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神の王国の王が人間のために行なう事柄ものみの塔 1978 | 1月1日
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にあずかりました。それは,自分の死によって,死をもたらす手だてを持つ者,すなわち悪魔[「そしる者」の意]を無に帰せしめるためでした。またそれは,死に対する恐れのために生涯奴隷の状態に服していた者すべてを解放するためでした」― ヘブライ 2:14,15。
またこのようにも述べられています。「神の子が現わされたのはこのためです。すなわち,悪魔の業を打ち壊すためです」― ヨハネ第一 3:8。
13 イエスはご自分の生涯の歩みにより忠誠の問題が解決したことをどのように示されましたか。(ヨハネ 12:31)
13 神に対するイエスの完全な服従は,他の人間の助けを必要とすることなく忠誠の問題を永遠に解決しました。イエスは死ぬ前に,「世の支配者が来ようとしてい(ます)。そして,彼はわたしに対してなんの力もありません」と言われました。(ヨハネ 14:30)イエスは,サタンを神とする「世を征服したのです」。イエス以前の,また以後の他の忠実な人々も,神とそのみ子の助けを得て,この問題に関係した奉仕にあずかってきました。その人々は,地に対するイエスの千年統治の間,他の人々を助けるべくイエスに用いられます。―ヨハネ 16:33。
14,15 ペテロ第二 3章9節の使徒ペテロの言葉は,神が遅いのでも無とん着なのでもないことをどのように示していますか。
14 なかには神を「甘い」とか,遅いとか,無とん着と見る人もいるかもしれません。しかし使徒ペテロはその考えに反ばくし,こう述べます。「エホバはご自分の約束に関し,ある人びとが遅さについて考えるような意味で遅いのではありません。むしろ,ひとりも滅ぼされることなく,すべての者が悔い改めに至ることを望まれるので,あなたがたに対してしんぼうしておられるのです」― ペテロ第二 3:9。
15 ペテロの言葉から,神が無とん着でないことが分かります。神が時間を許されるので,わたしたちすべてが真理を聞く機会を得られるのです。しかし,もちろん毎月多くの人が生まれており,多くの人は死んでいます。ですからペテロの言葉は次のことを指摘しています。つまり神は,今生きている世代だけでなく,生者および復活してくる人々すべてのために何が最善かを知っておられるということです。そして神は,人間の事柄に介入すべき,またキリストの千年統治に道を譲るよう現在の事物の体制を終わらせるべき的確な時をご存じです。千年統治の間,全世界は「義をもって」裁かれます。(使徒 17:31。啓示 20:11-15)したがって非常に多くの人々 ― 実際に,正しいことをしたいと思う人すべて ― が救われ永遠の命を得ることができるのです。―啓示 20:7-10,15。
千年にわたる王国の統治の終わりに何があるか
16 王国は人類にどんな身分をもたらしますか。(啓示 21:3)
16 地のすべての事柄に対する王国の千年統治は,人類にとって極めて喜ばしい時となります。そして千年の終わりに,王国は神のご意志を「天におけると同じように,地上においても」成し遂げて,その終わりに至ります。(マタイ 6:10)アダムの罪とその結果の死が取り除かれるので,その時全人類は完全な者として立ち,王国の祭司的奉仕をもはや必要としません。ですから神は彼らを「神の子ども」としてご自分の完全な家族に完全に受け入れることがおできになります。―ローマ 8:21。
17 イエス・キリストは千年の終わりに何をされますか。どんな理由で?
