神の目的とエホバの証者(その31)
「『あなたがたは私の証者です』とエホバは言われる。」― イザヤ 43:10,新世訳
アメリカはファシストの侵入についての警告をうける
ジャッジ,ルサフオードは,カトリック ― ファシスト ― ナチの世界戦争が来ると確信していました。それで,アメリカの国民に別の警告を告げることにしました。彼はニューヨークに戻って後,1938年10月2日,「ファシズムあるいは自由」という時機にかなった強烈な講演をしました。この講演は,後に冊子に載せられ,幾百万部も配布されました。その講演はニューヨーク市の7000人の聴衆の前でなされ,50のラジオ放送局を通して無数の聴取者に伝えられました。
ジャッジ・ルサフォードは,「アメリカの自由を奮お」うとするカトリック・アクションのひとつの証拠として,その講演の中で次の引用文を読みました。それは,ニューヨーク州シラキューズ市のローマ・カトリックの司祭オブライエンが「ラ・ウロラ」の中で発表した手紙の中の言葉です。
この国のあらゆる権利はわれわれに属する。われわれは長らくのあいだ重要な問題について妥協してきた。いまわれわれは実際には自分のものを要求し,かつそれを持つつもりである。……できるなら,平和の中に,その権利を持ちたい。しかし,必要なら,そのために戦って死ぬ。……聖なる母教会の子供たちが,政府の閣僚になって政府機構内に重要な地位を占めることをのぞむ。……いまからは,……われわれの宗規により……新教徒の異端者共はそれにふさわしい仕打ちを受けるだろう。われわれは1940年に対して準備を整えており……全部の……機構は……なくされるか,教職者制度の保護をうけねばならぬ。……a
他の筆者たちも,それと同様な趣旨の言葉を述べていました。それから,協会の会長は数多くの不法行為を詳細に話しました。それは特定な官吏とローマ・カトリック教会の代表者たちの間に生じた衝突を示すものです。
先月の9月11日,私はロンドンで講演をしましたが,その講演は多くの国々に放送されました。アメリカの100以上のラジオ放送局は,「事実を見よ」という講演を放送しました。カトリック・アクションは,人々に事実を聞かせないようにつとめ,たくさんのラジオ放送局に脅迫状を送りました。ある放送局は,恐怖心をいだいて彼らの要求に屈しました……。
シカゴでは……エホバの証者の大会のためにネービイ・ピア講堂が契約されて,万事万端用意がととのいました。ところがムンデリーン枢機卿の代理者は,その契約の解消を要求し,クリスチャン大会を妨害しました。役人は彼らの要求に屈しました。
ニューヨーク,ロチェスターでは,マッファーリン氏は,エホバの証者の大会のためにシティホールを貸してくれました。大会の始まる2日前にカトリックの司祭ジョン・ランダルは,司教の命令に従って行動し,その契約の解消,エホバの証者の閉め出し,平和的な大会の妨害を要求しました。そのため,会場の契約が解消されて,クリスチャンたちは1日だけ会場の使用が禁ぜられました。しかし,請願状を提出するにおよんで,バーヒス判事は裁判所令を出し,会場を開くように命じました。それで,大会を開くことが可能になりました。
カナダのオツタワ市では,コロシウムがクリスチャン大会のために契約されました。10日の後,その管理委員会からエホバの証者にあてて次のような通告がなされました。すなわちコロシウムの使用は,「いかなる教会,宗派あるいは教会や宗派と関係を持つ者に対しても……反対の言葉がすこしも述べられないという条件にもとづいて,許可される」。
アーカンソー州,リトルロック市では,カトリック司祭モリスと彼の団体「ナイツ・オブ・コロンブズ」の圧迫をうけた市会議員たちは,公園で崇拝をささげ,かつロンドン市で行なわれた講演を聞くためのエホバの証者の平和的な大会を禁じました。
コロラド・スプリングス市では,カトリックの牧師と他の政治家たちは申請状に署名し,次のような偽りの言葉を述べました,「ルサフォードはキリスト教とキリスト教の精神に反対している。彼はアメリカの国旗と,国旗の象徴するものに反対している」。彼らはラジオ放送局に影響を及ぼして,その放送契約を解消させると共に,新聞社にも圧力を及ぼして,非難文を掲載させました。
