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よみがえりは力を与える希望ものみの塔 1954 | 8月1日
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に,血は傷を直すということは真です。しかし人間の体が,切り取られた後で新しい腕や足を出すのを見た人はいるでしようか? 新しい腎蔵や肝蔵や,また目をつくり出すのを見た人がいるでしようか?
21 そのような理論が与える『希望』は,どのようによみがえりの希望に不十分ですか?
21 ルックに表われた前述の記事を読んだ人が,真理を求めるならば,その記事の『希望』と,よみがえりについての聖書の希望を比較したく欲するでしよう。その記事によると,『再び生長した』人は,彼の遺伝原質がもともとに彼に与えた性格だけを持つでしよう。彼の生涯の経験も,また記憶も,みな失われるでしよう。昔しに生存したものとは違つたものであつて,新しく生まれた幼児のようでしよう。年を取つて,そして無数に死なねばならないでしよう。そしてまた『無』から再び出発しなければなりません。他の人が彼の『不死の庭』を世話するのに失敗するか,または不注意であるならば,彼は『再び生まれる』ことはできません。それに又,すでに死んでいる者たちにたいしては,全然希望が与えられていません。神の真の希望の代りにしようとして,なんという偽りの見えすいた,いやな,そして正しくない偽造なのでしよう。
22 どんな場合でも,人間はよみがえりを行うことができますか?
22 よみがえりの非常な奇蹟は,ただヱホバだけすることができるのです。ヱホバだけ,このよみがえりの力をもともと持つておられ,そしてその力を子に与え任せられています。『父がご自分の中に生命の賜物を持つているように,父は子にもまた,生命の賜物を自分の中に持つようゆるされたのである。』(ヨハネ 5:26,新世)人間は,心蔵や呼吸が止まつた後に,人工呼吸とか,薬品とか,または電気でもつて人を復生させることができます。しかし,細胞,特に頭脳の細胞が壊敗して後は,人間は死んでいるというのは認められた事実です。酸素が数分足らないだけで,細胞は壊敗し,とうていに直ることはありません。もう人間には,その人を助けることはできません。ただ神のよみがえりの力によつて,その人は生命に戻ります。よみがえりによつて生命に戻らすといつても,神はおそい生長の過程で,する必要はありません。神はその果てしない力によつて,瞬間になされます。イエスは,地上にいる時,しなびた手や,盲らの目が除々に直されるようにはしませんでした。彼は,ただちに,そして奇蹟的に癒されました。―マルコ 3:15; 10:51,52。
よみがえりの希望は,神の奉仕への励ましを与える。
23 私たちが油注がれた者の成員であろうと,または他の羊のものであろうと,よみがえりの希望は私たちの忠実にたいして,どのように冑を与えますか?
23 それで,クリスチャンはすばらしい希望を持つているのであり,その希望は人間が夢にも願つているもの以上のものです。それで,パウロはこのように言つているのです『冑として,救いの希望を持とう。』(テサロニケ前 5:8,新世)その希望の一つの強いものは,よみがえりです。その希望があれば,敵の攻撃によつて私たちの『頭』は砕かれることはありません。もしこの希望がなければ,神に対する私たちの忠実は,砕かれてしまうでしよう。死という打撃をうけようと,私たちの忠実を打ち砕くことはできません,なぜならば,もし私たちが天の14万4000人に属する者であるならば,『目のまたたくまに』に不滅の栄光によみがえされるということを知つているからです。(コリント前 15:52)私たちがもし他の羊のものであるならば,それは1秒だけ眠りについて,次の秒のときに目を覚ますようなものです。長いあいだ,あわれな状態にいて待つているようなものではありません。なぜならば,死ねば生命も意識も全くなくなつてしまい,無になつてしまうからです。新しい世で目を覚ました時,おそらくその人の最初の考えは,彼が死んだ時に持つていた考えの終りのものでありましよう。エノクは一つの例です。彼が目を覚ます時に,彼は新しい世の幻を心に持つていることでしよう。(ヘブル 11:5)ヱホバの御意の定めるかぎり,すべてのヱホバの証者は生きて,伝道したく願いますが,彼らは死を恐れません。
24 このよみがえりの希望を考える時,クリスチヤンは死をどのように見るべきですか?
24 愛する者たちが死んだ時でも,クリスチャンは他の人たちのようではありません。彼らは,過度に悲しむことをしません。彼らは,死は敵であると認識しております。しかし,自然の愛情の限界を越してしまつて,悲しさのあまりに,ヱホバの奉仕にあつて忠実を守る路に影響を与えるようなことをいたしません。むしろ,彼らはより固くしつかりと奉仕を続けます,というのは忠実な奉仕をするならば,彼らは新しい世に入ることができ,愛する者たちがよみがえりをうけて生命に戻つた時,再び会うことができると知つているからです。
25 よみがえりの希望によつて,なぜいま私たちははげまされ,より大きな活動に従事すべきですか?
