話し手は,少し異なった事がらを話せるというわけで,熱意をいだいて話に取り組めるでしょう。

      13 避けるべき危険があります。それは私的な推測です。協会の出版物を用い,かつ,それに頼るべきです。協会の「索引」や聖句の脚注を調べてください。あなたが述べる事がらは,意味を明確にするものであって,誤って伝えるものではないことを確かめてください。

      **********

      14-16. 物事を簡潔に述べられるようにするには,話を準備する際,何を行なわねばなりませんか。

      14 資料を準備するに際して,自分が言おうとする事がらをどのように述べるかという点に慎重に注意するのも重要なことです。これが,「話の助言」の用紙上で「明快で理解しやすい」という項目として言及されている事がらです。この点に十分注意しないと,聴衆を動かしそこなったり,話した事がらを聴衆に覚えてもらいそこねたりするおそれがあります。この問題には考慮すべき3つの主要な面があります。

      15 簡潔に述べる。これは,言い回しを前もってよく考えておくという意味ではありません。しかし,伝えようとしている考えは分析し,ある一定の要素を考慮しておかねばなりません。そうすれば,概して話は引き締まったものになり,簡潔な考えが,しかもわかりやすいことばで表現されるようになるでしょう。論題が話し手の思いの中でこみいっているなら,話し方もこみいったものになるでしょう。

      16 どたん場になって準備をするということは避けねばなりません。話の論点はすべて話し手が簡潔かつ明快に理解できるようになるまで考え抜かねばなりません。そうすれば,話し方を準備する際,それらの論点を復習すると,論点は話し手の脳裏にきわめて鮮明に刻まれ,必要に応じてすぐことばとなって出てくるばかりか,話し手同様,聴衆にとってもきらめくばかりの明快さをもって理解されるようになるでしょう。

      17,18. よく知られていない用語はなぜ説明しなければなりませんか。

      17 よく知られていない用語を説明する。聖書,および,ものみの塔協会の出版物を研究して得た,わたしたちの語彙の中には,わたしたちのわざを知らない人にとっては,かなり聞きなれない用語とされるものがあります。その種の用語を用いて聖書の真理をある聴衆に説明するなら,わたしたちの述べることの大半は意味をなさなくなるか,あるいは,わたしたちの話は全然理解してもらえなくなるかもしれません。

      18 あなたの聴衆を考慮してください。聴衆はどの程度の理解を持っていますか。わたしたちのわざをどの程度知っていますか。これらの表現のうち,聴衆が話し手同様にすぐ理解できる表現はどれくらいありますか。「神権政治」「残れる者」「他の羊」,また「ハルマゲドン」や「王国」などの用語でさえ,聞き手の思いに異なった考えを伝えるか,もしくは,なんら考えを伝えない場合もありうるのです。聞き手がわたしたちのわざをよく知らないなら,「魂」「地獄」「不滅性」などの用語でさえ,その意味を明らかにする必要があります。しかし,会衆に対して述べられる話であれば,この種の用語を説明する必要はありません。したがって,場面を考慮に入れるべきです。

      19,20. どうすれば,資料が多すぎないようにすることができますか。

      19 資料が多すぎない。話によっては,内容があまり豊富すぎて,大量の資料がどっと聴衆に提供されることになり,理解がさまたげられたり,あるいは全然理解されなかったりする場合があります。話の目的を達成するには,割り当てられた時間内で明確に説明できる以上の資料を用いてはなりません。聴衆が無理なく吸収できる以上の事がらを述べるべきではありません。そのうえ,同じ論題に関する資料であっても,外部の人あるいは最近関心をいだいた人に話す場合には,会衆に話す場合と比べて相当簡単に話さねばならないでしょう。ここでもまた,助言者は話し手の話を聞く聴衆を考慮に入れなければなりません。

      20 研究生はどうすれば,話に用いるべき資料の分量を決めることができますか。準備の際,比較をするのは有益です。話そうとしている事がらを分析してください。これらの論点のうち,聴衆が少なくともその一部をすでに知っている点はいくつありますか。全く新しい論点はいくつありますか。すでに据えられている知識の土台が大きければ大きいほど,一定の時間内にさらに多くをその上に建てることができます。しかし,討議しようとしている論題について聴衆がほとんど何も知らないというような場合であれば,どれほど多くの事がらを述べるか,また,聴衆がそれらの点を十分に理解できるよう説明するには,どれだけの時間を要するかについて,細心の注意を払わねばなりません。

  • 効果的な紹介のことば
    神権宣教学校案内書
    • 研究 22

      効果的な紹介のことば

      1-3. 話の紹介のことばに際して,どんな方法を用いて論題に対する関心を起こさせることができますか。

      1 関心を起こさせる。話の紹介のことばは,論題に対する関心を起こさせるものであるべきです。それはあなたの聴衆の関心をとらえ,続いて述べられる事がらを友好的な態度で考慮できるよう聴衆に備えをさせるものであるべきです。このことを成し遂げるには,あなたの論題の価値を聴衆に示す必要があります。

      2 話に対する関心を起こさせる最善の方法の1つは,聴衆を話に関係させることです。この知識は聴衆にとって肝要であり,命にかかわるものであることを自覚させてください。そうするには,聴衆のレベルに立って話を始めねばなりません。つまり,あなたの話すことは,聴いている人々の常識的な知識の範囲内の事がらであるべきです。それには,たとえや問題,あるいは一連の質問などが用いられるかもしれません。しかし,それはいつでも,聴衆がよく知っている事がらであって,聴衆が理解でき,かつ自分にあてはめられる事がらであるべきです。

      3 場合によっては,紹介のことばの中で偏見を克服する必要があるかもしれません。討議の対象とされている論題が相当な論争の的とされている事がらであれば,特にそうです。その場合,論点を確証する論議を効果的に述べ終わるまで聴衆を引きつけておくには,紹介のことばはきわめてたいせつです。戸別訪問の宣教の際の普通の反論なら,最初にそれを巧みに指摘することによって,たいてい克服できます。それから,話し合いたいと思っている資料を取りあげることができるでしょう。

      4-6. 関心を起こさせる紹介のことばに役だつ他の要素をあげなさい。

      4 常に第1に重視されるのは,何を言うかという事がらですが,紹介のことばによって関心を起こさせるには,どのように言うかが,話の他のどんな部分におけるよりも,おそらくいっそう重要でしょう。この理由で,紹介のことばには,何を言うかだけでなく,どんな方法で述べるかをも前もって注意深く準備する必要があるのです。

      5 普通,紹介のことばの目的を最も良く果たすのは,簡潔な短い文章です。紹介のことばに使える短い時間の中で目的を果たすには,ことばの選択がきわめて肝要ですから,最初の2,3の文章を念入りに用意しておくのは有益です。それらの文章をノートに書き込んで読めるようにしておくか,またはそれを暗記しておき,冒頭のことばにふさわしく,かつ必要な効果を最大限に発揮できるようにしてください。そのうえ,そうすれば,話を始めるにあたって,いっそうの確信を得,また,即席の話を続けるのに必要な十分の落ち着きをも得ることになるでしょう。

      6 話のこの特質に関して助言者の問題にしない事がらではありますが,紹介のことばの述べ方について,さらに2,3付け加えておきます。もし,不安を感ずる場合には,ゆっくりとした口調で,声の調子をさげて話してください。また,確信をいだいて話してください。しかし,独断的な感じを与えるようなことがあってはなりません。そうした態度は最初から聴衆を遠ざけてしまうおそれがあります。

      7. 紹介のことばはいつ準備すべきですか。

      7 紹介のことばは,話の中で真っ先に述べるものですが,普通,話の本論を十分に組織だててから準備するのが最も効果的です。そうすれば,準備した資料を正しく紹介するにはなんと言えばいちばん良いかを知ることができるでしょう。

      **********

      8-10. どうすれば紹介のことばを主題に適したものにすることができますか。

      8 主題に適切。紹介のことばは主題に適したものであって初めて,話を本論に導くことができます。話の目的の達成に寄与する事がらだけを紹介のことばに用いるよう,細心の注意を払わねばなりません。もちろん,それは王国の音信の品位にふさわしく,かつ,聴衆の中にいるかもしれない外部の人々の気持ちを害さないよう配慮されたものであるべきです。

      9 紹介のことばは,話をあなたの論議の本題に導くものでなければならないと同時に,取り扱おうとしている資料の特定の面を明確に述べるものでなければなりません。つまり,本題を特定の主題に限定し,それから,なんらかの方法でその主題をあなたの紹介のことばの中で,できるだけ実際的に明らかにする必要があります。主題をはっきり述べるのでなければ,場合によっては,かぎとなる,もしくは主題を成すことばを紹介のことばの中で用いることができます。そうすれば,聴衆は,あなたの話の題が示唆するかもしれない,本題の何か他の面が取り扱われるものとは期待しないでしょう。

      10 話はすべて全体として統一されていなければならず,始めと終わりとで話すことが違っていてはなりません。そのうえ,紹介のことばは主題に適したものであるとともに,関心を起こさせるという点でも,同様に適切なものでなければなりません。言いかえれば,単に話の始めをおもしろくしようとして主題を犠牲にすべきではありません。話の目的が資料の選択を左右するものであるべきであり,その資料は話の本論に合ったもので,本論と密接に結びつくものでなければなりません。

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      11-14. 紹介のことばが適当な長さかどうかは,どうすれば判断できますか。

      11 適当な長さ。紹介のことばはどれくらいの長さのものであるべきですか。あらゆる情況にあてはまる明確な答えはありません。紹介のことばの長さは,論題そのものに与えられている時間,話の目的,関係している聴衆その他同様の要件によって左右されます。

      12 事実,話を聴く際,紹介のことばと本論は続いているので,普通,その区切りを明確に定めるのは困難でしょう。あなたの「話の助言」の用紙上のこの特質を取り扱う際,助言者にとってむずかしいのはこの点です。研究生はすべて自分の話の中でなんらかの紹介のことばを用いますが,助言者が関心を持っているのは次の点です。紹介のことばはあまりだらだらしていて詳しすぎ,また長すぎるため,主要な論議が述べられないうちに,聴衆はそわそわしているだろうか。

      13 紹介のことばは,関心を起こさせるという特質を犠牲にすることなく,一定の秩序だった考えの脈絡に沿い,本論に向かって急速に進展してゆくべきもので,切れ目のない,まとまったものでなければなりません。それには周到な考慮が必要です。なぜなら,出発点が本題から隔たりすぎていると,詳細な長い説明が必要になるので,紹介のことばを訂正して新たな出発点を見つけるのが最善の策となりかねないからです。

      14 紹介のことばと話の本論との間に明確な区切りをつけにくいなら,あなたの紹介のことばはまず適当な長さと考えられます。そうであれば,あなたは聴衆を上手に資料の論議に導き入れ,聴衆は実際のところ,それとは気づかぬうちに論議に聴き入っているということになるでしょう。一方,いつ論点に触れるのだろうかと聴衆がいぶかっているのであれば,あなたの紹介のことばは確かに長すぎると言わねばなりません。これはしばしば戸別訪問の際の話の弱点となっています。戸別訪問ではしばしば,家ごとに紹介のことばの長さを変える必要があるのです。

      15,16. 討論形式の話の場合,その一部を成す話の紹介のことばは,どれほどの長さのものであるべきですか。

      15 プログラムに予定された唯一の話,もしくは研究生の話をする場合,紹介のことばは他の場合よりも多少長くなるかもしれません。しかし,討論形式の話の一部,あるいは奉仕会の一部を担当する場合,紹介のことばは要点をついた短いもので良いのです。なぜなら,それはすでに紹介された,一貫したプログラムの一部を成すものだからです。長々しいこみいった紹介のことばは,多くの時間をいたずらに浪費するものとなります。話そうとしている考えを伝えるのは,話の本論なのです。

      16 要約すれば,紹介のことばは,接触を確保し,関心を起こさせ,自分が論じようとしている論題に話を導くためのことばにほかなりません。実行できる範囲内でできるだけ手早くこのことを行ない,次いで,あなたの論題の本論に話を進めてください。

  • 声量と休止の仕方
    神権宣教学校案内書
    • 研究 23

      声量と休止の仕方

      1,2. わたしたちは十分に大きな声で話さねばなりません。なぜですか。

      1 人々があなたの話を容易に聞けるのでないかぎり,話す事がらの価値は失われてしまいます。一方,あなたの声量が大きすぎると,聴衆はいらいらさせられ,そのために,あなたの準備したすぐれた考えの価値が減少する場合もありうるのです。王国会館での集会中,前のほうの出席者の注解が後ろの人によく聞こえない場合が多いことからすれば,十分の声量という問題について考慮する必要のあることがわかります。時には,演壇で話をする人が声量に乏しいため,聴衆を鼓舞しない場合もあるでしょう。野外奉仕に際しても,難聴の人に会ったり,訪問先の家の中や屋外の騒音と張り合って話したりする場合があります。こうした事がらを考えると,正しい声量という問題を注意深く考慮する必要のあることがわかります。

      2 気持ちよく聞ける大きさ。どの程度の声量を用いるべきかを決める際の第1要件を考慮する最善の方法は,次のように自問することです。必要な力のこもった声が出ただろうか。つまり,前の人が圧倒されずに,後列の人たちにもよく聞こえただろうか,と自問できます。初歩の研究生なら,その程度の考慮を払うだけで十分ですが,もっと進歩した研究生は,この問題に関する下記の面を習得するよう努力すべきでしょう。学校の監督は,この特質に関して,おのおのの研究生にどの程度まで助言すべきかを決めます。

      3-10. どの程度の声量を用いるべきかを決めるめやすとなる情況をあげなさい。

      3 情況に適した声量。話し手は,自分が話をしているときのさまざまな状態に注意していなければなりません。そうすれば,識別力の及ぶ範囲をさらに広げて,いっそう容易に聴衆の気持ちをとらえ,その関心を引きつけることができるでしょう。

      4 事情は会館によって,また聴衆の大きさによってそれぞれ異なります。種々の情況に対処するには,声量を制御しなければなりません。王国会館で話をする場合には,最近関心を持った人の居間で話すときよりもっと大きな声量が必要です。さらにまた,野外奉仕のための集会のように,会館の前のほうにいる少数の群れの人に話す際には,奉仕会の場合のように会館いっぱいに集まった人々に話すのと違って,声量は少なくてすみます。

      5 しかし,そのような場合でも事情は一定していません。会館の内外では突然,騒音が生じます。近くを通る車や汽車の音,動物の大きな声,子どもの泣き声,おくれて来る人などのすべてに対処するには,声の力を調整しなければなりません。そうした事情を無視して,声量を調整しないと,何か,おそらくは肝要な論点などが聞きのがされてしまうでしょう。

      6 多くの会衆は拡声装置を用いています。しかし,その使い方の点で注意が欠けていたり,声量が極端に大きくなったり小さくなったりする場合には,そうした情況に対する配慮の欠如に関して研究生に助言を与えることが必要かもしれません。(マイクの使用に関する研究13を見てください。)

      7 中には,単に声の性質のために,声量というこの特質を習得するのに困難を覚える人がいます。もし,これがあなたの問題で,どうしても声が通らないのであれば,学校の監督は助言を与える際,この点を考慮に入れます。学校の監督は,声を改善して強めるのに役だつ練習,または訓練方法を提案するかもしれません。しかし,声の質そのものは助言の対象としては別個の点ですから,声量を考慮するに際しては重視されません。

      8 どんな話にしても,存在するあらゆる情況を1つの話の中で判断することはできません。助言は,現に行なわれた話に対して与えられるべきであり,生ずるかもしれないあらゆる可能性に関して与えられるべきではありません。しかし,必要があると思われるなら,学校の監督は,たとえ,行なわれた話に関して研究生をほめ,その助言用紙に「良」と記入したにしても,別の情況のもとで研究生が直面する可能性のある問題について警告するかもしれません。

      9 研究生は自分の声量が十分かどうかをどうすれば判断できますか。その最善の指標の1つは聴衆の反応です。経験を積んだ話し手は,紹介のことばを述べる際,会場の後ろのほうの人々の表情や一般的な態度を観察して,それらの人が気持ちよく聞いているかどうかを判断し,それに応じて声量を加減できます。会場の“感じ”をひとたびのみ込んでしまえば,あとは問題はありません。

      10 もう1つの方法は,同じプログラムにはいっている他の話し手を観察することです。その話は容易に聞けますか。どの程度の声量が用いられていますか。それに応じて,声量を調整してください。

      11,12. 資料に適した声量を用いるのは肝要なことです。なぜですか。

      11 資料に適した声量。声量に関する論議のこの面を抑揚と混同してはなりません。ここで関心の対象とされるのは,討議されている特定の資料に適するよう,単に声量を加減するということだけです。たとえば,公然と非難をすることばを聖書から読む場合と,兄弟間の愛に関する助言のことばを読む場合とでは,研究生の声量の加減は明らかに異なるでしょう。また,イザヤ書 36章11節と,12および13節とを比べ,それらのことばが述べられた時の話し方に見られたにちがいない相違に注目してください。声量は資料に適合させねばなりませんが,決して度を過ごしてはなりません。

      12 どれほどの声量を用いるべきかを決めるにあたっては,資料とあなたの目的を注意深く分析してください。聴衆の考え方を変えたいと思っているのであれば,声量を大きくしすぎて,聴衆を閉口させてはなりません。しかし,活発な活動に携わるよう聴衆を鼓舞したいのであれば,声量をやや強めると良いでしょう。力強く話すべき資料であれば,声を低くしすぎて弱々しい話にしてはなりません。

      **********

      13-16. 休止の価値を述べなさい。

      13 話の仕方の中では,適切な休止の仕方は十分の声量と同様に重要です。休止がなされないと,述べられた事がらの意味はすぐ不明確になり,聴衆が覚えてしかるべき要点は,永続する印象を与えそこないます。休止することによって,あなたは自信と落ち着きを得,呼吸をよりよく制御でき,また,話の中のむずかしい論点に際して平静さを得ることになるでしょう。休止は,あなたが落ち着いていること,不必要に緊張していないこと,あなたが聴衆を考慮していること,また,聞いて覚えてもらいたいと願っている何ものかがあることを聴衆に示すものです。

      14 初歩の話し手は,効果的に休止する能力を時を移さず身につけるべきです。まず第1に,自分が言おうとしているのは重要な事がらであって,覚えてもらいたいと願っている事がらであるとの確信を持たねばなりません。子どもを懲らしめる際,母親は時には,子どもの注意をひくために何か前置きを述べてから,自分の意見を話す場合があります。母親は,子どもが十分の注意を払うまでは,次のことばを口にしません。次いで,母親は自分が考えていることを述べます。母親は,自分の述べる事がらを子どもに無視させないようにし,また,子どもにそれを覚えさせるようにしたいと願っているのです。

      15 中には,日常の話し方でさえ全然休止を入れない人がいます。もし,それがあなたの問題であれば,野外でのあなたの宣教を効果的に行なえるようにするため,この特質を培うべきでしょう。野外でのわたしたちの話し方は会話の形を取ります。家の人が話をさえぎるのではなく,耳を傾けて期待をいだくような仕方で休止を入れるには,正しい休止の仕方が必要です。それにしても,会話の際の休止の仕方の技巧と手練は,演壇で発揮されるそうした能力と同様,まさに肝要であり,豊かな報いをもたらします。

      16 講演の際の正しい休止の仕方に関して大きな問題となるのは,資料が多すぎることです。それを避けてください。休止のための時間の余裕を見越してください。休止はぜひとも必要なのです。

      17-21. 句読点を示す休止のたいせつさを説明しなさい。

      17 句読点を示す休止。句読点を示すための休止は,単に考えを明確にさせるもので,関連した考えを区切ったり,句・節・文と段落の終わりを示したりする休止です。そうした変化は音調の変化によっても示せますが,休止もまた,述べる事がらにいわば口頭で句読点をつける効果的な方法と言えます。しかも,文を句切る読点と句点とでは働きを異にしているのですから,同様に,そのおのおのに応じて休止にも違いがあってしかるべきでしょう。

      18 休止の置き場を誤ると,文の意図を完全に変えてしまう場合があります。その例となるのはルカ伝 23章43節のイエスのことばです。英語の語順そのままに訳すと,次のようになります。「あなたに真実に告げます,きょう,あなたはわたしとともにパラダイスにいるでしょう」。ここで,“きょう”ということばの前に句点もしくは休止をおくと,この句に関する一般の誤った解釈に見られるとおり,その意図は完全に異なったものにされてしまいます。したがって,意図された考えを伝えるには,正しい休止は不可欠です。

      19 文章を読む際,しるされている句読点すべてに気をつけることによって,即席の話をする場合の口頭による句読点の付け方を学んでください。文を読む際,時として無視できる句読点は,読点だけです。読点で休止するかしないかは,多くの場合,読み手の自由です。しかし,句点や引用符また段落などにはみな気をつけなければなりません。

      20 原稿あるいは聖書の一部を読む場合,本文中にしるしをつけると役にたちます。短い(あるいは,ほんのちょっとの)休止を入れるべき句と句の間には短い棒を1本引き,もっと長く休止する箇所には2本の棒またはXなどのしるしを記入できるでしょう。

      21 一方,読み方の練習の際,読みにくい文章があって,休止の置き場所を何度もまちがえるような場合,その句を成すことば全部をまとめるしるしを鉛筆で記入できるでしょう。次いで,その句を読む際,ひとまとめにされていることばの最後の一語に来るまで,休止,あるいはほんのちょっとの休止も入れずに読んでください。経験を積んだ多くの話し手もそうしています。

      22-24. 考えの変化を示すための休止はなぜ必要ですか。

      22 考えの変化を示す休止。1つの要点から別の要点に移る際の休止は,熟考する機会を聴衆に与えるだけでなく,誤解を防ぐものともなります。それは,聴衆の思いを調整させ,話が変わるということを聴衆に気づかせ,次に展開されてゆく新たな考えについて行く用意をする機会を与えます。話し手が考えの変化を示す際に休止するのは,車の運転者が角を曲がるときに速度を落とすのと同様にたいせつです。

      23 即席の話の場合,筋書きの中の資料は,要点と要点の間で休止できるように組み立てておかねばなりません。そのために話の連続性あるいは一貫性が妨げられてはなりませんが,特定の論点を最高潮まで盛りあげたなら,休止を入れ,次いで,新たな考えに移ってゆけるよう,資料中の考えを十分系統だてて述べるべきです。必要なら,思い起こす助けとして,そうした最高潮や変化を示すしるしを筋書きに記入することさえできます。

      24 考えの変化を示す休止は,句読点を示す休止よりも多少長いのが普通ですが,話の中で長い休止を用いすぎてはなりません。さもないと,話し方はだらだらしたものになるばかりか,たいてい気取った感じを与えるからです。

      25-28. 論点を強調したり,不穏な情況に対処したりするのに休止がどのように役だつかを述べなさい。

      25 強調のための休止。強調のための休止は,たいてい劇的な効果を出すための休止です。それは期待を呼び起こしたり,熟考する機会を聴衆に与えたりするものです。

      26 重要な論点を述べる前の休止は,期待を呼び起こします。その後の休止は,その考えに含まれる意味すべてを銘記させるものとなります。これら2種類の休止の効用は異なっていますから,個々の場合,どちらが最も適切か,あるいは両者を併用できるかどうかを決めなければなりません。

      27 強調のための休止は,非常に重要な陳述にのみ限るべきです。さもないと,その価値は失われてしまいます。

      28 情況に応じて必要とされる休止。妨害が生ずる場合,たいてい話し方は一時休止する必要があります。邪魔があまりひどくはなく,声量をふやして話を続けることができれば,普通それは最善の方法です。しかし,それが話を完全に妨げるほどの邪魔であれば,休止しなければなりまん。聴衆はそうした配慮に感謝するでしょう。それに,聴衆は一時的な邪魔に気を取られて,とかく話を聴いていない場合が多いのです。ですから,あなたが伝えたいと願っている良い事がらの十分の益を聴衆が必ず得られるようにするため,休止を効果的に用いてください。