チェーンにはいっていた多くのラジオ放送局は,脅迫されたりおどされたりしました。その結果について,私はラジオ・マネジャーの手紙を引用します。それはものみの塔協会に宛てて書かれたたくさんの手紙の良い一例です,「この地方ではカトリツ信者の力がつよいため,残念ながら放送の中止をご通知しなければなりません」。たくさんのラジオ放送局は,カトリックの牧師たちからおどかされて講演の放送を中止しました。
ニューオルリーンズでは,コロシウム会場は,神を崇拝するためと,ロンドン市での講演を聞くためのクリスチャン大会用に契約されました。カトリック教職制度のおどしの結果,会場の戸は閉ざされ,エホバの証者の文書は拒絶され,そして大会の開催は不可能になりました。別の会場とも契約をむすびましたが,カトリック・アクションは,その会場の契約をも解消させて,エホバの証者に貸させないようにしました。3番目の会場との契約が成立して,講演者が聖書の話をしているとき,マツクナマラという者の指揮する警官隊が聴衆をおどしました。4番目の会場を借りました。ところがカトリックの警官隊は建物内に電話の設置を中止させて,ロンドン市の話を聞こうとするエホバの証者の大会を妨害しました。それで,クリスチャンたちは,平和の大会と崇拝のために市外にあるジョキイ・クラブと契約をむすびました。カトリック教職制度の圧迫をうけた地方警官は,電話線の設置と大会会場の使用を禁じました。それで,最後の手段として,私有の野原を選び,9月11日の日曜日,クリスチャンたちは平和の中に集まって,神を崇拝しロンドン市での講演を聞こうとしました。電気の施設もなされました。ところが,聴衆がこの場所に来る前からマックナマラの指揮する警官隊がその地に来ていました。カトリック教職制度の指令に従うマックナマラは,前に進み出て,聴衆にむかい「うしろへさがれ」と興奮して叫びました。それから,警官隊の方に向き直り,こう命じました,「諸君,講演が始まったなら,それを中止させよ。電気設備をこわしてもかまわぬ。妨害する者がいるなら,射殺せよ」。ロンドン市での講演が始まったとき,マックナマラ自身が電話線を切断し,電気設備をこわしました。彼がそうしている最中,警官隊は射撃の態勢をととのえていました。そのため,クリスチャンたちは平和の大会を再び禁ぜられ,自由の崇拝と言論の自由が禁ぜられました。この高圧的な不法行為の直後に,カトリックの新聞「南部カトリック・アクション」― ウインホーベン,『牧師』が編集した ― は,次の文を掲載しました,「エホバの証者がしつように努力したにもかかわらず,ニューオルリーンズにおける彼らの三日間の大会が失敗に終わったのは実に痛快である。……彼らは市内の大会場との契約をむすぶことがほとんどできなかった。……警察署の署長とジェハソン教区の警部は,ニューオルリーンズに対するこのけいべつを効果的に中止させることをすこしもためらわなかった」。連邦裁判所は,今日そのような不法行為をゆるしません。しかし,ウインホーベンは,そのことを掲載しないのです……b
講演者は次のことを指摘しました。すなわちそのような事実を一般人に知らせて,人々のけいもうをはかろうとすると,「教職制度は大声でわめき立ててこう言う『うそだ!そんなことを言う者の口に栓をつめて,語らせてはならない』」。それから,彼は次のようにたずねました。
人々から金をまきあげる酒密売者共についての真相を公表するのは悪いことでしょうか。否! であります。それでは,偽善的な行いをなし,酒密売者たちのするのと同じことをする宗教制度についての真相を公表するのは悪いことですか。いままでアメリカ人は公の事について自由に発言することができました。アメリカに住む人で個人的な害を加えたいとのぞむ人はいないでしょう。しかし,多数の誠実なアメリカ人は大統領の政策を批判します。そして新聞やラジオ放送局はそのような批判の言葉の公表を禁ぜられていません。教職者制度は,きわめて神聖なものであるためアメリカ合衆国の大統領よりも大きな特権を持つのでしょうか。アメリカ人は略奪者についての真相を語ってはならないなどと命ずる権利はローマにないはずであります。この不法者共が国民の自由を破壊しているときに,正直な人々は口をつぐんで沈黙を守らねばなりませんか。なかんずく,国民は平和の大会,全能の神を崇拝する自由,そして御国と御国に反対する者たちについて語る自由という神より与えられた特権を取られてもよいのでしょうか。c
それでもアメリカにおけるカトリック ― ファシストの反対は終わりませんした。この戦いの最高潮としてもう一つの顕著な事がらを経験することになっていました。この数年間,アメリカ合衆国内では暴力行為が減少しませんでした。
