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全地に対する正義の支配ものみの塔 1969 | 5月15日
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彼らは神の正義を確固として守るのです。―マタイ 11:29; 20:25-28。
悪行者が完全に一掃された地上に,犯罪が再び根を張ることは決して許されないでしょう。(詩 37:9-11)警察官,牢獄,手錠,盗難警報器,金庫,鍵,錠前などはもはや必要ではありません。御国の正義の支配の下であなたの家の戸口をたたく人は皆あなたの友人なのです。危害を受けるのではないかという恐れは全くありません。夜に公園を散歩し,創造者のみわざである星空をながめることにももはやなんの恐れもありません。今日の神の会衆において霊的な意味で実現していることが,文字どおりの意味でも実現し,「彼らはほんとうに安らかに住み,彼らを恐れさせる者はいない」のです。―エゼキエル 34:28,新。
しかし,死と病気についてはどうですか。これらも取り除かれますか。聖書の答えを調べましょう。
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神は人類を病気と死から解放されるものみの塔 1969 | 5月15日
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神は人類を病気と死から解放される
御国の最初の活動計画は一千年間にわたります。この期間に,イエス・キリストとその天の政府の成員は,単に王としてだけではなく,その政府の下に住む人々のための神の祭司としても奉仕します。(黙示 20:6)なぜ?
なぜなら,地上に住むものすべては,「神の子たちの栄光ある自由」をもつために,「堕落のとりこから解放され」ることが必要です。(ロマ 8:21,新)邪悪な者たちが滅ぼされてはいても,地上に生き残った人々は,アダムから相続した罪のために,まだ不完全だからです。不完全な肉体の誤った欲望は,心の中の正しい願望に対してまだ戦いを挑んでいるでしょう。(ロマ 7:21-23)それで,神の子たちの家族の中に全面的に受け入れていただくため,彼らはまず,天にいる神の祭司の奉仕を受けねばならないのです。これらの祭司は何をしますか。
彼らは,人間のいかなる政府も持たなかった力をもつでしょう。すなわち人の罪と不完全さを清める力です。この力はイエスのあがないの犠牲を基として,天にある神の祭司職に与えられています。神の御子およびその下で働く祭司たちは,イエスの犠牲の恩恵を従順な人々すべてに直接に適用するでしょう。(ヨハネ 1:29。ヨハネ第一 2:2)こうした神のご準備は,聖書の中で,「神と小羊との王座」から流れる「命の水の川」,および『諸国民をいやす木の葉』として,象徴的に描かれています。―黙示 22:1,2,新。
正義の面で絶えず進歩し,かつ天の祭司の助けを受けることによって,御国の統治を受ける民は少しずつ若やいで強健になり,やがて心身の完全な健康に達するのです。彼らはアダム以来相続した罪と死の束縛から完全に解き放たれるでしょう。その時,マルタに対するイエスの次のことばが実現します。「おほよそ生きて我を信ずる者は,永遠に死なざるべし。汝これを信ずるか」― ヨハネ 11:26。
そうです,こうして神は,「人の目からすべての涙をぬぐい去られ」ます。そして「もはや死はなく,悲しみも,叫びも,苦痛もな(く)……以前のものは過ぎ去」るのです。(黙示 21:4,新)完全な健康を楽しめるのは,なんとすばらしいことではありませんか。地上におられた神の御子は,らい病を直し,足なえや盲人をいやされました。同じように,彼の正義の支配はあらゆる病気と苦しみに終わりをもたらすのです。(マルコ 1:40-42。ヨハネ 5:5-9。マタイ 9:35)その時,病院や健康保険はもう必要ありません。病気と死が取り除かれるので,世界中の人々の涙の原因はなくなるでしょう。(コリント前 15:25,26)罪から全く解放され,ことばと考えと行ないのすべてにおいて,神の正しい標準に完全に従えるのは,なんとすばらしいことではありませんか。
死からよみがえる人々を迎える
あなたの愛していたかたで,すでに死んだ人々がおられるかもしれません。しかし,その人々が地に対する神の御子の正義の支配の祝福を楽しむという幸福な見込みがあるのです。イエスは,すでに死んだ無数の人々の希望を明らかにしてこう言われました。「これを怪しむな。記念の墓にいる者すべてが,彼の声を聞いて出てくる時がくる」。(ヨハネ 5:28,29,新)「死人がよみがえったぞ!」という知らせが初めて全地に伝わるとき,それはおどるような喜びの時となるでしょう。
わたしたちは,これが現実に起こるということを確信できます。地上におられたイエスは,病人や不具者をいやしただけではなく,死人を生き返らせることさえされたのです。このことを忘れないでください。(マタイ 11:2-6)それは,死人を復活させる神のすばらしい力の実証であり,神はその力をイエス・キリストに授けられたのです。
あなたは,12歳の娘に死なれたある男の家をイエスが尋ねた時のことを覚えておられるでしょう。イエスは死んだ少女に声をかけ,「娘よ,さあ,起きなさい」と言われました。どうなりましたか。聖書はこうしるしています。「すると娘はすぐに起き上がり,歩きはじめた」。娘の二親をはじめ,この奇跡を見ていた人々はどう感じましたか。「彼らは直ちに狂喜し,自分を忘れるほどであった」。彼らは喜びをこらえきれなかったのです。―マルコ 5:35,38-42,新。ヨハネ 11:38-44。ルカ 7:11-16もごらんください。
地上に楽園が復興する時,イエスは死人を生きかえらせるこの力を再び用いられるでしょう。聖書は「正しい者にも,正しくない者にも復活がある」と保証しているからです。(使行 24:15,新)死んだ人々が群れとなって次々に生き返る時,全地の喜びはどんなにか大きいことでしょう。愛する親族との再会の喜びを想像してごらんなさい。新聞に載る,悲しげな死亡告知にかえて,新しい復活者の名を発表することさえなされるかもしれません。それは,故人を愛していた人々に復活の喜びを伝えるためです。
これまでに死んだ人は幾億人もいます。しかし神にとって,これは少しも問題ではありません。神はそのすべてを思い出すことができるのです。聖書は,神が「星の数をかぞえておられ……そのすべてをそれぞれの名で呼ばれる」と述べています。(詩 147:4,新)このことの意味を考えてごらんなさい。
宇宙には幾億もの小宇宙があり,一つ一つの小宇宙は幾億個もの星を持つと言われています。それでも神は一つ一つの星の名前を知っておられるのです。今まで地上に生きた人の数は,これに比べればわずかです。したがって,これまでに死に,キリストのあがないの下に来た人すべてを覚えるのは,神にとってむずかしいことではないでしょう。(マタイ 19:26)彼らは再びこの地上で生きるのです。よみがえってくる人々をその場にいて迎えるのは,なんと喜ばしい特権ではありませんか。
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