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一千年にわたる裁きの日の終わりに期待すべき事がら神の千年王国は近づいた
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14 とはいっても,地上の下等生物をならすよりももっと重要なのは何ですか。それはなぜですか。
14 それにしても,主要な目的は動物や鳥そして魚などの創造物をならすことではありません。そうした地上の生物は人類が存在するよりもずっと前から存在してきました。問題なのは,あるいは危機にさらされているのは,地上の人類の存続なのです。アダムとエバの子孫はすべて,罪人として生まれてきたので,「神の栄光に達し」ませんでした。(ローマ 3:23)多くの場合,人は敬虔な特質ではなく,いま野獣が示しているような獰猛な性質を呈しています。それで人類は,永遠の命を受けるにふさわしいことを証明して,創造者なる神に賛美をもたらすには,その「神の栄光」に引き戻されねばなりません。人類家族の成員は一体とされ,互いに傷つけ合わない平和な関係に入り,公正と義を完全に行なう必要があります。これこそ,千年間にわたって審判者を勤めるイエス・キリストがもたらされることなのです。
15 人類の上に立つ天の審判者たちは,人口は増えても,悪行の発生率の減少する事態をどのようにしてもたらしますか。
15 現在,人間の犯す犯罪の増加率は,地上の人口の増加率よりももっと速い速度で大きくなっています。それとは著しく対照的に,千年期の期間中,地上の人口は死者の復活のゆえに,つまり「義者」と「不義者」との復活のゆえに一様に増えてゆきます。が,悪行の発生率は減少してゆき,ついには消滅点に達します。どうしてですか。なぜなら,人類の上に立つ天の審判者たちは全く義にかなっているとともに,神の規準に基づく真の義を全人類に教えるからです。この方面で助けになることとして,「水が海を覆っているように,地は必ずエホバの知識で満たされ」るでしょう。(イザヤ 11:9,新)その神権統治下の千年期の時代に認められるのは,エホバの崇拝だけです。人類はエホバの「真の天幕」,つまりその霊的な神殿の地的な中庭に導き入れられます。人類はそこで,イエスが天の父にささげた祈りの中で次のように言われた事の真実さを知らされるでしょう。「彼らが,唯一まことの神であるあなたと,あなたがお遣わしになったイエス・キリストについての知識を取り入れること,これが永遠の命を意味しています」― ヨハネ 17:3。ヘブライ 8:2。
16 (イ)どんな結果からすれば,一千年にわたって審判者としての職務につくキリストは目的を達し損うことはないと言えますか。(ロ)キリストは元に戻った人類に,楽園におけるとこしえの命を授けるわけではありません。なぜですか。
16 一千年にわたる裁きの日は,その目的を達し損うことはありません。その期間の終わりの時までには,喜んで答え応じる従順な人びとはすべて,真の公正と義の点で完全に訓練されていることでしょう。アダムとエバから受け継いだ彼らの肉体的また精神的欠陥は除去されてしまいます。いまや彼らはあらゆる点において神の絶対的な義の規準に自らかなうことができるようになります。ではその時,主要な審判者であるイエス・キリストは,楽園の美に包まれた,まさに輝かしい平和な地上でとこしえの命を得る権利を彼らに授けるのでしょうか。いいえ,そうではありません! この点に関しては,イエスは神の代理を勤めることはなさいません。というのは,次のように記されていることをご存じだからです。「神が彼らを義と宣しておられるのです」。(ローマ 8:33)では,神の立てられた審判者は何を行なわれるのでしょうか。
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一千年の後に全人類が受ける試み神の千年王国は近づいた
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9章
一千年の後に全人類が受ける試み
1 一千年にわたる裁きの日の終わりに,回復された人類には最終的に何が要求されますか。それで,代理審判者イエス・キリストは,彼らをどうしますか。
千年に及ぶ裁きの日の終わりに,義をもって裁かれた人類家族は完全な者として,その審判者で解放者であるイエス・キリストの前に立ちます。しかし,依然として彼らは,楽園の地上でのとこしえの命を受けるに価する者として裁かれるわけではありません。彼らはなお,宇宙の最高法廷,つまりいと高き神,主権者なる主エホバの法廷の前に出なければなりません。この最終的要求と一致して,代理審判者イエス・キリストは,今や完全な義にかなえるようになった人類を,ご自分の父なる神に引き渡さねばなりません。それは,試みを受けて,平和と幸福を伴うとこしえの命という貴重な賜物を受けるに価するかどうかを示す人びとすべてに対し
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