神権制度機構の完全な設立
新しい世の社会の20年は終わりに近づいていました。1918年,エホバは「契約の使」であるイエス・キリストと共に宮に来られました。1年の後に新しい世の社会は誕生しました。この期間中に神権制度はどんな発展をしましたか。
1919年,新しい世の社会の誕生と共に会衆内に神権制度の最初の段階が始まりました。そのときブルックリン本部から「奉仕指導者」が任命されたのです。d これは,「黄金時代」(英文)のわざと関連してなされました。神権的な指導を統一しはじめたことは,エホバの御霊の助けと共に,時たつ中に実をむすび,増加してきた熱心な働き人を援助したので,彼らは1922年から1928年までのエホバのさばきを堂々と宣言することができました。活動を一致させる助けとして,協会の印刷した奉仕の通知書「ブルティン」eが1917年に開拓者たちに最初配布され,1922年には月に一度すべての「クラス奉仕者」にくばられました。それは協会の用意した「カンバス」と呼ばれる証言を収めていました。兄弟たちはその証言をおぼえて野外奉仕に使用するよう励まされていたのです。変化に富む奉仕の指示が与えられたので,伝道の方法についての教育がだんだん進歩しました。
また,この年月中に制度の機構も強化されてきました。1922年以来,ほとんど毎年の報告は,制度のことを述べました。f 1932年には,会衆内の「選出された長老たち」の代りに,「奉仕委員」と呼ばれる円熟した兄弟たちの群れがその地位につきました。彼らは協会の任命した「奉仕指導者」を助けるために,会衆によって選ばれた者たちです。g しかし,1938年になって神権制度を確立するための最終的な変化が生じました。その年,「ものみの塔」(英文)は,「一致した活動」と題する記事をのせ,その後の二つの記事は制度のことを取りあげました。h その表題の聖句は,イザヤ書 60章17節,ロザハム訳でした。
マリア: その新世訳があります。次のようです,「私は銅のかわりに金を,鉄のかわりに銀を,木のかわりに銅を,石のかわりに鉄をもたらす。私はあなた方の監督を平和な者,あなた方に仕える者たちを正義な者にしよう」。
ジョン: この預言は,神の制度に約束された改善を強調しました。1920年代と1930年代の初期,会衆の機構の中の民主主義的なとりきめは,完全な平和と一致をもたらしませんでした。むしろ多くの場合,人格が奉仕の群れの活動に重要な役割を果たしました。
この3部の「ものみの塔」(英文)の中で,初期クリスチャン会衆の行なった制度の運営についてくわしい研究が行なわれました。そして,監督や援助者を任命する力は,統治体の手中にあったと聖書的に証明されました。その統治体は,12人の使徒とエルサレム会衆の他の円熟した兄弟たちにより構成されていたのです。この模範に従うとき,またこのことに関するすべての聖句から考え合わせてみるとき,エホバの証者の現代社会にある会衆の僕たちを任命する力は,「忠実にしてさとい奴隷」級の統治体にあるということが明白になりました。この統治体は,エホバの宮からのキリスト・イエスの指導をうけているのです。
したがって,全世界のいろいろの会衆内にいる兄弟たちは,「ものみの塔」(英文)に記されている決議を考慮するようにと提案されました。その決議は,英国ロンドンの会衆,ニューヨークの会衆,イリノイ州シカゴ会衆,カリフォルニア州ロサンゼルス会衆,そして他の多くの会衆がすでに採決して,協会の本部に提出したものに類似していました。その決議は,次のようです。
現在,― にある,神の御名のためにえらび出された神の民の会であるわれわれは,次のことを認める。すなわち神の政府は純粋な神権政府であり,キリスト・イエスは宮におられて,エホバの目に見えぬ制度だけでなく,目に見える制度をも完全に支配しているということ,および「ものみの塔協会」は地上における主の見える代表者であるということである。したがって,われわれは次のことを要請する。すなわち,われわれ全部が,平和,正義,調和,および完全な一致のうちに働けるように,この会は「ものみの塔協会」によって組織され,かつ協会がいろいろの僕たちを任命することを望む。この会にいる人のうち円熟していてそれぞれの奉仕の地位を占めるにふさわしいと考えられる人の名前の表を同封する。i
建設のプログラムの見込み