  • 聖書に注意を向けさせる
    神権宣教学校案内書
    • 研究 24

      聖書に注意を向けさせる

      1,2. わたしたちはなぜ聞き手の注意を聖書に向けさせるべきですか。

      1 宣教におけるわたしたちの願いは,神のみことばである聖書に皆の注意を向けさせることです。わたしたちの伝道する音信が収められているのは聖書ですから,わたしたちが述べる事がらは,自分自身の創意によるものではなく,神からのものであることを人々に理解してもらいたいと思います。神を愛する人々は,聖書を信頼していますから,聖書が読まれるのを聴いて,その助言を心にとどめます。しかし,自分の聖書を取り出してみずからも読めば,受ける印象は相当深められます。ですから,野外宣教の際,情況さえ許せば,家の人に自分自身の聖書を持ってきてもらい,いっしょに聖句を調べるように励ますのは賢明なことです。同様に,会衆の集会でも,自分自身の聖書を使うよう出席者すべてを励ますなら,新しい人々は,わたしたちの信仰の源が聖書であることをいっそう容易に認識できますし,視覚による印象を通して話の内容がいっそう強調されるので,出席者すべてが益を受けられます。

      2 したがって,実際的であると考えられる場合には,いつでも聴衆が自分自身の聖書を開いて話し手といっしょに聖句を読めるようにすれば,話の目的を達成するのに明らかに有利です。聴衆がそうするかどうかは,聴衆をしかるべく励ますかどうかにかなり依存しています。これがつまり,「話の助言」の用紙上で「聖書を使うよう聴衆を励ます」という項目として指摘されている点なのです。

      3,4. どうすれば,このことを効果的に行なえますか。

      3 提案によって。最善の方法の1つは,聖書を使うよう直接聴衆に勧めることです。この方法はしばしば用いられます。時には,聖句を読む前にその聖句の出所を述べるだけで,同様の結果が得られます。たとえば,「今度はテモテ後書 3章1節から5節を読んでみますが,読みながら,この会館の近所の実情を考えてください」というふうに話し,次いで,自分も聖書を開きながら聴衆をちょっと見まわして,聴衆がそうした提案に応じているかどうかを見てください。たいてい聴衆も聖書を開きはじめていることでしょう。

      4 必要に際して,聴衆に聖書を開かせ,どの聖句を調べさせて強調すべきかは,話し手が決めます。聴衆を見守ってください。そして,聴衆が話についてきているかどうかを考慮してください。なんらかの理由で原稿を読む話をする場合でさえ,しばしば,聴衆が自分たちの聖書を開いて話についてゆけるような仕方で,かぎとなる聖句を取り扱うことができるでしょう。

      5,6. 読もうとしている聖句を見つける時間を聴衆に与えるのは有益です。その理由を述べなさい。

      5 聖句を見つける時間を与えて。単に聖句を引用するだけでは不十分です。聴衆が聖句を見つけないうちに,話し手が聖句を読んで話を別の点に進めてゆくなら,聴衆はやがて気落ちして聖書を見るのをやめてしまうでしょう。聴衆を観察し,大多数の人が聖句を見つけたなら,読んでください。

      6 普通,読む予定の時よりもじゅうぶん前に聖句を引き合いに出しておくのは良いことです。それは,何度も長い休止を入れたり,聴衆が聖句を捜している間,不必要な“つなぎ”のことばを入れたりして貴重な時間を浪費しないようにするためです。とはいえ,この場合でも,適当な休止はあってしかるべきです。一方,聖句を紹介する際,早くから聖句を引き合いに出すと,聴衆は話される事がらのある点には十分注意を払わない場合もあるということを念頭におかねばなりません。ですから,そのような場合,聖句の引用に先行する論議に関する事がらは,聖句を引用する前に述べなければなりません。

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      7-18. 聖句を効果的に紹介するのに用いうる方法をあげなさい。

      7 話の中で使う聖句は,普通,話の焦点を成すものであり,論議はそれらの聖句を中心にして進められるのです。それらの聖句が話にどれほど貢献するかは,それをどの程度効果的に用いるかに依存しています。ですから,「話の助言」の用紙に示されている,「聖句を正しく紹介する」という点は考慮に値するたいせつな事がらです。

      8 聖句を紹介し,読み,かつ適用する方法は数多くあります。たとえば,聖句を紹介して読むと同時に,それが適用を示すものとなり,読むこと自体が論点を強調したり,その決着をつけるものとなったりする場合があります。一方,たとえば,話の冒頭のことばの場合のように,紹介のことばを用いずに,ある聖句を読むと効果的な場合もあります。

      9 聖句の効果的な紹介の仕方を学ぶには,経験を積んだ話し手の紹介の仕方を分析してください。聖句を紹介する違った方法を努めて見分け,それがどれほど効果的かを考慮してください。ご自分の話を準備する際,その聖句によって何を成し遂げようとしているかを前もって考慮してください。要点を裏づける,かぎとなる聖句であれば,特にそうです。その紹介の仕方を注意深く準備し,聖句を最も効果的に用いられるようにしてください。ここに幾つかの提案を掲げます。

      10 質問。質問は答えを求めるものとなり,考えを鼓舞します。聖句とその適用が質問の答えになるようにしてください。たとえば,輸血の問題を論ずる際,ヘブライ語聖書に基づいて,輸血が禁じられていることを論証してから,あなたは使徒行伝 15章28,29節を紹介するかもしれません。その際,次のような質問を用いて聖句を紹介することもできます。「しかし,この同じ禁令はクリスチャンを拘束するものですか。初期会衆の統治体が聖霊に動かされて下した,この権威ある裁定に注目してください」。

      11 紹介する聖句によって裏づけられる陳述または原則。たとえば,非行に関する話の中で次のように言えるでしょう。「仲間を選択することさえ,正邪に対するわたしたちの態度に影響を及ぼす重要な要素の1つです」。次いで,この陳述を裏づけるものとして,コリント前書 15章33節のパウロのことばを読めるでしょう。

      12 権威ある典拠として聖書を引用する。特に副次的な聖句を用いる場合,次のように簡単に言えるでしょう。「この点に関し,神のみことばがなんと述べているかに注目してください」。これだけでも期待をいだいて聖句を読むよう聴衆を動かす十分の理由となり,また,聖句を使う理由を明示するものとなります。

      13 問題。「地獄」について話す際には,次のように言えるでしょう。「人間が永遠の焔で苦しめられるとすれば,人間は死後も意識を持っていなければなりません。しかし,伝道之書 9章5,10節が述べることに注目してください」。

      14 幾つかの選択の可能性を示す。ある聴衆にとって率直な質問や問題を提起するのがむずかしすぎるなら,考えうる事がらを幾つか述べて,聖句とその適用の仕方によって答えを出させるようにしてください。カトリック教徒に話をする際,だれに祈りをささげるのが正しいかを示すため,マタイ伝 6章9節を用いるとしましょう。率直な質問か問題を出したのでは,家の人の思いをまちがった方向に向けさせるおそれがあるので,あなたはこう言うかもしれません。「だれに祈るべきかという問題に関しては,さまざまな見解があります。マリヤに祈るべきだという人もいれば,“聖人”のひとりに祈るべきだという人もいますし,神にのみ祈るべきだという人もいますが,イエスはこう言われました」。

      15 歴史的な背景。あがないに関する話の中で,イエスがご自分の血をささげて,「わたしたちのために永遠の救出を得られた」ことを示すため,ヘブル書 9章12節を用いるとしましょう。その場合,聖句を読む前に,幕屋の「神聖な場所」について簡単に説明し,パウロが示しているように,それはイエスがはいられた場所を表わしていたということを説明する必要があるかもしれません。

      16 文脈。時には,前後の節が述べている,ある聖句の背景を説明すると,その句を紹介するのに役だつ場合があります。たとえば,「カイザルのものはカイザルに……返しなさい」とはどういう意味かを説明するため,ルカ伝 20章25節を用いる場合,その文脈に述べられているように,イエスがカイザルの銘刻の付された貨幣をどのように用いたかを説明するのは良い方法でしょう。

      17 組合わせ。もちろん,これらの方法を組合わせることもでき,また,それはしばしば効果的です。

      18 聖句を紹介することばは,十分の期待を起こさせ,聖句が読まれる際,注意を集中させ,また,その聖句を用いる理由に注意を向けさせるものであるべきです。

      19,20. 引き合いに出した聖句に対する期待を起こさせたかどうかは,どうすればわかりますか。

      19 聖句に対する期待を起こさせる。聖句に対する期待を起こさせたかどうかは,どうすればわかりますか。おもに聴衆の反応によってわかりますが,聖句の紹介の仕方によってもわかります。聖句を紹介しただけで読まないので聴衆の理解が漠然としているなら,あるいは,紹介のことばの中で質問を出して答えを与えないなら,聖句に対する関心を確かに起こさせたと言えるでしょう。もちろん,紹介のことばは本題および紹介される聖句と調和していなければなりません。そして,聖句そのもの,また,その適用も紹介のことばで未解決のままにされた問題に答えるものでなければなりません。

      20 聖句を紹介することばは,布告に先だって鳴らされるラッパの音にたとえられます。伝令者が主役を演ずるのではありません。むしろ,伝令者の鳴らす感動的なラッパの音が人々の関心や注意をことごとく布告の内容に向けさせるのです。そのような仕方で紹介すれば,あなたの選んだ聖句に耳を傾ける聴衆は大きな喜びと益を得るでしょう。

      21. 聖句を使う理由に聴衆を注目させるべきです。なぜですか。

      21 聖句を使う理由に注目させる。聖句を紹介することばの中では問題の答えは与えないでおきますが,それでも,その聖句がなぜ適切か,また十分の注意を払う価値がなぜあるのかを多少でも示しておくべきです。たとえば,人間の永遠の住みかとしての地球について論ずるのに,黙示録 21章3,4節を使う準備をしているとしましょう。前置きとなる論議に加えて,あなたはこう言えるでしょう。「さて,次に読む黙示録 21章3,4節の聖句の中で,苦しみと死がもはやなくなるとき,神の幕屋がどこにあるかに注意してください」。そうすれば,聖句が明らかにする点を何か残すことによって,期待を起こさせるだけでなく,聖句の中の重要な部分に注目させることになり,聖句を読んだのちに,その点をあなたの論議に容易に適用できるでしょう。こうして,聖句の実際の内容に注意を向けさせることにより,神のみことばの重要性を強調できます。

  • 聖句を読んで適用する
    神権宣教学校案内書
    • 研究 25

      聖句を読んで適用する

      1-3. 話をする際,わたしたちは聖句をどのように読むべきですか。

      1 個人的に,あるいは演壇で公に行なうにしても,神の目的について他の人々に話す際,あなたの論議は,あなたが聖書から読む聖句を中心にして展開されてゆきます。ですから,それらの聖句を実際に読む場合,上手に読むべきです。平板な読み方をすべきではありません。むしろ,読み方がその目的を成し遂げるためには,それはあなたの話をいっそう鼓舞するものであるべきです。この理由で,「聖句を強調して読む」という項目が,有能な奉仕者になりたいと願う人すべての特別な考慮に値する事がらの1つとして「話の助言」の用紙に掲げられているのです。

      2 聖句は気持ちをこめて読むべきです。しかし,度を過ごしてはなりません。どの程度の感じを出して読むべきかは,聖句そのものと,話の中で聖句が持っている背景によって決まります。それは論議のひとつの急所となるべきですが,読み方に聴衆の注意をひくべきではありません。

      3 そのうえ,聖句の中であなたの論議を裏づける部分に聴衆を注目させる仕方で聖句を読むべきです。こうして,聖句を正しく強調して読めば,それは聴衆に確信を与える権威のある読み方となります。

      4,5. 「適確なことばを強調する」とはどういうことですか。例をあげて説明しなさい。

      4 適確なことばを強調する。何を強調すべきかは,聖句を読む理由に基づいて決めるべきです。聖句の述べる考えすべてを等しく強調するなら,目だつものが何もなくなり,論議の要点は見失われてしまうでしょう。ですから,聖句の中でも,おもに,それを用いて伝えようとしている考えを含むことばをまちがいなく強調するようにしてください。

      5 たとえば,罪は人を永ごうの責め苦にではなく死に導くものであることを証明するために,エゼキエル書 18章4節(文語)を用いる場合,「罪を犯せる霊魂は死ぬべし」という箇所の下線部分のことばを特に強調して読めるでしょう。しかし,単にからだが死ぬのではなくて,実際には魂そのものが死ぬということを強調したい場合には,強調する箇所を変えて次のように読めるでしょう。「罪を犯せる霊魂は死ぬべし」。強調の置き場は,聖句を読む理由によって決めるべきです。

      6-12. 聖句の中の考えを伝えることばを強調する方法をあげなさい。

      6 効果的に強調する方法を用いる。あなたが目だたせたいと願っている,考えを伝えることばを強調する方法は幾つかありますから,聖句および話の背景に合った方法を用いるべきです。

      7 「聖句を強調して読む」という特質のこの面では,口頭による強調の仕方すべてを取り上げるわけではありません。それら詳細な点は,意味の強調という項目を研究する際に取り扱います。しかし,聖句を効果的に読む能力を習得する助けとして,幾つかの方法を次に掲げます。

      8 声による強調。これは,声の高さ・速さ・大きさのいずれを問わず,声の変化によって,考えを伝えていることばを文章中の他の部分から目だたせることです。

      9 休止。これは,聖句中のかぎとなる部分の前かあとで,あるいは前とあとの両方で行なえます。主要な考えを含む箇所を読む直前の休止は期待を呼び起こし,直後の休止は,与えた印象を深めさせます。

      10 繰り返し。特定の点で中断し,ことばか句を読み返すことによって強調できます。この方法は慎重に用いるべきです。

      11 身ぶり。表情はもとより,からだの動きは,ことばや句を強調するのにしばしば役だちます。

      12 声の調子。時には,読む声の調子がことばの意味に影響を及ぼし,そのことばを目だたせる働きをしますが,ここでもやはり慎重を期さねばなりません。風刺を加味する際は特にそうです。

      13,14. 家の人が聖句を読む場合,どうすれば,そのかぎとなる点を強調できますか。

      13 家の人が読む聖句。家の人が聖句を読む場合,見当違いのことばを強調するかもしれず,あるいは全然強調しないかもしれません。それでは,どうしますか。その場合,聖句の適用の仕方によって,自分が強調したいと思う点を強調するのが概して最善の方法といえます。読み終わってから,それらの箇所を読み返すか,質問をするかして,それらのことばに家の人の注意をひくことができるでしょう。

      14 こうした問題を取り扱う,もう1つの方法がありますが,それは注意と巧みさを要します。適当な箇所で,失礼ですがと言って読むのをさえぎり,次いで,自分が強調したいと思っている,読みかけの語句に特に注意をひくことができるでしょう。家の人をまごつかせたり,あるいは反感を買ったりせずにそうすることができるならば,それは効果的な方法です。ただし,控え目に用いるべきです。

      **********

      15-17. 聖句の適用を明らかにするのはなぜたいせつですか。

      15 たとえ強調して聖句を読んでも,多くの場合,それだけでは目的を達成するのに不十分です。時には,論議の中で自分が意図している考えをどのように適用できるかを聖句そのものが明示している場合も確かにあります。しかし,たいていの場合,聖句の中のそうした考えを伝えることばにもう一度注意をひき,次いで,それがどのように論議に適用できるかを示すことが必要です。これがつまり,「話の助言」の用紙上で「聖句を明確に適用する」という項目として指摘されている点です。聖書をよく知らない普通の人は,聖句が一度読まれただけでは論点はのみ込めないということを忘れてはなりません。かぎとなることばをもう一度強調し,それを適用して初めて,考えは銘記されるのです。

      16 ある聖句を適用するには,それがあなたの論議に適したものであるべきです。また,たいてい正しく紹介しなければなりません。さらに,教え方を念頭において,聖句をできるだけ簡単に適用してください。

      17 そのうえ,聖句に関する明確な理解を持っていなければならず,また,その適用は正確でなければなりません。文脈,取り扱われている原則,その聖句を用いるに際して知っておかねばならない登場人物などを考慮してください。決して記述者の意図に反する仕方で聖句を用いてはなりません。適用に関しては,協会の出版物に注意深く従ってください。

      18. どうすれば,適用すべき,かぎとなることばを孤立させることができますか。

      18 適用すべきことばを孤立させる。聖句を適用する前,もしくはその最中には,たいてい,かぎとなることばをもう一度強調すべきです。これは,聖句の中であなたの論議に関係のない事がらすべてを副次的あるいは二次的な点とするためです。そうするために,聖句の中のことばをそのまま繰り返して読む必要はありません。もっとも,普通この方法が用いられています。しかし,ある場合には,別の方法で,考慮の対象とされている孤立した考えに聴衆の注意を効果的に向けさせることができるでしょう。その1つの簡単な方法は,同意語を用いてあなたの考えをもう一度述べることです。もう1つの方法は質問を提起することです。家の人が関係する話であれば,かぎとなる考えを相手に述べさせるような言い回しの質問を用いることができるでしょう。

      19-22. 「聖句を紹介することばの要点を銘記させる」とは,どんな締めくくりをつけることを意味していますか。

      19 聖句を紹介することばの要点を銘記させる。これは単に,聖句を使う目的をまちがいなく明確に理解し,かつ認識してもらうという意味です。なんらかの理由で,聖句を型どおりに紹介することが不必要,もしくは望ましくない場合もあるでしょう。とはいえ,これは聖句の要点を銘記させなくても良いという意味ではありません。しかし,通常,聖句を読む前に述べる論議は,事前に少なくともある程度準備されているのですから,今度は,聖句を使ったことの結びとして何かを述べて締めくくりをつけなければなりません。

      20 聖句をどの程度適用するかは,聴衆によって,また資料全体の中でその論点が占める重要性によって決まります。聖句を論ずるだけではたいてい不十分です。聖句の中で強調した考えを聖句を紹介する際に述べた論議に結びつけなければならず,どのように結びつくかをはっきり述べなければなりません。

      21 聖句の適用は,目的を達成するかぎりにおいて,簡単であればあるほど良いのです。無関係な事がらはすべて省くべきです。そうするには,あなたの論議をできるだけ少数の事実にしぼり,次いで,それを理解してもらうのに必要な事がらだけを加えます。聖句を紹介したときに答えずにおいた事がらがあれば,聖句を適用する際にその答えを与えねばなりません。

      22 話の訓練のプログラムのこの段階においては,簡潔さと率直さを目標にしてください。その目標を達成するとき,あなたの読み方と聖句の適用の仕方は,熟達した教え手としての能力を反映するものとなるでしょう。

  • 繰り返しと身ぶりの用い方
    神権宣教学校案内書
    • 研究 26

      繰り返しと身ぶりの用い方

      1-3. 繰り返しは教える技術の肝要な事がらの1つです。なぜですか。

      1 話をする目的は,知識を聴衆に伝えて覚えてもらい,それを用いられるようにすることであるべきです。聴衆がそれを忘れるなら,益は失われてしまいます。あなたが述べる事がらを聴衆の思いにしっかりとどめさせる助けとなる,おもな方法の1つは,最も重要な論点を繰り返すことです。繰り返しは記憶の母,とはもっともなことばです。繰り返しは,教える技術の中の肝要な事がらの1つです。あなたは,聖句の用い方に関連してその価値をすでに学ばれたでしょう。しかし,「強調のための繰り返し」という項目が「話の助言」の用紙上に別個に掲げられています。それらはあなたの話の他の部分にもあてはまるからです。

      2 強調のための繰り返しを用いる点であなたが熟達するのを助けるため,この問題を2つの異なった面から取り上げることにしましょう。そのおのおのは繰り返す方法を異にしており,目的もそれぞれ異なります。要点の繰り返しは,記憶の助けとなり,理解されなかった点の繰り返しは,理解を助けます。

      3 この特質を考慮するにさいしては,話し方だけでなく準備も肝要です。どの考えを繰り返すべきか,また,そうする最善の時はいつかを事前に決めておく必要があります。

      4-6. 「漸進的な」要約および「結論的な」要約を用いて要点を繰り返す方法を説明しなさい。

      4 要点の繰り返し。要点の繰り返しは,たいていある種の要約によって成し遂げられます。ここでは,「漸進的な」要約および「結論的な」要約と呼ばれる,2つの重要な型について説明します。

      5 漸進的な要約とは,おのおのの要点を考慮するさい,その肝要な事がらを復習し,次になされる要約の中にその前に取り上げた要点のうちの肝要な事がらを含めてゆく方法です。こうすれば,話のつながりは絶えず強められてゆきます。

      6 話の終わりにさいしては,漸進的な要約がなされたかどうかにはかかわりなく,結論的な要約によってすべての事がらをまとめ,2,3の短い陳述によって話全体を復習することができます。時には,復習しようとする要点が幾つあるかを正確に指摘すると,さらに記憶を助けることができます。

      7-10. 論点の要約型の繰り返しを興味深い仕方で展開する方法を述べなさい。

      7 要約を無味乾燥な繰り返しにしたり,論点や考えを繰り返して述べるだけのものにしたりする必要はありません。要約はさまざまな方法で,つまり,たとえや聖句を用いたり,問題を異なった見地から論じたり,比較あるいは対照または対比させたり,同意語や質問を用いたりして行なえます。実例をあげると,公開講演のたいへん実際的な要約として,基本的な聖句と話の主要な論議を用いた五分間の短い話をすることができるかもしれません。それは講演全体をまとめて,いわばカプセルに入れたもので,それはだれでも持ち帰って使えるでしょう。

      8 要約型の繰り返しは,推論と論理を骨子とする話の場合,特に役だちます。また,論議をしてから簡単な復習をするまでに時間が経過しているので,考えを聴衆の思いにいっそう深く銘記させることができます。しかし,論点をいつも要約する必要があるというわけではありません。多くの場合,同じ点をあとで単に繰り返して述べるだけで,次に発展させるべき点の土台を効果的に据えることができます。

      9 要点を繰り返すためのもう1つの方法は,話の紹介のことばの中で要点の大要を述べ,次いで,本論の中でそれらの要点を詳述する方法です。こうした繰り返しは,考えを聴衆にいっそう深く銘記させるものとなります。

      10 要点を繰り返すこれらの異なった方法をよく知っておけば,話を興味深くて楽しい,また,いっそう覚えやすいものにするのに多くのことを行なえます。

      11-14. 理解されなかった点の繰り返しという問題に関係する主要な要素をあげなさい。

      11 理解されなかった点の繰り返し。ある点を理解させるために繰り返すかどうかは,ほとんど聴衆にかかっています。それが肝要な論点であって,しかも,一回述べただけでは聴衆にはっきり理解できない場合,なんらかの仕方でその点をもう一度取りあげなければなりません。さもないと,話し手だけが結論に達して,聴衆は置きざりにされてしまうでしょう。一方,不必要な,つまり強調する目的のない繰り返しは,話を冗長で興味のないものにします。

      12 話を準備するさい,いつも聴衆を念頭においてください。そうすれば,聴衆が持っているかもしれない特定の問題をある程度予想できるでしょう。そうした問題に関係のある考えは,なんらかの仕方で繰り返し,異なった見地から考えることができるように準備してください。

      13 聴衆が話を理解していないような場合,どうすれば,それを知ることができますか。聴衆を見守り,また,表情を観察してください。ひとりかふたりの人と話をしている場合なら,尋ねてごらんなさい。

