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正義の新しい世の生命ものみの塔 1960 | 6月15日
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正義の新しい世の生命
『これは正しくない。』今日,人々はしばしばそう言います。それで,この世界に不正が多くひろまっていることは明白です。たいていの人々は,正しいことよりも,利益になることの方を重要視しています。この世界の不正に介入している政治や商業は,腐敗とかごまかしの行いをしています。正義を愛する人は,正しい原則の行なわれることをどこに求めるべきですか。
正義を愛する人は,神の言葉である聖書にたよることによりなぐさめをうけます。聖書には,正義の新しい世における生命がたしかに約束されているからです,『わたしたちは,神の約束に従って,義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。』― ペテロ後 3:13,新口。
それはすばらしい約束です! 『義の住む』世界です! そのような世界では,生活の必要品が不足するということはありません! 今日では,不正が行なわれているため,― 地の産出がすくないわけではありません ― 幾百万という人々は十分な食物,衣服そして住宅を持っていないのです。国際的な競争があるために,生活必要品は自由に行きわたりません。また箴言 28章15,16節(新口)の述べるごとく,圧制的な支配者たちはその国民を残酷に取りあつかいます,『貧しい民を治める悪いつかさは,ほえるしし,または飢えたくまのようだ。悟りのないつかさは,残忍な圧制者である。』今日の商業,政治,そして宗教にはさぎの行いが多く,ほとんど毎日のようにその悪い行為はばくろされています。しかし,人間の心の中にある不正を取りのぞくことには,ほとんど手をつけていないのです。神の新しい世には,さぎの行いはないでしよう。まったくのところ,不正な人々はひとりもいないでしよう。
ヱホバ神は不正な民を滅ぼして,義人を救います。そのために御自分の力をしばしば表わしました。神はノアの時代とロトの時にこのことをいたしました。使徒ペテロは,次のように書いています,『神は……古い世界をそのままにしておかないで,その不信仰な世界に洪水をきたらせ,ただ義の宣伝者ノアたち八人の者だけを保護された。また,ソドムとゴモラの町々を灰に帰せしめて破滅に処し,不信仰に走ろうとする人々の見せしめとし,ただ,非道の者どもの放縦な行いによつてなやまされていた義人ロトだけを救い出された。』これらの事実から判断するとき,次のことは保証されています,『ヱホバは敬けんな人々を試練からどのように救い,また不正な人々をどのように裁きの日まで保つて切りたつかを知つておられる。』― ペテロ後 2:4-9,新世。
洪水前の世界とソドムとゴモラの町々になされた神の裁きは預言的なものでした,つまり『不敬虔な者たちに来るべき事柄の型』を示すことです。正義の人々が待ち望む来るべきできごとは,神のハルマゲドンの戦争です。そのとき,ヱホバの支配している王,主なるイエス・キリトスは,あらゆる形式の不正を終らせます。
主イエス・キリストは,十分の試験をうけた王です。彼の正義に対する愛は,十分に試みられ試験されました。彼は地上にいるとき,この不正の世の支配権という悪魔の提供をはねつけました。彼は御父に忠節を保ち,正義の神の原則をしつかり守りました。霊感の下にヘブル書 1章8,9節を書いた人は,詩篇 45篇7節をイエスに適用して,次のように語つています,『御子については,「神よ,あなたの御座は,世々限りなくつづき,あなたの支配のつえは,公平のつえである。あなたは義を愛し,不法を憎まれた。」』新しい世の王は,正義を愛し,彼のつえは『公平』のつえであるとは,私たちの心をどれほど励ますものでしよう! さらに,神の王については,『神よ,あなたの御座は,世々限りなくつづき』と言われていることから,新しい世の正義について別の保証を受けます。なぜなら,詩篇 97篇2節(新口)のところで,神の御座については次のように書かれているからです,『義と正とはそのみくらの基である。』
それで,さぎの行い,圧制,利己主義,そして悪の終りは近づいています。この世代のうちに神に善意を持つ人々,そして正義を愛する人々は,神により救われ,『義の住む』世界に入れると知つてよろこびなさい。詩篇を書いたひとりの人は,公平な原則のつえを持つ王が支配する新しい正義の世の生命について,前もつて次のような預言的な言葉を述べています,『神よ,あなたの公平を王に与え,あなたの義を王の子に与えて下さい。彼は義をもつてあなたの民をさばき,公平をもつてあなたの貧しい者をさばくように。もろもろの山と丘とは義によつて,民に平和を与えるように。彼の世に義は栄え,平和は月のなくなるまで豊かであるように。』― 詩 72:1-8,新口。