このことは,60年間会衆に存在していた民主主義的な権力あるいは教会の監督スタイルのなくなることを意味しました。j たいていの会衆はこの決議をすぐに採決しました。採決しなかった少数の会衆は,そのまぼろしを失い,御国奉仕の特権を失いました。「ものみの塔」(英文)は,現代におけるエホバの証者の中の神権秩序の発展期間について注を述べて,ソロモン王の建築計画に言及しています。それは西暦1918年以後のエホバの民に生じたことに相応していると告げているのです。
「ソロモン二十年を経て二の家すなわちヱホバの家と王の家を建をはり……」。(列王紀上 9:10。歴代志下 8:1)ソロモンのその特定な建築計画が完了したとき,宮,王の宮殿,さばきを行なうためのレパノンの森の家,(また兵器庫,歴代志下 9:15,16)がふくまれた。それらは,宮が建て始められてより20年目に完了した。……この「二十年目」は,1938年の春に終わる。それは1938年の春に終わる(月暦の)1937年に相当する……。
この期間中の神のさばきについての多くの事実,および「ものみの塔」で強調されてきた油注がれた残れる者と「他の羊」の仲間との関係について注解が述べられて後,次のように言われていた。
聖句の示すところによると,前述のソロモンの20年建設計画が終わって後,彼は全国的な建設計画を遂行した。(列王紀上 9:10,17-23。歴代志下 8:1-10)それからシバの女王が「ソロモンの知恵を聞くために地の果から,はるばるきた」。(マタイ 12:42。列王紀上 10:1-10。歴代志下 9:1-9,12)すると,次の質問が生ずる。地上にいるエホバの民の間近かな将来は何か。われわれは全き確信をもってそれを待ちかつ見るであろう。k
かくして,エホバの神権社会の20年の建設計画は終了しました。しかし,大きな世界的な拡大を期待するという心おどらす主題が強調されました。その後,エホバはその王により,エホバの証者の新しい世の社会に神権的な秩序を確立して支配させました。しかしいま振返って考えてみると,絶対的にこう結論できます。すなわちエホバの御手は彼の民の上にあり,彼らのあゆみをみちびき指導していたこと,およびエホバの御手はサタンの影響によるファシズム,ナチズムおよびカトリック・アクションの強力な結合に反対しました。彼らは,自分たちの滅亡を告げるエホバの音信に注意を払わなかっただけでなく,その音信を宣明するエホバの僕たちに猛烈に反対したのです。
現代の20年期間が終わったとき,エホバの制度は世界的に一致し,王イエス・キリストの下に完全に組織されました。また,正義の原則と清い崇拝に従うときに,豊かな祝福が得られるということの神権的な象徴になりました。一方,この世の諸国家は,第二次世界大戦に急速に突進して行きました。サタンの世に属するこれらの諸国家は,ごまかしものの「地上における神の御国の政治的な表現」,国際連盟を通して,平和が来ると確信し,予見していました。しかし,平和は来なかったのです。彼らは,神と各人に対して偽善的な態度を取って,すきを剣に,かまをやりに変えました。来週は,この危険な点からお話ししましょう。
記: この連続記事は,次の4冊の「ものみの塔」誌に掲載されません。1962年2月15日号から再び掲載されます。
[脚注]
a (レ)「ファシズム対自由」(1939年)14頁。1938年6月15日号「コンソレーション」(英文)第19巻,14頁,原文の転載。
b (ソ)「ファシズムあるいは自由」(1939年,英文)18-22頁
c (ツ)(ソ)と同じ,24,25頁。
d (ネ)1936年「奉仕指導者」は「会の僕」になりました。1936年7月,「通知」(英文)1953年,「会衆の僕」1953年5月の「通知」(英文)
e (ナ)1935年10月,その名前は「ディレクター」に変わり,1936年7月,「通知」に変わりました。1956年9月「御国奉仕」に変わりました。
f (ラ)「ものみの塔」(英文)1922年,389頁。「ものみの塔」(英文)1923年,371頁。
g (ム)「ものみの塔」(英文)1932年,266頁。1932年11月「ブルティン」(英文)
h (ウ)「一致した活動」1938年,5月15日号の「ものみの塔」(英文)
i (ヰ)1938年6月15日号の「ものみの塔」(英文)182,183頁。
j (ノ)「聖書研究」(第6巻,273-347頁を見なさい)
k (イ)(イ)「ものみの塔」(1938年,英文)186,187節,29-36節。