      14 しかし,次の点によく注意してください。つまり,同じことばを繰り返すだけでは,いつも目的が達成されるわけではありません。教えるにはそれ以上のことが必要です。聴衆があなたの言うことを最初理解できなかったとすれば,単に同じことばをもう一度繰り返したところで,よりよく理解してもらうには不十分かもしれません。そのような場合,どうすれば良いでしょうか。融通をきかさなければなりません。あなたの話に何かを即興的に付け加える必要があるかもしれません。教える者として効果的に対処できるかどうかは,聴衆の必要に対処する方法を身につけているかどうかに大いに依存しています。

      **********

      15-18. どうすれば,描写のための身ぶりの用い方を学べますか。

      15 身ぶりもまた,あなたの述べることを大いに強調するものとなり,また,話されたことばの意味をしばしば強めます。こうして,身ぶりは考えを補強し,生気を与えます。なんら身ぶりを伴わずになされる話というようなものはまずありません。ですから,演壇で話すさい,身ぶりを用いないと,聴衆は話し手がかなり緊張しているということを察知します。しかし,自然な身ぶりを用いるなら,聴衆は話し手のことではなく,話される事がらを考えるようになります。身ぶりは話し手を活気づけ,また,その気持ちを奮い立たせ,したがって,話を生き生きとしたものにするので,話し手の助けとなります。何かの本を読んで身ぶりを取り入れるべきではありません。ほほえみ方や笑い方,あるいは憤り方などを研究したためしがないように,だれか他の人の身ぶりをまねる必要はありません。また,身ぶりは,自然で自動的なものであるほど良いのです。表情と身ぶりが両々あいまって,話されることばは気持ちのこもったものになるのです。

      16 身ぶりはその性質にしたがって,描写のため,および強調のための身ぶりの2種類に大別されます。

      17 描写のための身ぶり。描写のための身ぶりは動きを表わしたり,大きさや位置を示したりします。この種の身ぶりは最も容易に覚えられます。ですから,演壇で身ぶりを用いるのがむずかしい人は,まず最初に描写のための簡単な身ぶりを試みてください。

      18 宣教学校でこの特質に関して努力している場合には,身ぶりを単に1,2回用いただけで満足してはなりません。話の間中,しばしば身ぶりを用いるように努力してください。そうするために,方向・距離・大きさ・広さ・速さ・位置・対照・相対的な位置・比較などを表わすことばを捜してください。必要なら,あなたのノートの中のそれらのことばに何かしるしを付けて,その点に来たら,身ぶりを用いることを思い出せるようにしてください。たとえ,第1回目で「良」をもらっても,この練習を続けてください。何回かの話をした後には,身ぶりをする箇所にしるしを付けたり,事前に身ぶりのことを考えたりしなくても,自然に身ぶりを用いられるようになるでしょう。

      19,20. 強調のための身ぶりはどんな目的にかないますか。

      19 強調のための身ぶり。強調のための身ぶりは,気持ちと確信を表わします。それは,考えを強調し,生気を与え,補強します。したがって,強調のための身ぶりは肝要です。しかし,注意が肝心です! 強調のための身ぶりは往々にして型にはまったものになるからです。それを防止するため,同じ身ぶりの反復を避けてください。

      20 もし,あなたが,型にはまった身ぶりの問題を持っておられるなら,しばらくの間,描写のための身ぶりだけを用いてください。ひとたびこの型の身ぶりに熟達すれば,強調のための身ぶりはごく自然にできるようになります。経験を積み,演壇でいっそう落ち着いて話せるようになるにつれて,強調のための身ぶりは,あなたの内奥の気持ちを自然に表わし,確信と誠実さを表明するとともに,あなたの話をいっそう意味深いものにするでしょう。

  • 主題と要点をきわ立たせる
    神権宣教学校案内書
    • 研究 27

      主題と要点をきわ立たせる

      1-4. 話の主題とはなんですか。説明しなさい。

      1 話にはそれぞれ内容を方向づけ,そのいろいろな部分をぐあいよく結びつける主題が必要です。どんな主題にしても,それは話全体を貫くものでなければなりません。それはあなたの話の要旨であり,おそらく一文で表現できるだけでなく,提供する資料のそれぞれの面を包含するものと言えるでしょう。主題は聴衆の各人にとって明らかであるべきですが,正しく強調しさえすれば,当然そうなります。

      2 話の主題は,「信仰」などというような単に広範な論題ではなく,そうした論題の討議の対象となる特定の面を打ち出したものです。たとえば,「あなたの信仰 ― それはどれほどの影響を及ぼすものですか」「神を喜ばすのに必要な信仰」「あなたの信仰の土台」,あるいは「信仰において成長しつづけなさい」などの主題を用いることができるかもしれません。これらの主題はすべて信仰という問題を中心にしたものではありますが,おのおの異なった点から問題をとらえており,したがって,全く異なった方向に話を展開させる必要があります。

      3 時には,主題を選定する前に資料を集めねばならない場合もあります。しかし,主題は,話の筋書きを準備する前か,要点を選定する前にはっきり決めなければなりません。たとえば,毎回の家庭聖書研究のあとでエホバの証人の組織について話し合う場合のことを考えてみましょう。それは広範な論題です。この論題に関して何を話すかを決めるには,あなたの聴衆とあなたの話の目的を考慮しなければなりません。そのうえで主題を選定します。新しい人に奉仕を始めさせようとしている場合なら,エホバの証人は家から家に伝道してイエス・キリストに見習っているということを説明したいと考えるかもしれません。そうであれば,それがあなたの話の主題になり,あなたが述べることはすべて,エホバの証人という広範な論題のその面を発展させるものとなるでしょう。

      4 話の中ではどのように主題を強調できますか。まず第1に,あなたの目的にかなった,適切な主題を選定しなければなりません。それには,前もって準備する必要があります。ひとたび主題が選定され,それを中心にして話を発展させておくなら,用意した筋書きに従って話すかぎり主題はほとんど自動的に強調されるでしょう。とはいえ,実際に話す場合,かぎとなることば,あるいは主題のなかの中心的な考えを時々繰り返せば,いっそう容易に,また確実に主題を銘記させることができます。

      5,6. 主題が適切かどうかは,どうすればわかりますか。

      5 適切な主題。神権宣教学校では,適切な主題を用いるという事がらはあまり問題になりません。なぜなら,多くの場合,主題が設けられているからです。しかし,このことは,行なうよう求められる話すべてにあてはまるとは言えないので,主題にかんする事がらを注意深く考慮するのは賢明です。

      6 主題が適切かどうかは何によって決まりますか。それには幾つかの事がらが関係しています。あなたの聴衆,あなたの目的,また,取り上げる資料が割り当てられた場合なら,その資料をも考慮しなければなりません。もし,主題を強調せずに話をしているとすれば,実際には,中心となるなんらかの考えを基にして話を組み立てているとは言えないでしょう。実際には主題に貢献しない論点を話に取り入れすぎているかもしれません。

      7,8. 主題をきわ立たせる方法をあげなさい。

      7 主題を成すことば,または考えを繰り返す。話の中のいろいろな部分すべてをもって主題をきわ立たせる1つの方法は,主題の中のかぎとなることば,あるいは主題を成す中心的な考えを繰り返して述べることです。音楽の場合,主題を成す旋律は,しばしば繰り返されるので,曲全体を特色づけます。事実,わずか2,3の小節を耳にしただけで,たいてい曲目がわかります。主題を成す旋律はいつも同じ形で再現されるとはかぎりません。その旋律の1,2の楽句だけが現われることもあれば,変奏主題が用いられる場合もあります。しかし,作曲家はなんらかの方法でそうした旋律を巧みに曲全体に織り込んで楽曲を特色づけます。

      8 話の主題もそれと同様であるべきでしょう。繰り返される,かぎとなることば,あるいは主題を成す考えは,楽曲の中で繰り返される旋律に似ています。そうしたことばの同意語,もしくは別のことばで表現される,主題を成す中心的な考えは,いわば変奏主題の役を果たします。単調な話にならない程度に思慮深くそうした手段を行使すれば,主題は話全体を特色づける表現となり,聴衆はそれを主要な考えとして脳裏に収めて帰ることでしょう。

      **********

      9-13. 話の要点とは何かを述べ,例をあげて説明しなさい。

      9 話の主題を決めたなら,準備の次の段階は,主題を発展させるのに用いる要点を選定することです。これは,「要点を目だたせる」という項目として,「話の助言」の用紙上に掲げられています。

      10 話の要点とはなんですか。それは話のついでに簡単に述べる,単なる興味深い思いつきやおもしろい点ではありません。それは,話の主要な部分,十分に詳しく述べられた考えなのです。それは,陳列だなの一区分の中に何があるかを明示する,食料品店の商品だなの表示か標識のようなものです。そうした表示によって,その区分にはどんな商品があるか,あるいはないかがわかります。「穀類食」という表示のもとにジャムやゼリー類を置くのは場違いであり,人をまごつかせるだけです。「コーヒー,紅茶」という表示のもとに米を置くわけにはいきません。品物をつめ込みすぎて,あるいは置きすぎて,商品だなの表示が隠れてしまうと,何も捜せなくなってしまいます。しかし,表示がはっきり見えるなら,目前の品物をすばやく見分けることができます。あなたの話の要点についても同じことが言えます。要点を識別でき,覚えうるかぎり,聴衆はほとんどノートをとらなくても,話の結論までついて行けます。

      11 もう1つの要素。要点の選定と用い方は聴衆および話の目的によって異なります。この理由で,学校の監督は自分が助言者として前もって任意に選んだ論点に基づいてではなく,研究生の要点の用い方に基づいて,その選び方を評価すべきです。

      12 要点を選定するには,肝要な事がらだけを選んでください。それで,こう自問してください。ある論点が肝要かどうかは,どうしてわかるのだろうか。それを省いては話の目的が達成できない場合,それが肝要な論点なのです。たとえば,あがないの教理を知らない人とあがないについて話し合う場合,地上におられたイエスが人間であったことを確証するのは肝心です。さもないと,イエスの犠牲が,対応する質のものであることを立証するのは不可能になります。したがって,これは論議の要点の1つと考えられるでしょう。しかし,その人に対して,三位一体が誤った概念であることをすでに証明していたとすれば,イエスが人間として占めておられた立場を論ずるのは,単なる二次的な事がらとなるでしょう。なぜなら,相手はその点をすでに認めているからです。次に,イエスのあがないの対応する価値を確証するのは比較的に簡単でしょう。このような場合,イエスが人間であられたことを考慮するのは,肝要な論点ではありません。

      13 ですから,次のように自問してください。聴衆はすでに何を知っているだろうか。わたしの目的を達成するには何を確証しなければならないのだろうか。もし,この最初の質問に対する答えを知っているなら,あなたは資料を集め,聴衆が知っている事がらはすべて一時的に除外し,残りの論点すべてをできるだけ少数の項目に分類することによって,2番目の質問にも答えられるでしょう。それからの項目は,あなたがどんな霊的な食物を聴衆に提供しようとしているかを明示する標識となります。そうした表示つまり要点は決しておおったり,隠したりしてはなりません。それらは要点ですから,目だたさねばなりません。

      14-17. あまり多くの要点を取りあげるべきではありません。理由を述べなさい。

      14 あまり多くの要点を取り上げない。どんな論題にしても,肝要な論点はごくわずかです。たいていの場合,その数は五指に満たないでしょう。このことは,話をする持ち時間の長短にかかわりなくあてはまります。あまり多くの論点を目だたせようとする,よくある落とし穴に陥ってはなりません。食料品店があまり大きくなって,商品の品目がふえすぎると,どこに何があるのか尋ねなくてはならなくなります。聴衆が一回の話でほどよく把握できる異なった考えは,ごく限られています。それに,長い話であればあるだけいっそうわかりやすく話さねばならず,かぎとなる論点はいっそう強力かつ明瞭に説明しなければなりません。ですから,聴衆にたくさんの事がらを覚えさせようとしてはなりません。ぜひとも覚えて帰ってもらいたいと思う論点を幾つか選定し,次いで,それらの論点を話すのに持ち時間全部をかけてください。

      15 論点が多すぎるかどうかは,どうしてわかりますか。簡単にいえば,ある考えを省略しても,話の目的をなお達成できるなら,それはかぎとなる論点ではありません。話をうまくまとめるために,それをつなぎとして,あるいは思い出させるのに役だつものとして含める場合があるにしても,省略できない点と同様に目だたせるべきではありません。

      16 もう一つの点ですが,おのおのの論点を首尾よく,また疑問の余地なく説明するには,じゅうぶんの時間が必要です。短時間に多くを話さねばならないときには,聴衆の知っている事がらを話すのは最小限にとどめてください。聴衆があまり知らない事がら以外はすべて除外して,肝心な点だけをはっきり述べてください。そうすれば,聴衆はそれらの点を容易には忘れないでしょう。

      17 最後に,あなたの話はわかりやすいという印象を与えるものでなければなりません,これは必ずしも,提供される資料の量にかかっているわけではありません。要点を分析する仕方にかかっているのかもしれません。たとえば,品物を床の中央にいっしょにして積み上げているような店にはいろうものなら,万事ごちゃごちゃで戸惑ってしまい,何も捜せないでしょう。しかし,万事正しく陳列され,関連している品物はすべてまとめて,品目標識によって明示されているなら,見た目にも気持ちよく,どの品物でも容易に見つけられるでしょう。自分が考えた事がらをほんの2,3の主要な考えのもとに分類して,あなたの話をわかりやすいものにしてください。

      18. 要点はどのように発展させるべきですか。

      18 主要な考えは別々に発展させる。主要な考えはおのおの独立していなければならず,また別々に発展させなければなりません。これは,話の紹介のことばや結論の中で,本論の主要な題目のあらましを簡単に述べたり要約したりすべきではない,という意味ではありません。しかし,話の本論では,一時に1つの主要な考えについて話し,重複させたり,話を前に戻したりするようなことは,つながりや強調のために必要な場合だけにすべきです。それで,項目別の筋書きの作り方を学ぶのは,要点が別々に展開されているかどうかを見定めるのに大いに役だちます。

      19-21. 補助的な点はどのように用いるべきですか。

      19 補助的な点によって主要な考えに注目させる。証拠となる点や聖句その他提供される資料は,主要な考えに注意を向けさせ,それを敷えんするものであるべきです。

      20 準備するさい,二次的な点すべてを分析し,論点を明確にしたり,証明したり,敷えんしたりなどして,問題の要点に直接貢献する事がらだけを残し,無関係な事がらはみな除外してください。それは問題を混乱させるだけです。

      21 主要な考えと関連している点はいずれも,話し手のことばによって,そうした考えに直接結びつける必要があります。そうすることを聴衆にゆだねてはなりません。結びつきを明らかにしてください。どのように結びつくかを述べてください。普通,話さなければ,理解してはもらえません。おもな考えを表わす,かぎとなることば,もしくは要点となる考えを時々繰り返すことによって,そうした目的を果たせます。補助的な点すべてを用いて話の要点に注目させ,かつおのおのの要点を主題と結びつける技術を修得すれば,あなたの話はほれぼれするほどにわかりやすいものとなり,その結果,話しやすくて,しかも忘れがたい話を行なえるようになるでしょう。

  • 聴衆との接触とノートの用い方
    神権宣教学校案内書
    • 研究 28

      聴衆との接触とノートの用い方

      1. 聴衆との接触の重要性と,この点でノートの用い方が果たす役割を説明しなさい。

      1 聴衆との十分な接触を保つことは,人を教える点で大きな助けとなります。それは聴衆の敬意をかち得るものであり,話し手はいっそう効果的に教えることができるようになります。話し手は聴衆との間にきわめて親密な接触を保ち,聴衆の反応をことごとく直ちに感じ取れるほどであるべきです。聴衆とのそうした接触を保てるかどうかを決める上で,ノートの用い方は重要な役割を果たします。詳しいノートは接触を妨げるおそれがありますが,ノートの用い方に熟達すれば,普通より多少長いノートを用いねばならない場合でも,それは接触をはばむものとはなりません。なぜなら,熟達した話し手は,ノートを見すぎたり,あるいは見るべきでない時に見たりして聴衆との接触を失うようなことはしないからです。この問題は,「話の助言」の用紙の中では,「聴衆との接触,ノートの用い方」という項目として取り上げられています。

      2-5. 聴衆との視覚による効果的な接触に寄与する事がらを述べなさい。

      2 視覚による聴衆との接触。視覚による接触とは,聴衆を見ることです。それは単に聴衆に注目することではなくて,聴衆の中の個人個人に注目することです。つまり,個人個人の表情を見て,それに応じて話を進めることです。

      3 聴衆に注目するとは,単に一方の側から他方の側に視線を周期的に移して,すべての人をもれなく見るということではありません。聴衆の中のだれかに注目して,1,2の文を成すことばをその人に話してください。次いで,別の人に注目し,さらに2,3の文を成すことばをその人に述べてごらんなさい。相手を当惑させるほど長くだれかを見つめたり,聴衆全体の中のわずか2,3人の人だけを注視したりしてはなりません。前述のような仕方で絶えず聴衆をくまなく見るようにしてください。しかし,ある人に向かって話す際には,実際にその人に語りかけて,別の人に視線を移す前に,その人の反応を見てください。ノートは演台の上に置くか,手に持つか,聖書にはさむかして,目を動かすだけですばやく見られるようにしてください。ノートを見るのに,頭全体を動かさねばならないなら,聴衆との接触が妨げられてしまいます。

      4 助言者は,あなたがノートをどれほど頻繁に見るかだけでなく,いつ見るかをも観察します。最高潮に達するさい,ノートに注目していたのでは,聴衆の反応を見ることができません。また,絶えずノートを見てばかりいては,やはり聴衆との接触は失われます。それはたいてい,神経質になるくせか,話の準備不足かのいずれかを示します。

      5 時には,経験を積んだ話し手が,講演の全文を収めた原稿を読んで話をするよう求められる場合があります。もちろん,そのために,聴衆との視覚による接触は多少制限されます。しかし,もし,十分準備して資料に精通しておれば,話し手は読んでいる箇所を見失うことなく時々聴衆に注目できますし,また,そうすることは,話し手自身にとって表現力豊かな朗読をする励みとなります。

      6-9. 聴衆との接触を確保する,ほかの方法をあげなさい。また,警戒しなければならない落とし穴について述べなさい。

      6 直接話しかけて聴衆と接触する。これは視覚による接触と全く同様に肝要です。それには,聴衆に話しかけるさいに用いることばが関係しています。

      7 ひとりの人と個人的に話をするさい,「あなた」「あなたの」あるいは,「わたしたち」「わたしたちの」ということばを用いて直接相手に話しかけるでしょう。それが適切な場合には,より大ぜいの聴衆に対しても同様の仕方で話しかけることができます。自分の話を,一時にひとりかふたりの人とかわす会話とみなすように努めてください。あたかも実際に話しかけた相手にこたえ応ずるような気持ちになれるほど注意深く聴衆を見守ってください。そうすれば,あなたの話し方は個人個人に対するもののようになるでしょう。

      8 注意をひと言。聴衆とあまり親しくなりすぎる危険を避けてください。野外宣教にさいし,戸口でひとりかふたりの人の人と品位のある会話をしている場合以上に親しみを表わす必要はありませんが,それでも,ごく率直に話せますし,また,そうすべきです。

      9 もう1つの危険。人称代名詞を使うさいには,思慮分別を働かせ,聴衆を好ましくない人物と同列に置くような話し方をしてはなりません。たとえば,非行に関する話をする場合,あなたは,聴衆が非行者でもあるかのような仕方で語りかけることはしないでしょう。あるいは,奉仕会で奉仕時間が少ないことについて話す場合なら,いつも「あなたがた」と言う代わりに,「わたしたち」という代名詞を使って,自分をも話の中に含めるでしょう。考え深さと思いやりがあれば,この種の危険は容易に避けられるでしょう。

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      10,11. 筋書きの用い方を学ぶ上で励みとなる事がらを述べなさい。

      10 筋書きの用い方。初歩の話し手で,最初から筋書きを使って話す人はまずいません。たいてい,話を前もって清書しておき,次いで,それを読むか,あるいはそれを暗記して話すかするものです。助言者は最初この点を見過ごしますが,話し手が「話の助言」の用紙上の「筋書きの用い方」という項目に来たならば,助言者は,ノートを使って話をするよう話し手を励ますでしょう。この点を修得するならば,あなたは講演者として長足の進歩を遂げたことに気づかれるでしょう。

      11 文字を読めない子どもや成人でさえ,たとえを用いて考えを連想させながら話を行ないます。ですから,「王国奉仕」に略述されている,聖書の話のように,あなたの話も簡単な筋書きを用いて準備できるでしょう。野外宣教にさいしては,原稿を用いずに定期的に話をしているのですから,ひとたび決心しさえすれば,宣教学校でもそれと同じように容易に話すことができるでしょう。

      12,13. 筋書きの作り方に関する提案を述べなさい。

      12 この特質の面で努力するのは,原稿を使わないようにするためですから,準備にさいして,また,話す場合でも,話を暗記してはなりません。さもないと,この研究の目的を失することになるでしょう。

      13 聖句を使おうとしているのであれば,「どのように」「だれ」「いつ」「どこで」その他の副詞的な疑問詞を用いて自問してください。次に,それらの疑問が資料に合致するなら,それをあなたのノートの一部として用いてください。その話をするさいには,聖句をそのまま読んでから,自問するか,もし適当であれば,家の人にそうした質問を提起してごらんなさい。これはそれほど簡単なことなのです。

      14,15. どんな原因で気落ちさせられてはなりませんか。

      14 初心者はしばしば,何かを忘れはしまいかと心配しますが,話を論理的に発展させてさえゆけば,たとえ話し手がある考えを見落としたとしても,それに気付く人はいないでしょう。いずれにしても,資料の網羅の仕方はこの段階で考慮すべき主要な問題ではありません。ここでは,筋書きを用いた話の仕方を学ぶことのほうがもっと重要なのです。

      15 この種の話をするさい,すでに学んだ特質の多くが失われたのではなかろうかと感ずる場合があるかもしれませんが,心配するには及びません。それらの特質は戻ってくるものであり,原稿を用いずに話す方法をひとたび覚えると,そうした特質をいっそう巧みに発揮できます。

      16,17. ノートを作る際,何を念頭におくべきですか。

      16 宣教学校での話のために用いるノートについてひと言。ノートは考えを思い起こすために用いるのであって,朗読するためではありません。ノートは短いものであるべきです。同時に,きれいで,秩序だっており,読みやすいものであるべきです。もし,あなたの場面が再訪問のそれであれば,ノートはおそらくあなたの聖書の中にはいるほどの目だたないものであるべきでしょう。それが,演台を用いて演壇でする話であることがわかっておれば,ノートのことは問題にならないでしょう。しかし,その点が確かでなければ,事情に応じて準備してください。

      17 もう1つの点として,ノートの一番上に主題を書くと,役にたちます。また,要点もはっきりと目にはいるよう目だたせて書くべきです。そのすべてを大きな字で書いたり,傍線を付したりしてください。

      18,19. 筋書きの用い方を練習する方法を述べなさい。

      18 話をするさいには,ちょっとしたノートしか用いないとはいえ,それは準備をいい加減にしても良いという意味ではありません。まず最初,話を詳細に準備し,望みどおりの完璧な筋書きを作り,次いで,ずっと短い第2の筋書きを用意してください。それが,実際に話をするときに用いる筋書きとなるのです。