25 なんと愛のある,そして考え深い神に私たちは奉仕しているのでしよう。神のよみがえりの約束によつて,私たちは励みをうけ,いまより一層に大きな活動に従事すべきです。1918年からよみがえされている14万4000人の成員だけではなく,地上で生きる人々にとつても,よみがえりが現実,真のものとなる時は着実に近づいています。キリストと彼の天の共同相続者は,キリストの大いなる御国の安息のあいだに,愛の心からキリストの贖いの犠牲の価値を行使し,地上で何十億と死んでいる人を,死の坑から引き上げますが,その時の彼らのよろこびを考えてごらんなさい。(ルカ 14:5。ヨハネ 5:26; 6:53)ヱホバの他の羊は,楽園の地上にいますが,ヱホバがその制度にたいして,死んだものでよみがえつた者たちを迎えるよう準備せよとの通知をうけ取る時,その時の彼らのよろこびを考えてごらんなさい。その時,彼らは非常なよろこびのうちに,よみがえされた多くの者たちに食事を与え,住居を世話し,教育し,そして訓練するよう準備するでしよう。そして,新しい世の社会のうちにあつて,彼らはみなそれぞれの立場を持つようになります。それはなんというすばらしい確信なのでしよう。ショオール ― ハーデス,『墓』がよみがえりによつて亡ぼされ,そして最後には,千年の終りに人間の社会は神の前に完全なものとなり,そして試験を通過した後に,彼らはこの美しくされた地球で永久の生命をうけるのにふさわしいものであると,神から是認の許しをいただくその時を待ちのぞむのは,なんとすばらしく,また心からよろこびを感ぜしめるのでしよう。よみがえりの奇蹟は,幾十億と人々を増加させ,死に対する勝利のうちに神の目的を立派に成就するでしよう。そして永遠の将来の時代に,二度と繰りかえして行われる必要はないものです。
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フイリツピン諸島からの報告ものみの塔 1954 | 8月1日
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フイリツピン諸島からの報告
伝道者 1946 2,069 1947 2,902 1952 17,520 1953 20,120
ヱホバ神の設立された御国についての良いたよりは,いままでにない程におおくフィリッピン諸島で伝道されています。ヱホバの御名は,国のすみずみまでに知られています。正直な人々は,ヱホバの目に見える制度にたいして,尊敬の心のうちに関心と注意を払つています。というわけは,ヱホバの証者はその区域にあつて忠実に良いたよりを伝道しているからです。また,会衆のある区域だけに伝道を制限せず,御国の音信がまだ以前に一度も宣べられていない孤立した区域や場所で伝道をしているからです。支部の僕は,フィリッピン諸島での御国の業の進歩と拡大について,次のように語つてます。
制度に入つて来た幾千という新しい人を世話し,そして訓練するためには,巡回区や地域を再編成することは必要でした。二つの地域の中で,30の巡回区はつくられました。新しい僕たちは訓練されました。神についての正確な知識を各人は学び,それから定期的な家から家への宣教にこの知識を用いることに強調が置かれました。巡回の僕は,開拓者や,会衆や,地域の研究の群や,孤立した群と会見し,兄弟たちを訓練して宣教の奉仕に従事させる必要性を強くすすめました。その努力は,実を結びました。イロコス,ノルテにいる孤立した伝道者は1通の手紙を送りましたが,その抜き書きからの次の記事によつて努力が実を結んだということについての一つの例がわかります。
『毎土曜日に私たちは群の証言をしているとお知らせすることは本当にうれしく存じます。その群の証言は,私たち自身とまた他の伝道者を訓練して定期的な家から家への伝道者になるためであり,円熟に達する道でございます。……毎日曜日の午後には,また『ものみの塔』の研究があり,私たちは熱心に研究しています。開拓者の兄弟のおかげで,この研究があることを幸いに思つています。伝道者の数は増加しました,そして先月報告した合計の数は27でございました。』
会衆と開拓者たちは非常な,努力をはらい,6月7月,そして8月のあいだに,まだ割りあてられていない区域を証言しました。一人の会衆の僕は,23人の兄弟たちの経験を報告しました。その兄弟たちは,文書や食物や,夜営するための天幕や,他の持ちものを背中に負い,北ルソンの山道を3日間歩き,いままでに伝道されたことのない区域を証言しました。どの村でも気持よく,温く迎えられ,多くの文書を置きました。一人の姉妹の開拓者は,こう報告しました。ある孤立した町の市長は,警察に命令して,公共の講演会のために椅子を運ばせました。それから家に帰ろうと傍を通りかかつた学校の先生方や他の人々を招待し,ヱホバの証者たちの音信を聞きなさいとすすめました。すぐにその場所は一杯になりました。書籍研究と『ものみの塔』研究が行われました。その市長は非常によろこびまして,公共の講演壇をすぐ修繕するようにと命じ,次の日に証者たちが公開集会を開くようにとお願いしました。証者たちは公開集会を開き,400人の人が出席しました。
法律の分野でも,良いたよりを伝道する兄弟たちの権利を守るために,戦いが行われています。イロイロのドエナスで,1952年の9月16日に,怒つた家の人は一人の開拓者を切り殺しました。その家の人は,自己防衛をしたのであると裁判所で言い張りました。その人の防衛についての証言を注意深くくわしく調べてみましたところ,その人が加害者であり,殺された兄弟はそのひどい加害にたいして自分の身を守る機会がなかつたという事実が明るみに出されました。その殺人者は,有罪に処罰され,殺人罪についてのフィリッピンの法律によつてもつとも重い刑罰をあたえられました。
フィリッピンの最高裁判所は,禁止命令を出し,マラカンバ,カミリング,ターラックの学校当局がヱホバの証者の子供たちを学校から追い出すのを禁じ,また国旗にたいして偶像崇拝の敬礼をしないからという理由で学校に入学させないことを禁じました。
すばらしい奉仕年度の最高潮は,ヤンキー野球場でのヱホバの証者の新世社会の大会でした。フィリッピンから27名が出席しました。その大会で示された豊かな真理に,強く固められ,私たちは来るべきすばらしい奉仕の年にたいしてより良く準備をととのえています。それで,神の命令に従い,私たちは伝道の仕事を行いつづけます。―1954年度ヱホバの証者の年鑑より。
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