ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 民主主義政体と共産主義のまっただ中における神権組織
    ものみの塔 1972 | 2月15日
    • この預言をギリシア語に訳したさい,七十人訳はプレスビュテロスというギリシア語を使っており,これは実際には英語のpresbyterまたはelderつまり長老を意味します。これは,ヨエル書 2章28節で用いられているヘブル語[ザーケン]が,都市の長老などのいわゆる「長老たち」に決まって当てはめられることばだからです。しかしながら,このヘブル語はアブラハムやサラのような単に年取った人の意味にも使えます。(創世 18:11; 25:8)いずれにせよ,ヨエル書 2章28節と使徒行伝 2章17節のこの長老たち,あるいは「年取った人たち」は,「終末の時代」にエホバから霊を注がれる「あらゆるたぐいの肉なるもの」の一部でした。彼らは公式の「長老たち」であったかもしれませんし,あるいはごく普通の「年取った人たち」であったのかもしれません。

      21 (イ)アンテオケからエルサレムの特にだれにあてて「救援」が送られましたか。これは初期の会衆に関して何を示すものですか。(ロ)「プレスビター」(長老)とはなんですか。

      21 それにしても,初期クリスチャン会衆には公式の「年長者たち」あるいは長老つまりプレスビターたちがいたのでしょうか。この点に関して満足な答えを得るために,使徒行伝 11章30節を調べてみましょう。クリスチャンの預言者アガボは,「大ききんが人の住む地全体にまさに臨もうとしていること」を予告し,その飢きんはクラウディウス皇帝の治世に実際に生じ,歴史上の事実となりました。そこで,シリアのアンテオケ市にいたキリストの弟子たちは,ローマ領ユダヤ州にいる困窮したクリスチャン兄弟たちに救援を送ることを決めます。さて,それら物資を寄付した人たちはこの救援(ギリシア語でディアコニア)を特にだれに託しましたか。その記録はこう述べています。「そして彼らはこれを行ない,バルナバとサウロの手によってそれを年長者[長老]たちに急送した」。(使行 11:27-30,新。1971年版の欄外の読み方による。)したがって,「年長者たち」または長老たちがその直接の受領者であり,それら役員は送られてきた物資がユダヤの諸会衆に分配されるよう取り計らいました。ウェブスターの第3新国際辞典はプレスビター(長老)を,「通常,地方の会衆を治める監督として指導の務めを行なう職務を与えられた,初期クリスチャンの教会における役員」と定義しています。わたしたちは聖書によって,これが正しい定義かどうかを確かめることができます。

      統治体 ― だれによって構成されていたか

      22 アンテオケ会衆は割礼の問題をだれに提起しましたか。その代表者たちを迎えたのはだれですか。その後,この事柄について調べるためにだれが集まりましたか。

      22 キリスト教に改宗した非ユダヤ人に割礼を施すかどうかの問題がシリアのアンテオケで激しい論議の的となったとき,その地の会衆は人をだれのもとに送って問題の解決を図りましたか。「この論争に関してエルサレムにいる使徒たちと年長者たちのもとに」人を送ったのです。エルサレムに着いたパウロとバルナバおよびアンテオケからきた他の者たちは,だれに迎えられましたか。「会衆と使徒たちと年長者たち[プレスビターつまり長老たち]とに」迎えられました。この記述において,わたしたちは使徒および「年長者たち」が会衆から区別されていることに気づきます。エルサレム会衆の全員ではなく,「使徒たちと年長者たちとが,この事がらについて調べるために集まった」のです。―使行 15:2,4,6,新。1971年版の欄外の読み方による。

      23 エルサレムで決められた布告を諸会衆に送ることをよしとしたのはだれですか。だれが署名して,その布告を発しましたか。

      23 新たに改宗した異邦人に割礼を施すことを禁ずる決定がなされたのち,記録は次のように述べています。「使徒と年長者たち[プレスビターつまり長老たち],ならびに会衆全体は,その中から選ばれた者たちを,パウロおよびバルナバとともにアンテオケに遣わすことをよしとした。即ち,バルサバと呼ばれるユダとシラスであり,兄弟たちの中で指導的な人たちであった。そして,彼らの手によってこう書いた。『使徒と年長者の兄弟たちから,アンテオケ,シリア,キリキアにいる諸国民[異邦人]からの兄弟たちへ: あいさつをおくります』」― 使行 15:22,23,新。

      24 それら「年長者たち」の何人かを上げなさい。使徒たちおよび年長者たちはどんなものとしての務めを果たしましたか。その会合で司会者を勤めたのはだれですか。

      24 このように,使徒たちおよび彼らと提携していたそれら「年長者たち」(プレスビターつまり長老たち)は,全地にあるすべてのクリスチャン会衆に対し統治体としての務めを果たしたようです。しかし,彼らにはエルサレム会衆の支持がありました。それら「年長者たち」の中には,イエス・キリストの異父兄弟ヤコブ,それにユダ(バルサバ)とシラス(シルワノ)がいました。(コリント後 1:19。テサロニケ前 1:1。テサロニケ後 1:1。ペテロ前 5:12)普通,エルサレムにおける統治体のこの会合では,マリヤのむすこでヤコブという名の年長者(プレスビターつまり長老)が司会者を勤めたものと理解されています。しかし,新しく改宗した異邦人に必要な責務に関する布告とその趣旨を彼が提議したということ自体は,ヤコブが司会者であったことを確実にするものではありません。―使行 15:13-21。

