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なぜ聖書を調べますか?ものみの塔 1956 | 7月15日
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の理解に決して頼らず,神の言葉である聖書に書かれてある事柄を信じ,受け入れ,理解し,そして従つたのです。―使行 24:14。ルカ 3:4。ヨハネ 2:17; 12:14,15。使行 13:29,33,新口。
聖書の正しい知識は,なぜ必要ですか。なぜなら,あなた自身の力に頼つても,又ヱホバの設け給うた御準備以外の方法に頼つても,救と正義を頂くことはできないからです。聖書は,ヱホバの御準備が何であり,又あなたは何を為すべきか,を示しています。
イエスは,『彼に従順であるすべての人に対して,永遠の救の源となり,』とパウロは述べました。しかし,『彼に従順であるすべての人に対して』という言葉に注意して下さい。彼に従順であるためには,彼の教えを知らねばなりません。聖書によつてのみイエスの教えを学ぶことができます。使徒は若いテモテに次の言葉を書送り,聖書以外によつては学べないことを告げました,『幼い時から,聖書に親しみ,それがキリスト・イエスに対する信仰によつて救に至る智恵を,あなたに与え得る書物であることを知つている。』― ヘブル 5:9。テモテ後 3:15,新口。
そのような健全な信仰は,盲目のものでなく,正しい知識にもとづくものです。それは事実,論理,理解そして信頼にもとづいています。それは神の知識,神の目的,贖の理由とその結果にもとづいています。その知識を持つとき,ヱホバ神と御子キリスト,イエスに健全な信仰を働かすことができます。この信仰を打たてる書物,聖書は力のあるものです。聖書は,みなさんの生活を変え,目標を変え,人格を変化せしめることができます。
しかし,聖書がそのように力強いものであるならば,なぜ今日の多くの宗教は霊的に弱いのですか。その理由は,今日の宗教指導者たちは,自分の考えや自分の哲学を好んで語るからです。彼らは自分たちの奉仕の理論に多くの注意を払つても,教えに関する神の指示に注意を払つていません。たとえ,聖句を引用することがあつても,全く間ちがつた引用と説明をします。自分たちの以前からの意見に合わせようとするためであつて,聖書そのものの教えに従わないからです。
しかし,イエスや,使徒たちや,第1世紀のクリスチャンのように,自分の生活や信仰を聖書に一致させる人々がいます。彼らの信仰は強く,彼らの行は賢明であり,そして正しいものにもとづく彼らの知識は,救に導きます。あなたもそのような信仰と知識を得ることができるのです。聖書を調べて,聖書の教えに従うことにより,そのような信仰と知識は得られます。それで聖書とその教の正確な知識を得ることは是非必要です。あなたは,そういたしますか。
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「聴いて学ぶ」のに若過ぎることはないものみの塔 1956 | 7月15日
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「聴いて学ぶ」のに若過ぎることはない
韓国にいる一宣教者から次のような心温まる経験談が伝えられました。この経験談から,どんなに年の若い子供たちでも聴いて学べる,ということが明白に分ります,『2ヵ月前ごろから3人の少年(5,7,9歳位)が集会に出席し始めました。3人はどの集会にも欠かさず出席して,程無い中に自分たちの聖書と「ものみの塔」をも持つようになりました。聖句が引用される毎に,3人は自分たちの聖書を開いて,読んでいました。最初,その3人の子供のことを知つている兄弟は,ひとりもいなかつたようです。私も数回話しかけて見ましたが,何の返事もしないのです。でもやつと,事の真相が分りました。3人の両親は,戦争中に殺されてしまい,それからは3人で自活しているのでした。狭いところに一緒に生活しており一番年上の少年は「母親」です。可愛い子供たちですが,子供らしく見えません。韓国ではそれが普通なのです。戦争のために,多くの子供は幼年時代を持たなかつたからです。先週の木曜日の夜,7歳の少年が,神権宣教学校で初めて話をしました。この少年は,小ざつぱりしていて,全く可愛いく見えました。他の二人の子供は,たいへん,うれしそうでした。少年は,韓国特有の仕方で,弾丸のように早く読みましたが,そのような小さな小供から生命の言葉が出るのを聞いて,私たちは目に涙を宿らしました。集会の後,私は3人の子供とお話しして,ヱホバは御自身の「家族」にみなさんを迎えてきつとおよろこびになつているにちがいありませんと語りました。そのとき,始めて3人の少年は微笑したのです。』
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だがそれは真理ですものみの塔 1956 | 7月15日
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だがそれは真理です
フロリダ州,某学校の2年級の先生は,生徒にクリスマス物語を書くよう命じました。難しい字は,先生にお願いすると先生が黒板に書いてくれました。その黒板には『クリスマス』『靴下』『イエス』などの字がもう書かれていました。8才のリチャードは『祝う』『誕生日』という字を黒板に書いて下さい,と先生に頼みました。先生は,リチャードの作文を読んでから,『リチャード,これは良くありません!』と叫びました。リチャードは何を書きましたか。ヱホバの証者であるお母さんから教えられたことを書いたのです。『サンタ・クロースはいません。クリスマスはイエスの誕生日ではありません。私たちはクリスマスを祝いません。』
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