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  • 「飲み過ぎ」を避けなさい
    ものみの塔 1969 | 11月15日
    • 神の律法もありました。(民数 6:2-4,13-20。アモス 2:12)サムソンは生まれる時からナザレ人だったので,その母は妊娠中にぶどう酒その他の酒類に触れることすら許されませんでした。(士師 13:4,5,7,14)執務中に「酒を飲は王の為べきことにあらずこき酒を求むるは牧伯の為すべき事」ではありませんでした。それは彼らが「律法をわすれ,かつすべて悩まさるる者の審判をまげ」ることがないためでした。(箴言 31:4,5)同様に,すでに述べられたごとく,クリスチャンの会衆の補佐のしもべたちも「謹厳にして,……大酒」してはなりません。―テモテ前 3:8,9。

      酒類を完全に断つ必要があるか

      はい,時には必要です。アルコール中毒は一種の病気とされています。中毒者は絶えずアルコール飲料を飲みたいとの衝動にかられます。それはやめようという自分の意志よりはるかに強い衝動です。このような衝動に悩まされている人は,それによって自分が圧倒されないために完全に禁酒すべきです。ごく少量のアルコールを取ることも,健康上の理由からやめたほうがよい場合はほかにもあります。また,使徒パウロが述べているように,他の人々の良心への配慮と愛のゆえにその人たちをつまずかせることがないようにとこい酒類をやめる必要が起こることもあります。(ロマ 14:21)「汝の愛は酒よりもまさりぬ」という聖句を心に留めてください。(雅歌 1:2,4; 4:10)つまり,アルコール飲料は必需品ではないのです。40年のあいだイスラエル人はぶどう酒や強い酒を飲みませんでした。(申命 29:5,6)レカブ人は酒を断ってから300年ほど経た時に,その忠実さをほめられました。(エレミア 35:2-19)ナザレ人の生活を送った強いサムソンや,がん丈な体格を持ったバプテスマのヨハネも禁酒のゆえに健康や体力をそこなうことはありませんでした。―民数 6:1-4。士師 16:17。マタイ 11:18。ルカ 1:15; 7:33。

      ですから,もしあなたが禁酒に成功しているなら,それはよいことです。しかし,もしエホバからのこの贈り物を楽しんでおられるなら,時と場所とをわきまえて,節度を保つという神の律法に従いつつ楽しんでください。

  • アッシリアによるイスラエル征服
    ものみの塔 1969 | 11月15日
    • アッシリアによるイスラエル征服

      聖書はアッシリアによるイスラエル征服をしるしています。普通,テグラテピレセルの名で呼ばれているアッシリアのプル王は,イスラエルがアッシリアによってついに征服された紀元前740年の幾年か前,少なくとも2回イスラエルを攻撃しました。聖書はその第1回目の侵略を次のように述べています。

      「アッスリヤの王プル[テグラテピレセル]その地に攻きたりければメナヘム[イスラエルの王]銀1千タラントをプルにあたへたり……ここをもてアッスリヤの王は帰りゆきて国に止ることをせざりき」― 列王下 15:19,30。

      二,三年後,ペカはメナヘムのあとをついで王となっていた彼の子を殺して,彼はイスラエルの王になりました。聖書はさらに,ペカ王時代におけるアッシリアの同じ王による2回目の侵略について述べています。「アッスリヤの王テグラテピレセル来りてイヨン,アベルベテマアカ,ヤノア,ケデシ,ハゾルおよびギレアデならびにナフタリの全地ガリラヤを取りその人々をアッスリヤに擄へうつせり,ここにエラの子ホセア 党をむすびてレマリアの子ペカに敵しこれをうちて殺しこれにかはりて王となれり」― 列王下 15:29,30。

      興味深いことに,考古学者が発見した,アッスリア王テグラテピレセルの文書は,聖書に記録されているこれらの出来事について述べています。たとえば,彼はある書類で,「我はコマジンのクシュタシュピ,ダマスコのレジン,サマリヤのメナヘムより貢を受けた」,また別の文書の中で,「民はペカ王を廃し,我はホセアを彼らの王とした」と述べています。

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