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  • テサロニケ人はキリストの臨在とエホバの日について学ぶ
    ものみの塔 1976 | 11月1日
    • のすべての書簡の中でも,同様に強調されています。パウロは繰り返し,自分が彼らのために祈りをささげていることを伝え,同時に自分のために祈ってくれるようにと求めています。―テサロニケ第一 1:2; 2:13; 5:13,17,18,25。テサロニケ第二 1:11; 3:1。

      キリストの臨在とエホバの日

      パウロの宣べ伝えた,キリストの再来とエホバの日に関する励ましとなるたよりは,迫害を受けていたテサロニケ人の関心をひときわ強く捕らえたようです。パウロがこの書簡の中で,こうした主題をしばしば取り上げていることからも,そのことがうかがえます。パウロは他の書簡の中で,キリストのパルーシアについて一度しか触れていませんが,ここでは6回もそれについて言及しています。そしてパウロがエホバの日について語っているのは,テサロニケ人にあてたこれら二通の書簡の中だけです。パウロは,自分が初めて「良いたより」を伝えたテサロニケの信者の間で誇ることのできる,主イエスの臨在の時を待ち望んでいました。(テサロニケ第一 2:2,19)そしてパウロは,彼らが,「聖なる者たちすべてを伴ったわたしたちの主イエスの臨在のさいに,わたしたちの神また父のみまえにあって……神聖さにおいて責められるところのないものとして」見いだされるよう彼らのために祈っています。―テサロニケ第一 3:13。

      親しい人に先立たれた人たちを慰めるに際し,パウロは,キリストの臨在に関していっそう深い理解を与えています。その時,死の眠りについていたクリスチャンたちは天の栄光へとよみがえらされ,その後,生きている者たちは取り去られて主と会い,天の報いを受けます。(テサロニケ第一 4:13-17)パウロは,この最初の手紙を,テサロニケのクリスチャンがキリストの臨在のさいに責められるところのないものとして見いだされるようにとの祈りをもって結んでいます。―テサロニケ第一 5:23。

      第二の手紙

      パウロは,二番めの手紙の中で,テサロニケのクリスチャンの愛と確固とした態度をほめた後に,イエス・キリストのアポカリプシス,つまりその表わし示される時,患難をもたらしている者に患難をもって報いることは,神にとって義にかなっていることを彼らに保証しています。それは,すべての邪悪な者にキリストが天から報復をする時であり,その結果彼らの上に突如「永遠の滅び」が臨みます。キリストが表わし示されるのは,エホバの日と時を同じくします。―テサロニケ第二 1:6-9。

      パウロは,最初の手紙の中で,エホバの日が夜の盗人のように訪れること,また世の人々が「平和だ,安全だ」と言っているその時に,突然の滅びがもたらされることを警告していました。恐らくそれが理由で,彼らの中には,キリストの臨在とエホバの日がすでに到来したとの早まった結論を下す者がいたようです。そこでパウロは,この二番めの手紙の中で,エホバの日の到来に先立って大規模な背教が生じ,複合の,つまり組織体である「不法の者」と「滅びの子」が暴露されることを指摘しています。「抑制力となっているもの」,つまりパウロや他の使徒たちが存在していたため,この者が表わされることは抑止されていたのです。初期のクリスチャン会衆に,パウロを初めとする使徒たちが交わっているかぎり,こうした大規模な背教が広まることはありませんでした。この不法の者は,神の定めに基づくキリストの顕現の時に,無に帰せられることになっていました。―テサロニケ第二 2:1-12。

      パウロがテサロニケのクリスチャンにキリストの臨在とエホバの日について証言したことを,わたしたちは感謝できます。こうした事柄に,彼らが鋭い関心を示さなかったなら,その後のクリスチャンは,これら二つのキリスト教の教えすなわち教理に関する,極めて重要な情報を得そこなっていたことでしょう。

      エホバの民は,テサロニケのクリスチャンと同様に,キリストのパルーシア,つまりその再来に大きな関心を抱いています。a また同時に,エホバの日についても深い関心を抱いています。彼らは,世界の支配者たちが,「平和だ,安全だ」と叫び声を上げているその時に,イエスの語った偉大な預言に示されている患難が生じることを知っています。―マタイ 24:21,22。啓示 7:14。

      テサロニケ第一 5章13節から22節に記されているパウロの言葉は,わたしたちにとっても優れた訓戒となります。「互いに対して平和な態度を保ちなさい。……無秩序な者を訓戒し,憂いに沈んだ魂になぐさめのことばをかけ,弱い者を支え,すべての人に対して辛抱強くありなさい。……常に喜びなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい。……すべてのことを確かめなさい。りっぱな事がらをしっかり守りなさい」。わたしたちが,常にこうした事柄を行なっていけますように!