      25 諸都市を歴訪したパウロとシラスは,だれの発した布告を伝えましたか。その布告を決定するさい使徒たちと提携していた人たちについてはどんなことがわかりますか。

      25 使徒行伝 16章4節は使徒パウロと彼の同僚シラス(統治体の成員のひとり)の行動について報じ,こう述べています。「さて,[小アジアの]諸都市をまわって旅行をつづけながら,彼らは,エルサレムにいる使徒および年長者たちによって決められた布告を守るよう,それらの地の人たちにそれを伝えていった」。それら「年長者たち」が使徒たちと提携しており,しかもクリスチャンの統治体の一部を成していたという事実は,彼らが公式の「年長者たち」,プレスビターつまり長老たちであったことを確かなものにします。

      26 エルサレムへの最後の旅行の途上,パウロはミレトでだれを招いて別れの集まりを持ちましたか。使徒行伝 21章17,18節はエルサレム会衆の構造について何を示すものですか。

      26 それから何年か後,使徒パウロはエルサレムに向かって最後の旅行をしていました。彼はミレトという海港に立ち寄って近くにあった小アジア,エペソの会衆と連絡を取ります。そして,別れの話し合いをするため,エペソ会衆に人を遣わしますが,そのさいパウロはエペソ会衆の全員が来るように取り計らいましたか。使徒行伝 20章17節(新)は次のように告げています。「しかしながら,彼はミレトから人をエペソに遣わし,会衆の年長者たち[プレスビターつまり長老たち]を呼んだ」。(1971年版の欄外の読み方による。)したがって,エペソの会衆には公式の「年長者たち」または長老たちがいたことになります。使徒行伝 21章17,18節(新)は,エルサレム会衆にもそうした役員がいたことを思い出させます。医師ルカの記録はこう述べているからです。「わたしたちがエルサレムにはいると,兄弟たちはわたしたちを喜んで迎えてくれた。しかしそのあくる日,パウロはわたしたちとともにヤコブのもとに行った。すると,年長者たちすべてが居合わせていた」。イエス・キリストの異父兄弟ヤコブもそれら「年長者たち」のひとりでした。ガラテヤ書 2章9節(口語)でパウロは,ヤコブのことを霊的な柱としてこう述べています。「柱として重んじられているヤコブとケパ[ペテロ]とヨハネは,交わりの手を差し伸べました」。

      27 テモテ前書 5章17節によれば,二倍の尊敬を受けるにふさわしいとみなされたのはだれですか。なぜですか。だれの祈りは特に有益でしたか。

      27 会衆の「年長者たち」(プレスビターまたは長老たち)が公式の性格を帯びていることを証するものとして,使徒パウロは西暦61年から64年ごろの間に,テモテにあてて次のような指示を書き送りました。「良い指導をしている〔年長者たち〕,特に話すことと教えとのために労している〔人たち〕は,二倍の尊敬を受けるにふさわしい者としなさい」。(テモテ前 5:17,口語〔新〕)つまり,年長者たちは会衆を公式に主宰し,話すことと聖書を教えることに努めたのです。ヤコブ書 5章14節(新)によると,それら「年長者たち」の祈りは特に有益でした。

  • 神権組織内の任命された役員たち
    ものみの塔 1972 | 2月15日
    • 神権組織内の任命された役員たち

      1 会衆のすべての成員が「長老たち」であるかどうかについて,ペテロ前書 5章1-3節はどんな質問を提起しますか。

      西暦62年から64年ころ,メソポタミアのバビロンにいた使徒ペテロは,「年長者たち」について書きしるすことがありました。こう述べています。「そこで,あなたがたのうちの〔年長者たち[プレスビターつまり長老たち]〕に勧めます。わたしも,〔年長者〕のひとりで,キリストの苦難についての証人であり,また,やがて現われようとする栄光にあずかる者です。あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧しなさい。しいられてするのではなく,神に従って自ら進んでなし,恥ずべき利得のためではなく,本心から,それをしなさい。また,ゆだねられた者たちの上に権力をふるうことをしないで,むしろ,群れの模範となるべきです」。(ペテロ前 5:1-3,口語〔新〕)さて,もし「神の羊の群れ」の全員が「長老たち」とみなされるのであれば,『あなたがたのうちの年長者たち』についてペテロが話すことにどんな意味があるでしょうか。さらに,神の羊の群れが「あなたがたにゆだねられている」つまり「年長者たち」にゆだねられていると,どうして言えるのでしょうか。羊の群れが全員「長老たち」であり,したがって,すべての人が牧者ならば,彼らはどのようにして「神の羊の群れを牧」するのですか。

      2 ここでペテロから話しかけられている人たちは公式な「年長者たち」であったに違いありません。なぜですか。西暦33年のペンテコステにさいして,エルサレム会衆は何人の「年長者たち」を持って発足しましたか。

      2 使徒ペテロは自分を「年長者」に属するもの,つまり,自分が語りかけている「年長者たち」のひとりとしています。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする