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    ものみの塔 1972 | 2月15日
    • 17 モーセに対するエホバの指示によれば,イスラエルの諸都市には何が置かれることになっていましたか。イエスの時代でさえそのとおりになりました。このことはどのように示されていますか。

      17 モーセに対するエホバの指示によると,イスラエル人は約束の地にはいったとき,自分たちの都市に「年長者」と呼ばれる人々を置くことになっていました。(申命 19:12; 21:2-20; 22:15-18; 25:7-9)聖書の歴史を調べると,イスラエルの地の都市や町でそのとおりになされたことがわかります。(士師 8:14-16。列王上 21:8-11。エズラ 10:14)イエス・キリストとその使徒の時代においてさえ,この点に変わりはありませんでした。ご自分に降りかかろうとしている非業の死について使徒たちに語りはじめられたとき,イエス・キリストは,『ご自分がエルサレムに行き,年長者,祭司長,律法学者たちから多くの苦しみを受け,かつ殺されねばならないこと』を話しました。(マタイ 16:21新)彼らは単なる高齢の人だったのではなく公式に「年長者たち」としての地位にあったのです。それらの人たちは,イエスが逮捕され,そして審理された際,祭司長や律法学者たちと提携していました。(マタイ 26:47–27:41)これら「年長者たち」は,イエスの墓で番をしていた者たちを祭司長たちといっしょになって買収し,イエスは復活させられたのではなく,弟子たちが彼のなきがらを盗んだと言わせました。―マタイ 28:12。

      18 (イ)イエスの場合と同様,その使徒たちはだれの手にかかって苦しまねばなりませんでしたか。(ロ)それらの人たちはどんな意味で「年長者たち」でしたか。彼らの集まりには何を設けることが必要でしたか。それはどれほどの期間に及ぶものでしたか。

      18 イエス・キリストと同様,その使徒たちも,祭司長たちと提携している「年長者たち」の手にかかって苦しまねばなりませんでした。記録によると,投獄された使徒ペテロおよびヨハネは審理を受け,そして釈放された後,「彼らは自分たちの仲間のもとに行き,祭司長と年長者たちが自分たちに言った事がらすべてを報告した」。(使行 4:5-23)以上の事柄は,祭司長たちと提携していたそれらの者たちが公式に「年長者たち」であることを明らかにするものです。古代イスラエルの都市には「市長」と呼ばれる者はいませんでしたが,その代わりに「年長者たち」の会があり,そうした会にはひとりの司会者,つまり主宰役員がいました。司会者の務めは交代制で,各成員が順番に一定期間その任についたようです。資格を有する者がどのように「年長者」にされたかは明らかにされていません。

      19 (イ)それで,西暦33年のペンテコステ以降の神の新しい神権政治に関してどんな質問が生じますか。(ロ)「長老たち」に関してどんなことが言われていますか。このことからどんな質問が生じますか。

      19 割礼を受けた生来のイスラエルが神権政治国家ではなくなり,エホバがご自分のみ子の弟子たちから成る教会,すなわち会衆の上に神権政治を確立された西暦33年のペンテスコテ以降,この新しい神権組織にはやはり「年長者たち」が公式に立てられたのでしょうか。クリスチャン会衆に関し,「神から油そそがれた者はすべて長老」b であると言われています。そうすると,神に献身し,次いで水のバプテスマを受け,さらに神の霊によって生み出されたがゆえに,霊によって油そそがれた女の人たちもこの中に含まれることになります。しかし,1世紀におけるクリスチャンの神権組織の特徴は実際には何を示していますか。クリスチャン会衆の中では献身してバプテスマを受けた人がだれも公式に「年長者」として任命されないということを示していますか。この点を調べてみましょう。

      20 (イ)ペテロがヨエル書 2章28,29節から引用したことばによれば,どんな種類の人たちがクリスチャン会衆内にいましたか。(ロ)ヨエル書 2章28節に用いられていることばからすれば,それらの人たちは公式の「長老たち」かもしれず,あるいはごく普通の「年取った人たち」だったのかもしれません。それはなぜですか。

      20 西暦33年のペンテコステの日に使徒ペテロがヨエル書 2章28,29節を引用したことから,クリスチャン会衆内に「夢をみる」であろう「年取った人たち」が置かれるようになっていたことがわかります。しかし,この預言をギリシア語に訳したさい,七十人訳はプレスビュテロスというギリシア語を使っており,これは実際には英語のpresbyterまたはelderつまり長老を意味します。これは,ヨエル書 2章28節で用いられているヘブル語[ザーケン]が,都市の長老などのいわゆる「長老たち」に決まって当てはめられることばだからです。しかしながら,このヘブル語はアブラハムやサラのような単に年取った人の意味にも使えます。(創世 18:11; 25:8)いずれにせよ,ヨエル書 2章28節と使徒行伝 2章17節のこの長老たち,あるいは「年取った人たち」は,「終末の時代」にエホバから霊を注がれる「あらゆるたぐいの肉なるもの」の一部でした。彼らは公式の「長老たち」であったかもしれませんし,あるいはごく普通の「年取った人たち」であったのかもしれません。

      21 (イ)アンテオケからエルサレムの特にだれにあてて「救援」が送られましたか。これは初期の会衆に関して何を示すものですか。(ロ)「プレスビター」(長老)とはなんですか。

      21 それにしても,初期クリスチャン会衆には公式の「年長者たち」あるいは長老つまりプレスビターたちがいたのでしょうか。この点に関して満足な答えを得るために,使徒行伝 11章30節を調べてみましょう。クリスチャンの預言者アガボは,「大ききんが人の住む地全体にまさに臨もうとしていること」を予告し,その飢きんはクラウディウス皇帝の治世に実際に生じ,歴史上の事実となりました。そこで,シリアのアンテオケ市にいたキリストの弟子たちは,ローマ領ユダヤ州にいる困窮したクリスチャン兄弟たちに救援を送ることを決めます。さて,それら物資を寄付した人たちはこの救援(ギリシア語でディアコニア)を特にだれに託しましたか。その記録はこう述べています。「そして彼らはこれを行ない,バルナバとサウロの手によってそれを年長者[長老]たちに急送した」。(使行 11:27-30,新。1971年版の欄外の読み方による。)したがって,「年長者たち」または長老たちがその直接の受領者であり,それら役員は送られてきた物資がユダヤの諸会衆に分配されるよう取り計らいました。ウェブスターの第3新国際辞典はプレスビター(長老)を,「通常,地方の会衆を治める監督として指導の務めを行なう職務を与えられた,初期クリスチャンの教会における役員」と定義しています。わたしたちは聖書によって,これが正しい定義かどうかを確かめることができます。

      統治体 ― だれによって構成されていたか

      22 アンテオケ会衆は割礼の問題をだれに提起しましたか。その代表者たちを迎えたのはだれですか。その後,この事柄について調べるためにだれが集まりましたか。

      22 キリスト教に改宗した非ユダヤ人に割礼を施すかどうかの問題がシリアのアンテオケで激しい論議の的となったとき,その地の会衆は人をだれのもとに送って問題の解決を図りましたか。「この論争に関してエルサレムにいる使徒たちと年長者たちのもとに」人を送ったのです。エルサレムに着いたパウロとバルナバおよびアンテオケからきた他の者たちは,だれに迎えられましたか。「会衆と使徒たちと年長者たち[プレスビターつまり長老たち]とに」迎えられました。この記述において,わたしたちは使徒および「年長者たち」が会衆から区別されていることに気づきます。エルサレム会衆の全員ではなく,「使徒たちと年長者たちとが,この事がらについて調べるために集まった」のです。―使行 15:2,4,6,新。1971年版の欄外の読み方による。

      23 エルサレムで決められた布告を諸会衆に送ることをよしとしたのはだれですか。だれが署名して,その布告を発しましたか。

      23 新たに改宗した異邦人に割礼を施すことを禁ずる決定がなされたのち,記録は次のように述べています。「使徒と年長者たち[プレスビターつまり長老たち],ならびに会衆全体は,その中から選ばれた者たちを,パウロおよびバルナバとともにアンテオケに遣わすことをよしとした。即ち,バルサバと呼ばれるユダとシラスであり,兄弟たちの中で指導的な人たちであった。そして,彼らの手によってこう書いた。『使徒と年長者の兄弟たちから,アンテオケ,シリア,キリキアにいる諸国民[異邦人]からの兄弟たちへ: あいさつをおくります』」― 使行 15:22,23,新。

      24 それら「年長者たち」の何人かを上げなさい。使徒たちおよび年長者たちはどんなものとしての務めを果たしましたか。その会合で司会者を勤めたのはだれですか。

      24 このように,使徒たちおよび彼らと提携していたそれら「年長者たち」(プレスビターつまり長老たち)は,全地にあるすべてのクリスチャン会衆に対し統治体としての務めを果たしたようです。しかし,彼らにはエルサレム会衆の支持がありました。それら「年長者たち」の中には,イエス・キリストの異父兄弟ヤコブ,それにユダ(バルサバ)とシラス(シルワノ)がいました。(コリント後 1:19。テサロニケ前 1:1。テサロニケ後 1:1。ペテロ前 5:12)普通,エルサレムにおける統治体のこの会合では,マリヤのむすこでヤコブという名の年長者(プレスビターつまり長老)が司会者を勤めたものと理解されています。しかし,新しく改宗した異邦人に必要な責務に関する布告とその趣旨を彼が提議したということ自体は,ヤコブが司会者であったことを確実にするものではありません。―使行 15:13-21。

      25 諸都市を歴訪したパウロとシラスは,だれの発した布告を伝えましたか。その布告を決定するさい使徒たちと提携していた人たちについてはどんなことがわかりますか。

      25 使徒行伝 16章4節は使徒パウロと彼の同僚シラス(統治体の成員のひとり)の行動について報じ,こう述べています。「さて,[小アジアの]諸都市をまわって旅行をつづけながら,彼らは,エルサレムにいる使徒および年長者たちによって決められた布告を守るよう,それらの地の人たちにそれを伝えていった」。それら「年長者たち」が使徒たちと提携しており,しかもクリスチャンの統治体の一部を成していたという事実は,彼らが公式の「年長者たち」,プレスビターつまり長老たちであったことを確かなものにします。

      26 エルサレムへの最後の旅行の途上,パウロはミレトでだれを招いて別れの集まりを持ちましたか。使徒行伝 21章17,18節はエルサレム会衆の構造について何を示すものですか。

      26 それから何年か後,使徒パウロはエルサレムに向かって最後の旅行をしていました。彼はミレトという海港に立ち寄って近くにあった小アジア,エペソの会衆と連絡を取ります。そして,別れの話し合いをするため,エペソ会衆に人を遣わしますが,そのさいパウロはエペソ会衆の全員が来るように取り計らいましたか。使徒行伝 20章17節(新)は次のように告げています。「しかしながら,彼はミレトから人をエペソに遣わし,会衆の年長者たち[プレスビターつまり長老たち]を呼んだ」。(1971年版の欄外の読み方による。)したがって,エペソの会衆には公式の「年長者たち」または長老たちがいたことになります。使徒行伝 21章17,18節(新)は,エルサレム会衆にもそうした役員がいたことを思い出させます。医師ルカの記録はこう述べているからです。「わたしたちがエルサレムにはいると,兄弟たちはわたしたちを喜んで迎えてくれた。しかしそのあくる日,パウロはわたしたちとともにヤコブのもとに行った。すると,年長者たちすべてが居合わせていた」。イエス・キリストの異父兄弟ヤコブもそれら「年長者たち」のひとりでした。ガラテヤ書 2章9節(口語)でパウロは,ヤコブのことを霊的な柱としてこう述べています。「柱として重んじられているヤコブとケパ[ペテロ]とヨハネは,交わりの手を差し伸べました」。

      27 テモテ前書 5章17節によれば,二倍の尊敬を受けるにふさわしいとみなされたのはだれですか。なぜですか。だれの祈りは特に有益でしたか。

      27 会衆の「年長者たち」(プレスビターまたは長老たち)が公式の性格を帯びていることを証するものとして,使徒パウロは西暦61年から64年ごろの間に,テモテにあてて次のような指示を書き送りました。「良い指導をしている〔年長者たち〕,特に話すことと教えとのために労している〔人たち〕は,二倍の尊敬を受けるにふさわしい者としなさい」。(テモテ前 5:17,口語〔新〕)つまり,年長者たちは会衆を公式に主宰し,話すことと聖書を教えることに努めたのです。ヤコブ書 5章14節(新)によると,それら「年長者たち」の祈りは特に有益でした。

  • 神権組織内の任命された役員たち
    ものみの塔 1972 | 2月15日
    • 神権組織内の任命された役員たち

      1 会衆のすべての成員が「長老たち」であるかどうかについて,ペテロ前書 5章1-3節はどんな質問を提起しますか。

      西暦62年から64年ころ,メソポタミアのバビロンにいた使徒ペテロは,「年長者たち」について書きしるすことがありました。こう述べています。「そこで,あなたがたのうちの〔年長者たち[プレスビターつまり長老たち]〕に勧めます。わたしも,〔年長者〕のひとりで,キリストの苦難についての証人であり,また,やがて現われようとする栄光にあずかる者です。あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧しなさい。しいられてするのではなく,神に従って自ら進んでなし,恥ずべき利得のためではなく,本心から,それをしなさい。また,ゆだねられた者たちの上に権力をふるうことをしないで,むしろ,群れの模範となるべきです」。(ペテロ前 5:1-3,口語〔新〕)さて,もし「神の羊の群れ」の全員が「長老たち」とみなされるのであれば,『あなたがたのうちの年長者たち』についてペテロが話すことにどんな意味があるでしょうか。さらに,神の羊の群れが「あなたがたにゆだねられている」つまり「年長者たち」にゆだねられていると,どうして言えるのでしょうか。羊の群れが全員「長老たち」であり,したがって,すべての人が牧者ならば,彼らはどのようにして「神の羊の群れを牧」するのですか。

      2 ここでペテロから話しかけられている人たちは公式な「年長者たち」であったに違いありません。なぜですか。西暦33年のペンテコステにさいして,エルサレム会衆は何人の「年長者たち」を持って発足しましたか。

      2 使徒ペテロは自分を「年長者」に属するもの,つまり,自分が語りかけている「年長者たち」のひとりとしています。したがって,ペテロが公式な意味での「年長者」だったのであれば,彼の語りかけている人たちもやはり公式の「年長者たち」であったということになります。イエス・キリストの使徒であるならば,その者は当然公式の「年長者」であるべきです。ゆえに,西暦33年のペンテコステの日にクリスチャン会衆が発足した際,そこには12人の公式の「年長者たち」,すなわちイエス・キリストの12使徒がいました。(使行 1:13–2:37)それら使徒たちはすべて,ペテロと同様おのおの「キリストの苦難の証人」でした。なぜなら,イエスのバプテスマの時から昇天に至るまで,彼らは交わりをともにしたからです。(使行 1:21,22。ペテロ前 5:1)それら使徒たちは公式の「年長者たち」として西暦33年のペンテコステ以降,「話すことと教えることに労し」ました。―テモテ前 5:17,新。使行 2:37-42; 4:33。ヨハネ第二 1とヨハネ第三 1とを比較してください。

      どのようにして「年長者たち」とされたか

      3 (イ)12人の使徒はどのようにして「年長者」とされましたか。(ロ)使徒行伝 14章によれば,当時,他の諸会衆のためにも「年長者たち」が立てられましたが,何に関連してそのことがわかりますか。

      3 イエス・キリストの使徒たちの中で忠実だった11人の者たちは,使徒になる前からイエスの弟子であり,中にはイエスによって任命される前に1年以上も弟子であった者がいました。(ヨハネ 1:35–2:2。マタイ 4:12-22; 10:1-4。ルカ 6:12-16)したがって,彼らはイエスによって任命されて「年長者たち」(プレスビターつまり長老たち)とされたのです。後日,イエスの昇天後,くじによってマッテヤという人が12番目の使徒に選ばれました。ですから,この任命は人間の手によるものではありませんでした。(使行 1:15-26)エルサレム会衆のそれ以後の「年長者たち」,さらに,西暦33年のペンテコステ以後に設立された他の会衆の「年長者たち」は,どのようにしてその職につけられたのですか。それは使徒行伝 14章に示されています。バルナバと第1回の宣教旅行に出かけた使徒パウロは,遠くデルベ,イコニオム,ルステラ,ピシデヤのアンテオケ,小アジアにおもむき,それらの地で諸会衆を設立しました。そしてその帰路,ふたりはそれら新しい会衆を訪問しました。

      4 パウロとバルナバの訪問を再び受けた諸会衆に,どのように「年長者たち」が立てられましたか。この方法はどうして神権的であったといえますか。

      4 新しく設立されたそれら諸会衆には,どのようにして「年長者たち」が置かれたのですか。使徒行伝 14章22,23節(新)は次のように告げています。パウロとバルナバは,「弟子たちの魂を強め,信仰のうちにとどまるよう彼らを励まして言った,『わたしたちは数多くのかん難を経て神の王国にはいらねばなりません』。なおまたふたりは,彼らのために[各]会衆に年長者たちを任命し,断食をして祈りをささげ,彼らをその信じたところのエホバに委ねた」。このことから明らかなように,諸会衆は成員間の人気投票あるいは選挙によって,独自に「年長者たち」を立てたのではありません。つまり,「年長者たち」のこの任命方法を「民主的」と呼ぶわけにはいきません。パウロはイエス・キリストにより使徒として選ばれたのであり,彼とバルナバは神の聖霊のさしずによって,アンテオケからの宣教旅行に派遣されていたのです。したがって,彼らが諸会衆に「年長者たち」を任命したのは神権的なことでした。―使行 13:1-4。

      5 クレテの諸会衆に関して何をするようパウロはテトスに書き送りましたか。テトスはどんな資格に注目しなければなりませんでしたか。

      5 それから何年か後,つまり西暦61年から64年の間に ― それはパウロがローマにおける最初の投獄から釈放された時期に当たりますが,当時クレテ島にいた自分の仲間の働き人テトスにあてて,パウロはこう書き送りました。「あなたをクレテにおいてきたのは,わたしたちがあなたに命じておいたように,〔欠けている事柄を正〕してもらい,〔都市ごとに年長者たち〕を立ててもらうためにほかなりません」。(テトス 1:5,口語〔新〕)次いでパウロは,「年長者」たちとして任命されるのに必要な資格を述べ,次のように付け加えました。「長老は,責められる点がなく,ひとりの妻の夫であって,その子たちも〔放蕩〕のうわさをたてられず,〔気ままで〕ない信者でなくてはならない。監督たる者は,神に仕える者として,責められる点がなく,わがままでなく,軽々しく怒らず,酒を好まず,乱暴でなく,利をむさぼらず,かえって,旅人をもてなし,善を愛し,〔健全な思いを持ち,義にかない,忠節で〕,自制する者であり,教にかなった信頼すべき言葉を守る人でなければならない。それは,彼が健全な教によって人をさとし,また,反対者の誤りを指摘することができるためである」― テトス 1:6-9,口〔新〕。

      6 ここでパウロは「年長者たち」また「監督たち」という語をどのように用いていますか。そのことはどのように示されていますか。

      6 初めに,「年長者」に任命されるのに必要な資格を論じ,それから,「監督は責められる点がなく」といった意味のことを続けて述べたパウロは,「年長者」が同時に「監督」(ギリシア語で,エピスコポス)でもあることを示しています。ですからテトスは,「年長者たち」を任命していたと同時に会衆に監督たちを任命していたのです。ゆえに,ここでパウロは,「年長者たち」ということばと「監督たち」ということばを同義語,つまり,同じ考えを表わすことば,入れ替えることのできることばとして用いています。ですから,監督は「年長者」でなければならず,「年長者」は監督の務めを遂行しなければなりません。パウロはミレトでこの点を明らかにしました。

      7 ミレトでパウロはだれを呼び寄せるために人をつかわしましたか。パウロは彼らに何を行なうよう命じましたか。

      7 こう書かれています。「彼はミレトから人をエペソに遣わし,会衆の年長者たちを呼んだ。彼らが自分のところに着いた時,彼らに言った,『……あなたがた自身と群れのすべてに注意を払いなさい。聖霊は,神がご自身の御子の血をもって買い取られた,神の会衆を牧するために,その群れの中にあなたがたを監督[ギリシア語でエピスコポイ〕として任命したのです』」― 使行 20:17-28,新。

      8 パウロのもとに訪れた人たちはどのようにしてすでに「年長者」とされていましたか。彼らにはどんな奉仕を行なう責務がありましたか。彼らは第1にだれに対して責任を負っていましたか。

      8 以上のことばから,それら「年長者たち」が職につけられたのは,民主的な選挙とか投票とかによるのではなく,見える統治体を通してすべての会衆に働きかける神の聖霊の任命によるものであることがわかります。このようにして「年長者」(プレスビターつまり長老)として任命された者たちは,同時に監督として任命され,そうした監督としての義務ゆえに彼らは,羊の群れ,つまり神の会衆の牧者として行動する責務を課されました。彼らは第1に,統治体に対してではなく,偉大な監督者であられるエホバ神に対して責任を負っていました。(ペテロ前 2:25。イザヤ 53:6)エペソの「年長者たち」に語ったパウロのことばは,「あなたがたのうちの年長者たちに神の羊の群れを牧するように」と告げたペテロのことばと一致しています。―ペテロ前 5:1,2,新。

      監督たちと奉仕のしもべたち

      9 (イ)不忠実なユダのゆえに生じた空席を埋めることに関連して,使徒たちはそれぞれ「監督」であったことがどのように示されていますか。(ロ)西暦33年のペンテコステのさいエルサレム会衆は何人の「監督たち」をもって発足しましたか。

      9 使徒ペテロおよび他の11人の使徒は単に「年長者たち」であったばかりでなく,さらに「監督たち」でもありました。この点は,ペテロが不忠実な使徒ユダのために生じた空席を埋めるようエルサレム会衆に勧めたとき明らかになります。この措置を要求するに当たって,ペテロは詩篇 109篇8節を引用して,こう言いました。「詩篇の書に……『彼の監督の職はだれかほかの者に取らせてください』と書かれているからです」。(使行 1:20,新)「監督の職」を表わすヘブル語は,ギリシア語七十人訳の中で監督(ギリシア語でエピスコポス)の職をさすエピスコペということばに訳されています。そうであれば必然的に,使徒の職は監督の職であり,使徒たちはイエスによって任命された監督たちであったということになります。その理由で,西暦33年のペンテコステの日に約120人の成員からなるエルサレムの会衆は12人の監督をもって発足したわけです。(使行 1:15–2:43)それ以後,増大する会衆の世話を助ける「年長者たち」が任命されるにつれ,その会衆で奉仕する監督は12人以上になりました。

      10 (イ)パウロがミレトから人をエペソにつかわした当時,エペソ会衆を監督するわざはどのようにして果たされていましたか。(ロ)ピリピ書 1章1節によれば,ピリピの会衆はどのような奉仕を受けていましたか。

      10 そのペンテコステから約23年後,エルサレムに向かう途中,パウロはミレトに立ち寄りましたが,その近くにあったエペソの会衆には数人の監督がいました。なぜなら,パウロが自分に会いに来るようにと呼び寄せた「年長者たち」はすべて監督だったからです。(使行 20:17-28)それから四,五年後,マケドニアのピリピの会衆には数人の監督に加えて,監督たちの補佐の役を勧める数人の奉仕のしもべたちがいました。同市の会衆にローマから手紙を送ったパウロが,次のように書き出したのはそのためです。「キリスト・イエスのしもべたち,パウロとテモテから,ピリピにいるキリスト・イエスにあるすべての〔聖なる者〕たち,ならびに監督たち[エピスコポイ]と〔奉仕のしもべたち〕[ディアコノイ]へ」― ピリピ 1:1,口語〔新〕。

      11 ピリピ会衆の事情から判断すれば,後代の「司教」の制度とは対照的に,十分の人的資源を持つ他のすべての会衆には,監督やしもべを勤める人々がどのように置かれていたことがわかりますか。

      11 このことから,ピリピ会衆には監督および奉仕のしもべ〔ディアコノス〕がそれぞれひとり以上いたことはまちがいありません。会衆の必要な事柄を世話する監督たちや奉仕のしもべたちとなる資格のある十分の人々を有する1世紀当時の他のクリスチャン会衆すべてについても当然同じことが言えます。一つの会衆にひとりの監督を,あるいは一定区域内のいくつかの会衆のためにひとりの監督を立てることは,12使徒の死後の後代に生じるようになった事態です。a

      「年長者たちの一団」

      12 テモテ前書 4章14節によれば,会衆の「年長者たち」のグループは何を構成していましたか。地位の点では彼らは互いにどう対比されましたか。

      12 会衆の監督たちから成るこのグループが,たとえばテモテ前書 4章14節で使徒パウロの述べている「年長者たちの一団」あるいは「長老会(presbytery)」(欽定訳,アメリカ標準訳)または「組織体としての長老たち(elders as a body)」(新英語聖書)を構成したのです。(「年長者たちの集まり」に関して,ルカ 22:66,使行 22:5を比較してください。)そうした「年長者たちの一団[あるいは,集まり]」をなす各成員はすべて平等であり,その公式の地位は同じでした。彼らのうちのだれかが会衆内で最も重要で顕著な,かつ最も有力な成員である,ということは決してありませんでした。各成員は会衆全体を監督し,牧する責任の一端をそれぞれ喜んで引き受けたのです。

      13 テモテ前書 3章1節によれば,そうした望みを持つ人は,何になることを,また何を行なうことを志望していましたか。

      13 それでは,テモテ前書 3章1節(口語〔新〕)で使徒パウロの述べたことは何を意味していたのでしょうか。彼はテモテにこう述べました。「もし人が監督の職[ギリシア語でエピスコペ]を望むなら,それは〔りっぱな〕仕事を願うことです」。パウロの語っているのは,そうした望みをいだくクリスチャンは,一定数の会衆を含む一区域(管轄区)を統治する,キリスト教世界の「司教」のように,会衆内でその唯一の監督として重要さ,責任,顕著さ,権力の面で最たる者になることを願っている,という意味ではありません。(テモテ前 3:1,欽定訳,アメリカ標準訳,改訂標準訳,ドーウェー訳,新アメリカ聖書)そうではなくて,そうした望みをいだく人は,会衆内の他の監督たちとともに,会衆の霊的な状態を見守り,会衆を霊的に養い,エホバの崇拝の面で会衆を導くといった務めにあずかることを願っているにすぎないのです。その人は,使徒パウロがそのあとの節,つまりテモテ前書 3章2-7節で述べている,監督の職につくための資格にかなうよう努めます。それはテトス書 1章6-9節に述べられている資格と一致します。そうした資格は,当人が『りっぱな仕事を願っている』ことを証明するものです。

      14 (イ)「年長者たちの一団」の会合の秩序を維持するために何が必要でしたか。この必要はどのように満たされましたか。(ロ)この「年長者たちの一団」の成員の職はどれほどの期間続きましたか。それはなぜですか。

      14 もちろん,会衆のそうした長老会または「年長者たちの一団[集まり]」の中には,自分たちの会合を秩序正しく進行させるために,ひとりの司会者が必要でした。成員の中からどのようにして司会者が任命されたかは,聖書の中で明らかにされていません。司会者の職は永続的なものではなく,一定期間にわたる暫定的なものであったようであり,「長老の一団」をなす同等の成員が全員交替でその職に当たったと考えられます。長老のひとりが司会者としての自分の任期を終え,その職務を次の順番の人に譲る時が来ても,その人が依然として「年長者」あるいは「監督」であることに変わりはありませんでした。依然,「年長者たちの一団」の成員としてとどまったのです。その成員たちは会衆の間での民主主義的性格を帯びた通常の選挙によってその職につけられたわけではないので,統治体による神権的な任命は,当人がその職に忠実であることを実証するかぎり,不特定の期間続きました。

      15 (イ)諸会衆には補佐の監督たち,あるいは補佐の長老たちというような者はいませんでした。なぜですか。(ロ)ディアコノスというギリシア語は基本的には何を意味しますか。それはどれほど広範に適用されますか。

      15 補佐の監督や補佐の長老などという者はいませんでした。任命された者は監督かそうでないかのどちらかだったのです。会衆の事柄の中で,霊的な性格を特に持たない物事を世話して監督たちを助ける人たちは,「奉仕のしもべたち」(ギリシア語で,ディアコノイ)として任命されました。それら「奉仕のしもべたち」の資格については,テモテ前書 3章8-10,12,13節で使徒パウロが明らかにしています。「執事」を意味する英語の「ディーコン」(deacon)という名称は,ギリシア語のディアコノスという名称を英語化した,あるいは字訳した形にすぎず,ディアコノスは通常,しもべの意味での「奉仕者」をさします。このように,「奉仕者」(ディアコノス)ということばの意味は非常に広くて,概括的なものです。したがって,使徒パウロが自分たちのことを「新しい契約の奉仕者たち」,あるいは「神の奉仕者たち」,または「キリストの奉仕者たち」と述べているのは,彼とその仲間の働き人が,「年長者たち」または「監督たち」を助ける会衆の「奉仕のしもべたち」であったという意味ではありません。(コリント後 3:6; 6:4; 11:23,新)しかしながら,そうした補佐の役員たちは,神とキリストおよび神のみことばのために仕える点でのより広範な責任を負う者として「奉仕者」であるといえました。―使行 6:4。

      16 1世紀のクリスチャンはどんな公のわざを行なわねばなりませんでしたか。彼らは長老たち,監督たち,また奉仕のしもべたちとともにそのわざをどの程度まで成し遂げましたか。