17 父エホバに対する愛と忠節において「きのうも,きょうも,そして永久に同じ」であるキリストは,千年の終わりに,全創造物の前で,エホバ神の永遠の主権を認めます。そのことを聖書は次のように示しています。「ついで終わりとなります。その時,彼は王国を自分の神また父に渡します。その時,彼はあらゆる統治,またあらゆる権威と力を無に帰せしめています。……しかし,すべてのものが彼に服させられたその時には,み子ご自身も,すべてのものを自分に服させたかたに自ら服し,こうして,神がだれに対してもすべてのものとなるようにするのです」。神の主権はそのとき全創造物に対して直接に行使されるので,単独で立ち,最高のもの,立証されたものとなります。―ヘブライ 13:8。コリント第一 15:24-28。
18 エホバは千年統治終了後,キリストおよびその仲間の14万4,000人のために,さらにすばらしいものを蓄えておられますか。
18 もちろんキリストはその偉大な業のゆえに常に感謝され,尊敬され,名誉大祭司兼王となられるでしょう。報いを与える偉大な方としてのエホバの,キリストおよびその天の仲間14万4,000人に対するそれ以後の関係,またエホバが彼らに与えられる任命は,彼らに対するエホバの大きな愛の表現となるでしょう。(ヘブライ 6:10)聖書には,神が彼らのために蓄えておられる事柄は示されていませんが,すでに行なわれたことはすばらしいものでした。
「神はあわれみに富んでおられ,わたしたちを愛してくださったその大いなる愛のゆえに……キリストとともに生かし……また,キリスト・イエスとの結びつきにおいてわたしたちをともによみがえらせ,天の場所にともに座らせてくださったのです。それは,キリスト・イエスと結ばれたわたしたちに対する慈しみのうちにあるその過分のご親切の卓抜した富が,きたらんとする事物の諸体制において明らかに示されるためです」― エフェソス 2:4-7。
19 なぜ人は,わたしたちが今勉強してきたことを理解する必要がありますか。
19 良いたよりにはこれらの事柄がすべて含まれています。神に受け入れられる奉仕をし,良いたよりを他の人々に宣べ伝えることを望む人々は,これらの事柄を理解し認識することがぜひとも必要です。
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賢人はどんな意味で述べたかものみの塔 1978 | 1月1日
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賢人はどんな意味で述べたか
彼らは神のみ手にある
賢い王ソロモンでさえ,神のみ業の全容を推し量ることはできませんでした。つまり至高者がご自分の壮大な目的の成就において行なわれる事柄だけでなく,許しておられる事柄までは理解できなかったのです。それでも,人間に関する事柄を注意深く調べた後に,ソロモンが「心に留めた」肝要な真理がありました。それは何でしたか。「義なる者と賢い者,また彼らの業は真の神のみ手にある」ということです。―伝道 9:1,新。
そうです,義人や賢人は,その人柄と行動の両面で至高者のみ手,つまり力の下にあると言えます。義人や賢人に災いが臨むのを至高者が許されたとしても,その人たちが報いを得損なうことは決してありません。エホバ神は「ご自分に属する者を知っておられ」,そのみ業すべての結果が『ご自分を愛する者たちの益に』なるようにしてくださいます。(ローマ 8:28。テモテ第二 2:19)このことを知っていれば,義人が苦しんでいるのに邪悪な者たちが栄えているのを見たとしても,慰めや励ましを得ることができます。―伝道 8:14。
ここ数百年の間,聖書学者たちはソロモンが伝道之書 9章1節(新)の次の言葉を一体どんな意味で述べたのか理解しかねてきました。「人間は自分たち以前にすべてあった愛にも憎しみにも気づかない」。この言葉は,故意に数々の実際的な概念を導き出せるような仕方で書かれたとも思われます。例えば,死は人間の愛や憎しみに終わりをもたらすので,生きている人は,自分が生まれる前に,つまり自分の時代以前に生きた人々の生涯にどれほどの愛と憎しみがあったかを知ることはできない,という意味にも理解できます。
あるいは,ソロモンの言葉は,神が義人や賢人を,またその業を左右する力を持っておられるという,前に述べられた文脈から考慮しなければならないかもしれません。神の許しや黙認の結果,義人や賢人をはじめとする人類の残りの人々すべてが愛や憎しみを経験するようになりました。また至高者は,人々の生まれるずっと前から,人間が愛や憎しみを味わうことを予知しておられました。神は,愛と憎しみの感情を持つ罪深い人類が生まれてくるのを許されました。アダムとエバの
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