  • 読者からの質問
    ものみの塔 1976 | 11月1日
    • 読者からの質問

      ● ヤコブの遺体には防腐処置が施されましたが,それはクリスチャンが従うべき先例とみなされるべきでしょうか。なぜこうした処置が取られたのですか。

      ヤコブの遺体に施されたこの処置を,真の崇拝者が見倣う手本とすべき根拠はどこにもありません。むしろ,それは,アブラハムの胤に土地を与えるという神の約束に対する確信から行なわれたものと思われます。

      ヤコブがエジプトの地で死んだとき,息子ヨセフは,エジプトの医師たちに,その遺体に防腐処置を施させました。(創世 50:2,3)古代エジプト人の間では,遺体の防腐処置は習慣としてごく普通に行なわれていました。人間の魂がいつか本人の体といっしょになれるように遺体を保存しておく必要がある,という信仰からそうしていたことは明らかです。もちろん,ヤコブもヨセフも,魂の不滅というこの異教の教えを受け入れてはいませんでした。死者は,神の備えのもとに,人類共通の墓であるシェオールに行き,やがて神によってよみがえらされることを,二人は正しく理解していました。(創世 37:35; 42:38。ヘブライ 11:21,39,40)それではなぜ,ヨセフはヤコブの遺体に防腐処置を施させたのですか。

      エホバ神は,カナンの地すなわち約束の地をアブラハムの胤つまり子孫に与えるという契約をアブラハムと結んでおられました。(創世 15:16-21)その胤がその地を相続する以前でさえ,同地にあったほら穴の家族用墓地にアブラハムとイサクが埋葬されていました。しかし,ヤコブの死が近づいていたころ,彼とその家族はエジプトに居住していました。ヤコブは神の約束に対する信仰を失って,ヘブライ人はずっとエジプトに住むのだと考えていましたか。そのようなことはありませんでした。ヤコブはヨセフに,自分のなきがらをカナンの地の父祖たちのところに葬ることを約束させました。このようにして,ヤコブは,神がアブラハムの子孫にその土地をお与えになることに対する確信を表明したのです。―創世 49:29-33。

      ヤコブの要求を果たすには,遺体をカナンの地に運ばねばなりませんでした。しかし,そのためには,防腐処置を施しておかなければ,炎暑のもとの長い旅ですから,遺体は途中で腐敗してしまいます。エジプトではすぐに行なえる防腐処置を施すことにより,ヨセフは父の遺体を,ヤコブの子孫に約束されていた土地に葬るまで保存することができました。―創世 50:2,3,7-14。

      それから55年ほど後のこと,今度はヨセフ自身が,いつの日か神がイスラエル人をエジプトから連れ出すとき,自分の骨も携え上るようにと頼んでいます。このようにしてヨセフは,アブラハムの胤に土地を与えるという神の約束は必ず果たされるという確信を表わしたのです。それでヨセフの遺体にもエジプトで防腐処置が施され,出エジプトのさいに運び出されました。―創世 50:25,26。ヨシュア 24:32。ヘブライ 11:22。

      後代のヘブライ人は,遺体の埋葬を重要な事柄とみなすようになりましたが,彼らが死体に防腐処置を施したことを示す証拠はどこにもありません。(列王上 2:31。列王下 13:21。詩 79:1-3。エレミヤ 16:4)何週間もかけてa遺体に処置を施すエジプトの防腐技術を用いる代りに,ヘブライ人は遺体をできるだけ早く葬ることにしていました。死亡した日に埋葬されることすらありました。―申命 21:23。創世 50:2,3。

      イエスの場合がそうでした。彼は,死んだ日に葬られました。埋葬に先立って,遺体にどんな手が施されましたか。こう記されています。「彼らはイエスの体を取り,埋葬に備えて行なうユダヤ人の習慣どおり,それを香料

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