      16 今この場で,西暦1世紀の使徒時代におけるクリスチャン会衆の組織についてこれ以上考えることはできません。当時のクリスチャン会衆がなすべきことは数多くありましたが,とりわけ,大規模な公のわざを行なわねばなりませんでした。それはなんでしたか。イエスの次の命令を遂行することでした。「王国のこの良いたよりは,すべての国の民に対する証として人の住む全地で宣伝されるでしょう」。さらに,「行って,すべての国の人々を弟子とし,父と子と聖霊との名において彼らにバプテスマを施し,わたしがあなたがたに命令した事がらすべてを守るように教えなさい」。(マタイ 24:14; 28:19,20,新)彼らはこのことを,「年長者たち」(プレスビターつまり長老たち),監督たち,そして奉仕のしもべたちの助力と導きおよび指導のもとに行ないました。西暦70年におけるエルサレムの崩壊以前においてすら「王国の良いたより」はローマ帝国の内外で伝道され,使徒パウロはローマの獄舎から,「〔あなたがたが聞いたこの良いたより〕は,天の下にあるすべての造られたものに対して宣べ伝えられたものです」と書くことができたほどです。(コロサイ 1:2,23,口語〔新〕)この偉業が成し遂げられたのは,当時の神権組織の助力があったからのことであり,それは今日のわたしたちに対する模範となっています。

      20世紀における神権組織

      17 1884年の「ものみの塔」誌によれば,神の聖なる者たちの天の王国はなんと呼ばれましたか。しかし,それら聖なる者たちで成る見える地上の組織は何を基礎として運営されていましたか。

      17 前節に引用した主イエス・キリストの命令は依然今日でも適用されます。エホバ神が異邦人の時の終わりに当たる西暦1914年にご自分のメシヤ・イエスの王国を樹立されて以来,それはなおさらのことと言わねばなりません。したがってわたしたちは,そうした命令を遂行している,それら献身してバプテスマを受けたクリスチャンから成る組織が,1世紀の使徒的な型にどのように一致しているかという点に関心を持っています。1884年8月号の「シオンのものみの塔」誌の7ページにはこうしるされています。「それに反してか,聖徒の王国は神権政府であり,(その完成と回復の期間に)人類が同意あるいは是認するかどうかにはかかわりなく,世界を支配するであろう」。しかしながら,地上の聖徒つまり聖なる者たちの組織についていうと,その見える地上の組織は,イエス・キリストのそれら献身してバプテスマを受けた追随者たちのために,おもに各会衆を基礎として運営されていました。個々の会衆には長老たちと執事たちがおり,彼らは少なくとも年に1回,献身してバプテスマを受けた者たちの人気投票あるいは民主主義的な投票によって選出されていました。その手続きは使徒行伝 14章23節に関する当時の理解に基づくものだったのです。b

      18 1895年の「宜しきに適ひ秩序正しく」と題する記事は,諸会衆のどんな役員を選出する問題を扱いましたか。この記事はそうした役員をだれと同等に扱いましたか。

      18 たとえば,1895年11月15日号の「シオンのものみの塔」誌は,「宜しきに適ひ秩序正しく」と題する主要記事を掲げました。それはコリント前書 14章40節に論及したものです。その記事の中で「初期教会における秩序」「今日必要とされる秩序」「推賞される使徒的な助言」「長老の選出が必要とされる場合」「長老の資格」などの副見出しのもとに,献身してバプテスマを受けたクリスチャンから成る諸会衆の役員の問題が論じられました。その冒頭の数節には,「エンファティック・ダイアグロット新約聖書」(英文)訳によるテモテ前書 3章1節から7節の聖句が引用されており,「人が監督の職[奉仕]を願うなら,その者は良い仕事を願っているのである。[いかなる奉仕といえども,われわれがキリストのからだにささげうるものは,祝福された奉仕である。]であれば,監督には非難されるべき所があってはならない」という趣旨のことが述べられています。それゆえ,この記事が長老と「監督」とを同等に扱っていたことがわかります。―1896年1月15日号の「シオンのものみの塔」誌をもごらんください。その24ページには,「『宜しきに適ひ秩序正しく』の記事に対する返答」が載せられています。

      19 (イ)長老たちおよび執事たちを選出するこの方法は,1932年10月5日どのように終わりましたか。(ロ)その時までに会衆はどんなわざを成し遂げましたか。また,どんな名称を採用しましたか。

      19 会衆の選挙によって長老たち(監督たち)

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