      19 さて,両方の筋書きを目の前に置き,簡単にした筋書きだけを見て,最初の要点に関し,できるだけ多くのことを言ってごらんなさい。次に,詳しい筋書きをちょっと見て,言い落とした点があるかどうかを調べてください。次いで,簡単な筋書きの第2の要点に移って,同じことをしてごらんなさい。やがて,あなたは短いほうの筋書きに十分慣れて,簡単な短いノートに注目するだけで,詳しい筋書きに収められている事がらをみな思い起こせるようになるでしょう。そして,練習と経験を積むにつれ,即席の話し方の利点の真価を認めさせるようになるとともに,どうしても必要なときだけ,原稿を使うようになるでしょう。また,あなたは,話をするさい,いっそう気持ちを楽にすることができ,聴衆はいっそうの敬意を払って聴くでしょう。

  • 流ちょうで会話的な話し方と正しい発音
    神権宣教学校案内書
    • 研究 29

      流ちょうで会話的な話し方と正しい発音

      1-4. 流ちょうさの欠如の原因と徴候をあげなさい。

      1 聴衆を前にして立って話すさい,あなたはしばしば適切なことばを見つけようとして戸惑いますか。あるいは,朗読するさい,ある言い回しにつまずきますか。もし,そうであれば,流ちょうさが問題なのです。流ちょうな話し手とは,ことばの用い方の巧みな人です。とはいっても,「舌のよく回る」人,つまり無考えに,あるいは,いい加減によくしゃべる人という意味ではありません。流ちょうな話とは,楽々と,あるいはのびのびと流れるように続く,よどみない,もしくは快い優美な話なのです。流ちょうさは特別の注意に値する点として,「話の助言」の用紙に掲げられています。

      2 話をするさい,流ちょうさに欠けるのは,まずたいていの場合,考えの明快さと資料の準備の不足のためです。同時に,語彙の乏しさ,あるいはことばの選択のまずさも,その原因となります。朗読の場合,流ちょうさに欠けるのは,たいてい朗読の練習不足のためです。とはいえ,ここでも,ことばの知識の不足は,読み方でつかえたり,ためらったりする原因となります。野外宣教で流ちょうさに欠けている場合,以上の要因に加えて,小心もしくは自信の不足も災いします。この場合,問題はきわめて重大と言わねばなりません。なぜなら,相手が聞くのをすっかりやめて引っ込んでしまう場合さえあるからです。王国会館では聴衆が文字どおり出て行ってしまうことはないにしても,聴衆の思いはよそごとにさまようようになり,話はほとんど耳にはいらなくなるでしょう。ですから,これは重大な問題です。確かに流ちょうさは身につけなければならない特質といえます。

      3 「ええと」あるいはその他同様のむだなことばをはさむ常習的でやっかいなくせを持つ話し手は少なくありません。話をするさい,自分がそうしたことばをどれほど多用しているかに気づいていない人は,試みに自分の話をだれかに聞いてもらい,その種のことばを発するたびに,それを繰り返してもらうようにしてごらんなさい。驚かされるでしょう。

      4 また,話をしながら必ず前に戻って言い直す,つまり,話しはじめたかと思うと,途中で話をさえぎって,最初からもう一度言い直す人もいます。こうした悪いくせで困っている人は,日常の会話でそうしたくせを克服するよう努めてください。まず最初に考えて,自分の考えを頭の中で明確につかむよう意識的に努力してください。次いで,途中でやめたり,あるいは,いわゆる“流れの中ほど”で考えを変えたりせずに,ひとまとめの考えを終わりまで述べてください。

      5-10. 話し手の流ちょうさの問題を改善するための提案を述べなさい。

      5 もうひと言。わたしたちは,自分の考えを述べるさい,ことばをどのように用いるかには慣れています。したがって,自分の言いたいことをはっきりと知ってさえいれば,ことばは自然に出てきます。ことばのことを考える必要はないのです。事実,練習のためには,まず自分の思いの中にある考えをはっきりさせ,考えながら話すほうが良いのです。そうすれば,そして,話そうとすることばよりも,考えに留意するならば,ことばは自動的に出てくるはずであり,また,自分が実際に感じているとおりに,自分の考えを表現できるはずです。しかし,考えよりもことばに気を使いだすと,たちまち話はつかえるようになります。

      6 流ちょうさの点であなたの持っている問題がことばの選択のそれであれば,語彙をふやすための,なんらかの定期的な研究が必要かもしれません。「ものみの塔」誌その他の協会の出版物を読むさい,自分のよく知らないことばに特に注意し,それを日常使う語彙に加えてください。

      7 流ちょうに読めないのは,たいていことばをよく知らないためですから,この問題を持っている人は,朗読の練習を定期的また組織的に行なうのが良いでしょう。

      8 そうする1つの方法は,資料の中から1,2節を選んで,そこに盛られている考え全体をよく知るまで注意深く繰り返して黙読することです。それぞれの考えを類別し,必要ならばしるしをつけてください。次いで,その部分の朗読を練習してください。練習のさい,類別された考えが述べられている箇所全体を一度も口ごもらずに,あるいはまちがった場所で中断せずに読めるようになるまで繰り返し読んでください。

      9 よく知らない,あるいはむずかしいことばは,楽に言えるようになるまで何回も発音してみるべきです。そのことばを言えるようになったなら,そのことばを含む文章全体を読み,よく知っている他のことば同様に自由にその箇所を読めるようになるまで練習してください。

      10 同時に,見てすぐ読むことを定期的に練習してください。たとえば,日々の聖句と注解の説明文を目にしたなら,まず声を出して読んでください。一時に単に1語を見るのではなく,まとまった考えを述べている,幾つかの語群を目で捕えることに慣れてください。練習しさえすれば,効果的な話し方と読み方のこの肝要な特質を取得できます。

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      11-15. 会話的な特質は,用いる表現にどのように依存していますか。

      11 助言用紙に取り上げられている別の望ましい話の特性は,「会話的な特質」です。それはあなたの日常生活に見られるものですが,立って話をするさい,あなたはそうした特質を表わしておられますか。一群の人々を前にしてでさえ容易に会話をかわす人が,“話をする”よう前もって依頼されると,どうしたものか,とかく形式ばった,どちらかといえば“説教調”の話をする人がいます。ところが,公の話をするさいの最も効果的な話し方は,会話的なスタイルの話し方なのです。

      12 会話的な表現を用いる。会話的な話し方がどれほど効果的になされるかは,どんな表現を用いるかにおおかた依存しています。即席の話を準備するさい,文字になっている表現をそっくりそのまま繰り返すのは,たいてい良くありません。書きことばと話しことばとは異なるからです。ですから,文字に表わされている考えを自分自身の固有の表現をもって言い表わしてください。複雑な構造の文章を避けてください。

      13 演壇でする話は,あなたの日常用いる表現を反映するものであるべきです。「気取った」話し方をすべきではありません。それにしても,準備した話は当然,日々の話よりもすぐれたものになるでしょう。というのは,述べることは前もって注意深く考え抜いたものなので,いっそう流ちょうに話されるからです。したがって,用いられる表現そのものもいっそうすぐれているはずです。

      14 これは日常の練習のたいせつさを強調するものです。話をするさい,ありのままの自分であってください。俗語を避け,また種々の考えを伝えるのに同じ表現や語句を絶えず繰り返すことも避けてください。含蓄のある話し方を学ぶとともに,日常の会話に誇りを持ってください。そうすれば,演壇に立つさい,ことばはずっと容易に出てくるばかりか,どんな聴衆にも受け入れられる,わかりやすい,色彩に富んだ,会話的な特質を備えた話をすることができるようになるでしょう。

      15 野外宣教にさいしては特にそうです。研究生の話で,家の人に話しかける場合には,あたかも野外奉仕をしているかのように,野外で使う表現を自然に,また楽に用いて話すようにしてください。そうすれば,形式ばらない生き生きとした話をすることになり,さらにたいせつなこととして,野外宣教でいっそう効果的な話をする訓練が受けられます。

      16-19. 話し方が会話的な特質にどのように影響を及ぼしうるかを説明しなさい。

      16 会話的なスタイルの話し方。会話的な特質は,用いる表現だけに依存しているわけではありません。話し方,つまり話し方のスタイルもたいせつです。それには語調,声の抑揚,自然な表現などが関係しています。声は聴衆のために増幅されてはいますが,それは日常の話し方同様に自然な話し方なのです。

      17 会話的な話し方は,演説口調の正反対で,「説教調」の話し方の要素の全くない,また,気取ったところの少しもない話し方です。

      18 初歩の話し手にしばしば会話的な特質が欠けているのは,資料を述べるさいの言い回しを前もってあまりにも徹底的に準備してしまうためです。話し方の準備にさいし,正しく準備するには,実際に1語1語を暗記してしまうまで繰り返し話に目を通さなければならないと考えないでください。即席の話をするさい,話し方の準備にあたっては,述べようとする考えを注意深く復習することに重点を置くべきです。そうした考えがあなたの頭の中で容易に順次続いて浮かぶようになるまで復習すべきです。もし,そうした考えが論理的に,また良い計画に基づいて展開されているのであれば,これはむずかしいことではありません。したがって,話をするさいには,それらの考えが自由に,また楽に出てくるはずです。このようなわけですから,考えを伝えたいという願いをもって話すならば,その話は会話的な特質を備えたものとなるでしょう。

      19 それを確実に行なう1つの方法は,聴衆の中の個人個人に努めて語りかけることです。一時にひとりの人に直接話しかけ,その人が質問をしたと考えて,それに対して答えてください。特定の考えを発展させるさい,その人と個人的に会話をしていると考えてください。次いで,聴衆の中の別の人に話しかけて,同じことを繰り返してください。

      20-23. どうすれば,朗読に自然な響きを持たせることができますか。

      20 朗読にさいして会話的なスタイルの話し方を保持するのは,習得すべき話の特質の中でも最もむずかしい事がらの1つであり,しかも,最も肝要な事がらの1つなのです。もとより,わたしたちの行なう公の朗読のほとんどは,即席の話に関連して聖書の聖句を読むことです。聖書は気持ちをこめて,また意味を十分意識して読むべきです。それは生き生きとした読み方であるべきです。一方,神の真の奉仕者は,僧職者のように神聖ぶった口調で読むことは決してしません。エホバのしもべたちは,自然な強調と,聖書の生きたことばにふさわしい,もったいぶったところのない真実さとを付して,神のみことばを読みます。

      21 「ものみの塔」誌の朗読や,書籍研究で節を読む場合にも,だいたい同じことが言えます。ここでも,表現や文章構成は会話を意図したものではありませんから,朗読にいつも会話的な響きを持たせることはできないでしょう。とはいえ,読む事がらの意味を会得し,できるだけ自然に,また意味深く読むならば,多くの場合,普通の話よりはおそらく多少改まって聞こえるにしても,あたかも即席の話をしているかのように読めるでしょう。したがって,事前に準備できるのであれば,どんなしるしであれ,読むのに役だつしるしを書き込むようにすべきでしょう。そして,生き生きとした自然なスタイルで資料を述べるよう最善を尽くしてください。

      22 会話的な読み方あるいは話し方の基盤を成すのは,誠実かつ自然であることです。あなたの心からあふれ出るまま,聞く人に訴えるように話してください。

      23 良い話は,良い行儀と同じで,ある時だけ行なってみせるということはできません。しかし,家庭で実践されている良い行儀は人前でも必ずそのとおりに示されるのと同様,毎日,良い話し方をしていれば,演壇の上でもそれを示せるでしょう。

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      24,25. 発音のまずさは望ましいものではありません。なぜですか。

      24 発音。同時に,正しい発音もたいせつです。ですから,これも「話の助言」の用紙上で別個の項目として取り上げられています。ペテロやヨハネが無学な普通の人とみなされたように,すべてのクリスチャンがこの世の高度の教育を受けているわけではありません。とはいえ,発音のまずさゆえに,わたしたちの述べる音信の価値が減少するような事態を避けるのは,たいせつなことです。それは適当な注意を払いさえすれば,容易に矯正できる事がらなのです。

      25 発音があまり悪いと,聴衆に誤った考えを伝える場合さえあります。それは確かに望ましくないことです。話し手があることばを誤って発音すると,多くの場合,それは停止信号か何かのように聞き手の脳裏にひらめきます。そして,聞き手は論議の筋を追うことをさえやめて,誤って発音されたことばについて考えはじめるかもしれません。それは,何が話されているかということから,どのように話されているかという点に聞き手の注意をそらすものとなりうるのです。

      26,27. 発音に関連して,どんな問題があげられていますか。

      26 発音に関連する問題は3つに大別できます。その1つは,アクセントの置き場をまちがえたり,文字を正しく読まなかったりする,明らかに誤った発音です。現代の言語の大半は,アクセントのつけ方を律する規則的な型を持っていますが,英語ではその型が一様でないため,問題はいっそうむずかしくなります。次に,まちがってはいなくても,誇張されたり,度を過ぎて正確だったりして,わざとらしく,あるいは,きざに聞こえたりする発音がありますが,それも望ましいことではありません。3番目の問題は,ことばを続けざまに早口で言ったり,音節をいっしょにして縮めて言ったり,あるいは,ある音節を抜かしたりすることなどを特徴とする,ぞんざいな話し方その他これに類するくせですが,これもまた望ましくありません。それらは避けるべきです。

      27 普通,日常の話にさいしては,自分がよく知っていることばを使うので,発音はあまり大きな問題ではありません。この点で最も大きな問題が生ずるのは,朗読の場合です。しかし,エホバの証人は公にも個人的にも相当の分量のものを読みます。わたしたちは戸別訪問にさいして,人々に聖書を読んで聞かせますし,「ものみの塔」研究や家庭聖書研究あるいは会衆の書籍研究で本文の節を読むよう求められる場合もあります。正確に読み,正しく発音するのはたいせつです。さもないと,わたしたちは自分が語っている事がらを理解してはいないという印象を与えます。同時にそれは音信から注意をそらすものとなります。

      28-34. どうすれば,発音を改善するよう助けることができますか。

      28 まちがった発音に対する助言は,度を過ぎるものであってはなりません。1,2のことばが疑わしい場合なら,個人的に助言を与えるだけで十分でしょう。しかし,話の中で,たとえわずか2,3のことばを誤って発音したにしても,もし,それがわたしたちの宣教や日常の話でよく使うことばであれば,学校の監督がその点に研究生を注目させ,その正しい発音を学ぶよう研究生を促すのは有益なことです。

      29 一方,聖書を読むさい,研究生が1,2のヘブライ語の名前を誤って発音したところで,それは著しい弱点とはいえないでしょう。とはいえ,多くの名前を誤って発音するなら,それは準備の不足を示すものですから,助言を与えるべきでしょう。研究生は正しい発音の確かめ方を教えてもらうべきであり,次いで,そうした方法を実践すべきです。

      30 誇張した発音についても同じことがいえます。それが一種のくせになって絶えず行なわれるため,話の価値が実際に減少するような場合には,研究生を援助すべきでしょう。また,早口で話すと,たいていの人は2,3のことばを続けて不明瞭に発音するものです。この点も念頭におくべきです。そのような場合,この点に関して助言を与える必要はありませんが,しかし,それがいつものくせであって,研究生は絶えず不明瞭に早口で発音し,話が理解しにくかったり,その音信の価値が減少したりするのであれば,明確な発音の仕方に関して,研究生になんらかの援助を与えるのが望ましいでしょう。

      31 もちろん,助言者は,一般に受け入れられる発音は地方によって異なるということを念頭におくでしょう。辞書でさえ,受け入れられる発音を幾つか載せている場合があるのです。ですから,発音について助言するさいには,注意がいります。助言者はこれを私的な好みの問題にしてはなりません。

      32 もし,あなたが発音の問題を持っていても,その気になって努力しさえすれば,発音を直すのは,むずかしいことではないでしょう。経験を積んだ話し手でさえ,朗読の割り当てを受けると,辞書を取り出して,自分のよく知らないことばを調べます。ただ単にやってみるということはしません。ですから,辞書を用いてください。

      33 発音を改善する別の方法は,だれかことばの正しい発音をよく知っている人の前で読み,まちがうたびに読むのを止めて,発音を直してもらうようにすることです。

      34 第3の方法は,上手な話し手の話を注意深く聴くことです。聴きながら考えてください。自分が発音するのとは違った仕方で発音されることばに注意し,それを書きとめておき,辞書を引いて調べて,その発音の仕方を練習してください。そうすれば,あなたも日ならずして正しく発音できるようになるでしょう。発音が正しくて,流ちょうで会話的な話し方は,あなたの話の真価を大いに高めるものとなるでしょう。

  • 一貫した話の進め方
    神権宣教学校案内書
    • 研究 30

      一貫した話の進め方

      1-3. 一貫性は話の中でどんな役割を占めていますか。どうすれば,一貫性をもたせることができますか。

      1 一貫した話,それは聴衆が容易についてゆける話です。一方,話に一貫性が欠けていると,聴衆の注意はたちまち失われてしまいます。これは明らかに,話を準備するさい,真剣な考慮を払うに値する事がらです。ですから,注意深い考慮に値する点として,「接続語を用いて一貫性をもたせる」という項目が「話の助言」用紙に掲げられているのです。

      2 一貫性とは,内面的に合致していること,各部が結び合わされて全体として論理的であるという意味です。時には,各部分を論理的な順序で配列するだけで,おおかた一貫性をもたせることができる場合もあります。しかし,たいていの話には,単に資料の配列の仕方だけでは結びつけられない部分があるものです。その場合,一貫性をもたせるには,1つの論点と別の論点とを橋渡しするものが必要になります。種々のことばや句を用いて,新たな考えとそれに先行する考えとの関係を示し,それにより,時間あるいは観点の変化のために生じた隔たりを埋めることができます。これが接続語を用いて一貫性をもたせるということです。

      3 たとえば,話の紹介のことばと本論および結論は,話の中のおのおの異なった別個の部分ですが,それでも,推移を示すことばによって,しっかりと結び合わされていなければなりません。それに加えて,話の中で要点を結びつける必要があります。それが考えの内容とあまり直接関係していない場合は特にそうです。また時には,単に文章あるいは節だけを接続語でつなげば良い場合もあります。

      4-7. 推移を示す表現を用いるとはどういうことですか。

      4 推移を示す表現の用い方。多くの場合,接続の働きをすることばや句を正しく用いるだけで,考えを橋渡しすることができます。それらの語句の幾つかは次のとおりです。また,加えて,さらにまた,そのうえ,同様に,同じく,したがって,そういうわけで,そのようなわけで,ですから,前述のことからすれば,それで,それでは,その後,しかしながら,一方,それどころか,それに反して,以前は,今までなどがあります。これらのことばは文や節を効果的に結びつけます。

      5 しかし,多くの場合,話のこの特質はこうした単なる接続語以上のものを必要とします。ひとつのことばや句だけではまにあわない場合,聴衆が隔たりを超えて,完全に別の側に渡れるようにするため,推移を示すものが必要になります。それが,まとまった一文の場合もあれば,考えの推移をもっと十分に述べる付加的な説明である場合もあります。

      6 そうした隔たりを橋渡しする1つの方法は,先に述べた論点を適用して,それを次に述べる事がらの紹介のことばに含めることです。これはしばしば,戸別訪問のさいの話の中で行なわれます。

      7 そのうえ,順次続く論点を結びつける必要があるだけでなく,時には,話の中でもっと遠く隔たっている論点をも結びつける必要があるのです。たとえば,話の結論は紹介のことばと結びつくものであるべきです。話のはじめに述べた考え,あるいはたとえを結論の中で適用して聴衆を動かしたり,さらには,そうしたたとえ,あるいは考えと話の目的との関係を示したりすることがおそらくできるでしょう。このようにして,たとえ,あるいは考えのある面をもう一度紹介することは,接続語の役を果たすとともに,一貫性をもたせるのに役だちます。

      8. 一貫性をもたせるために,推移を示すことばをどれほど用いるかは聴衆によって決まります。そのわけを述べなさい。

      8 あなたの聴衆に適した一貫性。接続語をどれほど用いなければならないかは,あなたの聴衆によってある程度決まります。話の推移を示すことばを必要としない聴衆がいるというわけではありません。むしろ,ある聴衆は,述べられる考えの相互関係をよく知らないために,推移を示すことばをまさに普通以上に必要としているのです。たとえば,エホバの証人は,現在の邪悪な事物の体制の終わりに関する聖句と,神の王国について述べる聖句とを容易に結びつけることができます。しかし,その王国を精神的な状態,もしくは,いわゆる心の中にあるものとみなしている人にとって,そうした聖句の結びつきは容易には把握できないので,そのような関係を明らかにするため,内容の推移を示すなんらかの考えを紹介しなければならないでしょう。わたしたちの戸別訪問のわざは,この種の話の調整を絶えず必要としています。

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      9-13. 話の論理的な進め方とはなんですか。論議の進め方の基本的な2つの方法を述べなさい。

      9 話し方のこの面で密接な関係を持っているのは,「論理的で一貫した話の進め方」という項目です。これも助言用紙上で取り上げられています。これは説得力のある話の基本的な必要条件の1つです。

      10 論理とはなんですか。わたしたちの目的にしたがって言えば,それは物事を正確に考える,あるいは正しく推論する方法といえるでしょう。それは人に理解を分け与えます。なぜなら,それは1つの論題を関連する種々の部分を通して説明する手段となるからです。それら各部分がなぜおのおのその役割をはたすのか,また,なぜ融和するのかは論理によって明らかになります。それら種々の部分すべてが順次結び合わされるような仕方で論議が徐々に発展してゆくのであれば,その話の進め方は一貫しているといえます。論理的な話の進め方として考えられる2,3の例をあげれば,重要性の順位または年代順に従って,あるいは問題を提起して解決を示すなどして話を進める方法があるでしょう。

      11 論議の進め方には,次の基本的な2つの方法があります。(1)真理を直接聴衆に呈示し,それを実証する諸事実を提出する。(2)ある誤った見解を攻撃し,論破して,真理がおのずから明らかになるようにする。あとは,論議中の真理を正しく適用しさえすれば良いのです。

      12 ふたりの話し手が全く同じ仕方で物事を論ずるということはありません。同じ論題を異なった見地から取り上げている,完璧な1例は4つの福音書の記述です。イエスの4人の弟子は,イエスの宣教に関する独自の記述を書きました。そのおのおのは異なっていますが,しかも,そのすべては合理的かつ論理的な記述を成しています。おのおの特定の目的を達成するために資料を展開し,それぞれ成功を収めています。

      13 この点に関して,助言者は話し手の目的を見分け,その目的が達成されたかどうかに基づいて,考えの脈絡を評価するよう努力しなければなりません。話し手は,特に,資料の紹介の仕方および結論の中で資料を適用する仕方によって,助言者と聴衆を助けることができるのです。

      14,15. 資料を合理的な順序で配列するのは非常に重要です。なぜですか。

      14 資料を合理的な順序で配列する。まず最初に,資料あるいは筋書きを組みたてるさい,なんらかの予備的な基礎を据えずに,ある陳述もしくは考えを含めないようにしてください。いつも次のように自問してください。次に述べるべき最も自然な事がらはなんだろうか。ここまで来た今,次に提起できる最も論理的な質問はなんだろうか。こうした問いに対する答えがわかったならば,そのまま答えてください。あなたの聴衆はいつでも次のように言えなくてはなりません。「あなたがすでに述べたことからすれば,この点はそうであるということがわかります」。土台が据えられていなければ,たいてい論点は論理的な脈絡からはずれたものとみなされるでしょう。何かが欠けているのです。

      15 資料を配列するさいには,内容からして当然相互に依存する部分を考慮し,その関係を見定め,次いで,それら各部を順序よく配列すべきでしょう。それはある点で,家を建てるのに似ています。最初に土台を据えずに壁を築く人はいません。また,壁を塗ってから配管工事をすることもないでしょう。話を組み立てるのも同様であるべきです。各部分は順番に配列され,おのおのあとに続くものに加えられ,次に来るもののために道を備えて,全体としてしっかりした,引き締まった話を作り上げるのにそれぞれ貢献すべきでしょう。話の中であなたが諸事実を提供する順序には,常にそれなりの理由があってしかるべきなのです。