その新しい世で,不正は根をはりません。ただ『義は栄えます。』それで,驚く事に住宅の不足はなくなり,食糧の不足もなくなります。ホスエ・ド・カストロ博士は,現在の『世界には,いかなる場所であろうとすべての人に十分な食物を供給し得る資源が十分にある』と語つています。全くのところ,ある政府は食物があり過ぎているので,貯蔵したり,捨てたり,あるいは他の方法で処理しています。それでいて,幾百万という人々は地上で餓死しています。この地はすべての人のために十分のものを産出すことができるのです。神の正義の新しい世における生活には,何かが不足しているというようなことは決してありません。そのときには,イザヤの次の預言は,全地にわたつて成就するでしよう,『彼らは家を建てて,それに住み,ぶどう畠を作つて,その実を食べる。彼らが建てる所に,ほかの人は住まず,彼らが植えるものは,ほかの人が食べない。わが民の命は,木の命のようになり,わが選んだ者は,その手のわざをながく楽しむからである。』『正義は平和を生じ,正義のむすぶ実は,とこしえの平安と信頼である。』― イザヤ 65:21,22; 32:16,17,新口。
正義の世界の地上で,あなたはどのように永遠の生命を楽しむことができますか。神の御言葉が助言している通りの事をいたしなさい。『公義を求め,謙遜を求めよ。さすれば,なんじらヱホバの怒りの日にあるいはかくさるることあらん。』(ゼパニヤ 2:3)いま神の正しい道を学びなさい。神の原則をあなたの生活に適用しなさい。他の者をヱホバ神の崇拝にみちびき,それらの者をも助けて正義の世における永遠の生命を得させなさい。
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親切ていねいな振舞は良いものみの塔 1960 | 6月15日
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親切ていねいな振舞は良い
働くだけでは十分ではありません。どのように働くかが大切です。私たちが物事をする仕方は,多くの場合に私たちの為し行うこと以上のものを意味します。子供は最善の仕事をしないかも知りませんが,熱心な気持で努力する子供の態度に大人の気持は暖められます。
人々に話すだけでは十分でなく,その話し方も大切です。「ほんとうによくいらつしやいました」と真心こめて語れば,その意味は大きなものになります。たとえ寝所はいちばん良いと言えなくても,それほど親切ていねいな提供をする人の気を悪くさせてはいけないと思い,寝所の良くないことなどはすぐに見過してしまうでしよう。ところが「とまつても良く,とまらなくても良いですよ。あなたの決定次第です」と極めて素気ない冷い態度で言われるなら,たとえその寝所が良いものであつても,あなたはおそらく別のところを探すでしよう。
贈物を与えることは良いことです。しかし,私たちがその贈物を与えるときの気持は,たいていの場合に,贈物以上の意味を持つています。いやいやながらに与えると,与えることと受け取ることとは大へん不愉快なものになります。親切ていねいな態度で物事をすることは,あなた自身および他の者に誉となります。与える者も受け取る者も,両方とも心の内に報いを感ずるでしよう。
親切ていねいにするとは,私たちの行儀を親切にして,礼儀正しいものにすることです。人とのつき合いを心やすくし,人との交わりを極めて愉快にし,安易に感じさせることです。それは,特に下位の者に対しての暖かさ,近づき易さ,親切,うやうやしさを意味します。この親切ていねいという衣服は,私たちが着用する美しい衣服です。
クリスチャンは,あらゆることを親切ていねいにするようにと励まされています。援助資金の寄付についてパウロが語つたとき,彼はそれを親切なわざに言及しました。クリスチャンの寄付は「親切な気持からなされるのであつて惜しむ心からでなく……神は喜んで施す人を愛して下さるのである」と彼は語りました。与えたことに私たちは爽快さを感ずるべきです。―コリント後 9:7,新口。
親切ていねいにすることとその生活は,すこしも費用がいりません。それでいてパンと水のごとくそれは生活に肝要なものです。この次にあなたが人々と交渉を持つとき,もう少し親切ていねいにしてごらんなさい。それだけ良い結果を感ずるでしよう。
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