      16-20. どうすれば,自分の話の資料は関連のあるものだけであるということを確かめられますか。

      16 関連のある資料だけを使う。あなたが用いる各論点は,その話にしっかり結びついているものでなければなりません。さもないと,それは関係のなさそうな事がらであって,話には合わないでしょう。それは関連のない資料,つまり当面の問題とは無関係な資料なのです。

      17 しかしながら,助言者は,一見,関係のなさそうな事がらが首尾よく話に結びつけられた場合,独断的にそれを関連のない事がらとはみなさないでしょう。話し手は特別の目的でそうした事がらを用いたのかもしれないのです。ですから,それが主題に合っており,話の一部を成すものであれば,また論理的な脈絡に基づいて紹介されるのであれば,助言者はそれを妥当とみなすでしょう。

      18 話を準備するさい,どうすれば,関連のない資料を手早く,また容易に見分けることができますか。項目別の筋書きがその効果を大いに発揮するのはここです。それは資料を分類するのに助けとなります。関係のある資料すべてをカード別に書き込んで使う方法,あるいはそれに類する他の方法を試みてください。次に,普通,そうした資料が提出されるさいの自然な順序と思われるところに従って,それらのカードを並べかえてください。これは,論題の取り上げ方を決めるのに役だつだけでなく,主題と関連のない事がらを見分けるのにも役だちます。話の脈絡に合わない点でも,もし,それが論議に必要であれば,その内容を調整して話に合うようにすべきです。しかし,それが不要な点であれば,主題に関連のない点として除外すべきでしょう。

      19 これで直ぐにわかるとおり,ある論点と話の関連性の有無を左右するのは,聴衆と話の目的を念頭において選定した,話の主題なのです。ある状況のもとでは,聴衆の持つ背景しだいで,話の目的を達成するのに肝要と思われる論点でも,聴衆が変わったり,主題が異なったりすれば,不必要もしくは全く関連のないものになりうるのです。

      20 こうした見地からすれば,割り当てられた資料をどの程度もれなく取り上げるべきでしょうか。単に,割り当てられた資料中のあらゆる点を取り扱おうとして,論理的で一貫した話の進め方を犠牲にすべきではありません。とはいえ,研究生の話はこの学校の取り決めの中で教訓的な話としての役割をもつものですから,実際に扱えるかぎり,できるだけ多くの資料を含められるような場面を選定するのが最善の方法です。それにしても,主題を発展させるのに肝要な,かぎとなる論点としての考えを省くことはできません。

      21. かぎとなる考えは省いてはなりません。このことはなぜ肝要ですか。

      21 かぎとなる考えを省かない。ある考えがかぎとなる考えかどうかは,どうしてわかりますか。それなしでは,話の目的を達成しえない場合,それは肝要な点と言えます。論理的で一貫した話の進め方の場合は特にそうです。たとえば,あなたの二階建ての家を建築した請負人が階段を作り忘れたとしたなら,どうしますか。それと同様で,ある肝要な論点が省かれるなら,話を論理的に,かつ一貫性をもたせて進めることはまずできないでしょう。その話には何かが欠けており,ある聴衆は困惑させられるでしょう。しかし,話が一貫しており,論理的に進められてゆくなら,そうした事態は生じません。

  • あなたの聴衆を納得させ,聴衆とともに推論しなさい
    神権宣教学校案内書
    • 研究 31

      あなたの聴衆を納得させ,聴衆とともに推論しなさい

      1,2. 納得させる論議とはなんですか。

      1 話をするさい,あなたは聴衆に聴いてもらいたいと思います。しかし,それがすべてではありません。同時に,自分の述べる論議を聴衆に受け入れてもらいたい,また,それに基づいて行動してもらいたいと願うでしょう。あなたの述べる事がらが真実であることを聴衆に納得させるならば,また,聴衆が心の正しい人々であるならば,聴衆は行動するでしょう。納得させることは,証拠をあげて得心させるということです。しかし,単なる証拠だけでは不十分です。たいてい,証拠を支持する論議が必要です。ゆえに,論議によって納得させることには,次の3つの基本的な要素が関係しています。まず第1に証拠そのもの,第2に証拠を提出する順番または順序,第3に証拠を提出するさいの仕方また方法です。ここでは,「話の助言」用紙上の「納得させる論議」に相当する問題を取りあげますが,証拠をどのように提出するかではなく,むしろ,何を述べるか,どんな証拠をあげるかという点を考慮します。

      2 納得させる論議は,基本的な確かな論拠に依存しています。助言者はそうした見地に立って考えます。あなたの述べる証拠は,たとえ,だれかがそれを印刷されたとおりに読んだとしても,人を納得させるものでなければなりません。あなたの話の納得させる論議という特質が話の仕方に依存していて,話の論点を確証するために用いる事実に依存していないのであれば,論議をほんとうにしっかりした,また事実に基づいたものにするため,この特質をさらに開発する必要があるでしょう。

      3-6. 土台を据えねばならない理由を指摘しなさい。

      3 土台を据える。論議を述べるには,その前に適当な土台を据える必要があります。論議の要点が何かを明らかにしなければなりません。そして,あなたが同意している,関連のある事がらを強調して,共通の立場を確保するのは有利なことです。

      4 場合によっては,用語をはっきりと定義しなければなりません。関連のない事がらはいっさい除外しなければなりません。急いで土台を据えてはなりません。それをしっかりと据えてください。とはいっても,土台を建物全体にしてはなりません。ある論議を論ばくするのであれば,その論議の弱点を見つけるため,また,自分の論議を方向づけたり,問題の根底をつきとめたりする助けとするために,相手の論議を支持する種々の論点を分析してください。

      5 話を準備するさい,論題について聴衆がすでにどの程度知っているかを予想するようにすべきです。そうすれば,実際に自分の論議を始める前に,どの程度の土台を据える必要があるかを決定できます。

      6 巧みさとクリスチャンの礼儀を考えれば,親切で思いやりのある仕方で問題を扱うべきことがわかります。とはいえ,これは今ここで取り上げる点ではありません。キリスト教の諸原則に関する,あなたの知識を常に十分活用し,あなたの聴衆の心と思いを啓発してください。

      7-13. 「確かな証拠をあげる」とはどういう意味ですか。説明しなさい。

      7 確かな証拠をあげる。話し手としてのあなたが単に信じている,もしくは述べただけでは,物事は“証明され”ません。あなたの聴衆には,「それはなぜ真実ですか」とか,「なぜそう言えるのですか」とかと尋ねる十分の理由があることを常に念頭に置かねばなりません。あなたは話し手として,「なぜ?」という問いに,いつでも答えることができなければなりません。それは話し手の義務です。

      8 「どのように?」「だれ?」「どこで?」「いつ?」「なに?」などの問いは,答えとして単に事実や知識を引き出すだけですが,「なぜ?」という問いは理由を引き出します。この点でその問いは卓越しており,単なる事実以上の多くをあなたに要求します。それはあなたの思考力をいっそう要求するものです。ですから,話を準備するさい,その同じ問い,つまり「なぜ?」という問いを自分で繰り返してみてください。そうして,確実に答えられるようにしてください。

      9 多くの場合,権威者として認められている人のことばを自分の陳述の論拠として引用できるでしょう。それはつまり,その人は識者として認められているゆえに,その人が言ったからには,それは真実であるに違いないという意味です。それは信ずるに足る論拠となります。もちろん,この分野での最高の権威者はエホバ神です。したがって,裏づけとして聖書の聖句を引用することは,論点を証明するに足る証拠となります。これは,確かに受け入れうる証人の「証言」から成るゆえに,「証言による」証拠と呼ばれます。

      10 証言による証拠を提出するには,その証人は聴衆の受け入れうる証人であることを確認しなければなりません。権威者とされる人物を用いる場合には,その人物の背景およびその人が一般にどう見られているかを確かめてください。聖書を神に由来する権威ある典拠として受け入れる人は少なくありませんが,それを人間の著作とみなし,したがって,絶対的な権威のある典拠とは考えない人もいます。そのような場合,他の証拠に訴えるか,あるいは,おそらく,まず最初に聖書の確実性を立証しなければならないでしょう。

      11 注意をひと言。証拠はすべて正直に用いなければなりません。文脈にそわない仕方で引用してはなりません。権威者のことばを引用する場合,その人が意図したとおりのことをまちがいなく述べるようにしてください。参照文献を明らかにしてください。統計にも注意してください。それは正しく用いないと,思わぬ悪い結果となってはね返ってくる場合があります。泳げないばっかりに,平均水深1㍍足らずの川で溺死した人がいることを忘れないでください。その人は川の中に水深3㍍ほどの深みがあることを忘れていたのです。

      12 状況証拠とは,人の証言または神に由来する権威ある典拠以外の証拠です。それは,証人のことばを引用したものというよりは,むしろ,事実からの推理に基づく証拠といえます。あなたの結論を確証し,状況証拠を得心のゆくものにするには,結論を支持する十分の数の事実と論議をそろえなければなりません。

      13 あなたが提供する証拠を全体的に見て(順序は必ずしも問題にせずに),それがあなたの聴衆を納得させるに足るものであれば,助言者はそれを十分な証拠とみなします。助言者は聴衆の立場に立って考え,「わたしは納得できただろうか」と自問してみます。そして,もし納得できたものであれば,助言者は研究生の話をほめるでしょう。

      14. 効果的な要約とはなんですか。

      14 効果的な要約。納得させる論議には,たいていある種の要約がどうしても必要です。それは最終的に道理に訴えることであって,行使された論議に対する認識を高揚させます。基本的に言って,要約とは,「これこれこういうわけですから,……という結論になります」という形をとりますが,単なる事実の言い直しであってはなりません。すべての論点をまとめて,結論の中に織り込むことをねらいとしているのです。論議を徹底させて,ほんとうに納得させるのは,たいてい効果的な要約です。

      **********

      15,16. わたしたちはなぜ聴衆を助けて推論させねばなりませんか。

      15 話の中で使う論議がたとえ確かなものであっても,諸事実を単に述べるだけでは不十分です。あなたは,聴衆が推論し,論議を理解し,あなたが達する結論に同じく到達するのを助けるような仕方で,そうした事実を提供しなければなりません。これは,「聴衆を助けて推論させる」という項目として,「話の助言」用紙上で取り上げられています。

      16 あなたはこの特質を願い求めるべきです。なぜなら,神はわたしたちとともに推論を行なわれるからです。また,イエスはたとえ話の意味を弟子たちに説明し,その同じ真理を他の人々に教えられるよう弟子たちを備えさせました。それで,あなたの聴衆を助けて推論させるとは,聴衆があなたの論議を理解し,あなたの結論に達し,かつ,だれか他の人を教えるために,あなたの論議を用いるよう備えさせるのに必要な技術を行使するという意味です。

      17,18. どうすれば,共通の立場を維持できますか。

      17 共通の立場を維持する。話のはじめに共通の立場を確立するには,何を述べるかとともに,どのように述べるかということが肝要です。しかし,話が進むにつれて,この共通の立場を失わないようにしなければなりません。さもないと,聴衆はあなたの話についてゆかなくなるでしょう。あなたは引き続き聴衆の思いに訴えるような仕方で論点を述べなければなりません。そのためには,論議されている論題に関する聴衆の見解を念頭におくとともに,そうした知識を活用して,あなたの論議がもっともなことを理解するよう聴衆を助ける必要があります。

      18 共通の立場を確立して最後まで維持する,つまり聴衆を助けて推論させる点で古典的な模範の1つは,使徒行伝 17章22-31節に記録されている,使徒パウロの論議です。パウロが最初,どのようにして共通の立場を確立し,話全体を通してそれをいかに巧みに維持したかに注目してください。語り終えた時,彼は,その場にいたひとりの裁判官を含め,聴衆の何人かに真理を納得させていたのです。―使行 17:33,34。

      19-23. 論点を十分に発展させる方法を提案しなさい。

      19 論点を十分に発展させる。ある論題に関して聴衆が推論するためには,聴衆は自由に用いうる十分の資料を得なければならず,しかも,単に十分理解できないために論議を退けるという事態を招かないような仕方で,そうした資料を聴衆に提供しなければなりません。聴衆を助けるのはあなたの務めです。

      20 このことを効果的に行なうため,あまり多くの論点を取り上げないように注意してください。急いで資料を提供するならば,その益は失われてしまうでしょう。各論点を時間をかけて徹底的に説明してください。そうすれば,聴衆は単に話を聞くだけでなく,理解するでしょう。重要な論点を述べるさいには,時間をかけてその点を発展させてください。なぜ,だれ,どのように,なにを,いつ,どこでなどの問いに答え,そのようにして,聴衆があなたの考えをいっそう十分に把握するよう助けてください。時には,あなたの見解が理にかなっていることを強調するため,ある論点に関する賛否両論を提供できるでしょう。同様に,ある原則を述べたのち,その原則が実際に適用できることを聴衆に理解させるため,それを例証するのが有利な場合もあるでしょう。もちろん,思慮分別を働かさなければなりません。ある論点をどの程度発展させるべきかは,持ち時間と,論議中の論題に関してその論点が占めている相対的な重要性によって決まります。

      21 聴衆を助けて推論させるのに,質問をするのは,いつでも良いことです。適当な休止を伴う,修辞的な質問,つまり聴衆の答えを期待せずに聴衆に提出する質問は,考えを鼓舞するものとなります。野外宣教の場合のように,ただひとりかふたりの人に話しかけるさいには,話を進めながら質問をして,相手にも話をさせることができます。そうすることによって,自分の述べる考えを相手が確かに把握し,かつ受け入れられるようにしてください。

      22 あなたは聴衆の思いを導きたいと願っているのですから,聴衆が自分自身の経験,またはあなたの論議の初めの部分を通してであれ,すでに知っている事がらを基にして話を進めてゆかねばなりません。ですから,ある論点を十分発展させたかどうかを決めるには,聴衆がその論題についてすでに何を知っているかを考慮しなければなりません。

      23 聴衆の反応を見守り,聴衆が話の意味を理解しているかどうかを確かめるのは,常に重要です。必要ならば,次の論議に進む前に元に戻って,論点をはっきりさせてください。聴衆が推論できるよう注意して助けないと,聴衆は考えのつながりを容易に見失うおそれがあります。

      24. あなたの聴衆に対して論議を適用することは,どんな良い目的にかないますか。

      24 聴衆に対して適用する。どんな論議を述べるにしても,考慮中の問題と論議との関係をはっきり指摘することによって,必ず締めくくりをつけてください。同時に,話の中に動因となる事がらを含めて,述べられた諸事実と合致する行動を起こすよう,聴衆を励ましてください。あなたの述べることが聴衆をほんとうに納得させるならば,聴衆はすぐ行動を起こせるでしょう。

  • 意味の強調と抑揚
    神権宣教学校案内書
    • 研究 32

      意味の強調と抑揚

      1,2. 意味の強調はどんな点で話に寄与するものとなりますか。

      1 意味の強調と抑揚が加わってはじめて,話は色彩に富む,意味深いものになります。さもなければ,考えが曲解されたり,関心が低迷したりします。これら2つの特質のうち,意味の強調のほうが容易に修得できるので,この点を最初に取り上げます。

      2 意味の強調によって何を成し遂げられるかを念頭においてください。それは,正確な意味を伝え,かつその相対的な重要性を聴衆に示すような仕方で,ことば,もしくは考えを強調することです。単に強く,あるいは軽く強調するだけで良い場合もあれば,時には,微妙な陰影を付す必要のある場合もあります。

      3-7. 意味の強調の上手な仕方を修得する方法を述べなさい。

      3 文章の中の考えを伝えることばを強調する。基本的に言って,どこを強調するかとは,どのことばを強調するかということです。それには,考えを伝えることばを見分けて,それを正しく強調し,周囲のことばから目だたさせる必要があります。考えを伝えることば以外のものを強調すると,意味があいまいになったり,曲解されたりするでしょう。

      4 日常の話の場合,たいていの人は意味を明確に伝えます。格助詞を強調するといった特定の常習的なくせでもないかぎり,この面では特に問題はないはずです。強調の置き方の点で著しい弱点があるとすれば,それはたいてい,なんらかのそうしたくせのためです。もし,あなたがこうした問題を持っているならば,それを克服するために熱心に努力してください。普通,こうしたくせは,1,2回の話で直せるものではありませんから,強調の置き所が悪くても,意味を曲解させるほどのものでなければ,助言者は,あなたが次の点に進むのを許すでしょう。それにしても,きわめて力強い効果的な話を行なえるようになるため,正しい強調の置き方を十分に修得するまで,努力しつづけてください。

      5 普通,純粋の即席の話よりも公の朗読のために準備をする場合のほうが,意味の強調にいっそう意識的な考慮を払わねばなりません。それは,会衆の「ものみの塔」研究で節を読むさいと同様,話の中で聖句を読むことについてもあてはまります。朗読のさい,意味の強調にいっそう注意を払わねばならないのは,わたしたちが読む資料はたいてい他の人が書いたものだからです。それで考えを分析し,表現そのものを何度も読み返して,それになじむまで資料を注意深く研究すべきです。

      6 どうすれば,ことばの強調もしくは意味の強調を十分に行なえますか。それには次のようなさまざまな方法があり,それらはしばしば併用されます。つまり,声量を増す。強さ,もしくは感情をいっそうこめる。調子をさげたり,声の高さを増したりする。ゆるやかな落着いた言い回しをする。速さを増す。陳述の前あるいは後(もしくは前後両方)に休止を置く。身ぶりや表情を用いるなどのさまざまな方法があります。

      7 最初は,強調の置き方が適当かどうか,また,かぎとなることばを目だたせるのに十分かどうかをおもに考慮してください。ですから,資料を準備するさい,それが朗読であれば,かぎとなることばに傍線を付してください。即席の話であれば,考えを頭の中にはっきりと入れてください。あなたのノートに書かれている,かぎとなることばを用い,さらに,それらのことばを強調してください。

      8,9. 主要な考えを強調するのはたいせつです。なぜですか。

      8 話の中の主要な考えを強調する。これは意味の強調の中でも,特にしばしば欠ける点です。そうした話には盛り上がりがありません。目だつものが何もないのです。ですから,話が終わった時には,たいてい著しい点を何も思い出すことができません。たとえ,要点を目だたせるための適切な準備がなされても,そうした点を正しく強調して話さないと,要点はあまり目だたず,見失われてしまうおそれさえあります。

      9 この問題を克服するには,資料を注意深く分析しなければなりません。話の中で最も重要な論点はなんですか。次に重要な論点はなんですか。話の要旨を1,2の文章で述べてほしいと言われたなら,なんと言えますか。こうした問いに答えるのは,話の最重要点を見分ける最善の方法の1つです。その答えがわかったなら,あなたのノートあるいは原稿のその点にしるしをつけてください。これであなたは,それらの論点を最高潮へと盛り上げることができます。それらはあなたの話の最高潮を成す点ですから,もし,資料の配列が適切で,そのうえ,かなりの強調を加えて話すならば,聴衆は主要な考えを記憶できるでしょう。それこそ,あなたの話の目的なのです。

      **********

      10-12. 抑揚とはなんですか。説明しなさい。

      10 意味の強調を簡単な仕方で行なうだけでも,自分の述べることを聴衆に理解させることができますが,抑揚を通して強調の仕方を変化に富んだものにすれば,話を聴衆にとってたいへん楽しいものにすることができます。あなたは野外奉仕のさい,また,会衆に対して話をする特権にあずかる場合,抑揚を活用していますか。

      11 抑揚とは,聴衆の関心を保ち,考えの進展および話し手の感情を明示するために,声の高さ・速さ・力を断続的に変化させることです。最善の効果を上げるには,抑揚は特定の話の資料の許す範囲内で十分の変化と色彩に富んだものであるべきです。抑揚の幅の高いほうの範囲では,興奮,熱意,強い関心を順に表わし,その度合いはしだいに弱まり,中程度の範囲では穏かな関心を,低いほうの範囲では,真剣さや厳粛さを表わせるでしょう。

      12 どんな場合でも,極端な表現を用いて芝居じみた話し方をしてはなりません。話は色彩に富んだものであるべきですが,正統派の牧師のそれのような敬虔ぶった,しかつめらしい話であってはならず,そうかといって,天幕集会の福音伝道者のヒステリーじみた激越な話であってもなりません。正しい品位と,王国の音信に対する敬意の念を保てば,クリスチャンにふさわしくないそうした表現は避けることができるでしょう。

      13,14. 力の変化とは何を意味していますか。

      13 力の変化。抑揚をつける最も簡単な方法は,おそらく声の力を加減することでしょう。これは話を最高潮に向かって盛り上げてゆき,話の要点を強調する1つの方法です。しかしながら,単に声量をふやすだけでは,必ずしも論点を目だたせることにはなりません。ある論点は浮彫りにされるかもしれませんが,話し方に力をこめたことが話の目的にそわない場合もあるのです。話の論点は,活気のある語調よりも,いっそうの暖かさと気持ちをこめて話すことを必要としているかもしれません。その場合には,声量を減らし,強さを増してください。心配あるいは恐れの気持ちを表現する場合も同じことが言えます。

      14 声の力を加減することが抑揚にとって肝要とはいえ,低い声で話すため,一部の人々が聞き取れなくなることのないよう注意しなければなりません。耳ざわりになるほど声量を上げるべきでもありません。

      15-17. 速さの変化は話にどのように貢献しますか。

      15 速さの変化。初歩の話し手で,演壇での話の速さを変化させる人はまずいません。日常の話の中でなら,わたしたちは絶えずそうした話し方をします。なぜなら,ことばは,それについて考える,あるいはそれが必要になると同時に自然に出てくるからです。しかし,新しい話し手は演壇に出ると,たいていそうしなくなります。自分の話す語句をあまりよく準備してしまうので,すべてのことばが同じ速さで出てくるのです。筋書きに基づく話は,こうした弱点を矯正するのに役だちます。

      16 話の主流は普通の速さで進めるべきですが,細かい点や物語,たいていのたとえ話その他を扱うさいには,少し速く話せます。より重要な論議や最高潮の部分,また要点を述べる場合は,たいてい普通よりもゆっくり話す必要があります。特に力を入れて強調したい場合には,ゆっくりとした落ち着いた話し方をして強調できます。一度,休止を入れて話すのを完全に中断し,速さを一変させることさえできるのです。

      17 注意をひと言。決して,ことばづかいが乱れてしまうほど早口で話してはなりません。声を出して,しかも,つかえずに,できるだけ早く読めるように練習するのは,自分ひとりで行なえる,すぐれた練習方法です。同じ節を何回も繰り返して読み,つかえたり,発音が不明瞭になったりしないように注意しながら,読む速度を絶えず増してゆきます。次いで,ことばの母音部を多少引き伸ばして,できるだけゆっくり読んでください。それから,交互に,また随時,速度を増したり,遅くしたりして,声の速さを自由自在に変化できるようになるまで練習してください。そうすれば,話をするさい,話す事がらの意味に応じて,話す速度を自動的に変えられるようになるでしょう。

      18-20. 声の高さの変化という特質を修得する方法を述べなさい。

      18 高さの変化。声の高さをいくらかでも変化させて抑揚をつけるのは,おそらく最もむずかしい方法でしょう。もちろん,ことばを強調するさいには,しばしば声の高さを少し上げて,同時に,多少ながらいっそう力をこめて話します。いわばことばを打つわけです。

      19 しかし,抑揚のこの面で最大の効果を上げるには,それ以上に高さを変化させる必要があります。試みに,創世記 18章3-8節および19章6-9節を声を出して読んでごらんなさい。それらの節を読むさい,速さと高さのいずれの面でも相当の変化を加える必要があることに注目してください。どんな場合でも,興奮と熱意は,悲しみあるいは心配を表わす場合よりもいっそう高い声で表わされます。資料の中にそうした感情が表われているなら,それを適切に表わしてください。

      20 話のこの面が弱点となっている場合,そのおもな原因の1つは,声に十分の幅がないことです。これがあなたの問題であれば,その改善に努力してください。この研究の初めのほうに提案されているのと同様な練習を試みてください。しかし,この場合には,速さを変化させることよりも,高さを上げたり,下げたりすることに努力してください。

      21-24. 抑揚は考えや感情に適していなければなりません。なぜですか。

      21 考え,あるいは感情に適した抑揚。この特質に関するこれまでの討議から明らかなとおり,声を変化させるだけでは,話し方に変化を持たせることはできません。あなたの表現は,話している事がらにかかわる雰囲気に適していなければなりません。では,抑揚はどこから始まるのですか。それは明らかに,あなたが話をするために準備した資料から始まるのです。話の内容が論議もしくは説き勧める事がらだけであれば,話し方に変化を持たせることはまずできないでしょう。ですから,筋書きをまとめたならば,それを分析し,意味深いと同時に色彩に富んだ話を行なえる要素すべてが含まれているかどうかを確かめてください。

      22 しかし,話の中ほどで話し方の速さを変える必要を感ずる場合もあるでしょう。話がだらだらしているように感ずるかもしれません。では,どうしますか。ここでも即席の話は有利です。話しながら,資料の性質を変えることができます。どのように? 1つの方法は話すのをやめて,聖句を1つ読みはじめるのです。ある陳述を質問の形に変えて,強調のための休止を置くこともできます。あるいは,あるたとえを挿入して,筋書の中のある論議を適用させることができるかもしれません。

      23 もちろん,話の中で用いるこうした技巧は,経験を積んだ話し手のためのものです。しかし,割り当ての資料を前もって準備するさい,それと同様の考えを活用できます。

      24 抑揚は話の薬味といわれています。適切な抑揚が,ほど良く加味されるならば,あなたの資料は十分に風味を発揮し,聴衆に大きな喜びを与えるものとなるでしょう。

  • 熱意と暖かさを表わす
    神権宣教学校案内書
    • 研究 33

      熱意と暖かさを表わす

      1. 熱意を鼓舞するのはなんですか。

      1 熱意は話の命ということができます。もし,あなたが自分の述べることに熱意をいだいていなければ,聴衆が熱意をいだくことは決してありません。それがあなたを動かすものでなければ,聴衆を動かすことはできません。しかし,話し手としてのあなたが純粋の熱意を表わすには,自分の話そうとしている事がらが聴衆にとって必要であることを確信していなければなりません。ということは,話を準備するさいに,あなたは聴衆を考慮に入れ,聴衆にとって最も有益な論点を選定し,また,聞き手がその価値を容易に認識できる仕方で論点をまとめたということを意味しているのです。もし,このことを行なったなら,あなたはおのずから真剣に話し,また聴衆はあなたの話にこたえ応ずるでしょう。

      2-5. 生き生きとした話し方は,どのように熱意を表わすものとなりますか。

      2 生き生きとした話し方によって示される熱意。熱意を最も良く表わすのは,生気のある話し方です。無関心な,あるいはぼんやりした態度を取ることはできません。表情も,口調も,また話し方もまさに生き生きとしていなければならないのです。それには,強さおよび迫力をこめて話さねばなりません。独善的にならずに,しかも確信に満ちた口調で話さねばなりません。熱意をこめて話すべきですが,感情におぼれてはなりません。自制を失う話し手は聴衆をも失うことになります。

      3 熱意は人に伝わります。もし,あなたが熱意をいだいて話をすれば,聴衆はその熱意を感じ取ります。次いで,聴衆との接触が良く保たれるので,聴衆の熱意があなたに反映し,あなた自身の熱意を保たせるものとなるでしょう。一方,話し手に生気がないならば,聴衆も生気を失ってしまうでしょう。

      4 わたしたちは神の霊で燃えるべきであるとパウロは述べました。もし,あなたがそのように燃えているならば,あなたの生き生きとした話し方は,神の霊を聴衆に流れ込ませ,聴衆に行動を促すものとなるでしょう。そうした霊に燃えて話をしたアポロは,雄弁な話し手と呼ばれています。―ロマ 12:11。使行 18:25。ヨブ 32:18-20。エレミヤ 20:9。

      5 話に熱意をいだくには,話すに値するものを持っているとの確信をいだかねばなりません。まず,自分自身を奮い立たせるものを持っていると感ずるようになるまで,話す資料を検討してください。資料は新しいものである必要はありませんが,論題の取り上げ方に新鮮味を加えることができます。崇拝の面で聴衆を強め,同時に,聴衆がより良い奉仕者,また,より良いクリスチャンになるのに役だつ何ものかを自分が持っていると感ずるのであれば,あなたは自分の話に熱意をいだくべき十分の理由を持っており,かつ,疑いなく熱意をいだけるでしょう。

      6-9. 話の資料は話し方に表わされる熱意とどんな関係を持っていますか。

      6 資料に適した熱意。話に変化を持たせ,聴衆に益を与えるためには,話の始めから終わりまで熱意にかられて話してはなりません。そのような仕方で話すなら,聴衆は行動を起こさないうちに疲れてしまうでしょう。この点もまた,十分変化に富んだ資料を準備して,話し方に変化を持たせることができるようにすることのたいせつさを強調するものといえます。つまり,他の論点よりも当然いっそう熱意をこめて述べる必要のある,幾つかの論点を話全体に巧みに織り込んでおくべきです。

      7 要点は特に熱意をこめて話すべきです。話には幾つかの頂点,それを目ざして盛り上げてゆくべき最高潮がなければなりません。それは話の要点ですから,たいてい,聴衆を動かし,論議や論拠あるいは助言の適用の仕方を聴衆に銘記させることを意図した点なのです。こうして聴衆を納得させたからには,今度は,聴衆を鼓舞し,結論の益や結論で述べられる事がらを追い求めるときにもたらされる喜びや特権を明示する必要があります。それには,熱意のこもった話し方が必要です。

      8 とはいっても,決して話の他の部分で無とん着な話し方をしたり,また,論題に対する熱烈な気持ちを失ったり,関心の欠如をいささかでも表わしたりしてはなりません。森の少し開けた所で静かに草をはむ1頭の鹿を思い浮かべてください。のんびりしているように見えますが,その細い足には力が潜んでおり,少しでも身の危険を感じようものなら,あっというまに飛び去ってしまいます。鹿はくつろいではいても,警戒を怠ってはいません。熱意のすべてをこめて話しているとき以外の話し手についても,同じことが言えるでしょう。

      9 それは何を意味していますか。そうした生き生きとした話し方は決してしいてできるものではないということです。それ相当の理由があるべきであり,そうした理由は資料に基づいていなければなりません。助言者は話し手の熱意が資料に適していたかどうかを考慮します。それは多すぎましたか,少なすぎましたか,あるいは場違いのものでしたか。もちろん,助言者は話し手の個性を考慮に入れますが,話し手が内気で控え目な人であれば,激励を与えますし,何を話すにも興奮しすぎるような人であれば,注意を与えるでしょう。ですから,資料に相応する熱意を表わし,また,資料に変化を持たせ,話全体を通して,熱意のこもった話し方に釣合いを持たせるようにしてください。

      **********

      10-12. 暖かさと気持ち,とはどういうことですか。

      10 熱意は,暖かさと気持ちをこめて話すことに密接に関係しています。しかし,そうした話し方は別の感情によって鼓舞されるものであり,それが聴衆に及ぼす効果もまた異なります。話し手はたいてい,自分の資料ゆえに熱意をいだいていますが,聴衆のことを考え,聴衆を助けたいとの意欲を持つとき,話し手は暖かさをもいだくものです。「話の助言」の用紙に載せられている「暖かさと気持ちをこめて話す」という項目は注意深く考慮するに値します。

      11 あなたが暖かさと気持ちを表わすと,聴衆は,あなたが愛と親切また優しい同情を示す人であることを感じ取ります。寒い晩,火のそばに引きつけられるように,聴衆はあなたの話に引きつけられるでしょう。生気のある話し方は人を鼓舞するものですが,同時に,優しい気持ちも必要なのです。思いの面で人を納得させるだけでは必ずしも十分ではありません。心を動かさねばならないのです。

      12 たとえば,愛,寛容,親切,柔和などについて述べたガラテヤ書 5章22,23節を読むさい,その読み方がそうした特質を少しでも反映するものでなければ,ふさわしい読み方といえないのではないでしょうか。また,テサロニケ前書 2章7,8節のパウロのことばには優しい気持ちが表われていることに注目してください。そうした表現は,暖かさや気持ちをこめて読むべきです。では,それをどのように示すべきですか。

      13,14. どうすれば,表情で暖かさを示せますか。

      13 表情に表われる暖かさ。聴衆に対して暖かい気持ちをいだいているなら,それは顔に表われるはずです。さもなければ,話し手が聴衆に対してほんとうに暖かい気持ちをいだいていても,聴衆は納得できないでしょう。とはいえ,それは純粋の感情でなくてはなりません。マスクのように着用できるものではないのです。しかし,暖かさと気持ちを感傷や感情に走ることと混同してはなりません。親切を反映する表情は,純粋さと誠実さとを表わすでしょう。

      14 たいていの場合,あなたは友好的な聴衆を相手にして話をします。したがって,聴衆をほんとうによく見ると,あなたは聴衆に対して暖かい気持ちをいだき,気楽な親しい気分を感ずるようになります。特に親しそうな表情の人を聴衆の中から選んで,ちょっとのあいだ,その人に語りかけ,次に別の人を選んで,その人に話しかけてください。このようにすると,聴衆との接触を良く保てるだけでなく,あなた自身が聴衆に引きつけられるようになり,それに応じて暖かさを反映するあなたの暖かい表情は,聴衆を引きつけるものとなるでしょう。

      15-19. 話し手の声によって暖かさと気持ちを表明する方法を述べなさい。

      15 語調に表われる暖かさと気持ち。よく知られているとおり,動物でさえ人間の語調によって,人の感情をある程度理解します。であれば,語調そのものに暖かさと気持ちのにじみ出た声に聴衆はなおのこと答え応ずるでしょう。

      16 もし,自分がほんとうに聴衆から孤立していると感ずるなら,また,自分の話すことに聴衆がどうこたえ応じているかということよりも,自分の話すことばのことを気にしているのであれば,目ざとい聴衆からそれを隠すことはできません。しかし,自分が話しかけている聴衆に誠実な関心を集中し,自分の考えを聴衆に伝えて,自分とともに考えてもらいたいと願っているのであれば,あなたの声の変化の1つ1つは,あなたの気持ちを反映するものとなるでしょう。

      17 とはいえ,それが誠実な関心でなければならないことは明らかです。純粋の暖かさも熱意と同様で,うわべだけを装うことはできません。話し手は決して,偽善的な仕方で優しさを印象づけようとすべきではありません。同時に,暖かさと気持ちを,感傷もしくは軽薄な感情家のきざな震え声の響きと混同してはなりません。

      18 もし,あなたの声が堅い粗野な響きを持っているならば,表現に暖かさを反映させるのは困難です。もし,そうした問題があるならば,問題を克服するため真剣かつ熱心に努力すべきです。それは声の質の問題ですから,時間がかかりますが,適切な注意と努力を払うならば,声を暖かみのあるものにするため多くのことを行なえます。

      19 これは純粋に技術的な見地から考えてのことですが,母音の一部を省略して短く発音すると,話し方は堅い感じを与えるということを覚えておくのは,そうした問題の解決の一助となるでしょう。母音を多少長く伸ばして発音する仕方を学んでください。そうすれば,母音に柔らかさを持たせることができ,あなたの話し方は語調の点で自動的にいっそう暖かみのあるものとなるでしょう。

      20,21. 話の資料は,話し方に表わされる暖かさや気持ちにどのように影響しますか。

      20 資料に適した暖かさと気持ち。熱意の場合と同様,暖かさと気持ちをどの程度表現に加えるべきかは,何を述べるかによって大きく左右されます。このことを示す1例は,律法学者とパリサイ人に対するイエスの非難のことばで,それはマタイ伝 23章にしるされています。イエスがそうした痛烈な非難のことばを生気のないだらだらした口調で述べたとは考えられません。しかし,義憤と激怒を表明した,そうしたことばの中にも,イエスの同情の念を表わす,暖かさと優しい気持ちのこもった次のような1句が含まれているのです。「― めんどりがひよこを自分の翼の下に集めるように,わたしは幾度あなたの子供たちを集めたいと思ったことでしょう。しかしあなたがたはそれを欲しませんでした」。このことばは明らかに優しい気持ちを表わしていますが,次に述べられた,「見よ,あなたがたの家はあなたがたに捨てられています」ということばは,これと同じ感情を含むものではありません。その語調は,拒絶,また嫌悪の情を表わしています。

      21 では,どんな場合に暖かさと気持ちをこめて話すのが適切ですか。野外宣教や研究生の話で述べる事がらはたいてい,そうした表現に適していますが,推論したり激励したり,説き勧めたり同情したりなどする場合は特に適切です。暖かさを示すことと,適切な場合には熱意を表わすことを忘れてはなりません。万事,平衡を保つとともに,あなたの述べることすべてに最大限の表現力を持たせてください。

  • 適切なたとえ
    神権宣教学校案内書
    • 研究 34

      適切なたとえ

      1,2. たとえはどんな点で話に寄与するものとなるかを簡単に述べなさい。

      1 話し手がたとえを使うと,意味深い情景が実際に聴衆に印象づけられます。たとえは関心を鼓舞し,重要な考えをきわ立たせ,思考作用を大いに働かせ,新しい考えをいっそう容易に把握できるようにします。精選されたたとえは,理知に訴えるとともに,感情面の効果をも発揮します。その結果,事実の単なる陳述では多くの場合もたらしえない迫力をもって音信を人の思いに伝えることができます。しかし,それには,たとえが適切,つまり資料に適していなければならないのです。

      2 時には,偏見や偏執を退けるために,たとえを用いることができます。論争の的になるような教理を持ち出す前に,たとえを用いれば,反論を一掃することもできます。たとえば,「子どもを罰するために,わが子の手を熱いストーブに押しつける父親はいないでしょう」といって,たとえを述べたうえで,「地獄」に関する教理を持ち出せば,「地獄」という宗教的なまちがった観念がいかにいまわしいものかが直ちに明らかになるので,いっそう容易にそうした教理を退けられます。

      3-6. たとえはどんなところから得られますか。

      3 たとえは類推,比較,対照,直喩,隠喩,個人的な経験,例など,いろいろの形を取れます。たとえはさまざまな所から選べます。有生無生を問わず創造物を取り扱うこともできれば,聴衆の職業,人間の特性あるいは特質,家庭用品,家や船など人間の作り出したものその他を用いることもできるのです。しかし,どんなたとえを用いるにしても,それぞれ場合と資料ゆえにたとえが選ばれるのであって,単に話し手の好きなたとえだから選ばれるということがあってはなりません。

      4 注意をひと言。あまり多くのたとえを用いて,話におもしろ味を添えすぎてはなりません。たとえを用いてください。ただし,使いすぎないようにしてください。

      5 たとえを適当に使うのは,1つの技術です。それには手練と経験がいります。しかし,その効果のほどは,いかに誇張しても誇張しすぎるものではありません。たとえの用い方を学ぶには,たとえという観点から物事を考える仕方を学ばねばなりません。ものを読むさい,用いられているたとえに注目してください。物事を見るさい,クリスチャンの生活および宣教という観点から考えてください。1例として,水気を失ってしおれた,鉢植えの草花を見たならば,こう考えることができるかもしれません。「友情は草花のようである。よく育てるためには,水をやらねばならない」。今日では,月を眺めても,それを宇宙旅行という観点からしか考えない人がいます。クリスチャンはそれを神の御手のわざ,神の創造された衛星,永遠に存続する事物,潮の干満を生じさせて人間の日常生活に影響を及ぼすものとして眺めます。

      6 話を準備するさい,簡単なたとえがすぐ思い浮かばないならば,ものみの塔協会の出版物を取り出して,関連のある資料を調べ,たとえが使われているかどうかを見てください。話の中のかぎとなることばを考え,それがあなたの脳裏に伝える情景について考えてください。それを基にして,たとえを作ってください。しかし,不適当なたとえならば,全然ないほうがはるかに良いということを忘れないでください。「話の助言」の用紙に載せられている「資料に適したたとえ」という項目に関し,念頭におくべき幾つかの面を次に考慮します。

      7-9. 簡単なたとえが非常に効果的なのはなぜですか。

      7 簡単なたとえ。簡単なたとえは,いっそう容易に覚えられます。それは,話のつながりを悪くする複雑なものとは異なって,話のつながりを明らかにするのに貢献します。イエスのたとえは,たいてい2,3のことばで足りるものでした。(例として,マタイ 13:31-33; 24:32,33を見てください。)簡単であるためには,用語は理解しやすいものでなければなりません。多くの説明を必要とするたとえは,いわば余分の荷物ですから,除外するか,さもなければ簡単にしてください。

      8 イエスは大きなことを説明するのに小さなことを,むずかしい事がらを説明するのにやさしい事がらを用いました。たとえは容易に思い浮かべうるものであるべきです。一時に,あまり多くの要素を述べてはなりません。また,明確で具体的なものであるべきです。そのようなたとえであれば,聞き手がその適用を容易に誤まることはないでしょう。

      9 たとえは,例証しようとしている資料に完全に対応するものであれば,最善のたとえといえます。たとえのある面が適切でなければ,使わないほうがまさっているでしょう。一部の人がたとえの不適切な面について考えるようになると,たとえの効果は失われてしまうでしょう。

      10,11. たとえはその適用を明らかにしなければなりません。なぜですか。

      10 適用を明らかにする。たとえはその適用を明らかにしないかぎり,一部の人は意味を会得できても,多くの人は会得できないでしょう。話し手は,たとえをはっきりと頭に入れておき,また,その目的を理解していなければなりません。また,たとえの価値がどこにあるのかをわかりやすく述べるべきです。(マタイ 12:10-12を見てください。)

      11 たとえを適用する仕方は幾つかあります。たとえを話す前かあるいはその後に簡単に述べた原則を確証するために,たとえを用いることもできれば,たとえによって明示された論議の帰結を力説して,たとえを適用することもできます。あるいは,たとえと論議との類似点に注意をひくだけで,たとえを適用することもできます。

      12-14. たとえが適切かどうかを判断するのに役だつ事がらをあげなさい。

      12 重要な論点を強調する。たまたま思いついたというだけの理由でたとえを用いてはなりません。何が要点かを知るために話を分析し,次いで,それを銘記させる助けとなるたとえを選定してください。小さな点を説明するのに強力なたとえを使うならば,聴衆は主要な点よりも,小さな点を覚えることになるかもしれません。(マタイ 18:21-35; 7:24-27を見てください。)

      13 たとえは,論議をしのぐものであってはなりません。聴衆が思い起こすのはたとえかもしれませんが,たとえが頭に浮かぶと同時に,そのたとえによって強調しようとした論点が思い起こされてしかるべきです。そうでないとすれば,たとえは目だちすぎたのです。

      14 話の準備にさいして,たとえを選定する場合,強調すべき論点とたとえの価値を比較考量してください。たとえは論点を強めますか。引き立たせますか。論点をいっそう容易に理解させ,かつ記憶させるものですか。もし,そうでなければ,適切なたとえではありません。

      **********

      15,16. たとえは聴衆に適したものでなければなりません。その理由を述べなさい。

      15 たとえは,資料に適していなければなりませんが,同時に,聴衆に適合するものでなければなりません。これは,「聴衆に適したたとえ」として助言用紙に別に載せられています。バテシバと関係して罪を犯したダビデを懲らしめるよう求められたナタンは,ひとりの貧しい男とその1頭の小羊のたとえを使いました。(サムエル後 12:1-6)それは単に巧みなものだっただけでなく,ダビデに適していました。ダビデはかつて羊飼いだったからです。ダビデはたとえの意図をすぐ悟りました。

      16 聴衆の大半が年配者であれば,若い人々にだけ訴えるようなたとえを用いるべきではありません。しかし,一群の大学生を対象にして話すのであれば,そうしたたとえはうってつけでしょう。時には,聴衆の中の年取った人と若い人,また男子と女子などの双方のことを考えて,2つの異なった見地からたとえを取り上げる場合もあるでしょう。

      17-19. たとえがあなたの聴衆に訴えるものであるためには,それをどこに求めるべきですか。

      17 身近なところから得る。身のまわりの物事からたとえを得るなら,それは聴衆にとって身近なものになります。イエスはそうされました。とある井戸のそばで,ある女に話をしたイエスは,命を与えうる,ご自分の特質を水にたとえました。例外的な事がらではなく,生活上の小さな事がらを用いられたのです。イエスのたとえは,情景を聴衆にすぐ思い浮かばせるか,自分たちの生活上の経験を直ちに思い起こさせるものでした。イエスは教えるためにたとえを用いられたのです。

      18 今日でも同じです。主婦も実業界のことをいろいろ知っているかもしれませんが,日常の生活上の事がら,子ども,家事,家庭の物品などのたとえを用いて話をすれば,話はいっそう効果的になるでしょう。

      19 また,明らかにある地方だけのもの,おそらくその特定の土地独特のものに基づくたとえも効果的です。同時に,地方版のニュースになった事項などのように,その地域でよく知られている最近のできごとも,上品なものであれば適切です。

      20-22. たとえを用いるさいに避けるべき落とし穴を幾つかあげなさい。

      20 上品なたとえ。どんなたとえを用いるにしても,それは聖書の討議にふさわしいものであるべきです。いわゆる“いかがわしい”たとえ,つまり風紀にかかわるものを用いるべきでないことは明らかです。取りようによっては,2つの意味に取れるような陳述は避けてください。疑わしいものは省け,という方針に従うのは良いことです。

      21 たとえは聴衆の中のどんな人をも,特に,最近交わりはじめた人々の気持ちをいたずらに害するものであってはなりません。この理由で,あなたの論議の中で実際に問題になっていない教理上の,もしくは論争の的とされている事がらを持ち出すのは,良いことではありません。たとえば,輸血や国旗敬礼のような問題は,それが話の要点になっているのでないかぎり,例として用いるべきではないでしょう。ある人はそのためにそうした問題に注意をそらされて,つまずく場合さえあるかもしれません。あなたの話の論点がそうした事がらを論ずるものであれば,問題は別です。そのような場合には,それらの問題を論じて,聴衆を納得させる機会があるのです。しかし,あなたが使うたとえのために,あなたの論議している重要な真理に対する偏見を聴衆にいだかせる事態を招いて,話の目的を失ってはなりません。

      22 ですから,たとえを選定するさい,分別を働かせてください。適切なたとえであることを確かめてください。それがあなたの資料および聴衆の双方に適しているならば,適切なたとえといえるでしょう。

  • 野外宣教に適応させた資料
    神権宣教学校案内書
    • 研究 35

      野外宣教に適応させた資料

      1-3. あなたの資料を野外宣教に適応させる方法を学ぶのは価値のあることです。なぜですか。

      1 今日,クリスチャンの奉仕者としてのわたしたちのわざのかなりの部分を占めるのは,聖書についてほとんど知らない人々に神のみことばを伝道し,教えることです。中には,聖書を1度も自分のものとして所有したことのない人もおれば,単に本だなに1冊飾っておくだけの人も少なくありません。これは,それらの人がわたしたちの告げる事がらの益に十分あずかるには,そうした事がらを人々の事情に適応させる必要があるということを意味しています。音信を変えるというのではありませんが,人々が理解できるようなことばでそれを表現するために特別の努力を払うのです。実際のところ,わたしたちの資料をこのように適応させねばならないということは,自分自身がそれをどれほど徹底的に理解しているかを試みるものとなります。

      2 適応させるとは,新たな事態に対処するため調整する,つまり順応させるということです。何かを自分自身もしくは他の人に満足のゆくよう適合させることです。資料を野外宣教に適応させるという問題を考察すると,次の点を強調すべきことがわかります。つまり,野外宣教のさいの話,あるいは他のどんな話にしても,特定の聴衆,なかんずく,野外宣教で会う,最近関心を持った人々にとってわかりやすくて理解しやすい話をする必要があるということです。したがって,この学校でこの特質に関して努力するさい,いつもあなたの聴衆を戸別訪問の証言のさいに会う人々とみなすべきです。

      3 とはいっても,この特質に関して努力するさい,あなたの話を戸別訪問の話の形式にしなければならないという意味ではありません。すべての話は,この学校の現行の指示に略述されているとおり,話の仕方という点では同じです。それで問題は,どんな種類の話をするにしても,発展させる論議また用いることばは,あなたが野外で会う人々に対して用いるものであるということです。わたしたちの話の大半は野外宣教で行なわれるものであることを考えれば,野外奉仕で会う人々の大半が理解できる程度にわかりやすく話す必要のあることが明らかになります。この特質に関しては,すでに研究21で多少調べましたが,これは必要性また重要性の点で顕著な特質ですから,ここで別個に取り扱います。

      4,5. わたしたちは自分の用いる表現を一般の人々に理解させねばなりません。その理由を述べなさい。

      4 種々の表現を一般の人々に理解させる。一部の兄弟たちが戸別訪問の宣教や新しい研究にさいして用いる表現を考えると,この特質の必要性が明らかになります。わたしたちは聖書を理解することによって,一般にはあまり知られていない語彙を持っています。「残れる者」「他の羊」その他のことばを用います。しかし,野外奉仕で会う人々と話すさい,そうした表現を用いたのでは,それは普通,なんら意味を伝えません。そうした表現を理解させるには,適当な同意語の表現または説明を加えて意味を明らかにしなければなりません。「ハルマゲドン」「王国の樹立」に言及することばでさえ,その意義に関してなんらかの説明をしないかぎり,ほとんど意味をなさないでしょう。

      5 この面を考慮するさい,助言者は,聖書の真理に通じていない人にとって,その論点あるいは表現は理解できるだろうかと自問します。助言者は,そうした神権的な用語の使用を必ずしも思いとどまらせようとするわけではありません。それらはわたしたちの語彙の一部ですから,最近関心を持った人たちにもそれに慣れてもらいたいと思います。しかし,あなたがそうした用語のどれかを用いる場合,助言者は,説明が加えられたかどうかを見守ります。

      6-8. 話を準備するさい,適切な論点を注意深く選択しなければなりません。なぜですか。

      6 適切な論点を選択する。野外奉仕にさいして,どんな考えを選択して述べるかは,使う用語同様,場面に応じて異なるでしょう。というのは,普通,最近関心を持った人と討議する事がらとしては選定したくないものがいくつかあるからです。そのような場合,資料の選択は全く話し手に依存しています。しかし,この学校で割り当てを受ける場合には,取り上げるべき資料は事前に選定されていますから,選択範囲は割り当てられた資料に限られます。では,どうしますか。

      7 まず第1に,使いうる論点は限られていますから,適切な論点をできるだけ多く選定できるような話をするための場面を設定すべきです。助言者は,あなたがどんな論点を選択するか,また,それら論点が話の行なわれる状況に適しているかどうかに関心を持ちます。というのは,考慮中のこの特質を取り上げている話し手は,野外奉仕の違う面には違う種類の資料が必要であることを明示しようとしているからです。たとえば,最近関心を持った人を集会に招待する場合,戸別訪問のさいの話で使う資料と同じものを用いることはしないでしょう。ですから,あなたの割り当てが家の人と討議する必要のある話であれ,演壇での普通の話であれ,述べる事がら,および割り当てられた資料から選択した論点によって,どんな特定の聴衆に話しているのかを明らかにしてください。

      8 論点が適切かどうかを判断するため,助言者は話し手の話の目的を考慮します。戸別訪問のさいの話の目的は,普通,家の人を教えて,もっと学びたいという気持ちを鼓舞することです。再訪問の場合には,関心を発展させて,できるならば,家庭聖書研究を始めることが目的です。研究の後の話であれば,家の人が集会に出席したり,野外奉仕に携わったりするよう導くのが目的です。

      9,10. どうすれば,自分の選んだ論点が適切なものかどうかを判断できますか。

      9 もちろん,奉仕の同じ面にしても,どんな論点を選択するかは,あなたの聴衆によって異なる場合があるでしょう。それで,このことも考慮に入れるべきでしょう。割り当てられた資料の中の論点で,あなたの目的に適さないものは話に入れるべきではありません。

      10 こうした要素からすれば,場面は話を準備する前に選定しなければなりません。次のように自問してください,わたしは何を達成したいのだろうか。この目的を達成するには,どんな論点が必要だろうか。また,話の行なわれる状況に適合させるには,それらの論点をどのように調整しなければならないだろうか。ひとたびこうした事がらを決めてしまえば,適切な論点は容易に選択でき,野外宣教に資料を適応させうるような仕方で論点を述べることができます。

      11-13. わたしたちが述べる資料の実際的な価値を指摘するのは重要なことです。なぜですか。

      11 資料の実際的な価値を目だたせる。資料の実際的な価値を目だたせるとは,それが家の人に関係のある事がらであり,家の人が必要とし,また,用いうる事がらであるということを明確かつ間違いなく示すことです。話のはじめから,家の人は,「これは私に関係がある」ということを了解しなければなりません。それは聴衆の注意を得るのに必要です。しかし,そうした注意を保持するには,同様に資料が個人個人に適用できるものであることを話全体を通して示す必要があります。

      12 それには,聴衆との単なる接触および聴衆を助けて推論させる以上のことが関係しています。今度は,さらに進んで,資料の適用にさいし,実際に家の人をその中に含めなければなりません。野外宣教の目的は,神のみことばの真理を人々に教えて,救いの道を学ぶよう人を助けることです。ですから,あなたの言わんとする事がらを聴き,かつ,それに基づいて行動することが家の人にとって実際に有益である,ということを巧みさと思いやりをもって示さねばなりません。

      13 この特質のこの面は最後に取り上げましたが,それは重要性が最も少ないからではありません。それは1つの肝要な点であり,決して見のがすべきではありません。この点に関し努力してください。なぜなら,それは野外宣教において重要だからです。あなたの述べる事がらが家の人自身の生活にとってなんらかの価値があることを家の人が明確に理解できないかぎり,その人の注意を少しの時間でも保持することはできないでしょう。

  • 適切な結論と時間
    神権宣教学校案内書
    • 研究 36

      適切な結論と時間

      1-3. どうすれば,結論をあなたの話の主題に関連させることができますか。

      1 人が最初に思い起こすのは,多くの場合,話し手が最後に述べる事がらです。ですから,話の結論は注意深く準備するに値します。結論は,聴衆に覚えてもらいたいと考えている主要な論点に聴衆の注意を集中させて,主題を決定的に銘記させるものであるべきです。結論はその構成と話し方が両様あいまって聴衆を鼓舞し,行動を促すものであるべきです。これこそ,「話の助言」用紙上の「効果的で適切な結論」という項目を取り上げるさいに注目するよう勧められている事がらです。

      2 話の主題に直接関連している結論。結論をどのように話の主題に関連づけるかに関する種々の着想については,研究27を復習するようお勧めします。結論は,多くのことばを用いて話の主題を再び述べることを必要とはしません。もっとも,研究生の中には,特に,新しい研究生の場合,そうすることが助けになるという人もいます。それにしても,結論は聴衆を主題に注目させるものであるべきです。次いで,主題に基づいて,聴衆が行ないうる事がらを示してください。

      3 もし,結論が直接主題に関連していないならば,それは資料の締めくくりを述べ,かつ全体をまとめるものとはなりません。骨子を成す要点を述べて,率直な要約による結論を用いる場合でも,話の中心を成す考え,もしくは主題を表現する1,2の文を最後に付け加えたいと思うに違いありません。

      4-9. 結論は何をすべきかを聞き手に示すものでなければなりません。なぜですか。

      4 結論は何をすべきかを聴き手に示す。普通,話をする目的は,ある種の行動を起こすよう鼓舞する,もしくはある見解を納得させることですから,話の結論となる考えは確かに,そうした点を銘記させるものであるべきです。したがって,結論のおもな目的は,何をすべきかを聴衆に示し,そうするよう聴衆を励ますことです。

      5 この理由で,話の目的を明らかにすることに加えて,結論には真剣さ,確信,人を動かす力がなくてはなりません。多くの場合,結論を力のこもったものにするには,短い文が有利であることに気づかれるでしょう。しかし文章構成にはかかわりなく,行動を起こすべき確かな理由,それに,そうした行動を取ることから得られる益をも述べるべきです。

      6 結論は,話の中ですでに述べた事がらの論理的な帰結でなければなりません。したがって,結論の中であなたが述べることは,話の本論の中ですでに述べた事がらに基づいて行動するよう,聴衆を動かすものであるべきです。そうすれば,結論は,聴衆のなすべきことを明確にし,強調するものとなるので,聴衆は話の中で取り上げられた事がらに基づいて行動するとともに,あなたの結論の力強さに動かされて行動するようになるでしょう。

      7 戸別訪問の宣教では結論がしばしば弱点となっています。出版物を求めるとか,再訪問その他同様の事がらに同意するなどの点で家の人に何を期待しているのかをはっきり示さないと,そうした事態が生じます。

      8 この学校の割り当ての話の結論も,もし,それが資料の単なる要約であって,聴衆を動かして行動を促すものでなければ,結論はやはり弱点となります。資料のなんらかの適用を述べるか,資料が聴衆にとって,特別に価値があることをなんらかの仕方で示すかすべきでしょう。

      9 なかには,聖書に基づくある主題にかんする講演の結論として,かぎとなる聖句および話の主題を基にして,講演全体を要約した短い話をするのがたいへん有効だとする話し手もいます。戸口でする場合のように,2,3の聖句を用いてそのように話を要約すれば,あなたは話の要点を明らかにすることができるだけでなく,聴衆は話の最重要点を他の人に話すさいに用いうるものを覚えて帰ることになるでしょう。これこそ結論の主要な目的であり,この方法は適切であるだけでなく,こうした目的を効果的に達成するものとなります。

      **********

      10-14. 結論の長さをどうするかについて提案を述べなさい。

      10 適当な長さの結論。しばしば行なわれてはいますが,結論の長さは時計ではかって決めるべきものではありません。結論は,効果的で,かつ目的を達成したならば,その長さは適当だったといえます。したがって,長さが適当かどうかは,結果によって判断すべきです。話し手が「話の助言」の用紙上の「適当な長さの結論」という点で努力するさい,助言者は上記の点に留意します。

      11 本論の資料の長さと結論のそれとを比較する例として,伝道之書 12章13,14節にしるされている,その書全体の短い結論に注目し,次いでその結論とイエスの山上の垂訓およびマタイ伝 7章24-27節のイエスの結論とを比べてください。この2つの結論は型と長さのいずれをも異にしていますが,両方ともその目的を達成しています。

      12 結論は聴衆に不意打ちを食わせるようなものであってはなりません。結論のことばは,話の終わりを明白に指し示すだけでなく,話の終局の響きをも帯びているべきです。あなたは,言う事がらと言い方によって論議を結ぶべきです。結論を不必要に長びかせてはなりません。もし,話の締めくくりをつけることができず,結論の終わりに至ってもなお聴衆の関心を引き止めているのであれば,それは再考を要します。そのような結論はやはり長すぎるのです。

      13 あなたが初歩の話し手であれば,多くの場合,自分で必要と感ずるよりもやや短めに結論を述べるのが最善の方法です。結論をわかりやすくて率直かつ積極的なものにしてください。際限なく話しつづけてはなりません。

      14 討論会の形式の話の一環として1つの話をするとか,あるいは奉仕会で話をするのであれば,結論は次の話の紹介のことばと結びつくものですから,やや短くてすみます。それにしても,それぞれの話はおのおのの話の目的を達成する結論を持っているべきです。そして,目的を達成するものであれば,それは適当な長さの結論といえます。

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      15-18. 時間に十分の注意を払わないと,どんな事態が生じますか。

      15 時間。重要なのは単に結論の長さだけではありません。話の各部分の時間も注意を払うに値する事がらです。その理由で,「話の助言」の用紙上には別個に「時間」の項目が設けられているのです。

      16 話の時間の適切な配分は重要な事がらであり,これを過小評価してはなりません。話の準備が正しくなされておれば,時間のことも考慮されているものです。ところが,資料全部をなんとかして話そうとするあまり,時間を超過すると,実際のところ,話し手は話の目的を達成できるものではありません。というのは,聴衆はそわそわしはじめ,時計を見たりなどして,実際,話し手の言うことに注意を払わなくなるからです。話の目的を達成するのに肝要な適用と動因を包含した結論の意義が失われてしまいます。たとえ,結論が述べられても,話し手が時間を超過すると,多くの場合,聴衆は結論の益を受けられなくなります。

      17 話し手が時間を超過すると,聴衆ばかりでなく話し手も落ち着きを失ってしまいます。時間がなくなっているのに,資料はたくさんあるので,話し手は多くの事がらを無理につめ込もうとして,話の効果を台なしにするおそれがあります。そのため,たいてい話し手は落ち着きを失います。一方,所定の時間をうめるのに資料が足りなくなると,話し手は資料を引き伸ばそうとするあまり,話は一貫性を欠き,話し方はだらだらしたものになりかねません。

      18 時間が切れると,確かに学校の監督はそのことを研究生に知らせますが,完結しないうちに話を中止しなければならないのは,研究生と聴衆にとって残念なことです。話し手は資料に十分の関心をいだいており,それを聴衆に提供したいと願っているはずですし,聴衆は結論を聞けなくなると,中途半端な気持ちのまま放置されたように感ずるでしょう。話をするさい,いつも時間を超過する人は,他の人に対する思いやりに欠けているか,あるいは準備が足りないことを表わしています。

      19,20. 奉仕会や大会のプログラムの場合,時間は特に重要です。なぜですか。

      19 あるプログラムに何人かの話し手が参加する場合,時間を守るのは特にたいせつです。たとえば,奉仕会のプログラムが五つの部分から成っている場合,もし,おのおのの話し手が所定の時間をわずか1分超過しても,奉仕会は5分超過することになります。それにしても,おのおのの話し手はほんの少し時間を超過したにすぎないのです。その結果,ある人々は,帰りのバスにまにあうよう集会が終わる前に退場しなければならなくなったり,集会に出席している配偶者を迎えに来て待っている未信者の配偶者が,いらいらするかもしれません。いずれにしても,全般的に好ましくない結果を招きます。

      20 また,討論会形式の話のさい,1人の話し手が所定の時間を満たさずに話し終える場合にも問題が生じます。たとえば,大会で30分の話を割り当てられた兄弟が20分で話を終え,次の話し手がすぐ話を始めることができないとすれば,プログラムは中断されるおそれがあります。

      21-24. 時間の問題とその原因の幾つかを簡単に述べなさい。

      21 もちろん,話の時間が超過する根本的な原因の1つは,資料が多すぎるということです。これは話を準備するさいに,直すべき事がらです。しかしながら,他の点,つまり「話の助言」の用紙上のこれまでの諸点を修得したのであれば,時間は問題にはならないでしょう。話の要点を孤立させて適当な筋書きを作る方法をすでに学んだのであれば,話はおのずから時間どおりに行なえるでしょう。助言用紙の終わりのほうで時間が取り上げられているのは,それまでにすでに論じられている特質にそれがおおかた依存しているからです。

      22 時間で問題になるのはたいてい,超過することです。よく準備した話し手は,啓発的な資料を十分携えているものです。しかし,所定の時間に話しうる以上の資料を用いないよう注意しなければなりません。

      23 ところが,新しい,あるいは経験の少ない話し手は,とかく話が短くなりがちです。そのような話し手は,持ち時間を十分に活用する方法を学んでください。最初は,望みどおりの長さの話をするよう,自分の話を調整するのは多少むずかしいかもしれませんが,できるだけ所定の時間に近づくよう努力してください。とはいえ,研究生がよく準備し,りっぱに整った満足すべき話をしたのであれば,話が所定の時間よりも相当短いものでないかぎり,時間は弱点とはみなされないでしょう。

      24 話し手の時間を弱点とみなすべきかどうかを決める最善の方法は,話が聴衆にもたらす効果を観察することです。時間が切れたことを学校の監督が知らせた場合,研究生は言いかけている一文のことばをためらわずに言い終えてください。その一文をもって話を効果的に結び,しかも,聴衆はりっぱに整った論議を聞けたと考えられるならば,時間を弱点とみなすべきではありません。

      25-29. どうすれば,話の時間を正しく守れるようにすることができますか。

      25 どうすれば,時間を正しく守れますか。基本的に言って,これは準備の問題です。単に話に取り入れる資料だけでなく,話の運び方を準備するのもたいせつです。話し方の準備が十分なされていれば,たいてい時間は正確に守られるものです。

      26 話の筋書きを用意するさい,どれが要点かはっきりわかるようにしてください。おのおのの要点の下には,取り上げるべき,幾つかの補助的な点が載せられているでしょう。もちろん,ある点は他のものよりももっと重要でしょう。どの点は論議に不可欠か,どの点は,もし必要であれば省けるかを知っておいてください。そうすれば,話の最中に,もし,予定の時間より遅れていることがわかったなら,主要な論議だけを述べて,二次的な論点は容易に省略できるでしょう。

      27 これは,野外宣教でそうするよういつも求められる事がらです。人々の戸口を訪れるさい,家の人に落ち着いて聴いてもらえるなら,数分話せるでしょう。しかし同時に,同じ話を短縮して,もし必要であれば,おそらくわずか1,2分で話す用意もできています。どのようにしてそうしますか。わたしたちは,かぎとなる1,2の論点およびそれを裏づける最も重要な資料を頭に入れておきます。同時に,論議を詳しく述べるのに使える二次的に重要な資料をも念頭におきますが,必要ならば,それは割愛できるものであることを心得ています。演壇で話をする場合も,同様の手順を踏めるのです。

      28 持ち時間が半分経過したなら,資料をどれほど話し終えているべきかを筋書きの余白にしるしておくと,しばしば役にたちます。長い話の場合には,話を時間の点で4つに区分することもできます。次いで,筋書きに記入された,時間の経過を示すしるしの箇所を通過するさい,時計を見て,話の進みぐあいを考慮すべきでしょう。もし,予定の時間よりも遅れているならば,その時から,二次的に重要な資料を省略しはじめるべきです。最後まで待って,多くの点を無理に結論につめ込んで,効果を台なしにすべきではありません。しかし,話し手が絶えず時計を見たり,それも,たいへん目ざわりな仕方でそうしたり,あるいは,時間がなくなってきましたから資料を急いで説明します,などと聴衆に告げたりするなら,話からひどく注意をそらすことになります。これは,聴衆の注意を妨げずに,自然な仕方でなすべきことなのです。

      29 話全体を通して時間を正しく守れるようにするには,紹介のことばを適当な長さにし,かぎとなる論点のおのおのを均等に発展させ,しかも,結論のために十分の時間を残す必要があります。これは,単に時間がなくなろうとしていることに気付いて初めて考慮するというような事がらではありません。話の最初から時間に注意すれば,話は十分に釣り合いのとれたものとなるでしょう。

  • 落ち着きと身なり
    神権宣教学校案内書
    • 研究 37

      落ち着きと身なり

      1-9. 落ち着きと自信を定義しなさい。どうすれば,それを身につけられるかを述べなさい。

      1 落ち着いた話し手は,楽な気持ちで話をします。そのような話し手は冷静で沈着です。なぜなら,すべてを制しているからです。一方,落ち着きのない人には,どこか自信の欠けたところがあります。このふたつは相伴なう事がらです。「話の助言」の用紙上で「自信と落ち着き」が1つの点としてまとめて取り上げられているのはそのためです。

      2 話し手にとって自信と落ち着きは願わしい事がらですが,それにしても,これを自信過剰と混同してはなりません。自信過剰は,ふんぞり返ったり,もったいぶったり,腰かける場合には,あまりにもくつろいで前かがみに姿勢をくずしたり,また,戸別訪問の伝道のさいであれば,あまりにもわざとらしく柱に寄りかかったりなどする様子に表わされます。あなたの話し方のどこかに自信過剰の態度をちらつかせるようなものが何かあれば,助言者は疑いなく個人的な助言を与えるでしょう。なぜなら,宣教の効果をはばむおそれのある印象を人に与えているとすれば,そうした問題を克服するようあなたを援助することに学校の監督は関心をいだいているからです。

      3 しかしながら,初歩の話し手は演壇に近づくさい,まずたいていの場合,気おくれがしたり,恥かしさを感じたりするものです。また,不安がこうじて,自分には効果的な話などとてもできそうにもないと思うような場合があるかもしれません。そう考えるには及びません。自信と落ち着きは,熱心に努力し,かつ,なぜそれが欠けているかを知ることによって身につけることができるのです。

      4 ある話し手が自信に欠けているのはなぜですか。その理由はたいてい,次の2つの理由のいずれか,またはその両方かのどちらかです。第1は,準備の不足か,資料に対するまちがった見方,第2は,話し手としての自分の資格に対する消極的な態度です。

      5 どうすれは自信を持てますか。基本的にいえば,自分は話の目的を達成できるという認識あるいは信念を持つことです。事態を掌握し,意のままに左右できるとの確信を持つことです。演壇の上でそうした確信を持つには,多少の経験が必要かもしれませんが,何度か話をした後であれば,今度の話も成功するだろうという,かなりの確信を持てるでしょう。しかし,たとえ比較的に日の浅い話し手でも,それまでに何度か話した経験に励まされて,じきにこの特質をかなりよく表わせるようになるはずです。

      6 経験の有無を問わず,自信を持つのに肝要なことがほかにもあります。それは自分の資料にかんする知識とその資料の価値に対する確信です。それには自分の論題を前もって徹底的に準備するだけでなく,話し方をも注意深く準備する必要があります。それが自分自身の神権的な進歩のためであるとともに,出席している兄弟たちの教訓のためでもあることを自覚するならば,祈りの態度をもって演壇に臨むことでしょう。そして,論題に没頭し,自分自身のことや不安な気持ちなどは忘れてしまい,人ではなく神を喜ばせることを考えるようになるでしょう。―ガラテヤ 1:10。出エジプト 4:10-12。エレミヤ 1:8。

      7 それには,言おうとしている事がらすべてに確信をいだかねばなりません。準備にさいして,この点を確かめてください。そして,生き生きとした興味深い話を最善をつくして準備したにもかかわらず,なおも話に色彩あるいは生気が欠けているのを感ずるならば,生き生きとした聴衆に接すると,思わず話に熱がはいるものだということを思い起こしてください。ですから,話し方によって聴衆が生き生きとしたものを感ずるようにしてください。そうすれば,話し手は聴衆のいだく関心のゆえに,話そうとしている事がらに確信をいだけるでしょう。

      8 医師は病気の症状を観察します。それと全く同様で,助言者は,落ち着きのないことを如実に示すしるしに注目します。また,良い医師は症状よりも病因を除去すべく努力するように,助言者は自信と落ち着きの欠如の真因を克服するよう援助します。しかしながら,症状を知ってそれを制する方法を学ぶことは,それら症状の背後にある原因を克服するのに実際に役だちます。では,どんな方法がありますか。

      9 一般的に言って,抑えられた感情あるいは緊迫感のはけ口となるものは2つあります。それは身体的に,あるいは身体上表われるものと,声に表われるものとに大別できます。そうしたものが少しでも見られるとき,その人は落ち着きに欠けているといえます。

      10,11. 挙動は自信の欠如をどのように表わす場合がありますか。

      10 挙動に表われる落ち着き。したがって,落ち着きの有無は,まず最初に話し手の挙動に表われます。ここで,話し手の自信の欠如を表わす事がらを幾つかあげましょう。まず最初に,手について考えてみましょう。手を背後で握り合わせたり,からだの両わきに固定したり,演台をしっかりつかんだりします。また,手をポケットに入れたり出したり,上着のボタンをはめたりはずしたり,ほほ・鼻・眼鏡などになんとはなしに手を持っていったり,中途半端な身ぶりをしたり,時計・鉛筆・指輪・ノートなどをいじったりなどします。または,足を始終あちこちに動かしたり,からだを左右に振ったり,背中を堅くしたり,ひざの力が抜けていたり,くちびるを絶えずしめらせたり,何度もつばをのみ込んだり,速くて浅い息づかいをしたりなどすることも考慮してください。

      11 話し手の不安な気持ちを表わすこうした事がらすべては,意識的な努力によって制したり,最小限に抑えたりすることができます。そうした努力を払えば,挙動によって落ち着きのほどを表わせます。ですから,自然で平衡のとれた呼吸をして,努めて気持ちを楽にしてください。話しはじめる前に休止を置いてください。聴衆は必ず好意的な反応を示しますから,次いで,そうした反応は,話し手の求めている自信を得る助けとなるでしょう。聴衆のことを気にしたり,自分自身のことを考えたりせずに,自分の資料に注意を集中してください。

      12-14. 不本意にも声が自信の欠如を表わすような場合,どうすれば,落ち着きを得ることができますか。

      12 制御された声によって示される落ち着き。話し手の不安のほどを表わす声としては,異常に高い調子の声,震え声,繰り返されるせき払い,緊張のために共鳴が欠けて生ずる異常に弱い調子などがあります。こうした問題や常習的なくせなども,熱心に努力すれば,克服できます。

      13 演壇に向かうさい,急いで歩いたり,急いでノートを整えたりせずに,気持ちを楽にし,準備した事がらをわかち合う喜びをいだいてください。話しはじめるさい,不安を感じている自分に気づいたなら,紹介のことばは,いつもの場合以上にゆっくり話し,自分にとって自然と思えるよりも語調の高さを下げて話すよう特に努力すれば,不安な気持ちを制することができるでしょう。また,身ぶりを用いたり,休止を入れたりするのは,気持ちを楽にするのに役だつことがわかるでしょう。

      14 それにしても,こうした事がらすべてを練習するのに,演壇に立つ時まで待ってはなりません。日常の話をするさいに,落ち着きを保ち,自分を制して話す仕方を学んでください。こうした努力は,落ち着きを最も必要とする演壇上や野外宣教のさいに,自信をもって話すのに大いに寄与するものです。穏やかに話すと,聴衆は楽な気持ちで話を聞けるので,資料に注意を集中することができます。集会でいつもよく注解を述べるのは,一群の人々の前で話をするのに慣れる助けとなります。

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      15. きちんとした身なりをするのは,なぜそれほどたいせつですか。

      15 きちんとした身なりをするのは,落ち着きを得る助けとなるばかりでなく,他の理由から考えてもたいせつなことです。奉仕者が身なりに十分の注意を払わないと,聴衆はその身なりに気をとられて,奉仕者の述べることにほんとうに注意を払おうとはしないかもしれません。むしろ,奉仕者は聴衆の注意を自分自身にひいていることになるでしょう。むろん,当人はそのことを望んではいないのです。身なりに関して極端に不注意な人がいるとすれば,そのような人は自分の属する組織を他の人々に見下げさせ,自分の述べる音信を退けさせる事態をさえ招きかねません。そのようなことがあってはなりません。ですから,「身なり」という項目が「話の助言」の用紙の最後に載せられているからといって,これを重要性の最も乏しい事がらとみなすべきではありません。

      16-21. 適当な服装と身だしなみに関しては,どんな助言が与えられていますか。

      16 適当な服装と身だしなみ。極端な服装は避けるべきです。クリスチャンの奉仕者は,自分自身に注意をひこうとする,世の流行には従いません。また,はでに着飾ったり,けばけばしい装いをして服装に注意をひいたりすることは避けます。同時に,だらしのない服装をしないように注意します。りっぱな身なりをするといっても,新しい背広を着る必要があるというのではありません。しかし,いつもきちんとした清潔なものを着ることができます。ズボンにはアイロンをかけ,ネクタイはまっすぐにしめるべきです。これはだれにでもできることです。

      17 服装に関して使徒パウロがテモテ前書 2章9節にしるした助言は,今日のクリスチャンの女性にとっても適切です。兄弟たちについて言えると同様,クリスチャンの女性も,自分自身に注意をひくような仕方で身を装うべきではありませんし,慎みの欠如をあらわにする,この世的な極端な服装を好むのも適切なことではありません。

      18 もちろん,すべての人が同じ服装をするわけではないことを念頭におくべきです。また,そうすることを期待すべきではありません。人の好みはそれぞれ異なりますし,それはそれで全く当然なことです。適当な服装とみなされるものも世界のそれぞれの場所によって異なります。しかし,好ましくない事がらを聴衆に連想させるような服装や,集会に来る人をつまずかせるようなことは常に避けるのが賢明です。

      19 この学校や奉仕会で話をする兄弟たちの適当な服装については,公開講演をする兄弟とだいたい同様な服装をしてしかるべきでしょう。あなたの住んでいる地方では,公開講演をする人が背広とネクタイを着用するのがならわしであれば,それはまた,神権宣教学校での話をするさいの適当な服装ということができます。というのは,あなたは公の話の仕方の訓練を受けているのだからです。

      20 また,適当な身だしなみにも注意を払うべきです。くしをあててない髪はいやな印象を与えるものです。この点でも身なりをきちんとするよう適当な注意を払うべきです。同様に,会衆内の男子が集会で割り当てを担当するさい,きちんとひげをそっておくよう注意すべきです。

      21 適当な服装と身だしなみの問題で助言をすることについては,ほめるべき点があれば,いつでも演壇からほめてさしつかえありません。事実,服装や身だしなみに適当な注意を払った人をほめるなら,そうした良い模範に従うよう他の人を励ませます。しかし,服装と身だしなみの点で改善を必要とする場合,学校の監督は演壇から研究生に助言を与えるよりも,個人的に親切な仕方で提案を与えるほうが良いでしょう。

      22-28. 姿勢が話し手の身なりにどのように影響するかを論じなさい。

      22 正しい姿勢。正しい姿勢も身なりの中に含まれます。ここでも,すべての人が同じ姿勢をするわけではありませんから,兄弟たちをある決まった型に合わせようとすべきではありません。しかしながら,聴衆の注意を音信よりも話し手個人にひくような,極端で望ましくないところがあるならば,それを直したり除去したりするため,なんらかの注意をすべきです。

      23 たとえば,足の置き方にしても,人によって多少の違いはありますが,一般的にいって,まっすぐに立つかぎり,どのように立つかはほとんど問題になりません。しかし,話し手は馬にまたがっているのではないかとさえ思えるような印象を聴衆に与えるほど両足を開いて立つならば,それは聴衆にとってたいへん目ざわりです。

      24 同様に,話し手がまっすぐに立たないで,前かがみに立っていると,聴衆は話し手のことを気の毒に思うような気持ちにさせられます。なぜなら,話し手は元気がなさそうに見えるからです。そしてもちろん,これは話の価値を減ずるものとなります。聴衆は,話される事がらではなく,話し手のことを考えるのです。

      25 片足で立って,他方の足をうしろにからませるのは,落ち着きのないことをあらわに示すものです。手をポケットに突っ込んで立つのも同様です。そうしたかっこうは避けるべきです。

      26 同様に,演台がある場合,時おり手をその上に置くのは悪いことではありませんが,演台にもたれたかっこうで話すべきではありません。それは野外宣教のさい,伝道者がドアによりかかって話をしないのと同じです。それは良いかっこうではありません。

      27 しかしながら,人はそれぞれ異なるということをもう一度強調しなければなりません。すべての人が同じ仕方で立つわけではないのですから,神権宣教学校では,話の価値を減少させるような望ましくない極端な点にのみ注意を払うべきでしょう。

      28 姿勢を直すというのは,確かに準備に関する事がらです。この点で改善する必要のある人は,事前に考えておき,演壇に立つさい,話しはじめる前に正しい姿勢をすべきことを知っていなければなりません。これも,毎日正しい姿勢をする練習をすれば,直せる事がらです。

      29-31. わたしたちは自分の所持品をきちんとしておくべきです。なぜですか。

      29 きちんとした所持品。戸口で話し合っているさい,あるいは演壇で話しているとき,使っている聖書から紙片が抜け落ちたりするのは確かに目ざわりです。それはていさいの良いことではありません。とはいえ,これは,聖書のあいだに何もはさんではならないという意味ではありません。ただ,話の価値を減少させるような問題が生ずる場合には,きちんとしたていさいを保つべく,もっと注意しなければならないということです。自分の使っている聖書のていさいを吟味するのは良いことです。よく使われているために,よごれたり,すり切れたり,乱雑になっていたりする場合があります。ですから,演壇や野外宣教にさいして使う聖書が,わたしたちが援助したいと願っている人々にいやな気持ちを与えないかどうかを確かめるのは良いことです。

      30 文書を入れる鞄についても同じです。鞄に文書類をきちんと入れる仕方はいろいろありますが,戸口に行って,鞄から出版物を1冊取り出すのに,ごちゃごちゃになった紙片類をかきわけて捜したり,あるいは雑誌を1冊取り出したところ,他の何かが抜け落ちて玄関に散らばったりするのでは,確かになんらかの処置を講ずる必要があります。

      31 また,話し手の上着のポケットに万年筆や鉛筆その他の所持品がはいっていて,それとわかるようにふくれているのも聴衆にとってはかなり目ざわりです。そうしたものをどこに入れるべきかに関する規則などはありませんが,聴衆の注意が話からそうしたものにひかれてゆくようでは,なんらかの処置を講じて事態を改善する必要があります。

      32-34. 身なりの点で,表情はどんな役割を果たしますか。

      32 不適当な表情をしない。話を準備するさい,資料に応じたふさわしい気分について考慮するのは当を得たことといえます。たとえば,死と滅びについて語るさいに,明るい笑顔で話すのは穏当ではありません。同様に,新しい事物の体制下の幸福な状態について語るのに,聴衆をにらみつけて話すのは,およそふさわしいことではありません。

      33 普通,表情はまず問題になりません。もちろん,他の人よりももっと深刻な表情をしがちな人もなかにはいます。しかしながら,警戒しなければならないのは,話の価値を減少させるような極端な表情です。聴衆が話し手の表情を見て,話し手の誠実さに疑いをいだかされるようであれば,そうした表情は確かに望ましいものではありません。

      34 ですから,話を準備するさい,話をするときの気分について考慮しておくのは良いことです。論題が,邪悪な者の滅びを取り上げるような深刻なものであれば,深刻な態度で話すべきです。そして,そうした資料について考え,また,内容を念頭におくならば,たいてい表情はおのずから資料を反映するものとなるでしょう。もし,それが聴衆の喜びを誘うような楽しい論題であれば,楽しそうに話すべきです。そして,演壇で気持ちを楽にしているならば,普通,あなたの表情はそうした喜びを発散させるものとなるでしょう。

  • あなたの進歩を明らかにしてください
    神権宣教学校案内書
    • 研究 38

      あなたの進歩を明らかにしてください

      1,2. わたしたちすべては進歩を遂げるという見地に立って物事を考えるべきです。なぜですか。

      1 この本の教課を注意深く研究し,そのすべてを適用してきたあなたは,今や神権宣教学校を卒業できるでしょうか。いいえ卒業できません。これは奉仕の訓練を施す継続的なプログラムだからです。敬虔な知識を蓄え,かつ,あなたが学ぶ事がらを実践することにかんしては卒業はありません。むしろ,あなたは熱心な研究生として,あなたを知っている人々の目に明らかな進歩を引き続き遂げることができるのです。

      2 使徒パウロは次のように語って,若い同僚の崇拝者テモテを激励しました。『公に読むこと,説き勧めること,教えることに専念しつづけてください。あなたが学んだことを熟考し,これらのことに専念してください。あなたの進歩がすべての人々に明らかになるためです』。(テモテ前 4:13,15)あなたもその同じ神の崇拝者として,自分の進歩を他の人々の目に明らかなものにすることができます。もはや進歩する余地がないという段階に決して達することなく進歩しつづけられるのです。エホバは真の知識のすべての源であられるとともに,その源は,人を元気づける水をいだす,はかり知れない深い井戸にたとえられます。その深さは決して測りつくせませんが,命と人を元気づけるものとを定めのない時まで,その井戸からくみ取ることができます。(ロマ 11:33,34。イザヤ 55:8,9)では,あなたの進歩はどのように傍観者の目に明らかになりますか。

      3,4. 宣教学校および会衆の他の集会で進歩はどのように示されますか。

      3 進歩を明らかに示すもの。あなたの進歩を明示するものの1つは,宣教学校におけるあなたの話です。自分ではたいして進歩を遂げてはいないと感ずるかもしれませんが,他の人々はあなたの進歩をあなた以上に認める場合があるのです。この点では,わたしたちすべては,もっと速く大きくなれないものだろうかともどかしく思う子どもに似ています。しかし,親族が訪問すると,驚いてこう叫びます。「ずいぶん大きくなったね!」 あなたがこの学校で話した一番最初の話を思い起こしてごらんなさい。覚えていますか。それと最近話した話とを比べてごらんなさい。その時以来,多くを学び,貴重な経験を得てきませんでしたか。それでは,前進しつづけてください。

      4 進歩を明らかに示すのは,宣教学校における話だけではありません。それは会衆の集会でも認めることができます。あなたは集会に定期的に出席していますか。そうであれば,それはあなたが進歩しつづけており,また,わたしたちの霊的な福祉のための,エホバの備えを正しく認識していることを示しています。加えて,集会で述べる注解の質は,進歩を証明するものとなります。単に読んで答えるのではなく,自分のことばで注解を述べる人は,進歩を示しています。同様に,研究中の資料の意味および実生活上の価値について注解する人は,識別力を発揮させているのです。したがって,どの程度の進歩が成し遂げられたかを考慮するさい,集会に定期的に出席しているかどうか,また集会で個人的にどれほど良く参加しているかという事がらは注目に値します。

      5. 野外宣教においてそうした進歩を明示する事がらを述べなさい。

      5 それに,あなたが野外宣教で遂げた進歩についてはいかがですか。初めての奉仕で最初の戸口に近づいた時の気持ちを覚えていますか。その時のことと今戸口で話をするさいの自分の能力とを比べてごらんなさい。改善が見られるのではありませんか。しかもなお,効果的に伝道し教えることに関しては,さらに改善する余地があることを,あなたは疑いもなく認めるでしょう。同時に,あなたが携わりうる奉仕のすべての面に,さらに十分にあずかれるのではないでしょうか。使徒パウロは次のように説き勧めました。「あなたがたがどのように歩んで神を喜ばすべきかにかんして,わたしたちから教訓を受けたとおり,事実,あなたがたは歩みつつあるとおり,いっそう十分にそうすることを続け(てください)」。(テサロニケ前 4:1)あなたが進歩しつづけて,エホバへの奉仕にさらに十分あずかるにつれ,あなたはさらに効果的に伝道し教えられるようになるだけでなく,エホバに仕える特権に対するあなたの認識はいっそう深められるでしょう。たとえ,家の人があまり良い態度で応じなくても,エホバの音信を人々に携えるわざにエホバにより用いられていることを,あなたはやはり特権とみなすでしょう。

      6. 会話は人の霊的な成長をどのように反映しますか。

      6 会話も人の進歩を明らかに示します。「心に満ちあふれているものからその口は語る」とイエスは言われました。(ルカ 6:45)人の会話がエホバとその目的にいっそう焦点を合わせたものになるとき,その人が進歩したことは明らかです。それは,その人がエホバに対する認識の点で成長しており,神にいっそう近づいていることを示します。そして,神に近づけば近づくほど,わたしたちはいっそう保護されるのです。

      7. 聖書の原則を適用する面での進歩はどこにはっきりと表われますか。

      7 聖書の諸原則を日常生活に適用することも,進歩を明らかに示すものとなります。今やあなたは,エホバのみことばに親しむようになる前とは違った仕方で物事を行なっている自分にお気づきではありませんか。物事をエホバの道に従って行なうという点に見られる,そうした進歩は,おそらくあなたの活動のあらゆる面に反映します。それはあなたの家の中で,あなたの家庭の他の成員との関係の中ではっきり示されます。それは自分の責任をどのように担うかという点に反映します。世俗の仕事にさいしては,いっそう注意深く聖書の原則を適用するでしょう。このすべてはあなたがある程度の進歩を遂げたことの証拠となるのです。しかしここでもまた,わたしたちすべては,聖書の原則をさらに十分適用するよう努力しつつ,改善を図るために働くことができます。

      8,9. もし,わたしたちが他の伝道者を援助すべく自分自身を役だたせるならば,それは何を意味するものとなりますか。

      8 自分自身を役だたせなさい。進歩を明らかにするもう一つの方法は,エホバへの奉仕に自分自身をよりいっそう役だたせることです。詩篇 110篇3節はこう述べます。「あなたの民は,あなたの軍勢の日にみずからを喜んでささげるであろう」。あなたについてもそういえますか。このことは将来,あなたになおいっそうあてはまるでしょうか。

      9 あなたは他の人に対する純粋の関心を示して,他の人々を助けるべく,みずからを役だたせることにより,そうした喜んでする気持ちを表わせます。会衆内の長老たちは,兄弟あるいは姉妹たちをなんらかの方法で援助することをあなたに依頼するかもしれません。それらの人は集会に出席するのに助けがいるかもしれません。あなたはそうした援助をするのにご自分を役だてていますか。だれかから援助を依頼されるまで待つ必要はないのです。援助を必要としているように思える人に,自発的に援助を申し出てはいかがですか。だれかが病気をしたり,あるいは入院したりしていますか。長老たちからそうした事情について知らされるのを待つまでもなく,自分のほうから率先して,そのような人を訪ねたり,必要ならば,何か他の方法で援助を差し伸べたりすることができます。あなたの家では家族の聖書研究が定期的に行なわれていますか。そうした研究を行なっていない,最近交わりはじめた家族を時々招いて,そのような研究をいっしょにするならば,その家族を助けることができるのではありませんか。あるいは,あなたがひとりで野外宣教に出かける場合には,いっしょに出かけることを提案するならば,出かけられる人がほかにもいるのではありませんか。他の伝道者を誘っていっしょに出かけるよう,前もって計画してはいかがですか。昨今,エホバのしもべたちが非常に忙しいことは事実です。しかし,他の兄弟姉妹たちに喜んで援助を申し出ることは,わたしたちの進歩のほどを示すものなのです。「それでは,時に恵まれているかぎり,ほんとうにすべての者,それも特に,信仰においてわたしたちと関係している者に対して良いことを行なおうではありませんか」― ガラテヤ 6:10。

      10,11. テモテ前書 3章1節にしたがって,兄弟たちはどのように自分自身を役だたせることができますか。

      10 あなたが兄弟であれば,会衆内で率先して事を運ぶ人々に対して神のみことばが明示している資格にかなうよう努力することにより,あなたはみずからを役だたせることができます。テモテ前書 3章1節は,監督の務めを得ようと努力する人々のことをほめています。これは,自分を認めてもらおうとしてでしゃばることでもなければ,他の人々と競うことでもありません。それは,自分が円熟したクリスチャンで,必要とされている立場がなんであれ,そうした立場につく資格を持ち,かつ喜んで仕える「年長の男子」であることを実証すべく努力することなのです。そして,各会衆は,教えること,伝道すること,会衆の責任を果たすことにおいて率先する「年長の男子」や「奉仕の僕」を多数必要としているのです。

      11 物事を喜んでする人は,会衆内で多くの特権を享受できます。それらの人は,奉仕会で実演を行なったり,長老や奉仕の僕の手伝いをしたりするよう依頼されるでしょう。そうした人は,与えられた仕事がなんであれ,喜んで行なう気持ちがあることを明らかにし,それを果たす点で信頼できる者であることを示したからです。そうした人々は物事を喜んでしようという気持ちをいだきかつ進歩を示しているゆえに,必要が生ずる場合,しもべとして推薦できる兄弟とみなされるでしょう。なぜそのような人が任命されるのですか。なぜなら,物事を喜んでする気持ちを表明するとともに,進歩を遂げて,エホバがそのみことばの中に書きしるさせられた資格に今やかなったからです。奉仕の僕として任命されるそれらの人たちは,会衆の事がらを取り扱う点で特別の訓練を受けるため,周期的に設けられる王国宣教学校に招待されます。

      12,13. 喜んで物事を行ない,かつ自分自身を役だたせることのできる多くの人々には,他のどんな特権が開かれていますか。

      12 物事を喜んでする気持ちがあって,事情さえ許すならば,すべての人が享受できる特別な奉仕の特権がほかにもあります。幾十万もの人々がしているように,あなたも周期的に補助開拓者として自分をささげることができますか。おそらくあなたは正規開拓者になって,増大する開拓者の隊伍に加われるでしょう。あなたの個人的な事情,またエホバへの奉仕に対するあなたの見方は,必要であれば喜んで別の場所に移って奉仕することをさえ可能にするものでしょうか。多くの人は特別開拓者になったり,ギレアデ学校に行って宣教者の仕事に携わったり,必要のより大きな場所に移って奉仕したりなどして,このことを行なってきました。中には,世界の各地にあるベテル・ホームでの奉仕に携わっている人もいます。彼らは,喜んでみずからをエホバにささげたゆえに大いに祝福されています。

      13 わたしたちは胸のおどるような時代に住んでいます。「終わりの日」の今日,エホバは,伝道し教える驚くべき仕事を地上で完遂させようとしておられるのです。エホバはご自分の組織を通して,その奉仕のなんらかの面に携わるよう招待を差し伸べておられるのですから,次のように自問してください。「それはエホバがわたしに告げておられることなのだろうか」。あなた自身の事情,自分自身の心を吟味してください。おそらくあなたはすでに,ある程度の進歩を遂げ,また物事を喜んでする気持ちをもある程度表わされたに違いありません。それはりっぱなことです。しかし,より十分に自分自身を役だたせることによって,自分の進歩を明らかに示す他の方法があるのではありませんか。エホバの指示にこたえ応ずる点で成長し,エホバの指導に身をゆだねるにつれ,あなたは豊かに祝福されるでしょう。エホバに喜んで仕える全地のしもべたちはみな,それが真実であることを証言できます。実際,あらゆる祝福のうちの最大の祝福,神の建てられる新しい世でのとこしえの命はわたしたちの進歩にかかっているのです。それゆえにこそ神のみことばは次のように力説しているのです。「これらのことを熟考し,これらのことに専念してください。あなたの進歩がすべての人々に明らかになるためです。自分自身と自分の教えとに絶えざる注意を払ってください。これらの事柄のもとにとどまってください。そうすることによって,あなた自身と,あなたに聴く者とを救うことになるからです」― テモテ前 4:15,16。

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